あふりかくじらノート
あふりかくじら



 良い夜だった。

いつのころからか、わたしはどこか冷めた気持ちで一歩引いて他人とつきあうようになった。
多くを求めなくなったのは、自分の思いが他人にすべて伝わるわけがないと見越して、そのことで傷つくのを避けるためだったのかもしれない。

それから、すべてを語ることを億劫がる気持ちも少なからずある。
理解されずに傷つくのなら、最初から言わないほうがいい。
そう思ったのだろうと思う。

そうすると、苦手な人間とか、価値観が百八十度違った人間などと、そつなく平和に付き合うことができる。語らないからだ。
ときに、そのことに全く気づかれない。表面的には、わたしは上手に他人に合わせることもできるのかもしれない。

でも、それは淋しいことでもある。
もちろん、生きるためには仕方のないことと思ってはいるけれど。

彼に、この「あふりかくじらノート」で語るわたしは、いつものわたしとぜんぜん違うと言われた。
彼には素直に語っているつもりなのだけれど、ここで見せる顔は違うのかな。面と向かって言いにくいこともあるし。

それでも今日は、とても久しぶりに安堵する時間が持てたと思う。
日本からいつもお世話になっているひと(レジナルドの友だち)がきて、レジナルドと妹のアンジェラと共に、ビールを呑んだ。
気のおけない仲間と純粋に楽しんで、冗談を言って笑った。
何のしがらみもない。仕事も嘘も、表裏もない。
そういうのって、じつに久しぶりだった。なかなかないことだったと気づいた。身体の力が抜け、自由だった。


良い夜だった。
ほんとうに。

2006年07月31日(月)



 幸福、誰かの。

結婚後二年、子どもが欲しいと願っていた友人に、ちいさな命が授かったということを知り、心からうれしく思いました。
ほんとうに、幸せなのだと。

自分はここジンバブエで、胸がぎゅうっと掴まれる気持ちになりました。
すごく痛くて、涙がこぼれそうでした。
他人の幸せに戸惑い、どうしようもなく重みを身体に感じながら。

あるひとが、人生におけるセカンドベストという選択肢もあるということで、それでも、キャリアを選ぶということを書いていました。
不安、孤独。いろいろあります。

いま、自分の仕事がいちばんたいせつなのかもしれません。
やっと得られた自分の場所であり、何年も経てやっと踏み出した大切な一歩です。理解されないこと、理不尽なことはしょっちゅうですが、ジンバブエにいることが楽しくてしかたなく、この場所、つまりこの職場・国にいるということに何の疑問も矛盾も感じません。
疑問と矛盾だらけで苦しかったいままでには、なかったことなのです。
やっと、自分の生き方に合致する場所にくるというところまでこぎつけた。
そして、この仕事をすることが、楽しくて仕方がありません。休日まで出勤して作業しているくらいです。
仕事と好きなことの区別が、ほとんどつかないのです。だから夢中でやる。


強くなりました。
いろんなことがあって。

でもそのぶん、ひとを傷つけます。
そして自分もたくさん傷を受けて、血を流しながら、それでもディープブルーの深い海を静かに確実に泳いでいくのです。
自分の、自分だけの目的のために。

わたしは、わがままなのでしょう。
たくさんの人に思われ、支えられ、それでも彼らを傷つけ、他人を傷つけ、そして自分は自分の人生を踏み固めていく。絶対にあきらめることなく。

生への執着心は強く、しぶとく、地を這ってでもひとりで生きていくとすら思っている。そんな頑固で自己中心的な人間なのです。
こうしてわたしは生きてきたし、それは変えられるものではないと思う。そして、誰にも踏み込まれたくない。だからひとりでいたい。


誰かの幸せが、自分の幸せだったらいいのにと願うことがなくはありませんが、心のなかで、ああ、これは誰かの人生なんだからよかった、自分がこの道を選択したのではないと、どこか安堵している自分がいるのです。
重たく傷つきながら。一方で、アフリカにいるということで充足している自分の精神状態を知りながら。


こうして、大切なあのひとの気持ちも傷つけている。
でも、そこに人生の解答はないのです。わたしは、わたしの道を行くだけです。


「風に立つライオン」という曲を聴いて涙をこぼしたことがありましたが、そんなに格好の良いものではなく、わたしはひとに優しくもありません。


でも、うれしいのです。
友人に、幸せが来たことが。
そして、やさしい気持ちで、心からおめでとうと言える。

わたしは、そのような幸福と同質の幸せから、とても違ったところにいますが。

2006年07月29日(土)



