あふりかくじらノート
あふりかくじら



 ステアーズ・チキンとともに。

ひとりぶんの人生。
ひとりぶんの食事。

今日もまた、かなりショッキングなことがあって、とりあえずオフィスがとても広いひとり部屋で、皆が夕方には帰ってしまうのをいいことに、すみっこにうずくまって泣いてみた。
泣くというのは、けっこう大切な作業だ。
これで、色んなものが身体から抜け出ていく。

世界でたったひとりぼっちのような気がしてしまう、夕方。
ハラレの街が夕暮れていって、わたしは子どもみたいにひざを抱えている。
目を細めたくなるような夕日が、ブラインドの隙間から入り込む。

誰かとシェアすることも大切だけれど、わたしはいつもそうすることによって余計にかき乱されてしまうから、やはり黙っている。
ひとりでいるほうが、気が楽なのだ。


今日も停電。
身体によくないジャンクフードを摂取したくなり、自家発電で営業しているファストフード屋でチキンとチップスを自分の分だけ購入。
ひとりぶんの食事。負け犬の象徴だな、と思ったら、なんだかほんの少しだけ孤独がくっきり際立って、案外すっきりした気分になった。


途中、ムガベ大統領の、ご帰宅の列に遭遇。
派手な青いライトをぐるぐると点灯させた白バイが何台も通り、複数台のパトカーもすごいスピードで通る。
人々は皆、車を停めて脇によけなければならない。
恐ろしいスピードでそばを抜けるパトカーの風圧に、ひやりとした。こわーい!ぶつからないでー!

大統領も、ご帰宅。
あふりかくじら様も、ご帰宅なのである。


あれ、もう9月?

2006年08月31日(木)



 流れる風景、夕暮れる。

ジンバブエに、くっきりとした春が訪れている。
気の早いジャカランダの紫色が、はちきれそうになった枝から次々にあふれ出してくる。
いずれ、ジャカランダ並木が紫色の雲のようなあでやかな花に彩られるのも、もう少しだ。


夕暮れどき。
日が落ちる前に、借りているボルボのキーを回し派手な音のエンジンをかける。
傾いた夕日は、ジンバブエという国をくっきりと映し出している。
ひとりでノラ・ジョーンズを聴きながらアクセルを踏んで、夕暮れどきの光のなか、家々や木々が影を落とすなかを進んでいる。
どこまでも、どこまでも遠くに進んでいる。
いつまでも続く時間であるかのような、この厚みのあるジンバブエの春。ここに溜まった空気の絶妙な重み。

わたしは自分自身の肉体が、この国に根付いてしまったような感覚を覚え、好きなひとのことを考え、散り散りになった色んなことがらを頭の隅にぼんやりと追いやり、車を運転した。


この時間を彼と共有したいと思いながら、一方で、自分だけの肉体と人生の時間がここに吸い込まれている瞬間を、この狭い車の空間を、心地よく思っていた。

流れる風景。
夕暮れていく。

2006年08月30日(水)



 グラディス・ナイト。

R&Bというのだろうか。
パワフルなヴォーカルとうっとりさせるパワーある旋律。

ちょっと気恥ずかしくなるようなメロディアスさは、なんとなく中学生のころ深夜に友だちと行った、アメリカのローラースケート場を思い出す。
あれは80年代の終わり。
少し眠くって、でもちょっと不良っぽいことに少し心を躍らせているのを、なんでもないふりをして。

「ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック」が流行っていた時代だった。ミラーボールがきらきらして、音楽が流れた。
マイケルジャクソンは、まだ白い靴下と肩パットだっただろうか。


グラディス・ナイトのCDをかけている、18年後のジンバブエの夜。
今日は、火曜日。


わたしはどこまで遠くへ来てしまったんだろう。
あの、ローラースケートの日々から。

2006年08月29日(火)



 大きなものを見ている。

小さなことにこだわらずに、大きなものを見るという原点。
そういうところに帰らなくてはならないのだ。


本日も停電。
それでも、落ち着いてこなせばものごとは進むものだし、
人生、悲観しているひまなど無いはずなのだ。


くじら的に、遠くのものを見たい。
大きなものを見ていたい。


そう考えると、いろんなことがそれほど辛くなくなる。
幸せなことが、見えてきたりする。
案外、いい人生を送っているんだなって。


そりゃあ、そうだよね。
アフリカに来たんだもの。

2006年08月28日(月)



