あふりかくじらノート
あふりかくじら



 胃が痛むとき。

ぎゅっと締め付けられるように、ひどく痛む。月曜日くらいから。昨日はさすがに、脂汗モードだった。
痛んで、しばらく時間を置いて、またぎゅうーっと痛んで。

どうにも精神的なものなのかななんて思いつつ。かなり辛い。

だーりんは、太田胃酸など飲んでいてはだめだとおっしゃる。キャベジンもだめ?あきらかにそんな痛みじゃないものナ。食べすぎ呑みすぎじゃないし。第一、酒は今週一滴も呑んでいない。


今日は、そんな体調の悪さに加えて気分が悪くなるようなことや頭にくるようなことがたくさんありすぎた。もうダメ。あなたを殴って、キミも殴るよ?


どうして人生ってこういうくだらないことばかりなのだろう。
どうして頭のいかれた連中や心の狭い連中に、振り回されなきゃいけないんだろう。ばかばかしいよ…。怒る気力も夕方にはすっかり失せた。


どうあっても、こんな夜には誰かがいて欲しい。
すごくひとりぼっちな気がする。
でもわたしにはたぶん、そんな誰かがいない。いまこの瞬間だけでも、100%文句なしにわたしのものになってくれる誰かが。


どうしてこうなのかな。
わたしはいったい、何によって救われるのかな。


今日はそして、胃の痛みに加えてすっかり停電。

2006年11月29日(水)



 くじららしく、土曜日を。

朝、レジナルドの妹のアンジェラからの電話で起こされる。こう決め付けたくはないが、比較的アフリカ人というのは朝が早い。
今日、ひま?というお誘い。
ちょうど、わたしのほうにもケープタウンからお友だちが来ていたということで、一緒に外出でもしようと思う。

お気に入りのきりん模様のティーポットに、いただきものの香港のお茶を淹れる。いい香り。

お友だちがおきだしてくるのを待って、ぼちぼちお出かけをしよう。
土曜の午前中というのは有効に使わなければならない。なぜなら、お店はいつも土曜日は半日、日曜日はしまっているからである。

洗濯機を回して、そして出発。

しずかで丁寧な土曜日。
わたしらしく、ハラレを楽しむのである。


うっかり朝からフジコ・ヘミングが流れてきてしまったが、こういう朝も良いのかな。夕べは酒の一滴も呑まず。


2006年11月25日(土)



 ほんの少しの時間だけでも。

ほんとうに少しだけの時間だけでも、
大切なひとのことを思ったり、
短いメールで大切なメッセージを伝えたり、
電話でことばを交わしたりする。


それだけで、もういまのわたしにはじゅうぶん。

今日と明日を生きるためには、じゅうぶん。


いま、報告書に向かってテンションをあげている。
また狂気じみたもの書きモードになるのだろう。

苦しくて、心地よい、麻薬的な。


そしてわたしは、やわらかい文章とは対極的な
堅苦しい文章を生み出す快感にアディクトされる。


近寄らないほうがいいよ?

2006年11月22日(水)



 感動バターナッツ。

バターナーッツ!

茹でるっていうか、蒸す気持ち。
そう、気持ち的には蒸すのじゃ。もちろん蒸し器などというものはないが。
小さい鍋の底のほうにほんの薄く湯を沸かしまして、そこへバターナーッツ。

最初は南瓜の煮つけのように味をつけちまおうかと思ったんだけれども、変な色気を出さずにひたすらむしむししてみた。

そうしたらなんと。
とってもとっても甘いではありませんか。ミラクル美味い。大地の味。感動しました。お野菜ってなんて甘いんだろう。


これがジンバブエの土の豊かさなのだ。
この国は本来、こんなにも豊かで甘い野菜をプロデュースする豊かさにあふれているのだ。それをコントロールするのは人間。

広大な農場が、荒れている。


なんだか、野菜をひとつひとつ素材の味を大切にしてたべるってほんとうにすばらしい。野菜が、野菜らしさをちゃんと主張してくれる。
バターナッツって、こんなに大きくてひょうたん型で、そしてすごく甘い。南瓜よりも水っぽい感じ。

くじら的には、今日はこれで幸せ。
どんなに辛いことがあっても、バターナッツの瞬間は幸せ。

2006年11月20日(月)



