あふりかくじらノート
あふりかくじら



 明かりが灯っていたから。

4月最後の夜。

恥ずかしいかな、心がもうくたびれきっていて、こじれた人間関係も前向きに戻そうということができなくて、わたしは周囲にマイナス・オーラを撒き散らしていた。

何時間も泣いて、ティッシュ…というかトイレットペーパーをひと巻きも使ってしまった。それでもひとりのオフィスなので、やるべき仕事はなんとか終わらせて。
ほんとうに参っていて、わたしは些細なことで大きなダメージを受けてしまう。こんなふうでは、ますます心がくたびれていくだけなのに。

嫌なことは続くもので、家にシロアリが大発生していたのに気づかず大家と険悪になり(わざと教えてくれないでいたのね、ありがとう!と嫌味を言われた)、さらに温水器が電力公社に無条件にとめられ、アフリカだけになかなか復旧が見込めないという事態である。金曜日時点から、わたしは水シャワーか職場の人のシャワーを借りるしかなかった。
ますます落ち込む。

おかしいようだけれど、わたしはこういうときどんどんひとと付き合えなくなる。いつもシャワーを借りている職場の人とは気安いのだけれど、その人のところに今夜別の人が来ることになっているということを聞いただけで、それにつきあうことを考えてうんざりしてしまったわたしは、それだったら水シャワーを選ぶわ、とまた強がりを言い放った。ほんとうは話し相手がほしかっただけなのだ。

でも、もう前向きに考えることができないのだ。
そういう心の体力がないのだ。


これで誰もいなくなり、わたしはシャワーを借りることができなくなった。

以前、悪態をついてパブを立ち去って以来、わたしはこのコンプレックスの誰ともしゃべっていなかった。わたしは次々と周囲のひととの関係を悪くしている。病気みたいに。


ふと、家に帰る道で近所のひとの明かりが目に入った。
とてもやさしくて温かな光。

わたしは、パブの常連客の男性連中とはあのときまで親しくしていたが、男性のシャワーを借りに行きたくはないし、第一、悪態をついたのはわたしなのでいまさら関係を修復したいという気力もなかった。

そんなときに、目に入ったのは以前いちどだけ深夜のお酒に何人かでお邪魔したことのある女性のお宅だった。
ひとり。わたしの母よりは二十以上年上で、でも祖母よりは若い女性。
思い切って彼女のドアを叩き、シャワーを貸してほしいと願い出た。

突然の訪問にもかかわらず、快く招き入れてくれた彼女。
清潔できれいに飾られたバスルームで、熱いシャワーを浴びる。熱いお湯に心の中で頑なになっていた何かがほぐされ、涙がこみ上げた。わたしは彼女の小さなフラットの温かい空気に包まれている。

きれいなタオルはあるわよ、ドライヤーつかうでしょう?

彼女の優しさが心に染み、甘いホット・チョコレートはわたしの心を溶かした。



孤独を感じるときって、自分の心を閉ざしたときだと誰かが言っていた。自分の心が誰かの心とつながっていないと、孤独なんだと。


あのときの話では、彼女は三年前に再婚し、そのパートナーは結婚わずか9ヵ月後に亡くなったのだそうだ。部屋にはたくさんの家族の写真が飾ってあった。
人生は甘く切なく、そして辛い。そして、すてきなもの。

いまのわたしは強くなれないし、前向きにも考えられない。
ただ、日々が過ぎるのみ。

もうこれ以上泣きたくない。

2007年04月30日(月)



 世界との距離。







「自分に向けられた優しさに対する、適正な喜びや感謝の度合いを、一体どうやって人は計っているのだろう。
適正な喜びや感謝の度合い?私にはわからない。
わたしの心の目盛りは、壊れているのかも知れない。
だが、心の目盛りとは、いったい何だろう。
どうして心に目盛りがあるのか。

ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は」


        『世界音痴』穂村弘


世界との適正な距離のとり方を、自分に向けられた誰かの優しさの受け止め方を、わたしはときに見失う。

ガラスに映りこむ夕暮れのように、わたしは世界を移す鏡を持っているはずなのにね。

穂村弘というひとの作品、うっかり初めて読んでみてそんな気持ちになった。
今日もいやにお天気が良いよ。
世界が憎たらしいくらいにね。

2007年04月28日(土)



 優しい心とことばと。

今日もハラレはとても良いお天気だった。
朝は少し冷え込み、昼間はまぶしく明るく。

毎日こうして繰り返され、少しずつ太陽の角度が変わり、ジンバブエは優しく秋にのまれていく。ほんとうにきれいで純粋な、これは地球の営みなのだ。この南部アフリカの国に、きちんとふりそそぐ太陽。