 手を出してしまった。

とうとう。いままで必死で避けてきたのに。
見て見ぬふりをしながら、気にしていないふりをしながら。
『負け犬の遠吠え』(酒井順子 著・講談社)である。
もう出版されてから三年が過ぎようとしている。手を出さないようにしていたから。だって読んだら、負け犬決定??なんて。
怖かったけれど、一気に読了。

この三年の間、負け犬予備軍だったわたしはいつしかあと三ヶ月あまりでミ・ソ・ジ。予備軍どころか負け犬株式会社の内定が出ている。
こんなにストレートな言葉で語るこの本は、どれだけの負け犬読者が「まさに自分のことを語っている」と思ったことだろう。
負け犬街道見事にまっしぐらなわたしは、笑ってしまうくらい彼女の負け犬像にぴたりとあてはまる。
今は、二十代半ばのときのようにニッポンのOLをしていないからちょっと違うようなところもあったが、おおむねあたり。
一ページごとに、うぉー、とか、うはー、とか奇声を上げながら読んだ。

うつくしい負け犬代表・向田邦子のようにすてきな女性になれるか。
射手座B型物書き、その他もろもろ驚くくらい彼女と重なるところはあるのだが、如何せん「美人で料理上手」というところだけは、たぶん…いや、きっとわたしも…ということで。
彼女のように独身で過ごすのかしらん。などといいつつ負け犬街道のほんの入り口に立っているわたしは、まだ夢も希望も不安もすべて持っている。

それでも勝ち犬街道を進み行く友を尻目に、結婚や出産という苦労と幸せを想像しながら、一方で、それは自分のことではなくてよかったと安堵している自分がいる。


緒方貞子は、勝ち犬でありキャリアウーマンのトップ。
わたしが心にいつも気にかけている向田さんや緒方さんのことが書かれているなんて皮肉。こんな恐ろしい本を書いた作者に完敗。皆の言わなかったことを一気に代弁するその勇気。

一気読みすべき本のひとつである。
でも、少なくともわたしはいまのところこの本に書かれている教訓に従うべきかとは思っていないが。
それだけ余裕、というわけではないんだけれど。


2006年08月27日(日)



 素直な心。

わがままや、自己中心的なこと、勝手な言い分。
そういうことを口にしてしまう。
でも、それに気づいたときの嫌な気持ちといったらない。

だから、気をつけてひとつひとつ発言するようにしたいと願っている。
落ち着いて、ひとことずつかみしめるように。
その心がけ、そして落ち着いた気持ち、丁寧に慎重にことばを発したいという気持ち。
これを、忘れないように。

大丈夫。大丈夫なのだから。
そして、焦りや怒りに支配されることなくことばを発すれば、それなりに自分をいいところまで持っていける。

すべてがうまくいく、なんてことはありえない。
でも、自分をそれなりにいい場所に持っていくということは、案外可能なのであるから。


ブルグミュラー・25の練習曲の第一曲目は、『素直な心』というタイトルだった。
初めてのピアノの発表会で弾いた曲だ。
あれから、24年近く経った。

『素直な心』は育っているのかな。

2006年08月26日(土)



 フジコ・ヘミング。

また、フジコ・ヘミングを聴くしかない夜。
今日は、精神状態がめためたな感じ。
ちょっと、この狂気に恐怖を感じて、早くこの精神状態から逃げたい。
フジコ・ヘミングを聴くしかない。

わたしは怒ると怖いって、よく言われる。
愛するだーりんにも何度か言われた。
今日、相手がわたしを「怒ると怖い」といった目で見ているのがわかった。
怖いって思われると、話をきいてもらえない。
「怖い」という壁ができる。
だから益々、わたしはやり場のない怒りに苦しんでしまう。
わかっているのに、わかっていない。


