あふりかくじらノート
あふりかくじら



 アフリカで、アフリカに還る。

少しハラレの都会を離れれば、ほんものの匂い立つ大地はそこにある。
熱い太陽の光にさらされ、乾き、そして埃っぽい地面と電気や水道のない家、それから古ぼけてガラスの割れたような商店が並ぶ。女達は大きな荷物を頭に載せ、背筋を伸ばして歩いている。男達は日が高いうちから酒浸り。

わたしは夢から醒めたようにアフリカにいた。
土曜日、ジンバブエ人の友人がわたしを街の外に連れ出してくれたことで、わたしはほんとうにそのような感覚を持った。

この都会は、どこの都会もそうであるように、どこかが歪んでいる。でも、30分やそこら車を走らせれば、すぐそこに真実が待っている。

いままで自分は何をやっていたのだろう。
きれいな家に住み、大きなオフィスを持ち、車を走らせ、ガソリン不足のところ誰よりも先にガソリンを入手している。
そして、レストランに行くことも出来る。インターネットもしている。

人間の大地とはいったいなんだろう。
犬養道子氏の著書を思い出しながら、アフリカがほんの少し見せた本当の横顔が、脳裏に焼き付いて離れない。これはごくふつうの生活。ほんとうに贅沢のない、ごくふつうの人間の生き様。

それだけの話。

でも、わたしはどんどんアフリカに還ってきている。
この国に近づいてきている。


メルマガにも書きます)

それから写真



2005年10月31日(月)



 雨季の前、その雲。

毎日、からりとした空が続いていた。
雲ひとつない、青空で、雨の一滴も降らなかった。

でもふと空をみたら、もう雲がたくさん浮かんでいる。

昨日、すこしだけ雨が降った。


白い雲が大地の先まで続き、一羽の鳥が飛んだ。
都会のハラレに、まんまるい影を落とす。

くっきりした雲。まぶしくて、きれいで。
その時間の流れ方。


ボツワナに行こうかと思う。
とても懐かしくなったから。

「そうだ、ボツワナ行こう」

2005年10月26日(水)



 独りの夜でも。


どうせ誰もいないし、
ウィントフック・ビールの缶を自分のためにあけ、
アラニス・モリセットの"THANK U"を聴く。


灯りを落として
サラウンドいっぱいの気分で、
部屋中に響きわたるように。


この曲を聴くときいつも、
わたしは何を思い出しているのだろう。    


胸が締め付けられるようになるのだけれど、
それが何なのか、わたしはいつもわからない。

2005年10月25日(火)



 ホワイトバンドへの批判。

わたし自身、賛同団体の一員として他のひとにホワイトバンドを紹介するにあたり、その資金の使途についての説明が不足していることは承知しており、かつ某団体内でもその話が出ていたが、ちょうどタイミング良くホワイトバンドへの批判記事があちこちで登場している。

懸念していたことが現実となってきた様子。
ほっとけないキャンペーンのような「政策を変える」ことによる貧困撲滅を目指す活動は動きが見えにくい。
重要なことではあるが、反面、わかりづらいため、ごくふつうの一般のひとにしてみれば「募金」でないことが反発につながる。(現にいまそうなりつつある)

ただ、キャンペーンをやるほうも、「政策を変える」といったところでそれがどこまで具体的な力となっているのか理解し切れていない部分が大きいように思う。
一般の人にわかりやすくするためでもある「ホワイトバンド」ではあったが、やはり壁は厚い。

キャンペーンをする側も、その点に気づかないようではだめだ。
目をそらすべきではないし、ほんとうに「政策」を変えるのなら理想ばかりではだめだ。そして、やわなチャリティ精神などではとうてい政府は動かない。一般市民は納得しない。

ここのところの警鐘をならしたつもりの自分のMLへの投稿へは、手応えのある反応無し。目をそらしているのか、単にうるさいのか。
理想ばかりに走るNGOは成功しない。
理想だけではお腹がいっぱいにならないし、政府は動かない。

理想、アカウンタビリティ、資金、インセンティブ、投資。
そのようなものが融合していなければならない。

政府、NGO、一般市民。
溝が出来てはならないところに大きな溝はある。
目をつぶっていてはいけない。

2005年10月23日(日)



