あふりかくじらノート
あふりかくじら



 今年最後の陽が落ちて。

2007年最後の太陽の光が傾いてきて、どうしてもそうしなくてはいけないような気がして(タイヤの空気の抜けた)自転車を飛ばして海まできた。

東京湾をうつくしく染める夕日を、デジタル一眼レフに収める。

いろんなことがあった今年も、日が暮れる。
うれしいことと辛いこと、比べたら辛いことの方がきっとずっと多かった。それを心のなかに引きずって、あと少しで年が明ける。

半分の焦り。狂気。
それから、どこかしら平穏な心の余裕。

吉田篤弘の本に惹かれているのは、そういう平凡さのなかの静かなことばが心に届いたからだろう。


静かに書き始めたいな。
そう思わせてくれる年末でした。

今年も、ありがとう。
どうぞ来年も、よろしく付き合ってください。


2007年12月31日(月)



 2007年のお終いに。

ただいま31日午前3時前。
当初28日の午前中までに仕上げてくれ、すみませんがこの締め切りに間に合わせて、などと超人的なことを念押しされていた翻訳の仕事、原稿自体がまだそろっていない。今日出てきたとしたら、その仕事をマイナス3日でやれ、とそういう意図だったのでございますね。ほほう。ドラえもんの力が必要だよね、それ。

NGOの仕事でも、こういう究極の甘さは許されないと思う。仮にもこの仕事、うちの団体が「法人」として委託を受けた仕事なんだから。この仕事、全体的にイージーなミスが多すぎて、しかもそれを皆が人のせいにしているところが悪い。プロなんだから、プロの仕事をしないと結局NGOの信用が落ちるだけ。・・・という愚痴はまあいいわ。


日本に滞在して早数ヶ月。
もう息が詰まっておかしくなりそう。

つくづく性格のひねたヤツだと自分で思うけれど、ジンバブエに行って、現地のひとなどだけに会って日本人にはぜったいに会わないようにするにはどうすればよいか、などと考えて寝たら、夢の中にその職場の日本人の若者が出てきた。例によって、わたしは彼とことばを交わさなかった。
「縁を切る」ってことで。

夢の中で、わたしは窓を開ける。外には雪がちらついている。


すごい哀しい気持ちで目が覚める。

結局ひとはひとりだと誰かが言ったけれど、そう思っていたら楽なのかというとそうではない。失ったもの、持たないものを哀しみ、感謝を忘れている。
でも、心を広く持つということは、やっぱりそれなりに努力と力がいることだ。

10年に一度の大幸運期と占いで出ていた2007年は、わたしにとって最悪の年となった。恋人とのこと、仕事のこと、人間関係で、心を壊すこととなった。

それでもせめて、ここに書くことを読んでくださる方に感謝したい。(読んで欲しくない人間もいるけど)
時間はかかると思うけれど、わたしはやっぱり、「物書き」だし、書き続けることによって生かされているから。

そして、深夜のラジオみたいに、たまにいいことばを届けられたらいいと思う。

2007年12月30日(日)



 師匠と魂のラジオ。

サタデーナイトのオールナイトニッポンは、キュートな小栗旬くんではなくって、福山雅治さん。
「魂のラジオ」、魂ラジです。

福山さんのセクシーな声を、真っ白に顔パックしながらうっとりと聴いておりました。すてきなお声、そしてすてきなシモネタ。おバカなことをおっしゃっても、福山さんなら良いのです、みたいな。

それでも、ふっとすごく心に届くことを言うんだよね。
それが好きで、やっぱりラジオを聴いてしまう。


わたしの大学のころからの師匠は伝説的なアナログ人間で、家にテレビもなく洗濯機もなく、もちろんパソコンは使わずタイプライターという天然記念物のようなヤギなのだけれど、ラジオに関しては驚くほど詳しいひとである。
一日中ラジオを聴いているのか、AM、FM、短波だけでなく、北朝鮮の放送まで聴いているようなマニアだ。

そんな師匠がその昔、聴いてみれば、とわたしに勧めたのがこの「魂のラジオ」だったりする。不思議なもんだ。あんなお下品だけれども、許せちゃうのが福山さん。ルックスがすてきな方は違う。(元)だーりんの次に好き。


今日の「魂のリクエスト」は『泣いたりしないで』。
福山さんが、ギター片手にライブで静かに歌ってくれるのだ。

泣きそうになっちゃった。


心をゆったりのんびり構えて過ごすのって、簡単なことではないんだなぁ。


2007年12月29日(土)