怒り、憤り、哀しみ、もどかしさ、悔しさ。
自分で自分の人生を苦しめて、こんな状態になっている。


今日はまだ、なんとか大丈夫なのかな。あまりの感情の強さに、頭が痛くてほんとうにくらくらしてしまった。
でも、これだったらまだ、きっと生きていけるんだろう。

ひとりで、フジコ・ヘミングさえ聴けば。
誰にも電話なんてすることもなく。


いろんなことを抱えすぎ。

2006年08月25日(金)



 心をこめて。

愛するひとがいることってとても幸せと思う。
単純に、とても。


だからその気持ちだけを伝えたい。


何の期待も、誤解も、将来も、仕事も、生き方も、倫理も、距離も、辛さもない。
そこには、相手を思う気持ちだけがあることを。
わたしと、相手だけがあることを。


それだけのこと。


だから、今日書いたメールは、
とても素直に心をこめました。

2006年08月24日(木)



 くじらの物書き病。

スカイプにはまっている。
彼と長電話した。
彼の仕事の話をしていて、そのファイルまで送ってもらった。
こちらのネットはダイヤルアップでたった52kという頼りなさ。1MBのファイルを送るのに何分かかったかわからないが、ともかくスカイプは良い。


ところで、だーりんとお話をしていて、今日何となく言い得て妙とでも言えるような表現を見つけた。昨日も書いていたが、わたしがときどきおそわれることばの嵐。
これを、物書き病と言う。

趣味、というのでもないし、書くのが好きなんていう単純なものではもちろんない。むしろ書くのが苦しい。でも書かないともっと苦しいので書く。気がふれそうになる。こんな感じ。
やっぱり、「書く病気」なんだろうな。これがしっくりくる。

報告書をMSワードで開きながら、メルマガやえんぴつ(これ)、メールなども同時に立ち上げている。それから自分の日記代わりにしている本物の「あふりかくじらノート」も必ずそばにおいている。
あらゆる種類のことばが降ってくるからだ。
そして今回は、次の報告書の下案まで作りながら書いている。突然思いつくからだ。頭が回転しているときってそうだ。

そういえば、高校生のときも試験期間中がいちばん小説のネタが浮かんでいた。あれはきつかった。受験のときもそう。

しかしわたしは、この病が嫌いではない。
むしろ、こんな自分でとてもよかったと思っている。死ぬまで、書くことが尽きない。


今日は、おもむろにサザをこねた。
BGMはクイーン。Can anybody find me somebody to love♪
サザ写真はブログ

2006年08月19日(土)



 ぬし、近づくなや。

今日のわたしには近づかないでくれ。

悪くもない人たちに、たくさん悪態をついた。

売っている中古車を見せに来てくれた男性が、その値段は出せないとこちらが言ったのに対し、出せるでしょ〜みたいなことを言った瞬間切れた。
走行距離が12万キロでその値段(約13,000米ドル・パジェロイオ1999年)は高いと言ったら、メーターはいじっていないよーだからいいじゃん、などとポイントのずれたことを言われ、さらにしつこくて、切れた。

電話がかかってきて、日本はいつお金をくれるんだといわれ、丁寧に説明するにもかかわらず引き下がってくれなくて、機嫌を悪くした。

日本から車を輸出してくれる店のコンテナ船が、月曜日までに購入決定しないと間に合わないということを教えてくれた職場の人に、冷たい対応をした。(はい、どうも!とだけはき捨てて電話を切った)
とても購入決定できる見込みはない。

夕べたずねた中古車屋で、人々が話を聞かずにしゃべりだしたため、話を聴けと怒鳴った。

修理を頼んでいたギザー(給湯器)が帰宅しても直っておらず、修理屋に電話したところ、理解力のない男で何度も「意味がわからない」と言われたため切れた。
さらに、月曜日にもう一回行くからと言われたところで、月曜日までシャワー無しで過ごせというんかい!と言って切れた。
わたしは水シャワーを浴びる。気温は低い。

