あふりかくじらノート
あふりかくじら



 月を浴びるダンス。

とても明るい。
月明かりとはよく言ったものだ。


先週末、ケープタウンに行ってきた。
学生のときに訪れた以来、9年ぶりといったところか。


とてもうつくしい街。
明るくて、海が青くてきれいで。





そして、ケープで購入したコインベルトを身にまとい、今日は例によってベリーダンスの日。
どこまでも自由に、身体の中から溢れるように流れるように踊る。

月の光が、とても明るい。

満月なのかな?


何だかわからないけれど、心が静かになった。
地球と宇宙から、何かのパワーをもらったかのように。


自分だけの世界を築くように、でも他人と通じ合うように、視線を送りながらのダンス。

わたしは、自分の世界を構築しながら他人との関係性の中で生きていくわけだ。そこで、誰かに対して優しくなりたいと願いながら、いっぽうで残酷になれる。その自分を知っている。

ジンバブエでは、インフレ率が3,700%を超えた。
海外へ多くの人々が逃げてしまっている。ジンバブエ人ディアスポラと呼ばれる人たちについて、気を取り直して勉強しなおす。リーディングに神経を集中させねばならない。大学院のときのように、でもジンバブエという土地の中で、パワーと空気を感じながら。
この国の政治。経済。そして社会。


書きたいことはとめどなく・・・。


いつも読んでくださりありがとう。

2007年05月31日(木)



 おにぎり。

今日は火曜日。
ルプララの余韻を心の底にまだ感じている。

本当はいじけてしばらくのあいだは彼に電話をするのをよそうと思ったけれど、なんだかあのひんやりと澄んだ空気を感じていたら心が静かになってきて、そしてやっぱり電話をした。
いままでみたいにどろどろとした気持ちがわたしの中からなくなっていたら、同じように参っていた彼にもその感覚が通じたような気がした。そうだとうれしいけれど。なんとなく、仲直り。素直な気持ちを伝えた。


調子を元に戻すためには、焦る必要はない。
もちろん、上を見たらきりがないのだけれど、限られた時間の中でできることは数えるほどに過ぎないわけだから。
だから、できたことのほうを数えられるように、ひとつずつだけ進めていくことにした。キャリアのために、あくせくがんばることは、いまのわたしがすべきことではない。時間をかけてもいいと思えるようになった。

少しずつ。すべてに、少しずつ。
わたし自身のために。


『かもめ食堂』を、またBGMのように流している。
この映画は、心を静かにさせてくれる。
おにぎりが食べたくなる。


2007年05月22日(火)



 ルプララの風。

金曜日から日曜日まで、モザンビークとの国境に近いニャンガというところに。

ルプララという名の大きな岩山のふもとで開かれた、ベリーダンスとヨガを組み入れた二泊三日の「リトリート」に参加をした。






このルプララの美しさを、わたしは忘れないと思う。


表立って言うのはあまり好ましくないのかもしれないけれど書く。ここ二年ほどのわたしの精神状態はぼろぼろで、先週あたりはまたひどかった。多くの人と関係を損ない、他人を傷つけなじり、自分が救いようもなく傷ついた。


早朝、登ったルプララのてっぺんで、360度のうつくしいジンバブエの大地を眺めながら、朝の光を浴びてヨガの呼吸法を習う。
ルプララの風を肌に感じ、太陽の光を感じ、わたしはわたしだけになった。
息を吸う。息を吐く。
わたしと空と大地。
筋肉から、身体のなかにたまっていた何かが解放される。


夜には、満点の星空の下でベリーダンスを。
ほんとうに、このダンスは宗教的でとてもスピリチュアルで、ヒーリング・ダンスである。

そして知らないひとと出会い、語り合う。
このとくべつなルプララという土地で、何かを共有しあう。


この三日間の体験をどう表現したら良いのだろうとずっと考えていた。
わたしの荒れた心の中に何かひんやりときれいな水のようなものが入ってきて、それが血液をきれいにしている感覚。

精神と肉体がきれいになるような感覚。

これでわたしの精神状態が健康になったわけではなく、問題は解決したわけではない。


今日も、彼に電話をして、そして良くないことを言って電話を切って泣いてしまった。無理な要求をしている。わたしの問題は根深い。


だけど、気がついた。
わたしのどろどろとした苦しい感覚は、どこかへいってしまっている。
あれだけ重苦しくわたしをかき乱していたもの。

今日のわたしの涙は、どうしようもなく傷ついてぼろぼろになっている自分のそれではなく、むしろどこか遠くからやってくるようなひんやりとした哀しさであり淋しさであった。
心の奥のほうは、どろどろではなく、むしろ澄んでいた。