 停電の星空。

真っ暗。

ほんとうに暗くなると、満天の星がほんとうにきらびやかで、神秘的。
静かな気持ちになる。

数え切れないくらいの星たち、ちいさな輝きまでたくさん見える。
銀河っていうところのなかにいるのだな。
それから煙るような天の川。


小さなことにこだわらなくなった。

大きく考えれば、わたしはわたしの人生を歩み、好きなことをしている。そして、ジンバブエにいることで充実してきている。


計画停電の夜に。

2006年07月27日(木)



 ジャカランダが、めぐる。

前向き。
自分の生き方と自分の仕事だけ。

目の前にある仕事に精一杯取り組むこと。
百人の敵に微笑むこと。


オフィスの机を片付けたり、気になっていた書類の山をきっちり整理して入らないものを廃棄したり。
そしたらずいぶん調子が出てきた。ひとつひとつをきっちりこなす。
そうすることで、自分自身の仕事が見えてくる。
やるべきことが、別の方向から進んでいくのだ。

ここへ来て、一年近くが過ぎようとしている今、やっと物事が自分の思い描く方向に回転しはじめてきたように思う。これからだ。
わたしはわたしのやっていることを信じている。

というわけで、来週からは色々とアポを入れた。
テーマは、現場を見る。できるだけたくさんのひとと会い、できるだけたくさんの、ミクロレベルのものごとを見る。人々とコミュニケーションをとる。

それが、ここに暮らしている強み。

あとひと月ほどもすれば、きっとハラレは紫色のジャカランダが咲き誇るであろう。
そして季節が巡る。

2006年07月26日(水)



 心地の良い音。

心地の良い音。

小気味の良い、嫌味じゃないヒールの音。
キーボードを叩き文字を綴る音。
手紙をていねいに開く音。

ピアノの音。

フジコ・ヘミング。
彼女のピアノが、これほどまでも、わたしの心に染み込んでまで癒すとは気づかなかった。どんなに救いようのない精神状態のときでも、彼女のピアノだけが受け入れられる。

わたしだけの。心の中のお話。


湯が沸く音がする。
お茶を淹れよう。

2006年07月25日(火)



 土曜日の昼下がりに。

車がないことはストレスだ。
最近特に、そう思う。

ひとに乗せてもらうことばかりで、肩身が狭いといえば狭い。
もともとひとりでどこかへ出かけたり旅に出たりするたちだから、週末ともなればなおさらひとりになりたい。

だから、いつもはRAV4をお供にただ広いお天気の良い大地を駆け抜けていた。それがいまとなればかなわない。もっともカレ(=RAV4)が身を挺してわたしの命を救ってくれたと思えば、それはほんとうにありがたい。
だからカレのことをときどき思い出しながら、心から感謝をしている。

しかし、誰かに乗せてもらうということ自体がとても億劫になってきたということを言ってしまえば単なるわがままなのかもしれないが、とくにこれだけお天気の良いひだと、わたしはひとりでジンバブエと向き合いたくなるわけで。


そろそろ買い物にも行かないと、新鮮な食料もない。
やはり車を購入せねばならない。
運転すること自体は好きなのだから。
そして、遠くへ行くんだ。


でも今日は、ひさびさに山崎まさよしを聴き、歌いながらバスタブにつかる。それからおもむろにピアノに向かい、ショパンとドビュッシーとリストの旋律に戯れる。自由に弾く。
がつんと力強く、情緒たっぷりにやわらかく。気がふれてしまいそうに。

彼(=人間)から電話。
スカイプはやっぱりいい。こちらのネット回線は細いからたまに調子が悪いときがあるが、それでもまともに国際電話をかけるよりはだいぶん安上がりだ。


ずいぶん、強くなったような気もする。
わたしはいま、未知数の大きな敵に向き合っている。
わたしはわたしのしていることをきちんとわかっている。だから、それが余計な口出しに過ぎないのであったら、軽い気持ちでわたしに向かって、わたしの人生に向かって忠告しないで欲しい。
わたしの覚悟は、決まっている。それがどの方向へ進むのであれ、わたしはわたしの運転する方向を知っている。



2006年07月21日(金)



 くじらのように、海のなかを。

ただよう。


わたしは小さくてもろくて、
それでいて腹の底にずんとしたふてぶてしさに近いものを抱えている。


怒り。
涙。
狂気。

この繰り返し。


わたしはスマートに人生を送るのではなく、
やはり力で押すのだろう。


理不尽な出来事も、
悪意や敵意を持った人間に対しても、
相手のせいで死すら直面するところだった事故を
自分のせいにさせられたとしても、

わたしは、壊れて負けはしないだろう。
断固として、敵を叩き潰すまで進むだろう。


ただよう。

何トンもの重圧のなか、
深い深い青を、ざとうくじらのように。



2006年07月19日(水)