 夕暮れるタファラ。

夕暮れのタファラを抜けていく道を、静かに車で駆け抜ける。
ほんとうに大きな空で、雨季らしい雲がたくさん濃紺の影をつくるハラレのはずれ。

わたしは、カセットテープに録音した「Maroon5」を聴きながら、夕暮れ色と濃紺の織り成す大地を静かに通り抜ける。
わたし一人だけで、他の車のなかに入り込む。

時間の流れがゆっくりする。
とても遠くにいる気がする。


このままわたしは、わたしひとりとずっとどこまでもドライブしていくような、そして世界はいつまでもこのうつくしい夕闇に包まれているかのような錯覚を覚える。

帰りたい。
帰りたくない。

どこに向かっているんだろうな。
いつまでも、この瞬間だけの連続だったらよかったのに。


そんな日曜日。
今日はレジナルドと妹に会いに行った。

2006年11月19日(日)



 ドビュッシー、そしてリスト。

もう、フジコ・ヘミング以外何もいらないと思えるような夜である。

大きなこと、哀しいことがあったわけではないけれど、それは継続的に積み重なっている小さなことや重たいことが、一定以上の嵩になってしまう夜なのだと思う。
ピアノの音色しか受け入れられない。
そして、フジコ以外のピアニストは受け入れられない。

何にも邪魔されたくなくて、このひとりの空気に不純物を入れたくなくって、インターネットも見ないし誰かへのメールも書きたくない。
誰にも入れない場所。


夜だったけれど、極力小さな音でドビュッシーをピアノで弾く。
『レントよりも遅く』はまだ弾けないけれども。

ピアノを弾けてよかったなと思うのはいつもこういう夜だ。
だれとも分かち合えることのできない、自分ひとりだけの夜。積み重なった気持ちを、わたしはピアノの音色と混ぜる。旋律と音のことしか考えない。頭の中はそこに狂ったように陶酔している、わたしだけの時間。
ピアノを弾けなければ、わたしはこういう夜をいったいどうして過ごせただろう。


考えまい。

ひとりで泣いていたとしても、ものごとはひとつずつ少しずつ、進んでいくのである。それが辛かろうと哀しかろうと。


レントよりも、遅く。

2006年11月15日(水)



 わたしが思い出になってしまう。

椎名林檎のある歌に、

「あなたはいつも写真を撮りたがる。
 あたしはいつもそれを嫌がるの。
 だって写真になっちゃえば、
 あたしが古くなるじゃない」

というフレーズがあった。

わたしはよくこの曲をカラオケで熱唱したりするけれども(射手座のB型だし←関係ないけど)、でも必ずしもこの部分に共感しているわけではないのだろう。

どちらかというとわたしは、現在進行形のものを次々と思い出、つまり過去にして生きている。いま、どれほどすばらしい瞬間を過ごしていても、誰かと楽しい時間を共有していたとしても、心の隅っこでこの「今」が過ぎ去ってしまって古くなり、二度と戻れなくなる日のことを考えている。
とても淋しいことかも知れないが、そうなのだ。
そうやってわたしはいつも、「刹那」をどこか淋しい気持ちで大切にする。それがいつかなくなることを考えながら。

小さなころからしばらくごとに新しい土地に暮らし、いつしかひとつところにとどまれなくなった。こういう生き方が、わたしをこういうふうにしてしまったのだろう。

だからわたしは、写真を撮る。
思い出を切り取り、過去にしてしまう。その「刹那」を封じ込めながら。

ずいぶん昔は、「懐かしい」という感情にどのように接して良いのかがわからなくて苦しんでいた。今では、そのときを「過去」にしてしまうというすべを覚えたのかもしれない。自分自身とだけ生きていくすべを、覚えた…のかもしれない。

だって、少なくとも「今」を同じ密度で同じ感触で、いつかまた誰かと共有するなんて、どうひっくりかえってもできっこないのだ。だから、写真にするのだ。


今日、先日ムトコ地区の村を訪ねたときの写真を、やっと写真屋さんでプリントアウトしてきた。わたしを連れて行ってくださった職場の人は、ほんとうに喜んでいた。写真をとるなんて、やっぱりちょっとぜいたく。でも彼らにとって、わたしとは違う意味を持つ。
あんなに喜んでくれるなら、早くあげればよかった。


