あふりかくじらノート
あふりかくじら



 局地的大雨から滝まで。

局地的大雨から滝まで。
まだまだ続くよ、ジンバブエ。
気が遠くなるほど昔からきっと、繰り返されているスコールと滝の水。

さきほどまで重たくて激しいスコールが続いていたけど、これがまたすぐに終わってしまう。今のはうそだよーん、ってな感じで。

昨日で仕事納めで、今日からお休み。
そして明日からはヴィクトリア・フォールズである。
世界三大滝のひとつだそうだ。

この国に暮らし始めて一年と四ヶ月。わたしは訪れたことがなかった。すごい水を見てみたい。
それから初めてサファリにも行けるらしい。おお!
アフリカ研究をやっていて、なんとなくそういうのってアフリカに対する先進国のステレオタイプみたいな気がして行っていなかったけど、やはりそれはそれですごいのではないかと。

色んなことを考えない休日にすることにした。
お買い物に行って、ごはんつくって食べて、そしてDVDでも観るか。
そして新年用にメルマガでも熱心に書くか。

なんとなく、おばかなものを作って時間を過ごしている自分が好き。
ブログ『あふりかくじらの自由時間』参照)




2006年12月29日(金)



 空気が澄んでいく年の瀬。

暑いのに涼しいイメージがあるのは、ほとんど毎日午後にスコールがあるからかもしれない。大粒の雨がたっぷり降り注ぎ、街は光り輝き、そして太陽がまた顔を出す。

暑い日ざしも気にならない。
やっぱり空気が澄んでいるのは車が少ないから、かもしれない。色んなお店やレストランなんかも閉まっている。ハラレは静かになった。

オフィスの中にものんびりした空気が流れる。
なんとなく、お休みを取っているひとも多くて、普段から広々としたオフィスがますます広く感じる。静かだ。

こうして、音もなく年が暮れていくのが空気のなかに感じられる。
わたしの2007年は、どういう年になるだろう。
幸運をつかめますように。


MSNの占いを何気なく見ると、射手座のひとの2007年は12年に一度の大耕運機…おっと大幸運期だそうだ。いいことだけ参考にしておこ。この占い、自分にぴったり当てはまりすぎて怖い。い、言わないで…、それは言わないで…!(独り言)


あと一日、お仕事をすればお休みです。

2006年12月27日(水)



 空っぽの街、時間。

今日は、ボクシング・デーということで本来ならば休日である。しかしながら、わたくしのように出勤というひともいるわけで。

ヴィレッジの自宅からハラレの中心にあるオフィスまで7.2キロ。いつもなら15分以上かかっているところを10分切る勢いで到着した。
いつものことではあるが、信号もついていないし。
でも今日は、見渡す限り車が一台…二台…といったあんばい。いつもの渋滞が嘘のよう。

すごく静かな日、皆、クムシャにいるのだろうな。
つまり「田舎」ってこと。「帰郷」ってこと。

愛するひとと過ごすクリスマスと年末。

空っぽの街はとても軽くて静かで、そして派手な雨がクリアーに降ってくる。もうすぐ今年も終わり。

とりあえず今日という日を、皆が幸せに過ごせますように。
まぶしいお日様の光と、雨季のジンバブエ。

2006年12月26日(火)



 静かにクリスマス。

こうして静かに過ぎていくクリスマス。
今年は恋人と過ごすことはできなかったけれども、それでもささやかに静かなクリスマスを過ごすことができた。

いくつかメールや電話をいただいた。
クリスマス・ランチのお誘いも。
そして、職場のひとと色んなお話もした。


これでいいのかなと思う。
少しずつ、自分で自分を癒していくようにするしかない。
そして、今あるものごとに、ひとつずつ向き合っていくしかないのだ。


恋人と幸せに過ごすだけでなく、こんなふうに自分のことを考えるクリスマスも、わたしには必要だったのかもしれない。


それにしても、遠くにいて会えないとはいえ、これほど好きなひとがいるということはいいことだ。

心からそう思う。

2006年12月25日(月)



 静かなクリスマスまでの時間を。

このところ、精神状態がおかしいと思う。
いくつものことが重なり合い、わたしはどこかの感覚が狂ってしまったのを感じている。でも、そんな自分を客観的に見ている自分が存在する限りは、もしかしたらまだ救われるのかもしれない。