基本的にわたしは、聞き返すときに耳を近づけてくる人間(日本人に多い)を、そのまま耳ごと力いっぱいひっぱたいてやりたいくらい徹底的に嫌悪する。


このほかにもきっと、わたしは色々と嫌なことをしている。
なんでだろう。

車を買えないストレスがいちばん大きいのかもしれない。
これはかなりきている。ぜいたくなのだろうけれど、苦しくて仕方がない。


宇野千代の本を読んで、わたしは「気にしない」ということを覚えたにもかかわらず、それができている大きな部分(仕事とか、恋愛とか)が出てくると、できない小さな部分(日常のこと)もまた別のところで出てくる。
こういう怒りのパワーはほんとうに無駄だ。
そして、あとから実に嫌な気分が襲ってくる。くだらなくて、情けなくって、ほんとうに逃げ出したいくらいな気持ちになる。この気持ちだけは、ほんとうに救いがたい。


どうしたんだろう。
神経が研ぎ澄まされ、高ぶっている。触れるとばちっとくる。

書いているときは精神状態が高揚している。報告書を書いているからというのもある。物書きは苦しくって、それでも毒されたように、熱にうなされたようにやめられない。
そうすると、他に気が回らなくなる。どんどん言葉が降ってくる。報告書用だけでなく、ありとあらゆる分野のものが。気がふれてしまいそうなくらい。


彼から電話がなかった。
日本は、暑いんだろうな。そして、もうたっぷりとした夏の夜の中で眠ってしまったんだろうな。彼の時間を思う。午前三時。
考えすぎてはいけないことまで、考えてしまう。いけない傾向だ。


ひき肉を解凍して、もやし(たまにスーパーに売っている)と炒める。
今夜は停電がない。
誰も近づかないでくれ。



『冬のソナタ』を観もせずに端から馬鹿にするような人間を、わたしは軽蔑する。
これは本文とは関係がない。

2006年08月18日(金)



 サイレント・アニバーサリー。

一年前の今日、初めてジンバブエという国に参りました。
今日で一年。早いものです。

何が変わったか。
自分の中で、まだまだ始まったばかりに過ぎないジンバブエ・ライフは、これからどうなるのだろう。何年暮らしても、わたしには足りません。まだまだこれからなのです。

ここにはいくらでも学ぶべきことがある。
心の底から、自分とつながりの深いこの国にやってきてほんとうによかったと思う。


たったひとりですけれども、ひそかに自分の中で。
サイレント・アニバーサリー。

2006年08月17日(木)



 穏やかでアクティブな日々。

連休最終日の朝は少々早め。
午前中のお日様の光とともに、白い車を昨日とは違う方向へ借り出す。
アボンデールに常設のマーケットがあるので、そこを散策。

さっさと帰宅してPCに向かい、仕事の残りに精を出そうと思っていたが、日本から来ている某NGOの方(ジンバブエにいて彼らを知らない人間はもぐりであると断言する)がお電話を下さり、お昼ご飯にお邪魔することにした。

自分のお話もたくさん聴いていただき、充実した休日となる。
お日様は少し傾き、それでもほんとうにきらきらと輝いてうつくしい。
庭のスプリンクラーが太陽の光をうつくしく捉え、日は落ちる。


PCに向かうときの、この陶酔したような感じが心地よく、わたしはいくらでも筆が進む(キーが進む?)状態である。最近、小説というものはあまり書かなくなったけれど、あのときの感覚にも似ている。ジンバブエはともかく、書くべき材料が無限にある。

こういうとき、夕飯も手際よくできるというのはなぜだろう。

明日から(明日も?)仕事。
銀行へ行って、さっさと旧札を新札に換えてしまわないとやばい。

日本では、終戦記念日である。

2006年08月15日(火)



 ガーリック・ミックス。

すごく大粒のガーリックは気持ちがいいくらい自己主張する。手のひらに収まったその重みが愛おしくて、無性に行正り香さんの料理の本にあるガーリック・ミックスをつくりたくてたまらなくなった。

ちょうど唐辛子の輪切りをいただいたのが一袋まるまる残っていたから、それを利用。こういう日本っぽい感じのものは、ここでは貴重。

特大のふてぶてしいガーリックは、愛と憎しみをこめながら一粒ずつ向き、フードプロセッサはないので、お気に入りのヘンケルスの果物ナイフで細かく刻む。切れ味が良い。さく、さく。
細かく刻んだガーリックを、たっぷりのオリーブオイルに浸し、唐辛子の輪切りをぱらぱら。ビンの中に、香りがこもる。いい感じ。

