あふりかくじらノート
あふりかくじら



 ダンス、音楽、セブンティーズ。

金曜日の夜、『ディスコ・インフェルノ』というミュージカルを観にいった。

70年代の音楽とダンスが盛りだくさんのミュージカルで、お客もノリノリ。懐かしい曲がたくさんたくさんあった。
そして、動きもダンスはすばらしく、劇もなかなか面白い。
ジンバブエはこんなに大変な経済状態だけれども、スキルを持った人々は皆海外へ出て行ってしまったけれども、こうしてすばらしいミュージカルは観られるのである。

ダンス好きのわたしとしては、ノリノリのダンスに身体がうずうず。
しかも、名曲といわれる70年代のヒット曲がずらり。
確かにわたしは、ちょうどこの作品の設定されている1976年の生まれで、これらの音楽をリアルタイムで聴くにはちょっと若いのだが、それでもどの曲も有名なものだったので、十分に楽しめた。

最近、できるだけコンサートやライブ、演劇や映画を観にいくようにしたいと考えている。もちろん、自分自身もミドル・イースタン・ダンスを心ゆくまで愉しむようにしながら。
こういう生き方には心の余裕が必要なのだけれど、でもこうして自分の好きなものを愉しむ余裕がない人生はつまらない。そしてストレスフルだ。

ポジティブに、生きていきたいと思う。


2007年03月31日(土)



 生命(いのち)のメッセージ。

仕事でくたびれきった午後、思わずデスクに突っ伏して目を閉じた瞬間、流しっぱなしにしていたNHKのニュースが特集を始めた。

早稲田大学の卒業式。思わず、はっと顔を上げた。
そう、早稲田大学。「あのひと」は卒業したんだ。
わたしの知っているあのひとの顔が、テレビに大写しになる。名前が出る。

若い学生たちに囲まれて、彼女はほんとうにいい笑顔をして笑っていた。
なんだか、一瞬時空を越えて色んなものがよみがえってわたしの上へ降ってきた。

零、君のお母さんは大学を卒業したんだね。
君が入学して、そして卒業することができなかった、早稲田大学。
あのあと君のお母さんは、大学に入学したんだったよね。


19歳だった君が突然の交通事故でこの世を去ったあのショックを、わたしは忘れることがない。あれからもう7年なんだよ。

初めて会ったときの君は、16歳の高校生だった。
出会いは覚えている?
わたしが福祉研修旅行というスタディツアーでスウェーデンに行ったすぐあとだった。1997年のこと。
わたしは、自分より一回り上の女性とスタディツアーで出会い親しくなった。帰国後、彼女を通じてほんとうに偶然出会ったのが君だった。わたしは20歳だった。

零―…。

四人で集まってお茶を飲んで、スウェーデンについて語り合った。
君は、スウェーデンに留学するつもりだったんだよね。そしてわたしたちとの偶然のめぐり合いがあった。

でも、君は終始つまらなそうな無愛想な顔をしていたね。よく覚えてる。
まだ高校生だったし、そしてきっと年上の人たちの話に、最初なんだか拒否感を覚えていたように感じた。
だけど、時間がたつにつれて夜になると、君はどんどん打ち解けてきた。
そして、わたしの年上の友人の話を、目を輝かせて聴いていたよ。彼女はとても独立心の強いひとで、そしていつも新しいことに挑戦して自分の人生を勢い良く切り開いていた。わたしがひかれていた彼女のその魅力に、君の心がひらいてきたんだよ。
彼女が一瞬席を立ったとき、二人だけになったとき、わたしは君に言った。
「彼女、ほんとにすごいでしょ」という意味のことだったんだと思う。

君は、はい、と心から言って、微笑んだ。
ほんとうに、はにかむように微笑んだ。
あの表情、ずっとずっとわたしの脳裏に焼きついているんだよ。
君が笑った、って。心に届いたんだ、って。
君は、この出会いでほんとうに変わったんだ。
すごく圧倒されて、そしてあたらしい世界をみたんだ。