今年は多くのことがあったし、そのいくつかはとても心に重たいものであった。それらは今でも継続しているし、ときにひたすら泣いて何かを身体の外に出さないともたない。


わたしの身近なひとたちのうち、二人が国を去った。

ひとりはこの国に来ていたボランティアで、それほど親しくおつきあいをした人ではなかったけれど、契約満了直前ごろには、食事をしたりして何度か色々な話をした。
それでほんの少しだけ近いひとになったけれど、彼は去った。そういうことすべてをわかっているから、それだけの話をした。
たぶんわたしと彼は、まったく別の世界に住んで生きていくのだろう。


もうひとりが去ったことを知ったのは、夕べ。このヴィレッジに住む女性から、彼女のフラットに何人かで集まってウィスキーを呑みながら。
先週去ってしまったという、アイルランドから来ていたその女性はとても明るくて、そしてわたしを抜かせばこのヴィレッジの中で次に若いひと(40歳くらい)だったが、彼女はずいぶん年上のパートナーの男性と問題があって、あっという間に去ってしまったという。

以前、とても気になることがあって、わたしは彼女とは気まずいままに別れてしまっていた。彼女は精神的に少し病んでいたのか、何かのきっかけでパニックに陥ることがあったのを知ったのは、彼女と二人で南アフリカのバンドのライブを観にいった夜である。
あのとき、パニックに陥った彼女を連れて帰ったのはわたしだ。(というか、マニュアル車が運転できないわたしは、パニック状態で運転する彼女の車の助手席から、ぎゅっとハンドルを握って操作した。恐ろしかった)
あの夜以来、彼女と話をすることもないまま、彼女は去ってしまったという。正気に戻ったら次の日にでもわたしに謝るのかなと思っていたけれど、そんなことはなかった。むしろ、あの夜のことはすっかり忘れたのか、けろっとした顔で挨拶をしてきたくらいだった。
ちいさく胸が痛む。何故か心残りである。
もう会うこともないのであろう。こんな人生もあるのだ。
彼女がはなしてくれた、恋愛やジンバブエに来たいきさつや、そういう話の断片が心の中にぽつんと残っている。


この12月はくたびれてしまった。

最近、ある人にたまたまトランプを使った占いをしてもらった。
「現在の恋人との関係は安定しているが、現在か近い将来か、あるいはすでに起きているのかはわからないが、ともかくとても辛いことがあって、そして、彼ではなくあなたがこのことを我慢する」と言われた。

わたしはこのことばを、ふふ、と笑った。
そして心の中では大声で泣き出したいような気持ちになった。
この「あふりかくじらノート」を彼も見ることがあるので気が引けるけれど、これは哀しいかな、ほんとうである。
わたしの気を狂わせていること。

だからどうすれば良いのかというと、きっとわたしはどうもしない。
辛いことは辛いままなのである。

「我慢」はわたしかもしれないが、「辛さ」はきっとわたしたち二人のものだ。また新しいひとを愛せる日が来ない限り、これは変わらない。


だんだん静かな気持ちになってくるのは、いつも12月。
夕べはとても印象的な夜を過ごし、またこのヴィレッジに住む方と少し親しくなった。そばに誰かが住んでいるって、けっこう幸せなことだ。


何の苦しみも疑いもない、100%の恋人が一緒に暮らすということが、これからのわたしの人生のなかにあるなら、わたしの孤独の質は変わるのだろうか。

考えることが何も生み出さないのならば、色んなことから目を背けながら、わたしは明日のクリスマス・イヴの買い物をする。
職場のひとたちと集まって、同僚の家でささやかなクリスマス・ディナーをする。だからそのために、わたしはきらきらした飾りも買うし、スライスしたハムやチーズを買って、チキンをオーブンで焼きご馳走をつくる。ただひたすらにそのことに向き合い、わたしは魂を注ぐ。
そして幸せそうな刹那の微笑みを、いくらでも見せてあげようと思う。


でも、せめてそばにいてほしかった。

せめて、少しでも。そばにいてほしかった。

2006年12月23日(土)



 蒼く輝くハラレの雷空に。

オクラを茹でながら考えた、なんてどこかの文学作品の冒頭文みたいなことをよく言っていたのは、さっきまでスカイプで長電話をしていた某北欧国に住んでいる友人であるが、思えばわたしはよくお風呂で考えごとをする。
ハラレに来てからではあるものの、最近はとくに好きな入浴剤などを入れて、朝日あふれる真っ白いバスルームでゆったりする。