日々、季節が微かに移り変わっていくなかで、わたしは心と身体を荒らしている。苛立ちが募ったり、疲れが取れずに肩こりや頭痛に悩まされ胃は調子が悪いままで、仕事が思うように進まずにいる。

イライラしたくない。
わたしが囲まれているプレッシャーは、仕事でも生活でもなくって、もっともっと複雑なもの。
誰かに投げつける苛立ちやことばの棘は、そして激しく自分自身に突き刺さる。お願いだから、誰も傷つけたくない。でも、わたしは全力で誰かをなじり、誰かを激しく嫌悪し、何も受け止められなくなる。

でも、ふと誰かがこの呪縛のようなものを解いてくれると、その瞬間のわたしはほんとうにやさしくなれる。信じられないほど嘘みたいに、広い心が表れる瞬間、涙が出るほどにわたしは自分自身の嫌な部分を苦く思う。お願いだからやめてくれと願う。

わたしはこれを、飽きることなく幾度でも繰り返すのだ。


わたしがいつでも手元においておかなくてはならないものは、あの秋の木漏れ陽のような優しい心であり、優しいことばなのである。

そして、わたしとまっすぐ逃げずに向き合ってくれるひとなのである。


わたしの周りの大切な人たちへ。

いま、このときだけだったとしても、わたしのそばにいてくれてありがとう。

2007年04月27日(金)



 スモーキー・ピンクのバラを思う。

ずっと身体に疲れを感じていると、どうも目の下にくまができる。
良くない。ああ、良くない。
今日は、化粧水を使った即席「目の下だけパック」をシンプルに。
お肌に栄養を。心に潤いを。
肌はきれいなほうだと思ってたけど、まぁ、ミソジーだものねぇ。
ちょっとは気を遣いましょ。


仕事が遅々として進まなかったが、今日自分をだましだまし進める。少しだけだが片付いた。これで明日はもっと調子付くと良いのだが。
だましだまし、という感覚はときにとても便利だ。

今日は、ある外部の会議に出席。
そのことで少し正常な感覚を取り戻したような気もする。
それでよしとしよう。

読まなくてはいけない資料、読みたい本。
山積みになっているけれども、とくに考えないように。


さっき、帰宅してチーズ・リゾットを食した。
美味である。
外では、雨季の終わりの名残のような雨がやわらかく降っている。
もう、この国は秋だ。
これから、寒くなり冬が来る。

今日から銀座では、母の作品展である。
天然石ビーズアクセサリーの個展だ。
お気に入りの青山フラワーマーケットから、スモーキー・ピンクのバラをあしらったきれいなフラワー・アレンジメントを送るよう注文した。
日本のシステムはすごいね。ちゃんと届いた様子。

もう体力切れなので、お仕事はおしまい。
早めにベッドに入ってゆっくり本でも開くことにする。

ひとりぽっち宙に浮いたような、すごく変な気分。
いいじゃないの、好きなことやっているのだものね。

2007年04月23日(月)



 ハラレの道と会いたいひと、週末。

金曜日の夕方、嫌なことがあった。
きっかけは些細なことかもしれないけれど、わたしはそれで周囲のひとの理解が得られないことに深く傷つき、かなり落ち込んでしまった。
そして、意に反して悪態をついてしまい、そのままカバンをひっつかんでその場を立ち去ってしまった。

泣きながら夜道を運転すると危険極まりないことは承知なのだが、危ないよーとつぶやきながら泣いて運転した。職場のひとたちとの夕食の約束をしていたタイ料理屋にたどりついて、駐車場でひとしきり泣いてクールダウンしたあとにレストランに登場したのだが、みんなの顔を見てまた泣き出してしまった。

(金曜日のディナーを台無しにしてしまって、ほんとうにごめんなさい…)

自己憐憫なんて言い出したら身も蓋もないのであるが、あまりに情けなくて、それでも地球でひとりぼっちな気がして、泣くしかないときがある。
だけど、こんな些細なきっかけで崩れてしまうわたしのバランスは、やはり危ういものなのだと思う。

哀しいかな、その理由も自分でちゃんと知っている。
でも、どうにもすることができない自分がいることも、ちゃんとわかっている。

だから、何かをごまかして、何も見ないように生きている。
いちばん会いたいひとは日本にいて、そして彼の人生を生きている。


土曜日の昼は、職場のひとと一緒にパトリック・マブロスのお店へ。
見渡す限りのアフリカの大地と森の中にある、ほんとうにすてきな場所。念願だったブレスレットを購入。1年と8ヶ月越し。悩みすぎ。馬鹿な女ね。