ずっとこのような感覚でいられるわけではないかもしれない。
でも、少なくともこの三日間の体験は、わたしの人生のなかで忘れられない貴重なものとなった。
何かが、確実に決定的に変わっている。

わたしのなかに、あのルプララのてっぺんの風が宿っている。
目を閉じれば、心の底に感じられる。


いつも心にルプララを持っていたい。
ほんとうに、これをわたしの宝として大切に持ちながら生きていきたい。

そういうふうに、思っている。



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ブログにも少々記載。ブログ『あふりかくじらの自由時間』

2007年05月21日(月)



 野菜が足りないよ、キミ。

ストレスフル&情緒不安定デイズ。
みんな嫌いだー、モードだね。
しかし、よくここまで誰かを嫌いになったり苦手になったり人間関係壊したりできるもんだとつくづく思う。
どうすれば良いのかな。


一方で、今日は知らないひとと仲良くしゃべった。
仕事のあとで寄った病院の待合室だ。
(病気でも事故でも妊娠でもありません。ご心配なく)
なんか、表面的な明るさとパワーだけで生き延びているみたい。誰かが「大丈夫?」と声をかけてもにっこりわらって「大丈夫!」と返すだろうな。中身はぼろぼろなのにね・・・。でも、なんだか許せないのだ。誰かに意図的に依存する自分が。そして泣くときはやっぱりひとりがいい。


最近へこむこと。
やはり、たて続けに知人・友人の結婚や出産の話をきくことだ。今日だけで、3件。(結婚2件、出産1件)先月は3件ほど。それ以前となるとかなりわからないくらいたて続けに。挙句の果てには、直接の知人ではないけれど、自分のマイエンピツのひとたちまで・・・。

もちろん、愛すべき周囲の人たちの幸福は(マイエンピツのひとたちを含め)心から祝福しているのだけれど、自分は正直、実に個人的にかなりのダメージを受けている。


オトコより仕事を選ぶのね、とは誰かが冗談交じりにわたしに言ったせりふだけれど、わたしの生き方は絵に描いたようにそんな感じだ。
現在の恋人との間には、わたしの友人たちのような幸せな将来は、どれほど夢に描いたところで存在しない。でもわたしはどこかでその事実にほっとし、どこかでそれを苦しいほど憎んでいるのかもしれない。
どうにもならないこと。

二十代中ごろまではいろんな恋人と付き合っていた。そして、アフリカに行く仕事に受かってしまったら、いまの恋人とはどうするの・・・といつも思っていた。それで、探す仕事の範囲について、躊躇していた。勇気が持てなかったのだ。
だからといって、プロポーズをしてくれた恋人とは別れた。そうすべきだったから、そうした。婚約をしたら、物理的にこれからわたしのキャリアを積むことが難しくなる環境だった。

やっぱりわたしはわたしのキャリアを突き詰めたいのだ。
そして、いまの恋人と付き合い始め、いままでのような考え方の呪縛のようなものから解放された。わたしはわたしのために、キャリアを追及するのだと。そして、望めないものは望まない。望めるときになったら、そうする。

そうは思っているけれど、この生き方はどうもとてもパワーがいる。
感情的。情熱的。独り。でもとても自由。そして、いつもほんとうにどこかに「所属」することはない。どれだけ仲良くしても、やがてわたしは去る。
わたしは結局、いろんなことにおいてわたし自身の力をいちばん頼りにするしかないから。

いまの恋人でなかったら、こういうふうに考えることがなかったのかもしれない。そう思ったら、これでよかったということなのだろうか。
でも、いまの恋人がいなかったとしたら、わたしはこうして苦しんだだろうか。それは考えまい。


日曜日には、『ホリディ』というキャメロン・ディアス主演の映画をみた。
ハラレでは、いまのところ10,000ジンバブエドルで映画が観られる。米ドルにすると30セントくらいか。ニッポンの1,800円とはえらい違いである。けっこう大きなちゃんとした映画館でも、一本50円といったところだ。
むろん、常に物価は上昇しているわけだが、闇レートも下降していくわけである。

少しずつ、こうして何かから逃げたいのかもしれない。
表面的な、ものがたりの中へ。


ずっと買い物に行っていなかったので、このところほんとうにろくな食事をしていない。
なので、日曜日の映画の帰りに買ってきた大量の野菜を、いっぺんにスープにして煮込んだ。いくら外食でサラダを摂ったところで、所詮外食。身体の中が気持ちよくなった感じがしないのだ。
やっと自分で煮炊きして落ち着いた。

ひとりぶんの野菜って、そんなにたくさんじゃないのな。

2007年05月14日(月)