案外最近まで、古典的なフィルムのコンパクトカメラだったが、デジタルカメラに変えたとたん、ポストカード級のご自慢の写真があまり撮れなくなってしまった。もっとうまい使い方を覚えなくちゃいけないんだけれど。
デジタル一レフの練習もしなくては。この腕を活かせるように。(うふふ)


やっぱり、ものを書くことも、「今」の感情を過去のなかに封じ込めることなんだろうか。

2006年11月09日(木)



 ジンバブエを頑張る。

なんてうつくしい夕暮れ時なのだろうと思う。
どこの国でも夕日はうつくしいとおもったけれど、ひときわ心に染みるのはやっぱりひとりで立っている今、このアフリカの大地に沈む太陽と空の色だ。

日が暮れて、いただいたフレッシュな野菜を料理する。
たまねぎを炒める。キッチンに熱を入れる。

日々の暮らしを立てること。自分自身のための暮らしを立てること。
このことがとても大切なのだともう一度思いながら、カーテンを閉める。


今日は、先週に引き続き遠出。
先月から今月にかけて、お出かけ月間である。
別の方向に、別のひとたちと。

広い大地、なだらかな丘。緑が映え、大農場のあとが広がる。この国が豊かでうつくしい農業国だということがとてもよくわかる。それでも、いまは人為的に生産された食糧不足に陥っている。それもかまわずに、太陽は降り注ぐ。

一日を終えて、もうひとつの「現実」であるこのハラレのフラットに戻ってきた。贅沢にお湯をたくさん使って身体をリラックスさせ、そして音楽をかける。

夕暮れのなか、こころがしんとして、淋しさにおそわれる。この夕暮れのうつくしさやひとりの静けさという意味の淋しさではなくて、とても長い時間の、遠い人生における孤独感のような種類の淋しさだった。

今日、とてもすてきな場所を見せてもらった。
ハラレから100kmほどの街から少し外れたMupfureという土地。ここでもまた、小さな暮らしがたくさんある。そしてわたしは、ジンバブエにいるという感覚を取り戻す。このエリート階級の暮らしでは決定的にかけてしまっている、どこか「正常な」感覚を。

それに気づくと、どうしようもなく淋しくなる。
わたしはこの夕暮れの空を、どこに向かって生きていくのか。
そういうことをぼんやり考えるのである。たったひとり、自分自身の生きているアフリカという大地のこと。これから先、わたしはどこに何を求めるのか。


あれこれ田舎を訪問する計画を立てていたら、ほんとうに精神状態がとてもよくなってきたような気がする。本来の自分のやりたかったこと。これを無理せずすんなりと素直に実現できる精神状態。

そして別々の、しかしそれぞれにうつくしい「故郷」のような土地を見てふと思う。

ジンバブエを頑張らなきゃ、と。

それがどういう意味であれ、今の気持ちにしっくりくる表現はこれだった。人々に会う、知らない村を訪れる、食べたことのないものを食べ、マーケットでお買い物をする。そして風を感じること。
そして、仕事もそう。この国の政治経済状況について対外的にまとめていくこと。そして、ものを書くこと。わたしの意識を通したアウトプットという作業なのだ。

ものを書くことで、わたしは生かされている。
そういう種類の感情なのである。



=====

*本日の旅、Chegutuという小さな町から少し外れたMupfureという場所については、メルマガ『あふりかくじらの自由時間』【95】ご参照。ま、これから書くんですけど。


2006年11月05日(日)



 野菜とバオバブとキャッスル・ビール。

それは、野菜とバオバブとキャッスル・ビールの週末だった。
先週末のこと。

やはり、この爽快感というか、「正しい場所」にいる感覚を再確認して、わたしはアフリカになじんでいるひとつの瞬間を感じる。

そのChakuという村は、Mutoko地方の大きな岩山とあふれる緑に囲まれてひっそりとたたずむ場所であった。


そしてわたしはまた、変なふうに日焼けをしています。

詳細はメルマガ。写真はウェブサイト。(これから掲載予定。ちょっとお待ち、ね)

2006年11月04日(土)
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