あのときおしゃべりをしすぎて夜遅くなったね。終電に間に合った、とほっとした表情をして、ホームに消えた君の姿を見たのが、ほんとうに最後だった。



スウェーデン留学に行ってからハガキをくれたね。
わたしも書いたと思う。いまでもわたしの古い手帳には、君が書いてくれた君の実家の住所が残っている。君の手書きの。


君が帰国してきて、大学に入って。
あの2000年という年は、忘れない。

君のお母さんが「生命のメッセージ展」というアート展を始めた。
その知らせを聞いて、わたしは君の死を知った。
ほんとうに、ショッキングな死を。

あの展示会を、良く覚えている。
君の等身大パネル写真。お母さんの書いたたくさんの詩。赤い糸。
もう、胸がいっぱいで、息が苦しくて。
君の笑顔で、あたまがいっぱいになっていった。

お母さんの詩、怒りと哀しみと憎しみに満ちていた。
すごく苦しかったよ。ひどい事故だったのだもの。ニュースで何度も取り上げられていた。あのひとの署名活動が、悪質な交通事故加害者への処罰を重くすることに成功した。

でも、あのとき、目に涙をためながら苦しみのなかに生きていた君のお母さん。
その詩は、ほんとうに辛いものだった。見ていてあまりにも痛々しくて、わたしは君のお母さんに何も言ってあげることができなかったんだよ。

零と、零のお友達は、その事故で一緒に旅立ってしまった。
19歳だったふたりのために、お母さんは小さな素焼きの人形をたくさん用意した。世界中を旅してみたかった二人のために、この人形を外国に連れて行ってください。そして、写真をとって送ってくださいね、って。
数ヵ月後、アフリカ研究の修士号をとりにエディンバラ大学に留学したわたしは、うつくしく歴史あるその愛する街を見下ろせる丘の上に、君の人形をそっと置いた。零─…、君に見せてあげたい景色だよ、って。
お母さんはわたしの手紙に返事をくれた。
「零のぶんまで、がんばってください」



わたしは、お母さんのあの辛そうな顔しか見ていなかった。

だけど、見て。
いま、テレビに映っているあなたのお母さんは、なんてすてきな笑顔なんだろう。
君はきっとほんとうにこういっただろうね。
「京子さん、こんどはあなたの人生を生きなよ」

涙が出そうになったよ。
あなたのお母さんの、すてきな姿を見て。


ねぇ、零。わたしは生きている。
去年わたしが交通事故に遭ったとき、どれほどあなたのことを考えたろう。
南アに飛んで、大きな病院に入院して、全身麻酔をかけて手術をした。
わたしは生きているよ。ねぇ、あのとき死ななかった。あのひどい事故で。車がぺしゃんこにつぶれてしまったのに、わたしは生きていた。

病院で、ずっとずっと、ぐるぐるとあなたの笑顔が回っていた。
生と死の幻影みたいなものにうなされ、フラッシュバックをなんども経験した。血の気が引いた。身体がふわりと浮いて、そして沈むように。

あなたの死とわたしの生の間に、はたしてどれくらいの違いがあったのだろう。それを思うと、何だかもうめちゃくちゃに泣きたくなった。
ほんとうに枯れそうなくらい、涙が出たよ。ずっとずっと泣いていた。

わたしの身体に傷は残っている。
でもわたしは今、こうしてジンバブエで仕事をしているんだよ。
そして、何年もたった今、ニュースであなたのお母さんをみている。

そして懐かしい君の写真を、NHKで見ている。
あのときの笑顔を思い出しながら、ここジンバブエで。


わたしは、わたしに与えられた命を精一杯生きる。
アフリカで、生きる。



=======

生命のメッセージ展」メインサイト

*零のお母さんのことは、映画になったそうです。
『0(ゼロ)からの風』


2007年03月27日(火)



 物事をすすめるために。

たくさんのことがあって、心の動きが激しい一週間だったように思う。とりわけ、職場での人間関係や仕事のことなど、重たいことも苦しいこともたくさんある。

でも、週末になって落ち着いている。

苦しいところを抜けた瞬間、広くゆったりと構え、そのぶん他人を受け入れられるようにもなっている。
こういう精神状態が続けばいいのにな、と思いつつ。


懸案事項がたくさんある。
今後のこと、仕事の進め方のこと。
いっぺんにたくさんはできないので、少しずつ進めるようにする。
そう、いまでもわたしの心の中で有効な、「それに手を加えて少しずつ改良していく」という感覚がまたわたしをうまく動かしている。