 心にふと届く。

しばらくぶりに、インターFMを聴いている。
今は、Alicia Keys "No one"が優しい音で流れてる。
外はひんやりと冷えていて雨が降っていて、小さな音のラジオはほんとうにわたしひとりのために音楽を流しているように感じてしまう。

ストレスが溜まること、たくさんある。
不安、もちろん。
仕事が決まらないというのは、ほんとうに重たい精神的なプレッシャー。わたしは今まで何をしてきて、これから何をしたいのか。「やりたいこと」がはっきりしているから、「今やりたいこと」がわからなくなる。
もうこれ以上、「やりたいこと」から遠いところにいるという苦しみが嫌で、ほんとうに嫌で。
それでも、貯金は減っていく。


アフリカに。
ボツワナに。そしてたぶん、ジンバブエに。
わたしの意識はいつもそこにいる。

あのひとはどうしているかな、いまはどんなお天気かな、とか。


ラジオが素晴らしいのは、ふとした瞬間に予想もしなかった曲がかかること。そして、「ナビゲーター」のことばが心に響いたりすること。

今日、いちばん心に届いたのはJohn Mayer "Say"だった。


遠くで雨が降っている。
ボツワナのセロウェ村では、午後七時を迎えている。

この地球の何処かでは、まぶしい太陽の光が降り注いでいる。



深夜のラジオ的アフリカ物書き。
わたしはそういうことばを書きたい。

2007年12月28日(金)



 昨日より一変。

スーパー翻訳マシンの締め切りの延長交渉に成功。
昨日あれだけ悪態をついていたのが、この解放にけろっと知らん顔してお出かけ。懸念していたものを購入したのち、ベリーダンスのレッスンへ。

こうやって余裕かましているから締め切り迫って苦労することになるのだが、なんのその。(!)

本日のレッスンは、パンジャビ
最高。ノリノリ。
バングラビート万歳。Mundian To Bach Keってどういう意味?

この振り付けは、インドのボリウッド的なところがあって可愛くてスタジオで大人気(のはず)なのだ。
今日はスタジオ主催の師匠じゃなくっていつも木曜クラスを教えてくれているキュートなインストラクターのレッスンだった。わたし、くじらさんと呼ばれる。

やっぱりベリーダンスのレッスンに行った日は気分が違う。
明日は部屋の掃除をして、そして翻訳にいそしもうと思う。

今年も踊りおさめだ。


踊るベリーに観るベリー、同じ腹なら踊らにゃソンソン♪



今日、とてもすてきなことを【あふりかくじら★カフェ】に書こうと思ったのに、きれいさっぱり忘れた。得意技、健忘。


2007年12月27日(木)



 95%の確率。

翻訳マシン中です。
ごきげんいかがでしょう。
くじらは、殺気立ってます。

だって、日英翻訳仕上がり予定枚数65枚。
スーパープロで超スピードの翻訳者さんでも一日8時間働いて8枚がいいところ。それを二日半でやれとな。

おーい。65割る8をやってみ??


「不可能」です。「不可能」
「死ぬ気になる」とか、「すみませんが」でできる問題じゃありません。命削っても無理です。「不可能」です。きっぱり。


ということを書いたらメールの返事が来ません。
どういうことでしょう?もう、こうして公開のウェブに書いちゃいますよ。


やりませんよ。はっきりいって。
当初わたしが申し出た日程でやらせていただきますよ。

通訳者とか翻訳者って、魔法の自動ボックスかなんかと思われてるふしがあって、けっこう日数とか内容とかないがしろにされることが多いわけですね。この誰かのしわ寄せ、不可能を可能にすることはできませんから。

で、こちらは何時間もぶっ続けで作業しているわけですよ。集中力切れで意識が遠くなりながら。(翻訳脳だけ動いている状態)

そして、何のお返事も頂戴できないと、だんだん怒りが充電されるわけですよ。モシモーシ!ハロー!
ずーっと作業してますからね。

そしてわたしは今月もベリーダンスのレッスンの先払いした分、損をしてしまうわけです。試験にも落ちてしまうわけです。(予定)
整骨院にも行きたいけれど、行けないわけです。お部屋のお掃除などできないわけです。
人前で踊るなど理解できないと言われてしまうわけです。

考えたら、10月の翻訳マシンのときも、就職活動用に受験しようと思って払い込みまで済ませていたTOEFLをフイにしてしまったわけです。140ドルをどぶに捨てたんですよ、無料の仕事のために!
もう!

みんなキライだー!