 アフリカにフォーカス。

本日は、ジンバブエに来てからもっとも印象的であり、かつ重要な土曜日だったように思う。

そして、わたしがやっと「アフリカに来た」という十分な実感を得た日だ。本当の意味で。

いままで、わたしはどこか違う世界にいた。
頭の中がどこかすっきりしないのに、それになんとなく気づかぬ振りをしてここふた月を過ごしていたに違いない。しっくりこない。でもそれをどのように打開すればよいのかわからず、ぼんやりしていた。
せっかく、アフリカに戻ったというのに。

今日、エディンバラ大学の若手の先生宅(先週末ジンバブエ入り。政治のエキスパート)のブライ(南ア流バーベキュー)に招かれていった。そこは、いわゆる中流階級のフラットでとても居心地がよく、庭で豪快に焼かれる肉は気持ちよいくらいの焼け方だった。ビールと肉と、会話と笑い。

そして、招かれた教授(米国人・ジンバブエで20年以上を過ごす)、エディンバラ大学で修士をとったジンバブエ人青年(知人)、その友人、別のエディンバラの講師、そのジンバブエ人の奥さん。
知的でウィットに富んで、かつ面白く、そしてジンバブエという土地のことを本当の意味でよーく知っている彼ら。単にアカデミックというだけではなく、この土地に馴染んでいるひとびと。
その会話は、じつに面白かった。

そして、エディンバラ話ができるのもわたしにとっては非常に良かった。
あのころのことを思い出し、またそのセンスを取り戻す感覚を覚えたからだ。

英国のことを思い出すとアフリカへの感覚が戻ってくるし研ぎ澄まされる、というのは、何らかのバイアスがかかってそうな気がしなくもなく、ちょっと何かなと思うのだが、しかし、それがわたしの思考回路の仕組みであるのなら致し方ないし、むしろ歓迎し、積極的にたどるべきなのだろうと思う。

だから今日、やっとアフリカにフォーカスがあったように思う。
ジンバブエにかかわりはじめたような気がする。
二ヶ月経ってはじめて。
職場以外の、まったくちがう世界の、ごくあたりまえのこの国の人たちに触れる。
そんな単純なこと。
とても大切なこと。


2005年10月22日(土)



 センスを取り戻すパワー。

ジンバブエの空気は、とても熱くなってきている。
雨季の直前のこの時期がもっとも暑い。

ほんとうは窓を開けて車を走らせると治安上よろしくないので、あんまり好きではないがクーラーを入れる。今日は特別、エディンバラからのゲストを助手席に乗せたからでもある。

わたしがエディンバラ大学で修士をとったのが2001年。彼女はその二年後にエディンバラにやってきて、政治学を中心に教えている。
ジンバブエの政治、とくにNGOと政府・国家の関係、選挙などについて、過去10年以上にわたり研究してきた彼女は、現在のわたしにとって非常に重要な人物なのである。

再びジンバブエに調査にやってきた彼女と、今日、ランチをともにした。

欧米の研究は彼らからの視点で語られることが多く批判されることもあるが、やはりわたしにはこの英国式の教育を受け英国で教えている彼女のとうとうとあふれる知識・経験・ものの見方に触れることにより、自分の感覚が呼び覚まされることを期待している。
そしてそれは、外れてはいなかったように思う。

センスを取り戻すパワーを得るやりかたは、自分が無意識的に知っている。
いままでの仕事と違って、こんどはもっと自分自身を信じていい。

だから今日、わたしは彼女に会うのを楽しみにしていた。
そして、実際、これは大きな良い刺激となった。

来週からわたしはいろんなひとにアポイントメントをとる。
いつだったか、なにもわからないままにアフリカへの道を探り始めた大学生のころのように、こんどは手に入りそうなカードをどんどんならべ、ひとつずつ裏返していく。そして、あるとき雲がすっと晴れるように、青空が見えてくる。自分の調査テーマが明確になってくる。

あせることは何もない。
しかし、自分は何も持っていないわけではない。

アフリカ研究を始めて、何年にもなるのだもの。


2005年10月21日(金)



 オフィスからアフリカの夕日。

地球上どこへいってもたぶん日は西へ沈むので、
わたしのオフィスの窓は西向きなのだろう。

毎日午後になると、強い日射しは
5つの縦長の窓からわれわれっと
強烈にまぶしーくデスクとソファを照らす。

遠くのビルと木々がくっきりと映え、
それからだんだん夕暮れの色になる。
グラデーションの緑色が、だんだん
夕闇に飲まれて、アフリカの空気に
シルエットを濃く映し出す。

