あふりかくじらノート
あふりかくじら
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お声がかかる。
J-waveに私が所属する団体の代表が出演。
LIVE8というのが7月2日に幕張で開催されるため、
アフリカの貧困について語っていた。
どうも、いわゆる一般の人にアフリカを語るのって
とても難しく、かといって一般の人に伝えてこそ
意味があるアフリカ支援なのであるからして、
我が代表は、それなりにうまくやっていたように思う。
とくに、忘れてはいけないのは、他人事ではない
ということだね。J-WaveのDJだって、
アフリカ→貧困
→「部族」紛争(アフリカに関することだと
必ず「民族」ではなく「部族」になるのがポイント)
→南北問題→欧米が悪い、
ということを言うかのような勢いだった。
日本だって、加担してるんだよね。世界の不均衡に。
自分たちにも責任があるんだよね。
政府が悪いだけじゃないんだよね。
そういうあたりまえのこと、美化しないでもらいたいかな。
ともあれ、アフリカ政治経済の専門家にお話をききましょう
っていってうちの代表にお声がかかるとはなかなかいいね。
わたし自身も、「あ、あのことだったらあふりかくじらさんに」
なんていってお声がかからないかね。
「うちから本だしてください」って言われないかね。
がんばりましょ。
毎日ネタ出しして新規事業立ち上げましょ。
(サイバーエージェント藤田社長の影響)
いつか徹子の部屋に呼ばれてやるワ!
2005年06月29日(水)
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ほっとけない、新聞。
ほっとけない世界のまずしさキャンペーン。
全面広告が、本日の朝日新聞に掲載。
ホワイトバンドを身につけたセレブが
どんどん増えてます。
七月ももうすぐやってきます。
ほっとけないも本格始動。
詳細は
メルマガ【65】
を参照。
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それから
ブログ
にも少し説明つけてます。
2005年06月27日(月)
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自分スタイルの仕事。
煮詰まってくるときもある。
忙しくて目の回るような日々を送るとき、
視野はいつの間にか狭くなっている。
小さな世界で奔走していることに気付く。
少し休憩。
七月からの新しい仕事に備えるためのリーディングは
とりあえずやめてみて、ビジネス書とか起業の本とか
成功ノウハウ本なんかを読んでみた。
すごく元気が出てしまった。
目標を定め、そこへ向かう熱意と
そこへ向かうツール・スキルと、必要な環境・知識。
図にして整理してみたらすっきりするだろう。
人生、いくらでも時間があるわけではないんだね。
2005年06月26日(日)
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ホテルに灯りがともる。
真新しい、真っ白なホテルがオープンした様子。
とうとう、たくさんの部屋にやわらかな灯りがともってる。
大きなガラスの向こうのロビーには、ひとが集まり、
カウンターにもライトがともされ、ホテルのスタッフがいる。
生命を吹き込まれたホテル。
一回にあるカフェらしきものは、立派なレストランだった。
スタバなどというわたしの予想はチリと消えた。
なんでホテルはこんなに温かいんだろう。
旅する者を、迎える空間。
干渉もせず、拒みもせず、ただテンポの違う時間が流れる。
2005年06月14日(火)
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ムーンライトwithチャールズ。
Moonlight, with Charles.
Takin' u thru the nite.