・・・ということで僕に電話してくるんだね、と(元)だーりん。
あなたはなんて心の広い方なのでしょう。
そしてわたしがあなたに電話をするとき、95パーセントくらいの確率であなたは「会議中」か「プレゼン中」か「結婚式のスピーチ中」なのです。
今日は、二番目でした。

あたり!


ごめんなさーい。
ほんとにごめんなさーい。
だーりんだけがわたしの救いなのですよ。


2007年12月26日(水)



 妄想クリスマスクッキー。

クリスマスイブ、家にはとても香ばしいにおい。
粉だらけになったキッチンに、こんがりしたクリスマスクッキーがこんもりしている。
美味い。

そう。わたしの趣味はお菓子作り。

・・・なわけはない。

弟1の作品です。仕事場で配ろうとせっせとクッキーを焼くのはわたしでなくマイブラザー。

思わずそのクッキーをこっそり可愛い袋につめて、近所のホテルの駐車場でいつもにこやかに立っているイケメン警備員に「メリークリスマス(ハート)。クッキー作ったので食べてね」って言って渡そうかと思ったけれど、弟の手作りクッキーでそのイケメンを落としてしまった、というのもどうかと思いやめた。

出かけたら、今日はたまたま出勤だったらしく、その彼が立っていた。いつもどおり「こんにちは」と挨拶。「メリークリスマス」すら照れくさくていえないわたし、妄想ガール31歳です。

まあ、30代になってジョシコーセーみたいな手作りクッキー作戦もどうかと思うので、妄想特急にとどめておきます。
もし、そのクッキー作戦が成功したら、ほんとうのことを告白するのはきっと50年後くらいにするでしょう。

「もう80歳になったから言うけど、あのときのクッキーは弟がつくったの」


こんな人生もありなのです。

2007年12月25日(火)



 淋しくないクリスマスイブ。

丸の内線最終電車池袋行き、新宿御苑前23:58発。
自宅に帰るための、最終電車に乗る。


なんだか丸の内線と銀座線が交差する赤坂見附あたりで、映画『メトロに乗って』のような時空が交錯するような錯覚を覚えた。
遠い昔のこと。そこは東京の地下。
でもわたしの意識はどこか遠くへ行っている。


グリーンのipod nanoには、Chiwoniso Maraireの"Timeless"というアルバムがかかっている。
目を閉じると、わたしはハラレからずっとずっと長く続くまっすぐな道を、南西へとアクセルを踏んで進んでいる。
まぶしい太陽の、遠い遠い大地。数百キロ彼方の何処かを目指して、わたしはひたすら進んでいる。
ムビラの柔らかな音色とChiwonisoの懐かしい歌声は、わたしをジンバブエという故郷に誘う。


どうしても、どうしても、イメージの中のわたしはひとりきりだ。
たったひとり、明るい太陽の下を南西へ進んでいるのだ。



遠くへ。
どこか、遠くへ行きたい。



「淋しくないクリスマスイブ」というタイトルの本日のビアバーでの夜は更けてゆき、ベリーダンスもそれなりに楽しんでもらい、かといって「大ディスコ大会」になるわけでもなく。それでもいい時間が過ごせたと思う。


こんなクリスマスイブもいいのかな。
誰かがいて、でも、心のなかには太陽の降り注ぐあの大地がある。


家で静かに灯りを消して、DVDで古い映画を観たい気分。

ありがとう。
わたしのまわりの色んなひとたち。

そして、Chi。


2007年12月24日(月)



 ベリークリスマス。

忘年会はどうなることやらと思っていたけれど無事終了。ベナン出身のタレント、アドゴニーさんがケータリングから会場手配から司会まで色々と気を遣ってくれて、とても楽しい会となりました。

わたしのほうは、例によってベリーダンスをやりつつ、皆さんを巻き込んでいわゆる「ディスコタイム」です。

ということで、じつは万年腰痛持ちのわたしはけっこう大変なことになっていて、先が怖い状態。昨日と今日は、腰をとても大事にしてすごしております。あまり長い時間PCに向かって座っているのも良くなさそう。

というのも、明日(もう今日だけど)のクリスマスイブはデートもないので、例の店でダンスをやりますと買って出たのです。でもいま、腰がけっこう危機的。おお。やばい。フェルビナク配合のフェイタス、頼むよ。