 戦闘タイプのくじら。

自分は戦闘タイプだからと冗談めかして言うこともあるが、実際わたしは、ナメック星人ではないが、救いようのないくらい戦闘タイプだろう。
要するに、気に入らなければ他人を攻撃することはなはだしい。気が短いといえばそれだけなのだが、自分の正義が通らなければ気が済まず、またプライドが高いため、それを傷つけられたと感じるや否や、相手をひどい勢いでなじる。徹底的に攻撃する。そしてあまりにも口が悪い。ときに、怒りで眠れないくらいになる。何度壁を殴ったことかわからない。
ここまで自分で冷静に分析できているというのに、やっぱりこのパターンだ。

一方、彼は怒らない。
よほどのことがない限り、怒りをマイナスの感情と捉えて怒ることがない。
いつも穏やかで、すでに感情がコントロールできている。その場に立ち止まることがない。だからわたしからみれば、彼はいつも自分の人生を先に進めるのがとてもうまいように思う。

このことは以前にも書いたが、怒りを越えてすでに先を見ているその感情コントロールのやりかたのうまさはわたしにないもので、これでわたしは損をしているように思うし、彼を見習いたいと常々思っている。
どちらかというとわたしは、怒りとか感情とか、力で押していくタイプだからだ。そうして、実際にわたしは自分の身を守ってきた。守ってくれる組織がなかったというのもある。

最近は、自分の交通事故だけでなく友人の交通事故など多くのことがあり、はっきり言って頭にくることも多いしストレスが溜まる。
それでもやっぱり、この怒りの感情で、わたしは自分の身を守り、進んでいくのかもしれない。事故の後始末も、自分の人生も。

NHKのインタビューに答えた緒方貞子は、自分を前進させてきた力の源とは何かとの問いに、それは「怒り」であると言った。
難民、国内避難民。
ここジンバブエでも、政府の人為的な政策により家々や仕事を失った人々が何十万人といる。

仕事でも事故のことでも、くだらない人間への怒りというよりも、そういうものに対する高尚な怒りを、わたしは身につけたいと願っている。

2006年07月16日(日)



 ハラレのスコットランド。

ハラレ・ガーデンからバグパイプの音色が聴こえる。

スコットランドで毎日のように流れてきた、「スコットランド・ザ・ブレイブ」の旋律だ。たどたどしいけれど、あの力強いメロディを誰かがいっしょうけんめい練習している。

思わず、オフィスの窓を大きく開けた。ハラレのすこし排気ガスの混ざったアフリカ都市特有のにおいが風にのって入ってくる。
日本にいると、いつもどこか、心の中にストレスと焦りのようなものが錘のようにのしかかっている。

アフリカにいることで、それがおどろくくらいふっと取れる。いちばん正しい精神状態になる。疑問も何もない。自分の居場所。
だからわたしはジンバブエに戻る。


窓から入ってくるエディンバラ大学にいたころの音。
それがハラレノ空気に混じる。


わたしはハラレに戻った。
ひとり、新しい生き方に踏み出す。


2006年07月14日(金)



 ヒールの高い靴を。

いつからだったか、170cmの自分の背丈を男性に対して引け目に感じることなく、ヒールの高い靴を好きなだけ遠慮なく履くことができるようになった。
男っぽいファッションをしていたのが、思いっきりきれいな服やかわいらしい服を選ぶようになった。
自分の好きなファッションって、なんて気分がいいのだろうと思いながら服を変えるようになれるまで、「若かりし」わたしは、とても時間がかかっていた記憶がある。

なんてことを思い出したりしながら。
「イン・ハー・シューズ」というキャメロン・ディアスの映画を借りてきて観る。

弁護士の姉と、正反対な妹のお話ということで、以前から観たかった映画。何となく軽いものを想像していたのだがずいぶんと心を動かすような気持ちになったので書いておく。

ともかく、靴のエピソードは比喩的に描かれていたが、魅力的に思えた。
そして、妹マギーが行き着くいわゆるリタイアメント・ホームの魅力。


わたしは現在、ハラレでこの映画と似たようなリタイアメント・ホームに暮らしている、とっても目立つ外国人の若い女の子、である。
パブがあって、多くのご老人とお友だちになれた。
この映画のように、彼らは人生をエンジョイし、ときに恋をしたりする。日本で高齢者福祉を志していたときには、グループホームで仕事をしたりしたこともあった。
なんとなく、マギーの生き方をほんの少しだけ自分に重ね合わせながら、すてきな姉妹の物語にとても魅せられていた。

