あふりかくじらノート
あふりかくじら



 雨が降って、バスに乗るのだ。

無意識的に移動する空間と湿度と、
たくさんのひとが密接に存在するその二酸化炭素と
いちにちの疲れの異様な混ざり合い。

それでも雨の日は、仕事じゃなければ
そんなにいやじゃない。

雨の匂い。
ふっと、懐かしいどこかの街の匂いを思い出すこともある。
どこが登場するかはわからない。
誰とも共有できない、わたしにしかわからない感触を胸に、
バスの中ではぼんやりする。

仕事の上で愚痴ばかり言うのは、他人から見れば
けっこうはっきりものを言う人間に見えるかもしれないが、
自分自身で気分が悪い。

言うべきところで、言うべきことをうまく言える人間になりたい。

しかし、いやになるくらい、ひとをけなすことばが
たくさん湧き出てくるのである。
仕事という場面においても、そう。馬鹿馬鹿しい。
ひとの欠点はよくみえるのである。


アフリカの貧困のことを叫ぼうと、所詮自分は
そんな小さな世界で生きている。

気付けば大抵のひとが、いつの間にか小さな世界に
閉じこもって生きている。

滑稽である。

2005年05月30日(月)



 ほっとけない 世界のまずしさ。

『いま、世界で3秒にひとりの子どもが
 貧困で
 命を落としていることを
 知っていますか』

<ほっとけない 世界のまずしさ>という
キャンペーンがあるので本日はその
立ち上げの集いというものに顔を出した。

影響を受けやすいので、わたしはかなり賛同して
しまっているのだが、このようなムーブメントとは
非常に重要なものなのだ。

世界は、貧困に注目しなくてはならないし、
何もお金や食べ物が無いだけが貧困ではない。
恐怖からの自由、欠乏からの自由。

これは、世界の多くの国々で同時多発的に
進行している<G-Cap>(貧困根絶キャンペーン)の
日本キャンペーンだという。

まず、知ることが大切。
そして、何かを伝えるコミュニケーションが大切。
多くのアーティストやらブラピ(うふふ)やら
とにかく世界に対しアピール力のある人たちが、
それから世界中のNGOや市民が集う。

それはもう、ひとりひとりが心の中に
「ほっとけない」をもっているから。

腕にホワイトバンドをつける。
伝えるため、忘れないために。

三秒にひとり、「セレブ」がクリックしていく
フィルムがあまりに印象的だった。
静かに、心の奥深く訴えかける。

「ほっとけない 世界のまずしさ」


2005年05月26日(木)



 成功のレシピ。

あの北朝鮮に拉致された有名な方が
翻訳家としてデビューされたとかいうはなしを
テレビのニュースで見て、なんとなく
某翻訳スクールで翻訳家デビューを夢見て
何年も頑張っているひとたちのことを
ぱっと思い出した。

わたし自身も翻訳者の端くれだし、ある小説を
出版しようと訳しているんだけれども
ああいうのをみてると、人生ってなんだかなあ、
と思うのである。

ともあれ、幸せのレシピはいつでも未知数だし、
いい意味で焦りが無くなったじぶんは
少し歳をとったし、実力も付いたということなんだろうか。

メルマガを出していると、いつもいろんな宣伝が来るが、
今日、<弱小メルマガ応援します>という宣伝が来ていて
さすがに不幸のメール送ってやろうかと思った。
自動で送っているんだろうが、実に不愉快である。
登録者数で判断するとな。

最近では、個人のメルマガでも相互紹介をしたくて
片っ端から宣伝メールを送ってくるやからもいる。
当然わたしのメルマガを読んでない。
そんな嘘はすぐばれる。
「いつもあなたのメルマガを楽しみに読んでます。
 これからもお得な情報を楽しみにしてます」
って、あほか。
情報発信なんかしてねぇっつんっだよ、ぼけ。

これでも、5年続いていて、しかも宣伝など
ほとんどしていないのにあの登録者数を
保っているのは、ちょっと自分の自信になってる。

要するに今夜は、ひとに毒吐きまくりで
不機嫌なくじらが、人生先がわからないのよ、
ということをいいたいらしいのである。

決して酔ってはいない。

2005年05月25日(水)