このやさしい声にとろけそうになる、
小さく小さくボリュウムしぼったインターFMの深夜。
きょう、髪を切った。
長い髪がうっとうしくて、軽くした。
ああ、この番組が終わってしまう時間。
わたしの髪になど関係なく。
仕方のないこと。
ほんとうに、仕方のないこと。
2005年06月13日(月)
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お昼寝くじらの休日。
日曜日、本日すごく忙しいはずでした。
朝から夕方までみっちりワークショーップ。
でも、さぼってしまいました。
皆さんごめんなさい。
夕べ、発表が終わって酒呑んだからではないです。
でも、すこし区切りが付いたような気がしたら、
とつぜん今関わっているNGOがすごく遠い感じになった。
わたしはわたし自身の研究を忘れて、何年ものあいだ
いったいなにをやっていたのかしら、って。
初夏みたいな気候がまぶたを重くさせ、
ショパンの雨だれを弾いたあと、くたびれはてて眠った。
ベッシー・ヘッドが生きていたら何を思ったのだろうと思う。
でもね、そんなことはわからないんです。
わたしは自分の感じることを、考えることを、
人生の中で大切にしていくしかないの。
そう思ったら、すごく孤独にぽつんと立っている感じがした。
わたしは、次のステップを踏み出そうと思います。
皆さん、わたしを愛してくれ、ありがとう。
2005年06月12日(日)
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霧のように水分の高い雨。
霧のような雨の東京に思う。
某国への赴任が現実となって
近づいてくるのを感じると、
信じがたい気持ちが強くなる。
こんな気持ちを抱えたまま人生は
音を立ててまわりだす。
大切なひとを、東京の霧雨においたまま。
日常世界と切り離されて。
物事はたいてい、こんなふうにして始まる。
2005年06月10日(金)
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すみません、わかりません。
ワールドカップに出場できるということで
いや、めでたいんだろうな。
2010年は南アフリカだし。
でも、どうしてあそこまで狂ったように
(文字通り熱狂的に)応援するのだろう。
まさか、あれほど多くの人間の人生に
ワールドカップやサッカー選手が深く
関わっているわけじゃあるまいし。
あんたたち何者?
宗教のように、涙を流すのはなぜ?
野球もそうだ。なぜ?
なんで、阪神が優勝したのが
人生の中でいちばんうれしいの?
試合を見て、そりゃあ面白いけど、
なんであそこまで騒ぎたいのだのだろう。
そして、なんで他人も同じだと思い込んでるんだろう。
すいません。わかりません。
日ごろのストレス?
ガス抜き?感動が必要?
サッカーの本質なんて、関係ないのかしら。
中田選手のあの冷静さをみてごらんよ。
ほんとにできるひとは、よくわかってる。
ちゃんと応援する気持ちがあるんなら、
あの狂ったようなのはちょっと違うんでないのかねぇ。
いつものことながら。やれやれ。
2005年06月09日(木)
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アフリカセミナーで発表する。
最近、よく現実世界におきているものと無視できないアフリカの現状と、のほほんとしたアフリカ研究の世界との架け橋の可能性について考えている。
なかなか答えが出るものでもないし、わたしは頭がさえたひとで無いのでうまいことばが出ないのだが、コミュニティというテーマについて以下のことを考えた。
で、土曜日に発表する。
できんのかいな?
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ベッシー・ヘッドとセロウェ村の歴史
〜コミュニティとアイデンティティから「開発」を問う〜
1960年代ボツワナのセロウェ村において、パトリック・ヴァン・レンスバーグはBrigadeと呼ばれる職業訓練教育プロジェクトを開始した。その一端に深く関わった作家ベッシー・ヘッドは、ある共通の目的を持ってコミュニティが形成され、さらに土地への帰属意識が育成されていく環境について深い関心を持ち、積極的にセロウェ村の開発問題へと目を向けるようになる。
2005年、アフリカへの世界的関心が高まり、国際的なアジェンダが提示され続けるなか、アカデミックなアフリカ地域研究の世界においても開発の問題は無視できなくなりつつある。作家ベッシー・ヘッドが現代に生きていたら、開発とコミュニティをどう捉えるのか。これを問題提起としたい。
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ブログ
に書いたのと一緒。
2005年06月06日(月)
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まだ見ぬ懐かしい風景。
うつくしい風景を見てこころがぎゅっとなる
感覚というのは、子どものころから
何度も何度も引っ越して新しい土地に暮らし、
懐かしい風景を思い出しては胸がきゅうんとなる
あの感じに似ている。
見たこと無いうつくしい風景であっても、
そこにひとりで暮らしたりして
今の生活や恋人を思い出す瞬間を無意識のうちに
想像してはきゅんっとなるのである。
スコットランドのバグパイプ、アラスカの海、
アフリカの半砂漠やごみごみとした都会。
映画の中でヒロインが暮らすフラット。
遠くに行きたい願望があまりにも強い。
昔、懐かしいという感情のやり場に困り、
ずっと悩んでいた。
今でも、気が緩むとそれで悩む。
だから、こんなことをこんなところに書いてみる。
2005年06月04日(土)
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雑としたもの。
日々の雑々としたものを
シェアできるひとが、
そばにいてほしいと
本当は願っている。
うつくしいもの、幸せ、淋しさ。
本当は、そう願っている。
2005年06月01日(水)
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