ガーリック・ミックスができあがると、さっそく行正り香さんの『19時からごはん』のレシピに則り、パスタを茹でてアーリオ・オーリオを製作。いい感じ。
この本は、短い時間でとても簡単に、しかもコンロひとつでできるようなメニューが乗っていてとても重宝している。(わたしのキッチンには電気コンロが四つあるが)
いままで買った料理本でいちばん利用している料理本だ。和食で手に入りにくい材料もあるが、基本的に難しいことは何もない。しかも、行正さんのお人柄がわかる短いエッセイも雰囲気がよく、写真がきれい。

ゆったりした連休で買い物に行く時間があったため、食材もそれなりにそろっている。冷蔵庫。
今夜は、同じ本にある豆カレーをつくるつもり。豆を下準備(味のついていない水煮缶は、わたしの知る限りここには売ってないため)。

一方で、仕事のほうも調子が良い。
持ち帰り仕事をたっぷりテーブルに並べているのだが、頭を無理やり回転させるといろんなアイディアが浮かぶ。急遽、資料も何もなしに頭の中にあることだけで報告書の下書きを始めたら、すらすら進む。
いい休日だ。

今朝は、彼に電話。
彼も、とてもとても忙しかった日々に一区切り付け、ちょっとお休み中。とても良いことだ。

ガーリック・ミックスの週末。

2006年08月13日(日)



 広い、広い。

ハラレの中心部から車で約30分もいったところ。
パトリック・マブロスの店とアトリエとすてきな家がある。
シルバー細工のお店である。

ハラレも少し都市部の外へ出ると、もうなだらかな丘が広がったうつくしい風景が広がっている。そこに、パトリックさんのお店はある。
どこまでも続く大地を眺める高台の上にあるその店は、大きなピクチャー・ウィンドウに縁取られたアフリカの大地を贅沢に自分だけのものにしている。
(実際、かなり広大な土地がパトリックさんのものらしい)

職場の人たちとそこを訪れたのは二回目。
うつくしい風景の中で、たくさんのシルバー細工がとてもエレガントな感じ。親切なパトリックさんは、色々と話をしてくれたり、飲みものを出してくれたり、工房を見せてくれたり。

大きなオフロード用のバイクの後ろに乗せてくれた。
もちろん、近くにいるシマウマや何かを見に行くためである。首都からこんなに近くても、野生動物は意外といるのだ。もちろん、こんなの観るのは初めて。

広くって、アフリカのにおいがむんむんする。

詳細は、メルマガにて。


2006年08月12日(土)



 空。

でっかくてうつくしい、アフリカの夕日といった風情の夕暮れどきの空は、いつもわたしのこころをしんとした気持ちで満たす。
大きなアフリカに向かい合っている、そんな感じ。
こんな都市部でも、だ。


夜、月明かりがあまりにもまぶしくってちょっとびっくりすることもある。
とくに、ほぼ毎日ある計画停電にやれやれと思いながら車をとめ、ガレージを開けようとするとき。そこに自分の影がくっきり照らし出される。月の光って、何かの静かで力強いパワーがある。
それから、満天の星。天の川。


政治も経済も大波乱なこの国で、人々は生きている。
スキルのある人は、より良い給料を求めて国外へ出て行くひとが多い。それでも、お日様は毎日昇るし、畑では農作物が生産されねばならない。
わたしは第三国の人間として、誰よりもこの国にいることをすばらしく感じている。だからバスに乗る。街を歩く。イモムシ(つまりマドラ)だってゾンドだって、やっぱり食べてみる。メイズをかき回してサザを作る。
そうすると、この空からわたしのなかに満たされたものと、わたしの身体や意識みたいなものが、この場所になじむのだ。
そしてわたしは、この国を離れたくなくなる。


だから、わたしはわたしに与えられた毎日にきっちり取り組むだけ。
それだけで、充実する。ここにいるわたしには、気持ちの矛盾がない。焦りもない。

空を見上げて。



2006年08月10日(木)