もっとも、考えごとをして結論を出すというよりも、むしろただひたすら考えをめぐらすというのが正しいかもしれない。考えたくないことは考えず、あれこれ材料を出してはひとつずつ触れていくのだ。一種の、ひとりブレーンストーミングのようなものであろう。そうすることで、精神的に何らかの整理がついた状態になり、少なくとも心焦った状態ではなくなる。

いま、ハラレの夕方。

遠くの空がまだ蒼く輝いているなかで、わたしの住む家の上空には黒い雲が陰り、目の前のとても背の高い木々をうつくしくくっきりとしたシルエットに変えている。
そして、遠くから雷鳴がとどろき、雨雲がやってきた。スコールのように大粒の激しい雨。そして、空のまぶしさ。一瞬のひかり。

今日考えたことはたぶん、じぶんがどれだけ強くなったかということ。
強くなるということは淋しいことでもあると、わたしは最近書いたばかりな気がするが、ほんとうにそうだ。

うつくしい空と大地の音に吸い寄せられ、おもわずじっと見つめる。
一日一日を、ただ自分のペースでしっかり生きていくだけ。丁寧なことばをしゃべり、期待をしないだけ。そうして、自分がむやみに傷つかず、逃げているのかといえばたぶんそうではない。
たくさん泣くことはあるけれど、ほんとうに自分が崩れてしまっているところまでいかない。心のそこで、ほんとうは強く孤独にあろうとする自分がいることを知っている。そうすればするほど、わたしはひとりの結論をひとりで出し、ひとりで過ごす時間が増えてくる。


そうしているうちに、雨がやんだ。


それにしても、いまこれを書いているときにまた嫌な電話がかかってきて、短気な自分は瞬間に気分を害した。
わたしに変な期待を抱いている男である。
こういうときの男という生き物は、ほんとうに救いようのない馬鹿である。
やさしいことば遣いをすれば、なんども用のない電話をすれば、女は喜ぶと誤解している。
ああ、気持ち悪い!気持ち悪い!ぎゃー!きゃー!わー!ウザイ!
少しでも、こういう「この女、いけるんじゃない?」的なオーラを男が出し始めると、虫唾が走るのだ。あー嫌だ。
しかも、何度邪険にしても気がつかない。わたしはあなたが嫌いです、と言ってあげないと死ぬまで気づかないくらい愚かである。あーやだ。
もううざくて電話を切った。即効。

どうして、こういうときの男ってこんなに大馬鹿な生き物なんでしょう。
何度も電話かけさえしなければ、普通に話ができたかもしれないのに、もう顔を見たら鳥肌が立つくらいいやだ。


言いたいことはそれだけだ!

2006年12月17日(日)



 母親なるもの。

最近、母親の出てくる夢を見た。

わたしの母親は童顔で可愛らしく、天然石とビーズのアクセサリなんぞをデザインしたり、おばさま相手にレッスンしたりしているひとで、わたしとはちとタイプが違う。

夢の中のわたしはどうやら一時帰国していて、母親を連れて丸井のような店にいる。そして、たくさんディスプレイされている帽子の中から、ひときわつばの広くておしゃれで真っ白な帽子を、わたしは母にプレゼントしようと思うのである。

ところが、財布(というかポーチ並の大きさ。いま使っているのはジンバブエの札束対応しているため)のなかにはなんと「ジンバブエドル」しかない。じんばぶえ・だらー。ほぼ紙くずです…というわけではないが、日々価値が下がっています。現在、独立当初(1980年)の250万分の一の価値ですな。
そんで、もちろん日本円と換金できるわけでもないし、札束持っていてもたいし価値じゃない。
で、わたしはちょっと焦る。という感じの夢だった。

母の夢を見るとか、ちょっと精神的に落ち込んでいるとか、身体の具合がわるいとかいうとき、母親というものはぴたりと電話をかけてきたりメールをしてきたりする。
そういうものなのかな。


最近、ある方に頂戴した手紙に、似たような感じの「母親のカン」みたいなものが書かれていて、ちょっとびっくりした。
そういうものってあるものなのね。

ふと思ったこと。詳しくは書ききれないけど。しみじみ。

自分が母親になる日のことを考えたりもするけど、そうでなくて良かったと思うときのほうが少し多い。
これから30代なのにね。

2006年12月14日(木)