 フェスタ、フィエスタ。

今年も日比谷公園でアフリカンフェスタというのがあり、
わたしは例年とくに行かないときが多いのだけれども
何となく都合で行ってみた。

ガーナのシチューもエチオピアのインジェラも
どこかの香辛料たっぷりなケバブも食べたかったのに。

ひとがたくさん。たーっくさん並んでた。
やっぱ、東京なのよ。
どんなにアフリカンに盛り上がっても東京なのよ。

ビーズのアクセサリーとかカンガとか
いろんな民芸品や布、その他たくさんのものたちに
囲まれてジェンベが腹に響く。

はじけるような踊りに、血が沸き立つ。
でも、風は東京の風だった。

何気に、物悲しい底抜けの楽しさの中で
わたしはエンジョイしていたけれども。

2005年05月23日(月)



 ジャナグル。

ジンバブエから来たそのひとたちは、
はじけるようなリズムと音と動きで
ひとびとを魅了する。

本日最終日。
とつぜん、行くことになってジャナグルのライブへ。

とてもレベルの高い、ノリの良いリズム。
皆がそれぞれ、自然に身体を動かし踊り始める。

(踊らない人も多いんだな。なんでだろ。
 あたしはぜったい、じっとしてらんない)

血が沸き立つ瞬間。
渋谷と原宿の間のジャナグル。

ショナ語で、「明るい月」という意味らしい。

あまりにうれしくて幸せだったので、
誰かが死んだことをずっと思い出してた。

彼は、こんな音楽に包まれたことがあっただろうか。
南アのことを語っていた、その彼のことを。

だめだ。
まだよくわかんない。

2005年05月16日(月)



 セロウェ村にいる感触が。

今日はもしかしたら、ベッシー・ヘッドの息子
ハワード・ヘッドのお誕生日だったのではないかしらん。

急に思い出した。
手紙を書く、なんていってボツワナのセロウェ村を
去ってからすでに7年近く過ぎているのだが、
もちろん手紙は書いていない。

すごく、ベッシーに会いたいと思った。
息子である彼は、そっくりだったから。
いまでも、わたしはベッシーに会いたい。
彼女の声が残るカセットテープを大切に、
彼女の書いた手紙を大切にしている。

わたしがボツワナに行く前に死んでしまったなんて、
ほんとうに残念でならないな。
だから、わたしは書くんだったな。

セロウェ村にいる感触。
小説、ベッシー・ヘッドを。


今日は、ほんとうに泥のように眠った。
沼みたいに、すごく深く沈むくらいの、強力な泥。
戻って来れないかと思った。

開け放した窓でカーテンがゆれ、
雨が降って雷が鳴り、ひんやりした風が入ってきていた。



2005年05月15日(日)



 会議+会議+会議の合間に。

一日中、慌しくしていた土曜日だった。
ミーティングが三つも入っていた。
この忙しさはいたしかたないのだが、いかんせん眠い。

夕べは、資料の準備を終電近くまでしたあと
帰宅して思い立ち、また新しい資料の作成。
ボランティアとは、というフィロソフィカルな内容。
夜を明かす勢い。
それは、ブレーンストーミングだ。

語りたいことは山ほどある。
でも、わたしの頭脳は処理速度が遅く容量も無い。
(だけどセンスはいい。はず。)
今夜は眠る。

だけど思う。

窓に切り取られた東京の曇り空と光に思うのは、
誰かの死のこと。
会議で忙しくして、人の前で話をしたりして、
でもぽっかり穴が開いたような空白。

後輩が亡くなったことを、人づてに聞いた。
今日はお別れ会だったのだけれど、いけなかった。

このむなしさは何だろう。
どうして死ぬの、と問いただしたいのはきっと彼自身。
残ったものが強く生きていかなくてはならない、という
自分自身のことばを忠実に守るのは、きついこと。

胸の中の空白と、曇り空。
白い光が満ちて、慌しい日常を不思議に思った。

ずっと死のことを考えていた。
わたしはまだ、どうしていいのかわからないようだ。



2005年05月14日(土)