ドライブをして帰り、ピザ屋で一緒にピザにぱくついていたら、酔っ払いの陽気な白人のジンバブエ人の若者二人と意気投合。夜、ブライ(バーベキュー)に誘われる。新しい出会いは良い。
彼らの冒険譚を堪能する。
あまりにキャンプから遠いブッシュの中で象の牙に刺されてひとりが死にかけ、もうひとりが何時間も彼を支えて歩き、さらに車に乗せて3時間キャンプまでドライブし、ハラレからの緊急移送飛行機を頼んでハラレに運んだ経緯を聞く。
洒落じゃなく、すごい話。若干26歳。若くて体力があったから助かった。後ろから刺さった牙は、彼のあばら骨と鎖骨を折り、肺を傷つけた。脊髄からは、はずれていた。

出血多量でもう死ぬかもしれない友人を乗せて、ブッシュを3時間泣きながらハンドルを握ってドライブした彼にくらべたら、わたしが泣いて運転した金曜日の夜などなんと些細でちっぽけなことであろう。
そう考えたら、ますます哀しくなってきた。

この、わたしの心の底に広がるよどみのようなものが存在する限り、わたしは精神を乱すであろう。
その存在を知っているだけ、わたしは救われているのかもしれない。

今日も、目をそらす。

当の恋人は、今日も電話に出ません。

拗ねるよ…。


わたしは他人を傷つけ、自分も深く傷ついている。
ほんとうに嫌になる。


日曜日。
昼。誰にも会わない。誰とも喋っていない。
買い物に出て、そして、知らない道を通って帰った。
また新しい小さな発見をして、わたしはまた、ハラレを少しだけ知った。


自分のために生き、それでも誰かにそばにいてほしいと願うのは、ぜいたくなことなのだろうか。

2007年04月22日(日)



 ビタミン摂取。

自分の生活のなかで、なんとなく自分自身のために時間を費やすこと、自分自身のペースや心地よいものを探して、ひとつひとつ選択していくことを心がける。

久しぶりに、山本文緒の短編集を読む。
『ファースト・プライオリティ』
このひとは何だか普通っぽくって、それでいてなかなか面白い短編小説を書く。
何だか、的確で等身大な感じがする。
今年、わたしも31である。12月だけど。

くたびれてしまったのはきっと、週末のせい。
あれだけうつくしい風景だったのだけれど、それよりも身体が風邪から完全に回復していないのだろう。

ビタミン剤というものを今までの人生で摂取したことはほぼ皆無だったのだけれど、医者に進められておとなしく飲んだ。

酒、控えめ。
胃が完璧ではないから。

今週末は出かけない。
ぼおっとする時間がいるのだと思う。
好きに過ごす。自分のために。
なんて心地よいんだろう。焦りも何もない。

仕事は遅れまくっているけれど、体力を回復させることが先だ。


今日は、独立記念日。
いま、ラジオで大統領がわけのわからないことを言っている。
独立、27年。

2007年04月18日(水)



 ムタレからブンバの山々へ。

まるで信州の高原のようなうつくしい風景だった。
なだらかな山脈、豊かな緑。
ずっと、モザンビークへ続いているジンバブエの東の端。


でも、いろいろとよいことももちろんあったけれども、わたしはやっぱりひとりでいたい。
すごくくたびれてしまった。

やっぱり旅はとてもプライベートなものなのだ。
読書と同じくらい、プライベートなものなのだ。

分かち合えるとは思っていないけれど、価値観が違うのは仕方ないことなのだけれど、否定されるのは疲れる。
非常に疲れる。

わたしには、わたしのいきたいところがある。

ひとりで。どうしても。



2007年04月15日(日)



 世界の片隅に吹く風〜完璧なる休日に〜

一枚の絵のイメージが、頭に思い浮かんでいる。
そしてわたしはそれを、身体中で感じることができる。

とても淡い平坦なパステルカラーで描かれた、海辺の白い家とそのテラス。先に広がる海は、また淡いブルーでどこまでも続いている。すごくやさしげな色合いで、とてもシンプルで平坦で、それでいて温かく淋しいのだ。
手前には淡いグリーンが広がり、テラスのところにやさしく自転車が立てかけてある。
そして、音もなく静かなやわらかい雨が降り注いでいる。
空は、雲に覆われていて、そして静かに明るい。

これは昔からわたしの実家にあるシンプルな絵である。
しかも、おかしなことに、わたしはおそらく同じ作者が描いたのであろうその何枚かの絵を、こうしてイメージの中で一枚の絵に合体させてしまっている。

でもわたしは、この絵の風景を、空気を、身体でほんとうに感じることができる。その風のにおいや感触まで知っている。

それはきっととても遠い懐かしい場所で、そして誰もいない。
そこにあるのはやわらかい風だけで、それはわたしを突き放しもせず包みもしない。ただ、どちらかの方角からもう一方の方角へと、やさしく通り抜けていくのである。わたしはそこでの孤独な生を全うせねばならないのである。やさしく、静かに。