アドゴニーはほんとうにすばらしいひと。
皆に気を遣い、礼を尽くし、そして儲けはもちろん度外視で自分も皆を楽しませてくれる。
彼はいろんな国でたくさんの経験をつみ語学に長けていて、コミュニケーションも上手。やっぱりこういうひとってどこかしら深みみたいなものが出るのだ。そしてそれは相手を安心させ、楽しませてくれる。深みのない人間は、面白いことをしても面白くない。

すばらしい夜だったと思う。

アフリカのひとって、けっこうこういう魅力的なひとがたくさんいるよね。


2007年12月23日(日)



 情熱を放つ、一瞬にして。

セルゲイ・ラフマニノフは恐ろしい作曲家でありピアニストであると思う。

昨日からずっと、どうしても「パガニーニの主題による狂詩曲」が聴きたくて、繰り返し繰り返し流している。もちろんピアノはフジコ・ヘミング。オーケストラはモスクワ・フィルだ。


ラフマニノフについて考えると、いつも「Shine」という映画を思い出す。
あるピアニストの軌跡を描いた映画だ。そこでラフマニノフのピアノ曲が強烈に登場する。


その一瞬の情熱は、圧倒的だと思う。
曲のいちばん最初から、徹底的に、誰にも負けないくらいロマンチックに情熱をささげるのだけれど、でも本人はいたって冷静な感じがする。
それがわたしの持っているラフマニノフの印象だ。
情熱とかロマンチックな旋律との距離感や温度のあり方なんかを、完璧に一寸の隙もなく熟知している。それが、心を揺さぶるような感動を呼ぶ。


ラフマニノフは、「ド」からオクターブ上の「ソ」まで指が届くほど、大きな手をしていたそうだ。



2007年12月21日(金)



 もう一度だけ。

しばらく前から約束していた彼との「デート」。

不思議なものだ。
わたしの不安定な精神状態をぶつけても、そのショックを吸収してしまうようなひと。それって驚くべきことなのだ。
彼と出会ってもう三年以上になるのか?(早い!)いろんなことがあって、色んなお互いに触れて、わかってしまった部分はほんとうに大きい。

甘くて幸せな気持ち。

離れて、何ヶ月も経った。
それでも、もう一度だけもう一度だけと、彼に会い続けてしまうのだろう。


だけどそのことを、わたしは否定しようと思わない。
仕事の話、お互いへの思い。
そういうものを混ぜ合わせながら、わたしは少しずつ進んでいくのだ。

たぶん。


きれいごとを言って強いふりをする人生などいらない。

2007年12月20日(木)



 クリスマスツリーの星。

何年かぶりに実家に出戻りしたので、クリスマスはひさしぶりだ。
母がいそいそと巨大なクリスマスツリーを出している。わたしのイベント好きは母に似たのかもしれないな。
我が家のクリスマスツリーはでかい。昔、アラスカに暮らしていたころ、ホームドラマのようなアメリカンなツリーを購入。いまでも青々としている。(註:プラスチック)


本日、夕方から忘年会の打ち合わせへ。
もう土曜日の試験勉強も思うように進まなくてほんとうに危機的状況。そんな中でちょっとしたトラブルが発生して、「ジェンベとベリーダンス」なのに「ジェンベ」自体が使用できないということに。

そのようなことって、まぁ三十年余り人生やってきてたくさんあったわけだけれども、そのときは笑顔でありがとうといったけれども、帰宅してきてまた『働きマン』を観てしまったのがよくなかったみたい。
菅野美穂は好きだけれど、あのドラマのありえない筋書きをそのまま楽しむほど、わたしの精神状態は回復していないようだ。いや、ほんとうは少しも回復しているとは思えない。

何をしていいか、何をしたいのか、ほんとうにわからなくなった。

面接はダメでも実際にあの仕事をしたとしたらばっちりできたのに、なんて考えても仕方のないことを考える。そして、「頑張れば報われる嫌な人と理不尽さのないドラマの職場」にこころをかき乱される。
いままで、一秒でも早く辞めたい数々の苦しい職場の理不尽なことばっかり思い出される。やりたいことから程遠いところで、意味のない苦しみばっかり味わってきた自分のこと。エディンバラ大学でアフリカ研究の修士まで取ったのに、ますますアフリカから遠ざかっていたこと。

これは、わたしのせいなの?