ひとつの書類を、文字通り少しずつ改良していく。
いっぺんに質の高いものは無理だけれど、何もないところからつくったものを少しずつ改良し、その質を高めていくことはできるのである。


その一環で、大事なメールを何通かと、メルマガを書く。
全部は無理だけれど、少しずつ。
そしてわたしの将来は、このひとつひとつの作業にかかっている。

守ってくれる組織がない人生はときにくたびれてしまうけれど、それでも自分の自由で作り出す自分の将来というのはいい。ほんとうに自由でいい。

だからわたしは、わたし自身のために作業をする。
改良作業を。


2005年に作った一斉お知らせのためのメールアドレス一覧を少しずつ更新していく。この2年余りで、どれくらい人間関係が変わってきたかわかる。しかも、どれくらい増えてきたかがわかる。

改良、改善。



今日、停電のキャンドルは新しい円錐の形をしたオフホワイトのもの。
バニラの香りがする。

2007年03月25日(日)



 ジンバブエの非常事態。

いつも、非常事態が来るといいながら、インフレ率1,700%でありながら、ずっと時が過ぎていた。

では、いつか来るべくして来る「非常事態」とはいったいいつなのか。

でも、実に迫ってきているような気がする。


国際社会、市民団体、野党、そして政府と警察。
日々、動いている。多くの流れが作り出されてどんどん緊張感が高まっている気がしている。


わたしの大切な友人の友人が傷つけられた。
新聞にも取り上げられ、重体である。

わたし自身の行動も、考えなければならなくなってきた。
どうなるのだろう。

ジンバブエ。



とりあえず、近所のパブで呑んでぼんやりしている頭を抱えて、やっぱりどうするかというと、眠る。

2007年03月24日(土)



 くじら的に生きる毎日に。

どうして許してしまったんだろう。
いや、許しているというのではなく、心を開こうとしているのかもしれない。


心を開く。
頑なに閉じてしまわずに、下手なプライドを持たずに開く。


わたしはまっすぐに生きていきたい。
くじら的に。



野党MDC党員や支持者、活動家などが多数逮捕されて警察の暴行を受けている。大怪我を負っている。
ジンバブエでは、悪化する経済状況や政治的混乱から、大きな暴動が起きるのかもしれないという懸念が渦巻いている。


わたしは、この国に来ることを望み、ここに暮らしている。


2007年03月21日(水)



 考えすぎ。

わたしはきっと、
他人に対して極端に非情で冷たくなれるのだと思う。


残酷で、冷たく。


どこか、必要もないのに懸命にやさしくなれる一方、
そして必要もないのに怒りや憎しみやかかわりあいで
苦しむ一方、
わたしは誰かを冷たく切り捨てる。


そして、そんな自分を哀しく見ている。


夕べ、それでも気持ちを救ってくれるひとがいた。
気づかされた。

だから今日は。
自分を責めるべきでないと言ったひとがふたりいたので、
そうすることにする。


ごめん。

ごめんね。

今朝はそれでも、
すごく元気になって、そして夜になったら疲れた。
いろんなことにうんざりして疲れた。

少しずつ、生きていくからさ。

2007年03月20日(火)



 いくつもの週末。

…というタイトルの江國香織のエッセイ集とは関係ないのだけれども、このとてもお天気の良い日曜日に思ったことは、そういうこと。

いったいこれからいくつの週末をひとりで過ごすのだろう。


赤ランプにひやひやしながら、10kmほど先のガソリンスタンドでディーゼルを50リッター入手した午後。

しばらくぶりに、現在帰国中の職場のひとの家へ。
鍵を預かっているので、点検。郵便物等。

窓を閉め切っていたので、とりあえず空気を入れ換えましょうと独り言をこぼしつつ、家中の窓を開け。
6階を吹き抜ける風はほんとうに気持ちが良い。
午後3時。

夕方になるほど感じる淋しさがちょっと怖くて、それを忘れるように職場の誰かを呼んで、ここでお酒でもと思っていたけれど、ふとある映画のDVDを見つけたので、それをおもむろにプレイステーションにセットしてテレビをつけた。

