あふりかくじらノート
あふりかくじら



 ひとつのチャンス。

某教授がジンバブエを一週間ほど訪問され、そのことでいろいろとアポイントメントを取ったり、フィールドについていったりと、わたしも一緒に盛りだくさんの時間を送り、得るものがけっこうあったと思う。

それで、たまたま偶然だけれども、その某教授の教える大学院で通信講座の修士課程コースをとっているひとがいることを知った。
わたしの知っているひとだった。

ささやかながら、急遽電話をかけた。
某教授がいらしてます、よかったら、会わない?

遠いところ二つ返事で張り切って出てきた彼は、やっぱりわたしの想像通りちょっとだけ行き詰っていた。やっぱり遠い国にいて、なかなか通信講座の修士というのは厳しい。余計なお世話になるんじゃないかと心配したけど、先生と一緒に食事をしながら研究テーマのこと、論文の進め方のこと、先生の良くご存知の(大御所なので)いろんな国のことについて話を聞いたあと、彼はけっこう晴れ晴れとした顔をしていたような気がする。
相談できるひとって、やっぱりそばにいて欲しいものね。

わたしもいろんなひとに助けてもらった。

彼は、家が遠くて帰れないので彼の仲間の家に泊めてもらうことになったけど、それでも、先生にこんな遠い土地で会えるとは、とても貴重な機会だと思う。
わたしだって、いろんなことを学んだ。

よかったね。不思議なめぐり合わせ。
でも、チャンスはすぐにつかまなくてはならないもの。
ほんの、その一瞬だけ見えるもの。

先生は、明日の飛行機でハラレを発つ。

2006年02月27日(月)



 ぼんやり。

たいてい、週末なんてぼんやりしていたいのだけれども、
昨日のフィールド訪問のことでいろいろと思いをめぐらせて
なんだかまとまらない。

アマゾンで買った本が、7冊。
ベッドサイドに積み上げたり、ベッドに並べたりして
眺めてみた。
その中から、『古道具 中野商店』(川上弘美著・新潮社)
表紙の紙質とてざわりがよく、活字の感じも良かったので、
これを手にとり読み始めた。


夕べ、とうとう入手してしまった『ラブアクチュアリー』
エンドレスで流し、きゅんっとした。
ひとりで。

ひとりで観るもんじゃないのにさ。
とくに、だーりんが遠くにいるひとは。

やれやれ。そんな精神状態。
おもむろに、昨日のことをメルマガに書き始める。


2006年02月26日(日)



 ディープなアフリカ。

今日は、ジンバブエに来て
いちばんエキサイティングな日だったのだと思う。

Chikomba地区のMasasaというエリアを訪ねたのだが、
予想をはるかに越えて、外国人の訪問を迎えた村は
すごい騒ぎとなった。

ちいさなインタビューをするだけのつもりが、
数百人を越える人々が集まり、
一大イベントが行われたのである。


子どもたち、子どもたち、たくさんの。


ディープなアフリカの入り口に立っている。
そういうことを書いたが、
このことはわたしの中のアフリカを深め、
ますますその肉迫するはじけるようなアフリカの感触を
わたしの身体に刻み付けたと思う。


歌声、踊りももちろんだけれど、
そこにあるひとびとの暮らし、意識、思い、純粋さが
わたしの心をたくさん刺激した。


なので、メルマガ書けるまで待ってください。





2006年02月25日(土)



 芯の強さ、仕事。

子どものころ、クラシック・バレエに一生懸命だったこと。
練習して、うまくできなくて、また練習して。
それでも、楽しかった。
トウ・シューズをもらえたのが他の子よりも遅くて、
そのぶん、手にした日はうれしかった。

成長するということは、何かを乗り越えること。
ずっとずっとスランプに陥ったりして、
それを脱しようともがいて、
そしてある日ふっと解き放たれた自分に気づくと
できなかったフェッテ(黒鳥オディールが32回まわる
難しい回転の仕方です)ができるようになっている。

そういう瞬間なのだ。


わたしは不器用だけれど、すごーく器用になることは
難しいので、そのぶんキャパシティを広げようと思ってる。
そして、若干器用になる。

いま、あれこれやっていることは大変だけれど、
振り回されつつもあるけれど、でも芯のところで
わたしはこの仕事がきらいではない。
とりあえず、自分のいるべきところにいるからだ。
立つべきところに立っているからだ。

アフリカにいるからだ。


芯が強くありたいと願う。
ほんとうに負けない力。
振り回されても、ほんとうのところでしゃんと立つ力。

もっともっと、ディープなアフリカに入り込みたい。
わたしは、そのほんの入り口にいる。



2006年02月23日(木)