 たくさんのおめでとうをありがとう。

今日からクラブ・サーティーズに入会しましたくじらです。
どうぞみなさま、よろしくお願いいたします。

哀しみや混乱に沈んだ自分だけど、こんなに精神状態がくたびれていたけれども、とてもすてきなディナーをありがとう。


これから、キャリアの面でもいろんな面でも、どんなことができるかと考えるととっても楽しみです。


よろしくおつきあいくださいまし。

2006年12月13日(水)



 ありがとう。

ありがとう。

わたしのそばにいてくれたり、おめでとうと言ってくれたりしてありがとう。

たまたま近所に住んでいるけど、会えば仲良くしてくれるおじいさんも、誕生日の夜のお食事に誘ってくれる職場のひとたちも。

いつかいつか、わたしはあなた方と離れます。
でも、この瞬間の幸せはほんとうにありがたいと思う。


感謝します。


明日から、30代。


いろんなことが、楽しみです。

2006年12月12日(火)



 こんなにせつない夜に。

ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』をフジコ・ヘミングが奏でると、どうしてかこんなにうつくしくせつなく愛おしくなる。


こんなにせつない夜。哀しい一日だった。
怒り、憎しみ、信頼と裏切り。
思い出、過去。苦しみのなかにいる。

それらが一緒くたになると、ハラレの夜のなかで「せつなさ」と「哀しみ」と混ざり合ってひとつの複雑な色になった。


わたしはいつもあまりに感情的で、一気に駆け上るような感情が自分を支配し、やがて押し潰されそうになる。そうしてたまったあまりにも激しすぎる感情を抑えきれずに、怒り、もがき苦しむ。

でも、この夜の「せつなさ」はあんまり苦しくて、小さな部屋に重たい哀しみが詰まりすぎて、夜が暗すぎて、その空気に触れた瞬間に泣きながら投げ出したくなった。その「怒り」を。「憎しみ」を。この夜にふさわしくないすべてのものを。

泣くものか、と。


必要なことを必要な分量だけ選んで語り伝え、適切な量の時間が満ちたとき、わたしはかばんを取って席を立った。あまりに哀しい仕種だった。
タバコの煙が、灰皿から細く頼りなく立ち上っている。


人生で、このような種類の哀しみとせつなさに出会ったことがあったろうか。深く傷ついていて、心がずたずたで。


あふれんばかりの感情を、そこを離れた瞬間まで抑えていた。
あまりに哀しくて。去り行く車の中から、後ろを振り返った。

やっぱり泣いた。
すごくすごく哀しい涙だった。

夜の街が、流れていって。ハラレの夜のなかで。

2006年12月11日(月)



 あの海を見たい、浦安の。

ほんとうは、ひとりきりの週末、浦安のあの海を見て、海風に吹かれながら甘ったるいフィズでも呑みたいものだ。

よくひとりで座っていた、あの街の端っこの海。
遠く1,000キロ先の小笠原と、そこを訪れるくじらのことを考えながら。

そういう自分を夢想する。
(…というか、酒が呑みたいんかね、こりゃ)


ハラレの日本人が「日本人会の忘年会」などといってはしゃぐころ、わたしはひとりの休日を過ごす。(日本人会というものはキライなのだ。日本人会に入っていないと言うとびっくりされるが、ナゼ?)

日用品を買う。インディゴ・ツリーのオーガニック石鹸。クリックスでシャンプーとコンディショナー。いずれも香りの良いものを店の中で座り込んでまで選び抜く。そして山崎まさよしをがんがんに歌いながらドライブして、カルテックスでガソリンを。
たまりにたまったビール等の空き瓶をお気に入りのかごにつめ、SPARのEMPTY引取り所に持ち込む。1,600ジンバブエドルのリファンドなり。金よりも、数が減ったのがうれしい。(あと何往復しなきゃいけないかは考えない。山のような酒盛りのあとがうちにはあるの…100本?もっと?)