吹き抜ける風、ほんの少し傾いてきた午後の日差し。
しずかで、ひとりの日曜日。
誰も思いを分かち合えるひとも、淋しさをシェアできるひともいなくて、主のいない誰かの部屋でひとり。

それは、少し前に流行った『NANA』という映画。
なんとなく、涙をぽろぽろと流しながら泣いてしまった。
すごく、せつなくて。
ほんとうに。
それは、戸惑うくらいに。

そしてわたしの淋しさはきっと、ときに重たすぎて、それでも充実している。恋人と離れて。彼と一緒にいるという選択肢など、わたしにははじめから存在しなかったかのように。


彼のこと、ぐるぐる思い出した。


家に帰り、ドライカレーを製作。
野菜をたくさん切る。

ビールを呑んだ。
間接照明のやわらかい光。音楽。


山崎まさよしのバラードが胸にしみて、わたしはこうしてひとり暮らしをしているのだ。


夜、ある人から電話がかかってくる。
わたしは、アフリカと関わって過去十年生きてきたし、これからもそうやって生きていくのだということを自然と再認識する。

こういうとき、『風に立つライオン』という曲をうかつにも思い出してしまうなどということのないように。なんて思いながら。
泣いちゃうからさ。

わたしの生き方はこうだったからさ。
これからも。


会いたくても。

2007年03月18日(日)



 充電土曜日なんだけど。

先週から某「腹ダンス」を習い始めた場所というのは、じつは癒しの「マッサージ」屋さんなのだけれども、ずいぶん前からマッサージを予約していた土曜日の午前中、行くことができなかった。

International Women's Dayのセレモニーのようなものがあり、出席しなくてはならなくなったのである。嗚呼。マッサージ…。
ともかく、政府系のZTV、ほんとうに人の顔をじっくり映すのはやめてほしい。色んなセレモニー等に行くと、外観の目立つわたしは集中的に撮影されたりしてしまい、いつも誰かから「君、テレビに映ってたね」と言われてしまうのである。(夕べもさっそく言われた)
あのね、ニッポンの政府代表できているんじゃあるまいし、変な誤解を与えちゃうじゃないの。とくべつゲストじゃあるまいし、ムガベを支持しているから出席しているわけでもない。
ったく。バカカメラマンめ!(毒)

そして、某国家元首を見た。目の前でずっとずっとしゃべってた小さなじいさん。
このじいさんか…、この国の大統領ってやつ。(内容については、また)

午後、がんがん効いている冷房に冷え込んでしまった身体に耐えられず、ブック・カフェのライブへ。
ある日本人女性のムビラ奏者が、こちらのバンドと組んでライブをやるということをきいていたので。
そこで思わぬ人と会った。あれ以来連絡をとっていなかったひと。それはそれでよいのかもしれない。とりあえずは。考えまい。


ムビラはとてもすてきだったし、バンドも実力があってほんとうに良い音楽が聴けた気がする。軽くビールを呑みながら。

夕方、買い物。
久しぶりにスーパーによって野菜などを買い込む。
なんていい気分なんだ。先週まで山篭り状態で、家にある食料を食い尽くしてしまっていたから。(寝食を忘れたはずでは…?)


ひとつ、こころがかき乱されたこと。


ライブの客席に、日本人と思われる女の子の姿を見かけた。
見たことのない人だったから、ここに住んでいる日本人ではなかったと思う。
しかも、なんとなく日本の空気をまとっていた。

さらさらのきれいで長い茶髪をたらし、可愛い顔で微笑んでいて、もちろん他の客みたいに踊りだしたりはしない。小柄でとても細くて華奢で、わたしの方がちょっと恥ずかしくなるくらいきれいな服を着ていた。薄く日本人っぽいお化粧をしていた。

彼女が日本人だとは言い切れないけれど、でも多分そうであろうし、わたしはそういう印象を受けた。
そして、誤解してほしくないのだけれど、彼女の姿を見て、突然わたしは「日本に帰りたくない」と強く思ってしまった。