 向き合い、逃げない。

自分の仕事とは直接関係のない、利害関係もない、それでいて人生の先輩であり信用のおけるひと。いわゆる助言者であるようなひとをメンター(Mentor)ともいう。

いままでの人生でわたしは、何となくそういう「メンター」の存在を無意識に捜し求め、実際そのようなひとに「助言」をもらってきたと思う。
たとえば、会社のときの上司など。会社の仕事自体は、わたしのアフリカ研究や国際協力などのキャリアにまったく直接的な関係はなかったのだが、ときにまったく違う分野のひとが適切なアドバイスをくれたりすることを、わたしは知らず知らずのうちにわかっていたように思う。


今日、ある日本の方とコーヒーを飲みながら話をした。一回りと少し年嵩のひとで、話していたのは美味しいお酒の呑み方とか、日本酒のこととか、気取らないショットバーのこと、小料理屋と居酒屋の違い、行きつけの店で出会う職業も年齢も違うひとたちとの会話のこと云々からはじまり、「人間関係」や何かのことまで。

一種のカウンセリングのようだ。
でもわたしは、自分の心が参ってしまっていることと向き合おうと思っている。これはとっても時間のかかることなのだ。
そして、このようなひとつひとつの生きる愉しみのことなどを語っていくことにより、どこか落ち着かなくさまよっていた自分の魂みたいなものが、少しずつ安定した場所に下りてくるのを感じる。
心のほつれみたいなものを、ひとつずつ埋めていくような。


怒り、焦り、哀しみ。
心をくたびれさせるようなことから、できることなら逃げないでいたいと思う。そして、それらのわきあがってくる感情を、わたしは否定しないでおきたいと思う。

Tグループというものがあるそうだ。
南山大学では、このようなTグループのコースが設けられているらしい。心理学の勉強はしたことがないが、これはわたしの興味を引いた。
グループで何日間か対話を続ける。自己分析、他者理解。人間関係の構築。
おそらく、日常生活から切り離されることにより、仕事も肩書きもない底での世界は、むき出しの生身のままの「人間関係」なのだろう。

わたしにも、多くの欠点がある。それらと向き合うのって、きっと怖いことでもある。でも、それが抵抗なくできる瞬間って、あるはずではないかと思う。いまのわたしには、ごちゃごちゃした引き出しを全部ひっくり返して出して、必要なものをひとつずつきちんと整理して入れていくような作業が大切なのかもしれない。

壊れてしまったたくさんの人間関係のことを、すこしだけ客観的に見ている。むりにほつれのある自分でがんばるのではなく、ほつれを見つけ、繕っていくくらいの気概というか、落ち着きが必要なのかもしれない。逃げないで。ごまかさないで。


話に夢中になり、少し遅れてベリーダンスのクラスへ。
きれいに身体を伸ばし、世界に入り込む。
ほんとうにこのダンスは、「癒し」だと思う。
精神から何かが解き放たれ、血がきれいになったように、見も心も軽くなるのだ。そして、このテンションを壊さないまま、落ち着いた音楽を聴きながら家に帰りたくなる。


癒しは、まずふと立ち止まって自分自身の心の流れと向き合うことからはじまる。ベリーダンスもそうだ。

2007年05月10日(木)



 韓流ブームが来るのか?

さて。

今日も今日とてシャワーが氷水。ふふん。
ですので、いったん家に帰ってそれを確認したあと、お風呂セットをつめこみ、また車を出す。このコンプレックス内に大家が持っているもう一軒のお宅へ。
こちらのほうが戸建てだしリビング広いしお湯出るし、こっちに住もうかな(勝手に)。
歩くと家から15分近くかかってしまいそうな気配なので山崎まさよし聴きながら車で行く。すてきに寒いのだ。ああ、なんて星空がきれいなの。もうすぐ冬のジンバブエ。
そして、タオル持ってくんの忘れた。(バスタオルはある)
チッ。いまいましい(馬鹿な)電力公社め。
コノヤロ!ヤロ!えいッ!えいッ!(?)

そして人の家でシャワーを浴びたあと、(勝手に)テレビをつける。
いつもジンバブエ国営テレビではくだらないジンバブエドラマ(出来が悪い)を放送しているが、今夜はなんと突然しんみりした韓流ドラマが始まった。おお。ジンバブエでもとうとうブームか?