 ぼるっち。

ぼるしちではない。
ボルボである。VOLVO。

このわたしがボルボに乗るとは身に余るというか恐れ多いというか、ともあれなんとなく落ち着かないのである。
しかし、車がないので、自分の不在中、一ヶ月の間車を貸してくれるという職場の方のご好意に甘え、恐る恐るではあるがボルボに乗ってアクセルを吹かしているのである。
こんな車初めて。(革張りの内装…ウッド仕様…うへー)
周囲にヤン車と言われた。

ボルボという車は、他の外国製の車のように、一般的な日本車と違ったつくりをしているらしく、ともかくエンジン音が派手である。
エンジンからマフラーへの接続が違うだかなんだか知らないが、ともかくエンジンをかけたら、ぶふぉおおおおろろろん…っ!!である。
アクセルを吹かしたら、ぶぅををおおおおおおんっ!!である。
なんてすごいんだ。わくわくしてしまう自分をはじめて発見して、危険な香り。

愛称ぼるっち。俗名ぼぼぼぼるぼ。
(「んぼぼぼ」みたい。メルマガ参照)

最初は恐る恐るだったが、通勤と買い物に使って何日も経った今ではずいぶん身体になじんできたようだ。アクセルの踏み方、カーブの重たい安定感。
最初は重たすぎたハンドル操作も、いまではずいぶんスムーズになってきた。軽やかなのではなく、ボルボは「ずっしりした安定感」な感じがする。そのくせ、パワーはあるのでスピードは出る。
乗せてもらう、運転する、というよりも、身体との一体感を感じられるように、少しずつ息遣いを近づけていくのだ。

こんな身に余るものでも、こうするより他に選択肢がないと思ってぐっと腹に力を入れトライし続ければ、なじんでくるのである。


仕事も最近エンジンがかかってきた感じで、その状態を保っている。
今日、かなり頭に来ることがあって一瞬爆発したが、これは仕事上で十分切り抜けられることだと思い、自分を何となくうまく納得させることができた。いままでは、怒りの逃げ場がなかったが、今回は、怒りの逃げ場が仕事上にあるということに気づいた。全力で仕事に向かえばいいのである。そうすれば、道は開ける。
エンジンは派手で重低音。安定した走りと重たさ。着実なパワー。

こういう仕事のやり方を、キープしたいものである。

2006年08月07日(月)



 ほんのちょっとの加減。

うれしい電話あり。
そんな数分だけで、一日が幸せな感じになる。

そういうふうに話せること。
前向きに生きることについて。


仕事が、油に乗っているような感じがしている。
いままでにない感覚で、物事が自分の思う方に滑っていく。
そんな時期。

ひとつひとつのことに全力で向かう。
メリハリをつける。だらだらとしない。


うれしい電話で、パワーをもらったから。
そして、遠くのあのひとも応援できる。


いい気分のまま、眠ろう。(パブ論飲んで)


2006年08月04日(金)



 スコットランド、質感。

スコットランドの北のほうの島。
あの場所を訪ねたときの、あの色を忘れない。

とても遠くて淋しくて、
そして静かな静かなブルーグレー。
たったひとり見つめるあの淋しく素朴でうつくしい色。
身体に沁みこむような、その空気の感触。


あの、「千と千尋の神隠し」の
ひたすらまっすぐな電車がすべる水と空の色。
その静けさ。


そんな色と空気の質感が
わたしの身体に沈み込んでいて、
今夜はしんと遠くて淋しい気持ち。

いますぐにでも、
たったひとりでスコットランドに戻りたいような。



わたしは、わたしの問題だけでせいいっぱい。


多くを求めているけれど、
夢みたいな話ってわかっている。


泣きたい夜には、泣くことにした。
だって、けっきょくがんばらなくてはならないんだもの。

わたしはわたしひとりだけで、
あの海を見つめているから。

2006年08月03日(木)



 ゼロを切り落とす。

インフレ率(年率)1200%到達を目前に控えたジンバブエドル。
なんと、ゼロを三つ切り落とすとのこと。
それも、21日間だけの移行期間をもって、一気に。

経済は大混乱するでしょう。
詳細はブログ

どうなるんだか。



2006年08月01日(火)
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