 しゃんとしたきれいさ。

きれいな心を持ったひと。
一点の穢れもない、というのではなく、
その穢れの存在を知り、
しゃんと背筋を伸ばしているひと。

キリスト者にはそういう穏やかな強さを持つ
印象のひとが多い。
三浦綾子の『あさっての風』は、
ティーンエージャーに向けて書かれたものだろうが、
しかしそのきれいさはわたしの心にも響く。

このひとの作品は『氷点』だけ
読んだことがあった。
この作品からも、そのしゃんとした心のきれいさが
とてもよく感じられ、深く心に刻まれた。
陽子の最後のことばが、わたしはずっと忘れられずにいる。
あまりに印象的な。衝撃的な。


高校・大学とクリスチャン系で、教会に行ったこともあった。
自分が洗礼を受けたいと思ったことは一度たりとも無いけれど、
そのようなキリスト者や聖書の言葉を少し知り、
神に祈ってみたり、オルガンを演奏したりしたことは、
すこしだけわたしのこころに積み重なっている。


穏やかに、落ち着いて、しゃんと強く、しなやかに。
くじら、人間として、まだまだ修行中。


ん?人間?くじら?

2006年02月21日(火)



 甘い味くじら。

仕事上行き違いとか、連絡不足とか色々あって、かき回されてしまった。なかなかうまくいくものではないな、と思う。自分の力量も試されるときでもあるんだろうな。負けるかー、なんて思いつつ。

日本から調査ミッションが来るのと、それからお世話になっている大先生がおいでになるのに同行させてもらい、とりあえず二度は念願の遠出ができそうな雰囲気。やった。粘れば運が向く。そう、運はこちらに向けるのだ。

最近、甘いものをオフィスに導入しないと夜まで持たなくなった。そういえば、会社員のときは残業弁当をオーダーしていたな。
いまでは、ちょっと夜のハラレに車を出してまでどこかへ行く気にはなれないんだけれど、甘いものは良くないかも。

ともかく、がんばりどき。
これが過ぎれば、シンガポールへ出張。
それから、晴れて一時帰国だ。彼と会うのも四ヶ月ぶり。

家から出るときうつくしい花々がたくさんあるが、最近目に付くのは色鮮やかなゴクラクチョウカ。
とてもうつくしく自己主張をしている。


こういう時期は、ほんとうに今だけなんだものね。


毎朝、ちょっとアラスカを思い出させるような涼しい空気の中、こっそりこの女王様みたいな花に挨拶をする。
くじら、ジンバブエにて。

2006年02月20日(月)



 雨だれのアフリカ。

雨がにわかに降り出して、世界がさあっと騒ぎ始め、そして風が吹き抜ける。まだまだ、ハラレは毎日のように雨が続く。
もっとも、激しく集中的に降ったあとは、まぶしく晴れる。南国のスコールのようなのだ。そして、熱い日差しが降り注ぐ。

ハラレは、高地で涼しい。
だが、日差しは強いのだ。


金曜の夜、同僚と食事をしようと、ボロデール方面のイタリアン・レストランへ。すると、オフィスを出るときにほとんど降っていなかった雨が、わたしの自宅付近にくると土砂降りになった。
ただの土砂降りってもんじゃない。数メートル先さえ見えなくなるほどの、滝のような雨だった。
ワイパーを目にも留まらぬ速さで最高潮に振り回すも、まったくといっていいほど意味が無いくらいの雨だった。運転するにはあまりに危険で、人々はライトをハイビームにしながら時速40キロ以下で走行していた。

なんでだろう。
わたしの家の近所には、セレブレーションセンターと呼ばれる大きなキリスト教施設がある。いつも派手派手しいライトで照らされた巨大な施設で、ちっともキリストの清貧を連想させない。ん?こ、これか?雨乞いでもしてるのか?
それとも、わたしの近所に、おじいちゃまおばあちゃまが集まっているから、その呪い?(?)
ああー、助けてー、帰りたーいい。と思ってた。実は。

すると。
セレブレーションセンターを過ぎ、数百メートル行ったら、雨がやんだ。
というより、滝を通り過ぎた。


数百メートル先は、一滴の雨も降っておらず、地面も乾いていた。


狐につままれたような、とはこういうことか。

2006年02月18日(土)



 ベッシーに会いたくて。

ベッシー・ヘッドに会いたくて、わたしはここに来た。
というのはまんざら嘘でもないわけで。

彼女が亡くなったのが1986年だから、もう今年で20年にもなる。
わたしが彼女の研究を始めたのが、20歳くらいのころ。思い余って、ひとりボツワナへとやってきたのが21歳のころだった。

アカデミックな意味だけでなく、魂の底から彼女に惹かれていったし、わたし自身彼女に似たようなもの書きになっていくことが恐ろしくもあった。
彼女を褒め称え慕うひとは多くいる。彼女がボツワナのセロウェ村に眠ってから二十年経っても、まだ。