空が白んでくる明け方も良いけれど、
こうして日が暮れる夕方も懐かしく、
いつかボツワナの村でずっと何時間も
外に座っていた日のことを思い出す。
あのとき、ブラウンのパンツをはいていた。


そうか。西向きか。
何となくわたしのオフィスの窓は
東向きであるようなイメージがある。

東には、日本があるんだな。

2005年10月18日(火)



 まんまるくて大きな月。

夕べの帰り道。
真っ正面に大きな大きな月がでていた。
まんまるくて、ほんとうに大きかった。
色は、少し赤みがかったオレンジ色のよう。
おとぎ話に出てくる森の中を、
赤い車で運転している気分になった。

フロントガラスの真正面。
月が木陰から現れて、わたしははっと息をのんだ。

アフリカの夕日のあとは、静かな月。
おどけたような、その色合い。
どこかの絵本でみつけたような、懐かしい色。

わたしはアクセルをゆるめた。

2005年10月17日(月)



 ただ広い大地をぬける。

本日、日曜日。
週末は誰にも会わないことに決めた。
せっかくのお休みの日まで、職場の人間と一緒じゃたまらない。
しかも、日本人とだなんてちょっと気が変になりそうだったからだ。

職場の子が親切で誘ってくれた映画行きを丁寧にお断りし、土曜日にはひとり町外れまでガソリンを入れに行った。ジンバブエのガソリン不足はあまりに深刻で、つい先週もガソリンスタンドからガソリンがすっかり消え、並んでいた車列の運転手らが癇癪を起こした、ということさえあったらしい。
ひとびとは、必要なガソリンさえ手に入らず。
だが、金曜日あたりに入ってきたらしいという噂をききつけ、わたしは土曜日の朝に行った。水と文庫本(サマセット・モーム)とおやつを手に、長時間列に並ぶのを覚悟していったが(実際には、水とおやつをもっていくのを忘れた)、すんなり。
ガソリンスタンドのお兄さんに「今日は、ガソリンある?」と聴いたら、
(お兄さん)「ないよ」
(わたし)「えー!」
(お兄さん)「でも君の分だけはあるよ」
…だってさ。ナンパかよ。
ガソリンをいれ、買い物を終えて帰る。

本日はマーケットを冷やかしに行った。
ワイヤーでつくった例のトカゲシリーズで、小物入れがあったので、嫌がらせのように値切って購入。そうこうしているうちにスーパーがしまってしまった。(週末は半ドン)

日曜日もあいているスーパーまで車を飛ばす。
帰り道、地図上でしか知らなかった近道を試してみる。
わたしのフラットのある集落の裏側から帰ってくる道。

大きな家々が並んでいるあたりを通り抜けると、さっと視界が開けた。
初めて通る道。
どこまでも大きく、何にもない大地があった。こんなに街の近くなのに、こんなところがたくさんある。ほんとうに広い。なだらかに道が続いている。
涼しい風。暑い陽射し。

音楽は、山崎まさよし。
アクセルをふかした。

2005年10月16日(日)



 秘密のブックショップ。

ミラクルワンダー、秘密のブックショップ。

まあ、まったくもって秘密なんかじゃないんだろうけれど、大きな通りから二つくらい角を曲がって入ったところの住宅街の、看板すら出ていないごくふつうのおうちに入っている本屋さんというのを教えてもらった日には、うれしくなります。ふつう。

探していた本など、かるーくその辺にありました。
一般の書店じゃほぼ見つからない本。もう少しでアマゾンでオーダーしてしまうところでしたよ。

はっきりいって、アマゾンの八分の一ほどの値段で学術書が買えてしまう。
(アマゾンは郵送料もかかるからね。とくにアフリカは高い)
文字通りうはうはな気分でしたよ。

これを読みこなさないとね。
大学院生だったときを思い出して、やる気出しましょう。
これくらい軽く十冊はいつでも机に積んであったもんな。
しゃっきりしよう。
いちおう、アフリカ研究者なんだから。

件の本屋さんは、大学が直接オーダーするところでもともと一般向けじゃないらしい。
でも、職務特権を乱用(じゃないよ)してわたしは図書館も使えるし、このショップも教えてもらった。

これで読みたい本は、大方手に入るんじゃないかと思う。
あとは、日本語の本だけはアマゾンで仕入れる。
これで決まり。

やっぱり、こういう地道なところから自分をいいところまで引っ張り上げないといかんな。王道なし。
違う世界の人たち(職場)と一緒にいてずっと忘れかけていたけど、ここに調査に来ている知り合いの某大学の某研究者さんにあったことは良い刺激だったみたい。