しかし、どうしてこう韓流ドラマは古臭くしんみりしていて辛気臭く、そして涙がいっぱいピアノバラードいっぱいなのだろう。このドラマにしても、いっちばん最初のシーンでいきなりヒロインは涙を静かに流していた。それでも韓流といえば『冬のソナタ』は好きである。
大学での第二外国語が韓国語であったわたしは、じつに微妙に韓国語がわかるときがある。ピヘンギ、とかさ。(飛行機)
しかし、良く考えるとジンバブエドラマもたいていが辛気臭いなんだか暗いものであった。もしかしてここでも売れるかな。韓国ドラマ。

今夜は、ある方と韓国料理を食べた。
いろいろと進路相談にも乗ってもらい、それから彼のキャリアの話も聞かせてもらい、非常に参考になった。
最近、精神的に行き詰ってしまい何事もうまくいかなく部屋も散らかりぎみなのだけれど(関係ない)、だけれどもこうして無理に動かしてみると案外やる気が出てくるものだな。エンジン全開まで、まだまだじりじりとボルテージを上げていかなくてはならない気がするけれど。

やっぱり、勝ち取っていかなくては。
強気で、他人を実力で蹴落としてでも勝ち取っていかなくては。


昼間、職場の人と昼食をとりにいく車の中で、彼女の持っている韓国の伝統的な楽器を使った音楽を聴いていたのを思い出した。今夜のわたしは、ひとり韓流ブームのなかにいる。

サランヘヨー。
チャル・モッケッスムニダ。
ファジャンシル・オディエヨー?


ときに、ベリーダンスはたいていの音楽にあわせて踊ることができるように思う。即興で。でも、それはどこの国のものであれ、エスニックな感じの伝統楽器をつかったようなやつがより似合う。ドラムが入っているとなお良い。
(さすがに『冬のソナタ』でベリーダンスはしない)

最近の個人的な流行は、あの「女子十二楽坊」である。まさか彼女らも、自分らの二胡などにあわせて腹出して腰を振るやつがいるとは思うまい。ふふふふふ…。

2007年05月08日(火)



 癒しのポッキーと残業。

日本から来られた、いつもお世話になっている方。
ジンバブエにちょくちょく来られて、このようにすてきなお土産をくださる。




そう。なんといってもわたしはこういうポッキーが好きなのだ。日本のスーパーにいくならば、このような季節限定ものなどのポッキーの棚からひと箱かごにいれずに立ち去ることは不可能なのである。


このところ精神状態がどん底でかなりやばめだけれども、そういうことばっかりを書くのもどうかなと思うので。

だけどね、こういう小さな幸せがどれほど大きく心に響くか、それを誰かとわかちあうのはとてもむずかしいのだけれども、なんとなく大切に心にしまっておくことにする。


今週は、ハラレ国際芸術祭HIFAであった。
月曜日から、今日まで。
職場の隣の広い公園で行われる、かなり大掛かりなイベントであった。

夜、日が暮れてからオフィスの窓を大きく開け、音に聞き入った。
派手なライブの音が聞こえてきたり、はたまた弦楽器のうつくしい音色が、「タイスの瞑想曲」や「亡き王女のためのパヴァーヌ」の旋律をやさしくたどったり。

インドのダンスを観たりとか、大好きなイタリアのギタリスト、アントニオ・フォルチオーネのステージを観たりとか、ジンバブエの国民的アーティスト、オリバー・ムトゥクジのライブに行ったりとか。

その世界に入り込むことがどれだけわたしを解き放つか。
全身で見入り、わたしのHIFAは終わった。


というわけで、HIFAについてはブログ『あふりかくじらの自由時間』のほうに。

2007年05月06日(日)



 ハラレ芸術祭のソウル。

HIFAと呼ばれる「ハラレ国際芸術フェスティバル」が今日から始まり、いま、21時。
ハラレ・ガーデンでは花火が上がっている。

世界中からアーティストが集まり、演劇や、コンサートや、ダンスなどを披露するお祭り。
やはり日本と比べると何十分の一ほどの値段でコンサートやらが観られてしまうので、嬉々として文化的に過ごすのだと意気込みつついくつかのチケットを入手した。






インドの伝統的なダンス。

ほんとうにうつくしく、うっとり世界に引きずり込まれながら見とれてしまった。
物語があって、手の動き、腕の滑らかな角度、身体の振動、表情と首の角度。すべてがほんとうに流れるようで、いつのまにかわたしはどこかの世界に放り出され、彼女しか見えなくなった。

ベリーダンスも、とても似たような動きがある。
ダンスは、100人いて100通りあって良いのだと思う。
ほんとうに自由で、うつくしく。

わたしは心から踊るのが好きだ。
子どものころからのクラシックバレエも、ベリーダンスも、このインド舞踊も。


とても癒しになった。
ほんとうに大切な癒しに。

この時間。

2007年05月01日(火)
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