2007年には彼女の70歳記念のイベントが行われるらしい。南アの新聞記事で見た。愛されるってすばらしい。でも、48歳で亡くなった彼女のことを、わたしは忘れるわけにいかない。

会えなかったひと。


ボツワナ大学英文学部でベッシー・ヘッドを教える何人かの先生方と、数年ぶりに連絡をとった。21歳だったとき以来、会っていない。
今はもう、ジンバブエでこの仕事をしているんですよ。
そういったらとても喜んでくれる。

5月には、ベッシー・ヘッドの村へ行こうと思う。
ここからだとすぐいけるのだけれど、でもきちんとお休みをとってたっぷり一週間は行きたいから。

このところ、忙しくなっている。でも、以前よりずっと充実した生き方。

でも、彼女と出会ったころのこと、それからわたし自身の生き方のこと。
こういうことを、わたしはアフリカに暮らし始めてますます心の中で静かに深めていきたいと思う。

ベッシー・ヘッドとわたしの間には、他人とシェアできるような感情・感覚と、そうではなくて密やかに情熱的なものとがある。これを忘れまい。



2006年02月16日(木)



 赤と白のバレンタイン。

ハートがいっぱいだった。
スーパーにも、新聞広告にも。
オフィスのあるビルの一階の、いつものカフェレストランも。

バレンタイン商戦は案外ジンバブエでもにぎやかなんだな。
ハート形のいろんなものが出回っていたり。

こんなにインフレが恐ろしくて、経済が壊れそうで、そしてあんな大統領がいても。
ここでは欧米風で男性から女性に花やギフトを贈ったりする。新聞には、個人広告で愛のメッセージが並んでいたり。


わたしはわたしで、彼にはチョコレートこそは贈りませんが(甘いもの好きじゃないみたいだし)、なんとなくカードを送った。しかも、アニメーションのeカード。
eカードは嫌いじゃない。すてきなのもあるし、音楽だってかかってる。もらうとうれしい。

彼がとてもたいへんな時期にわたしは仕事でアフリカにきてしまったわけで、ささやかなことだけれども、こういうことは心を込めて思いを込めてちゃんとやりたいなと思っている。

電話もなかなかかけられないし。

2006年02月14日(火)



 カクテルと満月。

土曜日の夜は、すてきだった。
同年代の米国人若手外交官夫妻のお宅へ。
シャンガデリック・カクテル・アフェア。
(ナニ?シャンガ…って?)

最近おつきあいしているいつもの外交官面子と
プラスアルファくらいの十人ちょっとで、
アップル・マティーニや、フレンチ???など、
たくさんの種類のカクテルをざっくばらんにつくった。

夜、広いお庭の感じの良いお宅で、
たくさんのキャンドルをともし
八十年代の音楽をかけ、グラス片手に踊った。


夜が更けて皆がほろ酔い気分になり、
若いカップルたちは、なんとなく寄り添ったりして
甘い雰囲気。

ジンバブエにまで来て、夫婦だとやっぱりいいなと思う。
支えあっていけるものね。
わたしは、わたしの仕事だけ。
自分で望んできた場所だし、仕事はそれなりに
充実しているといえる。
でも、遠くにいるのはやっぱり、
ふとしたときに辛いかな。


また、ニセモノみたいな月が出ていた。
すごくすごく明るい月で、静かにわたしを照らしてくれていた。



2006年02月11日(土)



 ニセモノ満月。

ほぼ満月だったのだと思うけれども、
ともかく月明かりに照らされたハラレは、
ニセモノみたいにくっきりして静かで、
そしてうつくしかった。

金曜の夜、ケンジントン(なんて英国風な地名)の
韓国料理屋「Silla(新羅)」へ。
民家を改造したとてもおしゃれな建物の
雰囲気がよく、少々高いがときどきここで食事する。
職場の人と、その奥様と子どもさんと談笑。

白いタイルのおしゃれな内装、
朝鮮人参酒をいただく。
金曜日だ、酒くらい美味しくいただきたいものである。

松の実の入った朝鮮人参茶で酔いを醒まし、
月明かりの中をたったひとりで帰宅。
たったひとりで、という感じで。

家に車をとめ、ぼんやり月を眺めた。

わたしはいったい、どこにいるんだったっけかな。

2006年02月10日(金)