恋人とのことまで重なり、さらに思い出して気が狂いそうになるほど嫌いな人間を思い出してしまう。

今日のわたしはダメだ。ほんとに。
ほかにも、いくつかのことが重なってしまったから。



それでも、夜遅かったからもう電話は来ないと思っていたのに、彼から電話が来た。
どうしてあのひとと話をするだけでわたしは癒されるのだろう。
切ったら、その甘い気分が自分を絶望させる。


ツリーのてっぺんには、わたしがエディンバラで購入したワイヤーの星がぶら下がっている。

三人の賢者は、ベツレヘムの星に導かれてイエスの誕生を祝いに厩へとやってくる。



・・・もう、小栗旬くんのオールナイトニッポン聴いて寝るね。2時だし。

2007年12月19日(水)



 小さな旅希望。

思ったよりもずっと切羽詰った感じになってまいりました。

以前から予定は決まっていたはずなのに、やっぱりぎりぎりになって・・・。くう。


旅に出たい。
ほんと、日本にもう何ヶ月も連続しているなんて気が変になりそう。どこか歪んでいるんですよ、この場所は。少なくともわたしのこころには正しく作用をしない。日本は。


せめて海辺の公園でもいい。

この怒涛の試験勉強と忘年会ウィーク(ムショク編)が終了したら、ぜったいひとりで旅に出る。出てやる。ぞー。

2007年12月17日(月)



 自分自身として、ひとに会う日。

夕べ、積極的引きこもり気分(ポジティブ版)を引きずっていたわたしは、お誘いを断って日曜日は家にいると書いたけれども、今日は気が変わってお出かけをすることにした。

ゆりかもめに乗るなんて何年ぶりだったろう。
そして、海辺の公園でバーベキュー。
空が青くっていいお天気で、寒かったけれども、これほどすがすがしい気持ちになれたなんて、ほんとうに久しぶり。

ひとと関わらず引きこもり、仕事もどうしていいかわからず、キャリアの面についてももう考えたくないと思いながら悶々と暮らしてきた数ヶ月の間、こういう気持ちになったことがなかった。

明るい日差しの下、海辺に向かって歩くまぶしい道は、ほんとうにわたしひとりだけの天国みたいだった。

いったい、こういう気持ちになったのは何年ぶりだったろう。わたしはすっかり忘れていたのだ。



所属もなく、わたし自身という生身の人間としてのみひとと接することができたことに、喜びを感じる。


今日は、とてもいい日だったと思う。


わたしは、こうしてこころを空に開放し、何かを解き放たなくてはならない。積極的に。けっしてそれを、軽んじることなく。

リハビリが、必要なのだ。

2007年12月16日(日)



 ラブと感謝と引きこもり。

本日、一日中引きこもり。
申し訳ないのだけれど、いくつか忘年会などのお誘いを丁重にお断りせねばならないくらい、わたくしの「夏休み最後の日」ぶりはすごい。差し迫ってすごい。くは。

ほんとうは呑み歩きたいよ。
でも、収入もない人間だしねぇ。時間もない。

どうしても、金曜日のNGOの忘年会は欠席するわけにはいかないし(踊るから)、それまでにお・・・おベンキョウを!
踊り、どうにでもなれ。
それにしても、良く見るとこのテキスト分厚いよ?なんで?ねぇ。(←いま気づいたの?)

おまけにNGOの翻訳の仕事を請けてしまったし、その量、相変わらず半端じゃなく殺人的よ?わかってんのかなー。翻訳マシーン。

今日は、彼から電話もなし。


なんとなく、少しはお勉強をしたけれどさ。
一日中、引きこもりです。みんなが呑み暮らしているこの年末に。

それでも、わたしのサイトをちゃんと見てくださっているひとがいることに感謝。そして、先日ブログでジンバブエのマシンゴ地方で食されているカメムシについて書いたんだけれど、その写真を送ってくださった方がいた。
ブログ見てくださいねー)
こういう「つながり」も感謝。いつも投票くださる方にも感謝。メルマガ読者にも感謝。

ネット上には不快なやつらも悪いやつらもいくらだっているけれど、とても素晴らしい「広がり」もあるんだってこと。
改めて考えながら、青い空見つめながら、机に向かっているのでした。


明日はたぶん、出かけないだろうなぁ。
ごめんね。お誘いありがとう。


2007年12月15日(土)



 静かに幸せ。

恋人とは別れてしまった年だったけれども、そして今日は完全に家に引きこもって勉強の息抜きと称してネットで遊びまくってしまったけれど。

でも、実家にいるということで母とか弟なんかがお祝いをくれた。
ブログにあるよ)


うれしいね。
ほんと、ささやかで、でも幸せなんだな。
去年は、職場のひとたちにお食事とお花をいただいたし。

ありがたいね。


これからどうしていったらいいかなんて、わかるはずもないけれども、ともかく目の前の小さな仕事とか、誰かとのコミュニケーションとか、そういうことを大切にしたいと思う。

ね?