わたしには姉妹はいないが、活き活きとしたご老人の世界に一緒に住むことは、とってもエキサイティングで魅力的で、ときにほんとうに心に染み入ることなのだと書いておきたい。



2006年07月04日(火)



 毅然とした態度で。

日陰の女になるのが嫌ならば、しっかりと「毅然とした態度」で臨め、ということばが書いてあった。
まぐまぐの某人気メルマガである。(大抵ティーン向けっぽいのだが、ときに胸に届くことばもある)

毅然とした態度。
自分の人生を生きている、芯のある態度。

仕事、恋愛、自分とのつきあい。
だんだん焦ることだけではなくて、自分を認め楽しむこともできるようになってきたような気もする。

それだけ、自分の芯を多少は鍛えられてきた・・・のかもしれない。

色んな、心に重たいことがあったとしても、わたしはわたしの人生を楽しんでいる。

2006年07月03日(月)



 誰かが事故にあった場合。

5月に交通事故に遭って以来、気付いたことがある。

まず、周囲のひとの反応の違い。
ものすごく心配してくれるひと。けっこうたくさんいてくれて、申し訳ないくらいでうれしく思った。人間の温かさも知った。
これは、親しい親しくないに関係がなかった。他人の優しさに、なんども涙が出た。

それから、事故自慢をする人間が結構いる。
自分もこんな事故に遭った、こういうこともあった。
これは、こちら側もすんなり受け入れられる場合と非常に悲しい気持ちにさせられる場合があった。
でも、たいていの場合、はっきり言って精神的にかなり不安定なときには、他人の事故の話がききたいのではなく、自分の恐怖について語りたいのである。ここをわかってほしいと思った場面があった。
本当にわたしの気持ちを癒してくれようと語ってくれているひとはちゃあんとすぐわかるしありがたく思う。すんなり受け入れられる。
でも、そうじゃないひともいる。なんだ、あんたも語りたいだけか、と思って、ますます心が辛くなるだけだった。

ことをずいぶん軽く受け止め笑い飛ばしたひともいた。
恐ろしい人間だと思いぞっとした。そして、等しく傷ついた。
わたしだったら、どんなに嫌いな人であれ、あんな事故に遭ったときいたら非常に心配をするだろう。そして生きていたことに胸をなでおろすだろう。

それから、メルマガやサイト・ブログ等を見ているひとと見ていないひとがよくわかった。これはまた、親しさなどに関係が無く、見ない人間はみない。そう思うと、サイトを6年間継続しているこの事実がちょっぴりむなしくなる。見るね、と言ってくれたときのことなどは、こちらは鮮明に覚えているからだ。
その代わり、直接知らないひとでも、きちんと見てくれているひとがいるのだとうれしくなった。温かいおことばもいただいた。

こういうことも、心に積み重なっている。
少しだけ、人生を客観的に見ているような気が、しなくもない。


車のヘッドライトが怖い。
左手の傷も痛むし、ドトールのミラノ・サンドもかじりつくことができない。


それでも、あのときこの傷を見て、ああ、よかった、神様ありがとう、と思った自分のことを思い出す。これだけで済みました、と。

2006年07月02日(日)



 大切なひと。

七月である。
日本では蒸し暑い夏の始まり。
ハラレでは、ひんやりと冷え込む息の白い冬。


今日考えたことを書こう。

わたしにとって大切なひと。
恋人と、家族と、友人、それから師匠とか。
わたしはほんとうに恵まれていると幸せを感じながら、今日は大切なひとと大切なお話をする。

結婚とはいちばん好きなひとの前でいちばん嫌な女になってしまうこと、ということばは某女性作家のことばであるが、結婚はしていないまでも、好きなひとの前で好きなほどブスになっていく自分というのはわかる。
恋はたいがい、うつくしくない場面ばかりでなりたっている。その合間に、ちょこっとすてきなロマンチックさが挟まっているくらいが、人間らしくてちょうどいい。

時間が経てば経つほど、わたしはどんどん変わっていく。
自分自身の人生が少しずつ積み重なり織り上げられると、それをすべて愛する誰かとシェアしようという欲望がなんだか薄れている。
それでも、シェアできる部分の存在にうれしくなれる。

だからわたしは、幸せなのだろう。


『トスカーナの休日』という映画を観た。

2006年07月01日(土)
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