木曜日に体調を崩した。
ひどい風邪だといわれたが、木曜日は一晩中、そして金曜日は朝から晩まで、胃が空になってもひっきりなしに嘔吐した。胃腸の状態は最悪で、苦しみぬいた。月曜日のいまでも、胃の調子は戻っていない。
何年も前からわたしにはときどき胃腸が非常にだめになる時期がくるようになっているらしい。一度はそれで入院したこともある。ともかくひどいのだ。いちどそういうことがあるとクセになるのかもしれないが、ともかくこれは苦しい。

貴重な連休であった金曜日から月曜日までの四日間をケープタウンで過ごそうとしていた計画も、これでキャンセル。9年ぶりに訪問するケープタウンのはずが、「おじゃん」というわけである。


恋人に何度か電話をかけたのと、何本か見舞いの電話があったのと、それから職場のひとが親切にもお粥をつくりにきてくれた(おいしかったけど、あとで吐いた。ごめんなさい)の以外、外界を遮断している。
(でもミクシィは見た)

毎日毎日、課題を抱えすぎだったのだろう。
何せわたしは、ほんとうの意味で「暇」になることがない。
ありとあらゆる課題を、自分の中で構築してしまうからだ。

この四日間、何も「仕事」をしないことに決めた。
まぁ、来週から精を出せばまずいことはない。はず。だ。違いない。

そして、わたしは仕事上のわたしでもなく、「あふりかくじら」でもなく、一個人として四日間をほとんどずっとベッドの上でときを過ごしている。

家にあるDVDというDVDを観尽くした。
好きな映画、好きな小説。読んでいないでほおってあった小説。
そして、音楽を聴きながらベリーダンスのイメージトレーニングをした。(ほんとうに踊った気分になってしまい、少し気分が悪くなった)
イメージトレーニングというのは重要である。昔クラシックバレエに夢中だった少女時代、ずっとイメージトレーニングをしていて、フェッテがほんのちょっとだけできるようになったくらいだ。
もう、たいていの普通の音楽ならばベリーダンスで踊れる気がする。わたしはノリの良いのが好きだけれど。

何者にも邪魔されない、完璧な個人としての休日。
わたしは、テラスで外をぼんやり眺める他は、買い物にも出ていない。昨日よりは回復して出歩けそうでもあったけれど、大事をとることにした。
今日は、林檎、そしてジャガイモのスープを食することができた。

手付かずのままの完璧なる休日に、わたしはそして、一枚の絵のことを思い出している。すごく遠い時間。わたしがわたしだけになる瞬間。
目を閉じる。
そして、このコンプレックスのそとにある小さな林の木々のざわめきを聴き、こぼれ落ちる日差しに目を細めながら、部屋を通り抜ける風にその絵のなかの風を感じている。

あれは、紛れもなく少女時代に感じたアラスカの空気だ。
あの遠い澄んだ静けさだ。


そして、四日目の今日。
明るい外の日差しを見てわたしはジンバブエが無性に「懐かしく」なった。
この国が好きなのだ。
わたしは一生、アフリカに関わり、ジンバブエを愛するであろう。

どうしても、明るい日差しの中、旅に出たくなった。
長距離バスに乗って、どこまでも。
愛おしいジンバブエのなかを。



次の旅は、東だよ?

2007年04月09日(月)



 アラビアン・ナイト。

贅沢な日々だと思うが、毎週のようにどこかへ旅に出ていたのを少しばかり休憩して、先週も今週もハラレにいる。
そして、また去年ゼロを三つ切り捨てる前の札束生活が復活してきたかのように増殖する札束をかばんに、マーケットを巡る。

昨日及び本日購入したのは三点。
コインのついたキャミソール・トップ。黄緑系。胸元がセクシー。(さすがに腹出し系は勇気がなかった)
インド綿のフレア・スカート。小さな鈴がついているもの。茶系。
そして、マゼンタのロングスカート。腰からはくもの。うつくしい柄に上品な光ものがあしらわれている。

いずれも、ミドル・イースタン・ダンス用として買ったもの。
たしかに正統派の衣装はすばらしいのだが、何万円もするためそう何着も買えない。しかもハラレでは手に入らない。
よって、マーケット等で適当なものを見繕って買う。それでも案外見栄えがするものである。
それぞれ、せいぜい千円以下なためとても安価だし、これもけっこう楽しい。これで、コインのついたヒップ・スカーフが手に入れば文句なし。

でも、お財布はすっからかん。
今日は、危うく映画も観られないところだった。(50円くらいなんだけど…貧。)

もう、気分はアラビアン・ナイトの世界。
それ系の音楽ばっかり聴いて、ヴェール持って腰振っています。

ジンバブエはこんな危機的な状況だというのにね。
ほんと、来週誰も死にませんように。大怪我しませんように。

2007年04月01日(日)
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