 くるみずんだの巻。

美味。
こってりたっぷりしたかと思いきや、
甘さがふっとひいていくこの憎さ。

ああ、美味。

風邪をひいたらしい。
熱もあるらしい。
派手なピンク色のペンでA3の紙一杯に
ハートを書いたら寝ようと思う。

何も考えまい。

2005年05月09日(月)



 図書館と昭和一桁の新聞記事。

昭和一ケタ台の新聞記事シリーズ。
本日は、図書館にこもりきり閲覧す。

件の曽祖父についての記事がないかと思い、
昭和5年と昭和6年(1930-31)の朝日新聞縮刷版を
ひとつひとつ丹念に見ていった。
非常に時間がかかったが、身体中がその時代の
空気に包まれていくような気がして、そのときの
社会がまだ息づいているような気がして
ページをめくる手が夢中になった。

曽祖父の記事は無かった。
しかし、南アフリカから羊毛を輸入し、
新たな市場として南アフリカを開拓しようとしている
日本の様子がとてもよくわかった。
当時活躍したひとの名前までわかった。

興味深い。
新聞は、時代の流れをあらわす。
そして、当時の国家のあり方をはっきりと映している。

日本には、南アの人種主義を批判する姿勢はまったくない。
むしろ、貿易の相手国として、さらには「日本を」
認めてもらおうとする姿勢ばかりが目に付く。
なるほど、なるほど。
こうして、第二次世界大戦に突入していったのだろうか。

また、当時の新聞にはだれそれが心中したとか
自殺したとかいう記事が多い。

********

『あふりかくじら@ブログ』にも掲載している。また、メルマガ『あふりかくじらの自由時間』【63】にも関連内容を記載。

2005年05月07日(土)



 ずんだMax日が暮れる。

仙台にも、趣味の良いアフリカ雑貨の店が
あることを知った。
一番町のすこしはずれのところである。

アフリカのものだけではなかったが、
フェアトレードということで、多くの装飾品や
めずらしい楽器や布類、アート作品、木彫りのもの
などが所狭しと並べられ、空間としてかなり
完成度の高い空気であった。

Maxという犬のような名前の二階建ての新幹線に
乗車し、東京へ向かい帰宅。

ひさかたぶりに会った仙台の祖母からは、昔の話を聴いた。
何故か、祖母とケープタウンがつながった。
*詳しくは、メルマガにて!

ところで、ゴールデンウィークの終わりで
込みあった車内では、隣に坐った男性が何故か
わたしの存在に落ち着かなかった様子。
その類の雑誌には、三つも四つも「袋とじ」が
あることを初めて知った。
それが落ち着かない理由か・・・。

グリーンオリーブを衝動的に100グラム購入。
ずんだ餅も食す。
絶品。



2005年05月05日(木)



 スコットランドの雨。

ひさしぶりに、「今日は休日」と決めた。
曇り空が真っ白でまぶしく、風がひんやり心地よい。
午前遅くに、<カレ>から電話。
(お。いいなー、このジョシコーセー的な表現!ふふん)

どうせ夏の終わりにはひとりでアフリカ行きなので、
こんな幸せな電話ほど胸にきゅんとくる。
人生は、淋しいことのほうがすこし多いような気がしている。

仕事のメールはしない。
忙しい仕事をしているけれど、面白くはある。
プロフェッショナルとしてはもう少しメリハリをつけて
きちんとしなくてはと思いつつ、
後回しになりがちな自分の周囲の物事を
少しずつ片付けることにした。

おもむろに掃除をしようと思ったが、机の引き出しから
昔スコットランドで買ったカードを発見し中断。
きちんと厚紙の額がつけられて飾れるようになった小さなカードで、
オリジナルは油絵なのだろか、重たい色で夏場の涼しい
ハイランド(スコットランドの北部地方全般を指す)の
殺風景な雨降りを描いている。
こんなに暗い色で寒々しいのに、かわいらしく温かな印象を
うけるのは、三頭の羊が紅白のカサに入って
とぼけた顔で雨露をしのいでいるからだ。

思い出した。
あまりにスコットランドらしくて、きゅんっとして
しかもスカイ島の風景に似ているからこれを買ったのだ。
とつぜんに降り出す雨。
でも、東京にいるときの雨のような嫌な感じはまったくない。

スコットランドの雨。

2005年05月01日(日)
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