クリーミー・インのバニラ・アイスをひとりぶん買い、ステアーズ・チキンでジャンク・フードを購入し、帰宅後摂取。ミネラル・ウォーターを一気飲み。

おもむろに報告書を書き進め、気が狂ったような午後を過ごしたら、何とか完成の目途がついてきた。バンザーイ。現在約15,000字也。長すぎ。死にそう。あと2,000字は増える予定。ふふ。あとはオチをつければ良しと。
しかし、今日の報告書執筆の勢いはすごかった。クレイジーって感じ。

もう、開き直ったのか、今朝狂ったようにがつんがつんとショパンを弾きながら(ご近所のおばあさま方ゴメンナサイ)泣いたのがこころをすっきりさせたのか、報告書は順調。愛するだーりんさまにもお電話。一瞬、仕事の邪魔した。ハンセイ…。

ともかくやるべし。
日常の細かな物事を。ひとつひとつ、物事を正しい方向に導いていくべし。丁寧に考えるべし。正直言って、裏切りはやはり許せない。そして暴力は、やっぱり許せない。だからわたしはそれなりの決断を下します。


夕方、車をじゃぶじゃぶ洗ってすっきり。田舎道を底をすりながらいったのが、はっきり傷になっているじゃないの。でも、わたしと仲良くしてね、カローラ。ずいぶんわかりあえてきたし。ごしごし。

お気に入りのフラットが、また夕暮れに包まれていく。
全体的に大きくはないけど、メインベッドルームはとても広くて巨大なベッド(三人は眠れる)があって、白いタイル張りのバスルームには小さいけどシャワーのついたバスタブがある。朝には、とてもまぶしい太陽の光が差し込む。
ゲスト・バスルームとシャワールーム、それからゲスト・ベッドルームには感じのいいカーテンとベッド。広いリビングルームは天井が高くて、三角屋根のそのままの形をしている。ここにフジコ・ヘミングがうつくしく響くのである。
そして、レンタルのピアノと、ソファセット、テレビとステレオ、ワインを12本収納できるキャビネやショナ彫刻がある。
キッチンはきれいで機能的、くじら好みのカウンターがついている。そこにはこれまたお気に入りのオレンジ色のゾウさんがいる。(ミクシィの写真参照)

土曜日。
やはりわたしは書くことによって救われ、生かされる。
そして書くときは苦しむ。ことばが降ってくるときも。
だけど、こうするしかない。
そして、アフリカでこうしていることが、何よりもいちばん良い精神状態でいられるのだ。

さ、報告書の最終章です。とても楽しい。ほんとうに。


ときに、日本のショット・バーが恋しくなった。
どこかすてきで落ち着いた小さなショット・バーのカウンターで、とびきり美味くてまろやかなカクテルをいただきたい。


やっぱり酒か。

2006年12月09日(土)



 ジョン・レノンの命日。

何人かのひとが日記などに書いていたので気づく。
ジョン・レノンの命日。

彼のことをとくに好きとか敬愛するとか言えるほど知らないけれど、それでもいくつかの曲がこころのなかで遠いところからひびいた。

1988年のこの日、わたしは家族と一緒に初めて日本を出た。
そして、アラスカ州アンカレジに暮らし始めた。

1996年のこの日、大学二年生のわたしは家を出て横浜でひとり暮らしを始めた。

2006年のこの日、わたしはフジコ・ヘミングを聞きながら、ハラレで報告書を書いている。金曜日の夜。


ずいぶんこころが冷静になってきたし、哀しいかな、冷淡になってきたようにさえ感じている。でも、これが最善と思う。
ひとつずつ、ひとつずつ。おちついて。
泣かないで。

ことばをかけてくれたあなた、ありがとう。ほんとうに感謝する。


ちょっと、冷蔵庫からビールでも出して呑んでしまおうかな。
めずらしく、ひとりで。

2006年12月08日(金)



 危険であるほど冷静に。

少しことが進んで、でも何の解決にもなっていないけれど、すくなくとも月曜日時点よりは落ち着いた。
何人かに話をした。直接利害関係のないひとたち、そして話をきちんとその重さのまま受け止めてくれるひとたちに。

誰も他人の人生の問題は解決できない。

ただこれが、殺人とか、逆恨みとか、わたし自身に対する暴力とかにつながらないようにしなくてはならない。そのためには、冷静に、ほんとうに慎重に対処しなければならない。明らかに、危険にさらされている誰かはいるし、わたし自身もよほど気をつけないと危ない。

そして、真実をつきとめなければいけない。


でも、わたしのこころはやっぱり傷ついた。
何年かのあいだ信じていたことが、裏切られた。それが嘘偽りのかたまりであったなんて、にわかには信じられない。でも、真実をつきとめなければいけないという気持ちになれたわたしは、以前より少し強くなったのかもしれない。