ああいう感じの子はたくさんいて、嫌いとは言わないし、あれがしっくりくる日本の社会や都会なんかも、わたしは嫌いじゃない。
むしろ都会も好きだし、日本風の居酒屋でああやって日本人っぽい子と呑むことも(まぁ相手はたいてい呑めないので興ざめだったりするものの)嫌いじゃない。
日本は好きだ。何よりも、わたしの生まれ育った国だ。(アメリカに暮らしていた時期もあるけれど)

でも、何だろう。

いつも日本で感じているあの焦燥感。
日本にいるときのわたしはずっと、こころのどこかで焦っているのだ。
このままではいけない。早くアフリカに行かないと。外国に行かないと。世界にはこれだけたくさんの国や町や人々があるのに、自分の母国で母語の中でのんびりしているひまなどない。

その気持ちを突然ハラレで思い出し、そして戸惑った。

日本は好きで、伝統文化も好きで、六本木ヒルズあたりなんかも好きだし、どこかのショットバーも好きだ。大好きなひとたちもいる。

でも、それだけでは違うのだ。


いちばんいい精神状態はやっぱり、アフリカにいるときなのである。

日本人なのにね。どうしてなんだろう。

2007年03月17日(土)



 身体から解放されていく祈り。

少し小高い丘になっている住宅街に、静かにたっているその家のテラスで、わたしは踊りのレッスンを受けはじめました。

ミドル・イースタン・ダンス。

日が暮れていって、どんどん夕暮れが遠くの空と幾重ものうつくしい雲を輝かせ、そして藍に染まっていくのです。
アラビアン・ナイト。

緩やかな動きと流れるような「気」は、祈りにも似た感じ。
その宗教的な感覚、自由な踊り、自分の心のおもむくまま、流れに身体を任せるその祈りに似た感覚は、ハラレの夕日に遠くのアラビアの空を思わせました。

このダンスを習うのは初めてだけれど、何年もクラシックバレエを愛していた少女時代のおかげか、身体はすんなりと自由に動き、うつくしい流れを作り出します。
ほんとうに、わたしはこのダンスに出会ってよかったと思う。
ずっと、少女時代から憧れを抱いていたのが、やっとはじめることができたのです。


あの、観光客向けの楽しくセクシーなダンスというのではなく、もっと宗教的で静かで、リスペクトすべきもの。
その精神的な効用まで、知ることができました。

もっと、もっと、深めていきたい。
心の流れを表現したい。


通称、ベリーダンスです。

2007年03月16日(金)



 くじら色の、少しずつ改良する生き方。

すごい、じぶん。

一日25時間ペースでパソコンに向かってたよ。(そりゃすごい)

っていうか、金曜日に帰宅してから、
二回ほど各5時間ずつ眠ったけれども、
それ以外はほぼパソコンに向かっていた。
そして日曜夜7時に大体の目途がつき、そしてあとは見直し中。
何時間ぶっ続けでやっていたの?ん?

ほ…っ。

ほほ〜。茶でも飲もう。
寝食をわすれるっちゃ、このことでね。
ていうか、寝るのも食うのも忘れてないけどね。
言ってみたかっただけ。

あ、そう。風呂というものがあったんだね。
すっかり忘れていたよ。
電気も来ているからお湯も沸く。


なんというか、濃い生き方だよ、いつもいつも。
そして恋人はなしのつぶてだよ、野郎。


頭がおかしくなりそうなくらい翻訳に没頭していた。
そう、わたしは翻訳マシーン。ラブ・マシーン。

翻訳、久しぶりにやったけど、中毒症状になる。
意識が飛んでるのに、翻訳のことだけ翻訳脳が機能して進めている。
ああ、やめてー、とまらなーいい。みたいな。


音楽なんて、いつのまにやらCD終わってるし。

来る日も来る日も、停電にもめげず。
まだ終わってないけどね。


少しずつ、改良するのである。
荒訳の仕上がった翻訳も、自分の生き方も。



子どもが生まれたって、日本のお友だち。
おめでとう。


また、苦しい。
わたしの愛するひとは、いったい何を考えているのかな。


2007年03月11日(日)
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