わたしにとっては、あたらしい一年です。
これからもどうぞよろしく。




2007年12月13日(木)



 バスキン・ロビンス。

日付が変わって、ひとつ歳を取りましたよ。
13日。


小栗旬のオールナイトニッポンを心地よく聴きながら、タブラトゥーラの『蟹』を静かに流しております。

深夜な感じです。


今日は、NGOの仕事の話をちょっと進めました。
先月までの翻訳の仕事のこととか、実はずいぶん気になっていたけれど、内輪だけに言い出せなかったので、よかった。


夜、帰り道の彼から電話。
色んなミーティングがあって、充実した一日だったみたい。疲れたー、っていいながら。
自分のやりたい仕事を自分自身で進めていく疲れっていいよね。

ともかく資格試験のために勉強をしよう、と思いつつ。



ときに、バスキン・ロビンスは、日本ではサーティーワン・アイスクリームなのだね。




2007年12月12日(水)



 大切に読む小説なのだ。

なんだか読むのがもったい感じというのは久しぶりかもしれないが、『フィンガーボウルの話のつづき』吉田篤弘 著(新潮文庫)を読了。

ブログに書評記事書いたので見てちょうだいね。


それにしても、やっぱり上手だ!って思えるのは男性作家だったりする。
このひとは、ゆるやかにリンクするキーワードを短篇集としてまとめるその感性が、ほんとうに上手というか何というか。

ゆるーい感じの本だけれども、いまのわたしにはちょうど良かったみたい。


そして、自分のなかで少しずつ何かが積み重なっていて、わたしはそれを次々とことばにしていくのだろう。
何かが、じわじわと静かに熟成されていくように。


買占めに走りそうなのは、向田邦子以来だな。


さて、今日は例によって「ジプシー」を踊りました。
あのスカートを持ってひらひらと踊る、でもとても情熱的で野生的なバイオリンの曲です。名曲。しみじみ。

Light Rain "Dark Fire"の一曲。

Dark Fire



2007年12月11日(火)



 お買い物とお勉強。

先ほどブログに書いたとおり、微妙なお勉強をしている。
少しずつ、頭を正常化させていきたいなぁ。(正常じゃないから?)


本日は、お買い物など。
忘年会に使う衣装用の小物をいくつか購入。きらきらしたものって楽しい。そして、気になっていた最近大好きな例の作家さんの本を買い占めた。(二冊だけだけどね)

お化粧品を少しと、白ツバキのコンディショナーなどを購入。

小さな買い物がいくつもクリアできた日は気分が良い。
あとは、日々のこころの不安定さとか焦りなどを、それらの日常がうまく払拭してくれたらいいのに、なんて思いつつ。でも、そればっかりはもう、すぐに治るもんじゃないか。


明日は、レッスンに行こうと思う。

2007年12月09日(日)



 蕎麦焼酎。

蕎麦焼酎「博多の華」蕎麦湯割り梅入りが美味しいです、とひとことだけ書いてひとにメールする あふりかくじら です。

昨晩は、楽しい時間を過ごしました。
何故か赤坂見附で。
いい酒を呑みました。禁酒月間宣言(仮)をしてからというもの、少しずつしか呑んでませんでしたけれども、お陰であんまり強くなくなってしまったものの、お酒が美味しく感じる今日この頃なのでございます。

そして忘年会シーズン。

踊りますよ?くじら、踊りますよ?



なんとなく、とてもいい本を読んでいるので、頭のなかがいい感じです。ほんとうに上手いストーリーの作り。でも、よくあるすてきな言葉でたくさん飾りつける女流作家みたいにチープではなくって、その程よい加減が心地よい。こんな文章と物語を書けるひと、いままでであったことあったかしら。
(結局、男性の書く文章のほうがわたしは好きみたい)


わたしも、飾らない人間になりたいものです。
これまではがんばってがんばって背伸びしてきたけれども、これからは少しずつ力を緩めて「程よい加減」でいきたいと思います。希望。


なんだか、すごく色んなものを書けそうな状態です。
森の中でしんとしている泉の、その水面の感触のような、やわらかな陽が注ぐ、そういう時間のよう。



こういうのを、チープな女流作家の文章みたいと言うのだ。
キニシナーイ。

2007年12月08日(土)



 無職期間に思う。

先日、国際開発シリーズで「国際開発の仕事に就くには」といったようなセミナーに出席してから心のなかでもやもやとしているものを、何にも余計なことは考えずに少しだけ取り出して並べてみたいと思う。