くじら、ぼけてたからな。

ウェブログの調子も悪かったのですが、なおしてみました。
不調があったらお知らせくださいませ。手探りで調整してます。

2005年10月13日(木)



 浮く、くじら。

なにごとも、浮き沈みがあるのは当然のこと。

なかなか仕事も思うように進まなかったのを、
無理して急旋回させるのではなく、
ゆっくりと舵を切っていく。

そういうとき、前向きに。
そして、丁寧に。ひとつずつ。

基本的には自分が好きだし、自分のやってきたこと
それから自分のやりたいことも好きだ。
それだけで、ほんとうは大丈夫なのだ。
たいていの場合。

今日は、少し体調も優れなかったけれど
無理せず外出するのをやめ
ひたすら新聞からアウトプットを作ってみた。

そして、いちばん好きなスーパーのテイクアウトで
ご飯とそれから煮込んだオックステール。
持ち帰って、オフィスでNHKワールドを観ながらいただく。

少し、浮かんできた。
午後に向けて。

もうすぐ午後二時。

2005年10月12日(水)



 大学の図書館を泳ぐ。

とりあえずやる気を出すためにジンバブエ大学の図書館へ行ってみた。
本があり、先生がいるわけで。
それで、どれだけ自分が勉強不足かがわかるので、そういうところへ自分を追いこんでみるのである。

自分だけのリーディングリストをつくってみた。大学院のときみたいなたっくさんの本のタイトル。それから自分だけの宿題をたくさん作ってみた。

それで、仕事も兼ねられることだし、この際たくさん新聞を読み込むためにアウトプットとしてウェブログを新しく作り直すこととした。

(1)「エンピツ」の「あふりかくじらノート」は日記的雑文帳。(これ)
(2)「あふりかくじらの自由時間」ウェブログは、情報。ニュース、所感など。主にジンバブエ情報の詳細版。
(3)メルマガ『あふりかくじらの自由時間』は、ひとまとまりの文章でワントピックについて書く。
(4)メルマガ【あふりかくじら★カフェ】は、ごくごく短く頻繁に、15秒で軽く読める雑文を。

新しいウェブログはこちら
*詳しく知りたいひと用。

ここまで追い込めばやるでしょう。
くじら追い込み漁。

2005年10月11日(火)



 アフリカで和食の愉しみ。

暮らしの愉しみの多くの要素は、やはりキッチンにある。

先日、ある日本人の方の家庭菜園で収穫された
みずみずしい大根をいただいた。

この白い肌、ひさしぶり。

大切に包丁をいれ、
ちいさなおなべで煮ふくめた。
みりん、おしょうゆ。長ネギも入れた。

贅沢で静かな和食。
たまにはこんなアフリカの夜もいいかな。

2005年10月10日(月)



 日曜日、運転しない。

今日は、運転しない日曜日。

朝寝をして、それからダンボールやスーツケースを
これでもかというくらい片付けた。
新しい家、新しい生活。
引き出しやクローゼットに物をしまいこむことが
こんなに楽しいとは。

昼、パスタ・アーリオ・オーリオ。
ガーリックたっぷり、オリーブオイルたっぷり。
こんなに簡単にできるものなんだと知った。

車の窓ガラスを拭く。非常に汚い。
これで明日の朝はすっきり。

家の外へ出て写真を撮る。
近所の猫にあいさつ。

PCに向かう。メルマガを書きまくる。

こういう日曜日だった。
だんだん、パワーが静かにたまってくる気がしている。

2005年10月09日(日)



 くじらがオーブンで焼くころ。

くじらがオーブンで肉を焼いているころ、
パキスタン、インド方面では大きな地震で被害が甚大だった。

気づかずにオーブンの便利さに感動し、
うつくしく肉を焼き上げて職場のひとのご自宅にお持ちした。
変わりに秋刀魚(内陸国のジンバブエではなかなか手に入らず)
やらたくさんのご馳走をいただいた。
今日も、たくさん食べました。

ニュースであまりにむごい映像をみて恐ろしくなった。
ひとの生き死にはあまりにもはかなく、そして
いつの瞬間にも起こっている出来ごと。

三秒に一人、絶対的な貧困のために子供が死ぬ。
これはホワイトバンドキャンペーン。

オーブンは便利だ。
そしてわたしはオーブンの中に何か大事なものを忘れた。
何度もオーブンを使ってみて、お料理の腕を上達させ、
幾度でもその温度を高めて肉を焼いてみれば、
わたしは何かを取り戻せるのだろうか。
焼けば焼くほど、それは次第に濃く、
料理にしみこんでいくものなのだろうか。