信頼。そして裏切り。

これがどれだけひとのこころを傷つけるかということを知った。
その分だけ、わたしはこのことに向き合わなくてはならない。ひとつひとつの真実を手に取り、選別し、正しいところまで導かなくてはならない。信じていた分、傷ついた分、ほんとうに真剣に、わたしはその作業をしようと思う。
そして辛い選択も、しなくてはならないと思う。わたしだけのためではなく、同じように信じてきた人たちのためにも。


でも、深いところまで関わっては、おそらくいけない。
わたしは、他人の人生に関わることはできない。

そして、誰も助けることなどできない。

2006年12月07日(木)



 これは深刻。

人間不信になりそう。

どこまでが真実でどこまでが嘘なの?
もう誰も信じたくないし、聴きたくもない、という気分。


今日はもうめちゃくちゃ。
わたしの直接の問題ではなくて誰かの問題なのだけれど、それに多少なりとも関わってしまう結果となったわたしは、人生でこれだけ大きな問題を身近なひとが抱えるということになれていなくて、ひとりになったときに何度も泣いてしまった。
そして、いったい何のために泣いているのかわからなくなった。

それで、話をきちんとその重さで受け止めてくれることができ、かつわたしを乱すよけいなことは言わなさそうなひとを思い浮かべて、そのひとに会って話をしてみた。
すこしだけ、自分から冷静に次のことが考えられるようになった。

でも、まだ動揺している。

人間不信になりそう。
一刻も早くなんとかしなくてはならないのに。

苦しくてたまらない。こわくてたまらない。
わたしがためされているのか?

誰か、ほんとうに助けて欲しいかも。

2006年12月04日(月)



 充電するヘミング。

週末を楽しんだけれども、なんだかすっかり草臥れてしまった。

土曜日はアボンデールのショッピングセンターで、ボランティアの人たちが日本祭りなる催し物をやっていたので、顔を出し。
それからタファラに住む職場の人のご自宅にランチに誘われ、ハイデンシティエリアへ。

夜はまた、誰かが去るというのでその追い出し会に。けっこうたくさんのひとたちがいて楽しんだ。いつかこの日のことを懐かしく思うんだろうな、と例によって思いつつ。歌を歌ったり、バーベキューをしたり。

日曜日はショナ語のレッスン。
ちょっぴりがんばったけど、暑いので一時間でダウン。リーディングが少しできるようになったのは面白い。
午後は、昨日のボランティアたちのサッカー観戦。面白い。


むしょうにひとりになりたくなった。

報告書をクレイジーに集中的に書き進め、パワーがなくなりソファでダウン。集中物書き(クレイジー)モードのときはBGMはまたすべてフジコ・ヘミング。わたしはヘミング依存度が異常に高い。

ずっとそればっかりかけて、目を閉じてうとうとしていたら、音楽が身体の中に充電されていくような気がする。何十年も、ひとりでヨーロッパで暮らした感じがする。
そういう錯覚。


2006年12月03日(日)



 12月になる瞬間の。

また、ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』。演奏はフジコ・ヘミング。


12月になった。
いつもこの月はとくべつ。自分の誕生日があるからなのかもしれないけれど、何だかとくべつ。
しんと静かな海の表面を思い浮かべながら、わたしは世界が12月になる瞬間を迎える。毎年、自分のことを考えながら。

この月はいつも、わたしの人生が動く月。
初めて海外に出て米国に暮らすことになった11歳のあのとき。実家を出て独り暮らしをはじめた日。数え始めたらいくつもそんな12月があった。


昨日は、わたしが暮らしているこのヴィレッジのパブで、いつも親しくしている方の70歳のバースデイ。敷地内にパブがあるってとてもよい。ヴィレッジのいつも見かけるメンバーのほか、知らない方もたくさん来ていた。
まぁ、何がすごいってわたし以外は当然みんなシニアなんだけど。

しかし、それぞれが色んな人生をこのジンバブエで送っているのだなとしみじみ思う。古き良きローデシアをいまだに愛している白人たちがほとんど。昨日来ていたとてもたくさんのひとたちの中で、白人でないのはわたしだけだった。

こういう生き方。長い年月。でも、わたしはこのひとたちと触れ合うことができてうれしい。
これもまた、わたしの「12月になる瞬間」なのだ。


みんな、今、同じ時間をこの場所で共有している。

2006年12月01日(金)
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