まず、あのセミナーでは国際協力への「道」みたいなものがパターン化され、きちんと分類されて提示されていた。そして、そこへ至る可能性、チャンスなどもちゃんと整理され、たくさんの選択肢があることを示していた。それらはいわば、わたしが大学を卒業した1999年からずっと続けてきたことだった。だから正直いって、わたしにとって目新しい話はなかった。あの話を直接個人的にされていたら、あるいはかなり残念な気分になっていただろう。
そんなこと、もうずっとやってきて、それでも行き詰っているのだから。

そこで思う。

たぶん、わたしが求めているものはこういう「道」ではないのだ。もちろん、「開発」分野でやってきたしやっていきたい。けれど、それは答えじゃないといつも思っているし、その世界に留まっていては、視野の狭い人間になりかねないと危惧している。実際にものすごく視野の狭い人間もごろごろしている。それを見ると、正直怖い。
今の時点で、「国際開発の道を行くためには」などということを教えてもらう段階ではないのだ。それをするには、わたしは歳をとりすぎているのだ。


やはり、独立するという形をとるか、自分でフリーとしてやっていくという形態が将来的にいちばんしっくりくるのだろう。
そこへ来るための、ビジョンもスキルも、まだまだはっきりとできていない。そして、わたしにはまだ、やってみたいことがたくさんある。それは、某国連機関である仕事をすることだったり。エトセトラ。

だが、来週31歳になるということで少し「30代最初の一年を振り返る週間」に突入しているのだけれど、やっぱり35歳くらいまでを目途に何らかのスキルを達成し、次のステップを決め、少なくともヴィジョンをはっきりさせるところまでいっていたい。

(関係ないけど、この「エンピツ」はわたしが20代前半のころからやっているから、そこから歴史が綴られているみたいな感じだね。エンピツさん、末永く頑張ってほしいな)

今日、日経ウーマンを読みながら考えたのだけれど、わたしの中に少なくともキーとなるものがいくつかすでにはっきりしている。


●アフリカ全般(とくにボツワナ、南ア、ジンバブエなど)
●作家ベッシー・ヘッド
●国際協力とビジネス融合の可能性
●ベリーダンス

・・・そして何よりも重要な「書くこと」だ。
すべてはこの「書く」というところに終結してくる。書かないと死んでしまうという勢いで書いているから。書きたいことが、いくらでも出てきて、ときに頭のなかに振ってくる言葉の勢いで気が狂いそうになるほど。

ベッシー・ヘッドについては、わたしとは「ただならぬ」ソウルメイト関係にある。このひととのことは、わたしの人生で本当に「キー」になっている。そして、それは年々強くなっている。彼女が死んでからもう20年以上経つのにもかかわらずだ。

ベリーダンスについては、これは趣味の領域を超えていくと思っている。深い世界だ。

無職期間というのは、やっぱり精神的につらくってとても弱気になったりするのは、このエンピツ日記を読んでくださっている方もご存知だとは思う。(お恥ずかしながらねぇ)


ただ、その精神状態をなんとかキープしつつ(ここ二年ほどで壊れた部分を修理しつつ)、わたしは上記の●を進めていくしかないのだろう。
そうして、わたしは「国際協力への道」を模索した20代と完全に決別するのだ。そして、真にアフリカにつながるように生きるのだ。


いま、気づいたけど、上記の中に「男」がいないね。
いい男は好きだけど、ほんとうは恋愛体質じゃないのかな。

2007年12月07日(金)



 魂を込めたダンスを。

わたしのベリーダンスを披露させていただいたとき、よく「エロい」とか「セクシー」とかいうコメントをいただく。
どうも、そういうエロティックさみたいなものが先にくるみたい。エロい、などのコメントの後できれいとかすてきとかいただくことがほとんどだ。
人前で踊った経験はまだ少ないけど。

それはまぁ、いい意味のほめ言葉として受け取っておくも、どこかこころの隅っこのほうでちょっと違うかな、という残念な気持ちが生まれている。

ベリーダンスは、何もセックスアピールをする踊りではない。
最初にジンバブエでベリーダンスを習ったとき先生であるオデットが繰り返し強調していた宗教的な部分、神秘的な部分ががあるからこそ、ベリーダンスは観客に見てもらって美しい踊りとなるのだ。だからエンターテインメントにもなりうるのだ。