くじらはオーブンに火を入れる。

2005年10月08日(土)



 憂鬱パラダイス。

アンラッキーな出来事がつぎつぎと
やってくると精神状態がネガティブモード。

イエス、憂鬱パラダーイス。

ネットのこともそうだし、予算カットで
さっそく仕事に大きな支障が出そうなことも然り。
仕事もうまく自分のペースに乗ることが出来ず、
周囲のペースに巻き込まれっぱなし。

こうなると、ひとつひとつのことが嫌になる。
過去に頭に来たことまで思い出して、一緒にまた
フラストレーションとなってやってくるのだ。

あーあ。
ついでにお金もなくなっちゃったっと。
真剣にまずい。文字通りすっからかん。

赴任する前、計算してみると非常に多くのお金が
かかることがわかり、銀行でローンを組もうと思った。
しかし、いざ赴任してみるとジンバブエでは
外貨がおろせない。
銀行でローンを組んだら損だ、ということで説得され
わたしは職場のひとに借金をし、中古車の代金を
口座振替で払ってもらった。
振り替える分には、現金は必要ないからだ。

あくまで、これは他人の好意だ。
そしてわたしはそれをありがたく受け入れた。
それは深く感謝せねばならない。

しかし、現金でローンを借りることができなかったため、
いま、生活を立てるためにかかるお金がマイナスに
なろうとしている。
生活の初期費用も併せて銀行から借りるつもりだったのが、
他人のありがたき好意により、
ローンを組むこと自体やめてしまったからだ。

わたしが必要としていたのは、
車の支払い分だけではない。初期費用全般だ。

他人の親切を責めるなんてもってのほかで、自分を責めるのも
非常にマイナス感情で嫌なのではあるが、
どうしてもここまで現金がなくて逼迫してくると
そのような考えがふっと頭をよぎってしまう。
ああ、わたしの心の醜さ。自分のせいなのに。

何よりも嫌いな「他人への借金」を、いまわたしは
しなくてはならない。生活していけない。
給料は入っているのに、現金はおろせないのでは仕方がない。
現金をもっているひとに借りるしかない。
腹の底から、嫌です。
でも、とうとうその無駄なプライドを捨てなければなりません。
ああ、何よりも嫌いな借金。しかも職場のひとに。

銀行ローンを組んだ方が、金銭的に大きく損だったとしても、
少なくともここまで嫌な気持ちになることはなかったろう。
こんなことで苦しさを覚える自分の情けなさに
また嫌気がさしてくる。

自分の不器用さのせいなのにねぇ。

そんなわけで、ウェルカム・トゥ・憂鬱パラダイスinハラレ。

今日も例によっていいお天気だよ。
早くおうちにかえろ。

2005年10月07日(金)



 デジタル・ディバイド。

インターネットは便利。
非常に便利。メールや情報アクセスにショッピング。
わたしの場合はメルマガもウェブログも
Enpituもあるので、情報発信も。

セクレタリーの方に、
ジンバブエのNTTときくcomoneに新しい家の
ネット申し込みをしてもらったら、
新規の個人契約は受け付けてませーん、だと。
古典的な申込書に記入して提出して
数日間かかるという仕組みであるが、
どうやらリストラをしているだかなんだかで。

ああ。
わたしはアフリカのことをやってきたにもかかわらず、
これだけネットに依存していて、そしてジンバブエでは
やっぱりダイヤルアップのネット接続が主流なのだ。

そして、待たされてしまうと、非常に苦しいのだ。
(これは職場からつないでる)

ネットにつなぎ、広いオフィスがあり、車があり
きれいなおうちがあり、外食をし、
果てにはメイドまでいる生活を始めてしまった。

ああ。
どアホな人間になりませんよう。


2005年10月06日(木)



 くじらの住処。

引っ越した。
ハラレの市街地から5分くらい出たところ。

そこは別世界のようにのどかで、安全で、
きれいなフラットが建ち並び
花が植えられ、池があった。

平和。
こんなことをしていていいのかしらと思うくらい
そこは平和。

空がきれい。
満天の星が見える。

やっと住むところが決まりました。

2005年10月05日(水)
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