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■ 野菜が足りないよ、キミ。
ストレスフル&情緒不安定デイズ。 みんな嫌いだー、モードだね。 しかし、よくここまで誰かを嫌いになったり苦手になったり人間関係壊したりできるもんだとつくづく思う。 どうすれば良いのかな。
一方で、今日は知らないひとと仲良くしゃべった。 仕事のあとで寄った病院の待合室だ。 (病気でも事故でも妊娠でもありません。ご心配なく) なんか、表面的な明るさとパワーだけで生き延びているみたい。誰かが「大丈夫?」と声をかけてもにっこりわらって「大丈夫!」と返すだろうな。中身はぼろぼろなのにね・・・。でも、なんだか許せないのだ。誰かに意図的に依存する自分が。そして泣くときはやっぱりひとりがいい。
最近へこむこと。 やはり、たて続けに知人・友人の結婚や出産の話をきくことだ。今日だけで、3件。(結婚2件、出産1件)先月は3件ほど。それ以前となるとかなりわからないくらいたて続けに。挙句の果てには、直接の知人ではないけれど、自分のマイエンピツのひとたちまで・・・。
もちろん、愛すべき周囲の人たちの幸福は(マイエンピツのひとたちを含め)心から祝福しているのだけれど、自分は正直、実に個人的にかなりのダメージを受けている。
オトコより仕事を選ぶのね、とは誰かが冗談交じりにわたしに言ったせりふだけれど、わたしの生き方は絵に描いたようにそんな感じだ。 現在の恋人との間には、わたしの友人たちのような幸せな将来は、どれほど夢に描いたところで存在しない。でもわたしはどこかでその事実にほっとし、どこかでそれを苦しいほど憎んでいるのかもしれない。 どうにもならないこと。
二十代中ごろまではいろんな恋人と付き合っていた。そして、アフリカに行く仕事に受かってしまったら、いまの恋人とはどうするの・・・といつも思っていた。それで、探す仕事の範囲について、躊躇していた。勇気が持てなかったのだ。 だからといって、プロポーズをしてくれた恋人とは別れた。そうすべきだったから、そうした。婚約をしたら、物理的にこれからわたしのキャリアを積むことが難しくなる環境だった。
やっぱりわたしはわたしのキャリアを突き詰めたいのだ。 そして、いまの恋人と付き合い始め、いままでのような考え方の呪縛のようなものから解放された。わたしはわたしのために、キャリアを追及するのだと。そして、望めないものは望まない。望めるときになったら、そうする。
そうは思っているけれど、この生き方はどうもとてもパワーがいる。 感情的。情熱的。独り。でもとても自由。そして、いつもほんとうにどこかに「所属」することはない。どれだけ仲良くしても、やがてわたしは去る。 わたしは結局、いろんなことにおいてわたし自身の力をいちばん頼りにするしかないから。
いまの恋人でなかったら、こういうふうに考えることがなかったのかもしれない。そう思ったら、これでよかったということなのだろうか。 でも、いまの恋人がいなかったとしたら、わたしはこうして苦しんだだろうか。それは考えまい。
日曜日には、『ホリディ』というキャメロン・ディアス主演の映画をみた。 ハラレでは、いまのところ10,000ジンバブエドルで映画が観られる。米ドルにすると30セントくらいか。ニッポンの1,800円とはえらい違いである。けっこう大きなちゃんとした映画館でも、一本50円といったところだ。 むろん、常に物価は上昇しているわけだが、闇レートも下降していくわけである。
少しずつ、こうして何かから逃げたいのかもしれない。 表面的な、ものがたりの中へ。
ずっと買い物に行っていなかったので、このところほんとうにろくな食事をしていない。 なので、日曜日の映画の帰りに買ってきた大量の野菜を、いっぺんにスープにして煮込んだ。いくら外食でサラダを摂ったところで、所詮外食。身体の中が気持ちよくなった感じがしないのだ。 やっと自分で煮炊きして落ち着いた。
ひとりぶんの野菜って、そんなにたくさんじゃないのな。
2007年05月14日(月)
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