技術が向上したところで、難しいステップが踏めたところで完成ではない。そこから先は、習得した技術をどのように自分のものにして表現していくかなのだ。ここから始まるものなのだと思う。


つくづく、わたしの技術はまだまだ未熟なのだな。


音楽と、ソウルが一体となり、自分がこころから楽しめるとき、きっとそれは観客にも伝わるのだろう。


2007年12月06日(木)



 パワーダウン中。

何となく「働きマン」を観てしまう。
とても爽快なストーリーになっている。がんばったら成功する、ってね。

頑張った分だけ必ず報われるというものじゃない、というようなおまけみたいなセリフが入っていたけれど、けっきょくドラマのつくりは頑張ったら報われるという話になっている。

熱意を持って頑張る主人公はすてきだけれど、今日のお話じゃないけれど、熱意を持って燃え尽きるひともいる。わたしはどうしても、自分が熱意をもって頑張った仕事が、汚い嘘と上司の「利益」のために意味もなくつぶされ、組織がそれに同調したことを思い出し、非常に非常に非常に非常に気分が悪くなった。あれほど非人間的なことって、そうそうあるものじゃないのではないか。しかも影響を受けるのはこのわたしだけではないのだ。このストーリーを作っているひとは、そういう経験をしたことがないのかもしれない。


あんなくだらない人間にやられたことで、わたしはこれほどまでに自分がパワーダウンし、精神不安定になっていることが癪に障ってたまらない。

でも、いま、やっぱり長期的に這い上がれない「底」に来てしまっている。ぎりぎりのラインで生きているみたいなが悔しくてたまらない。すでに一年近くはこのひどい状態が続いている。


恋人とのことも重なったのは苦しい。
今日は、またどうしてもどうしようもないことを思い出し、自分を苦しめて泣きそうになってしまった。去年ほど、毎日何時間も泣き続けるということはさすがになくなったけれど、それでもまだ、月に数回は泣く。


こういうとき、誰かに話せたらいいのに。
わたしはきっと、誰にも話せない。



生き延びるためには、ダンスのことを考えているしかないみたい。


わたしは、書きたいことを書いていきたい。

2007年12月05日(水)



 仕事でなくとも。

いわゆる賃金労働を伴う雇用とかいう形態でなくなって数ヶ月がたち、収入はまったくきれいにゼロのまま。(あ、車を売ったローンが微妙に返済されてきてますけれど、米ドルのままだしなぁ)

それでも、師走というだけあってなんだか色々と慌しい。
忘年会などもある。NGOの活動も活発である。

でも、いまいちアドレナリンが足りなくってNGOの活動もあんまり参加していない。すみません。ほんと申し訳ない。でも頭が回転しないの。


いま頭のなかで一杯なのは、やっぱり忘年会で踊ること。
それに集中することって、わたしにとって意味のあることなのだ。で、衣装をちょっと手作りしている。キラキラ、キラキラ、きらりん。


っていうか、やっぱり支出が多いね・・・。辛いっす。
(近いうち、祝貯金100万減を達成しそうじゃ)





それでも、一年のうちでわたしは12月がいちばん好きだ。
このひんやりと冷えていく空気の澄み具合。空気の張り詰めた緊張感。それでも、こころは緩やかに開放されていく。

そして。






歳を取るのだ。


嗚呼・・・。


2007年12月04日(火)



 等身大を意識しながら。

今日、彼から電話。
甘い気持ちでふにゃりと子猫のようになる。
あきれるほどに。

お仕事がほんとうにお忙しそうな彼だが、わたしのことをちゃんと気にかけてくれているのがうれしい。


いま、何だか袋小路に入ったみたいに、途方にくれている時期。
自分、どうすればいいのだろう。


仕事も、恋人も、無し。
(実質的に恋人はあり??)


でも、自分を不必要に大きく見せることはしたくない、とふと思った。
わたしはわたしの身の丈で、生きている。

踊りも、仕事も、何もかも。
ほんとうに明日もどうして生きていったいいのかわからないけれど、そういうことだけは思うのである。

自分で、自分を保つために。


2007年12月03日(月)



 踊った。

本日、ダンススタジオの忘年会兼ミニ発表会。

踊りました。

ぱっしりと。


楽しかった。
やはりベリーダンス大好きで、楽しくて仕方ないのですよ。

技術はもちろんこれからたくさん学ばなくてはならないけれど、人前で踊る快感はやめられませんね。

ハイ。


忘年会に向けてまっしぐら。
もう、今年はそうやって締めくくらせるってことで。




2007年12月01日(土)
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