 ピアノ。

贅沢だとは思うけれど、
なぜアフリカに来てまで、こんな贅沢をと
思うけれども
いろんな言い訳は、なしにして。

どうしても、弾きたいから。

音が良くなくても、ちゃんと調律されてなくても
鍵盤が一部重たくっても、かび臭くても。
うれしくてうれしくて
懐かしい曲を奏でていました。

ショパン、ドビュッシー、それから
子どものころ弾いたブルグミューラー。
夢中で。


これで、月に100万ドルのレンタル料なんです。
1,000円以下です。
これで、気持ちがほんとうに楽になるのなら。

メーカーは、名門シュタインウェイでもカワイでもない、
<BELL>です。イギリス。




写真はブログ。

2006年02月08日(水)



 エレベーター・ホール。

夕べ、仕事を終えて夜8時過ぎ。
もう誰もいない。
暗く電気を落としたエレベーター・ホールに出て、
地下まで降りるエレベーターを待っていた。

ふと気がつくと、
そこの空気は時空が歪んでいて、
過去の自分が含まれていた。

数ヶ月前に、ジンバブエに赴任した自分。


何度も体験した、この感覚。
懐かしい、という感覚。
そして、いつまでもここにいては
いけないのではないか。
もう去るべきときが来たのでは、という錯覚。

ひとつところに長くいすぎると、いつもそう。
子どもの頃から、そうやって生きてきたから。
この日記を書き始めた2001年はじめも、
もうすでにエディンバラ生活を数ヶ月送り、
そんな感覚を覚えていた頃だった。

年を経るごとに、この「感覚」がくる時間が
少しずつ短くなっているような気がする。


夜のたっぷりした空気。
ハラレは高地で涼しくて、虫の声が聞こえる。


去るべきときが来たわけではないのだけれど、
たぶんわたしは、せめて精神的になにか
一歩踏み出さないといけない時期にさしかかったのだと思う。



2006年02月07日(火)



 グリーン・オリーブの瓶。

ひとの恋愛にとやかく口を出さないでいただきたい。

あれやこれや心配をしているようなことばをかけたところで、所詮それは他人事としての台詞であり、思いやりの仮面をかぶった勝手な価値観の押し付けだ。
善意のふりをした侮辱ですらある。

そのような第三者の態度に、心底嫌気が差す。

自分の人生は自分のものなのだから、答えも自分が出す。
そんなあたりまえのことなのだ。
だから、恋愛という点で、わたしは他の誰をも信用しない。


彼から国際電話をもらうたび、幸せだと思う。
この電話とメールが、わたしたちをつないでいる。

いままでのこと、これからのこと。今この瞬間のこと。
たくさんかかえている幸福なものとそうでないもの。
教科書もなにもない。楽なことばかりの恋愛もない。
すべては、わたしと彼とのあいだのことなのだ。


念願の瓶入りグリーンオリーブを買い、わたしははしたなく直接瓶からつまみながら、そんなことを考えている。


ここはアフリカだ。
わたしの昼は、彼の夜なのだ。


2006年02月05日(日)



 くじら、焼けたけれども。

ハラレ出たい病(「ハラレで大病」って変換されちった)がピークに達し、もはや壁に貼ってあるでかいジンバブエ地図と中南部アフリカ地図をかわりばんこに見つめながら、放心状態の日々を送っていたのであるが、この状況を脱却すべく誰彼かまわずメールを打ちまくって、「どこかへ連れて行ってくれー」と叫ぶ(ひとりで車を駆って行くのはやっぱりちょっと危険なので)ことを心に決め、第一本目を某国連機関職員へ送った。

するとすぐに電話。
国連職員>明日、日帰りでフィールド視察行くけど来ない?
くじら>行く!絶対行く!(コンマ2秒)

Guruveというところのさらに田舎の、コミュナルファームを視察。まぁ、向こうとしてはドナーさんにちょっといい顔したい下心もあるのだけれど、ハラレ出たい病をなんとかしたい、大のアフリカ好きのくじらの下心のほうが百倍強烈。
ミニバスで10人くらいのツアー。三時間ほどのドライブは、まさに期待通りのアフリカの風景を見せてくれた。

この、緑あふれるジンバブエの美しさ。ボツワナとはぜんぜん違う風景。
もっとも、このエリアは降雨量で言うとリージョン4にあたり、水の豊かな地域に入る。しかも、昨今の激しい大雨の日々だ。まるでイギリスを思わせるような緑の大地。
そこへ、昔ながらの生活を送る村々があったり、牛やヤギがたくさんいたり、アカシアの木が茂っていたり。
窓から外を眺めながら、終始幸せ気分にひたっていたあふりかくじらである。

で、日焼け止めをきっちり塗っていなかった部分だけ、ひどい日焼けをしてしまった。間抜けなくじら、あと少しで三十路。やばいじゃん!
うー。ひりひりする。応急処置中。

詳細は、たぶんメルマガに書く。…かな。

いや、とにかく良かった。

さらに、がんがん行くぞ!


写真はブログのほうにあります。見て。

2006年02月04日(土)
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