あふりかくじらノート
あふりかくじら



 コミュニティと学問的世界の狭間で。

ほんとうはわたしとして何をすべきなのか
ふと立ち止まり、迷う。
市民社会って、何なのだろう。
わたしはこのような活動をして、結局自分として
何を得ようと言うのだろう。

わかっている。
ほんとうにやりたいことは何か。
でも、ここにきて迷うというのは、
色々なことが重なり参ってしまっているのも
十二分に承知してはいるが、もっとも大きな理由は
わたしの未熟さであり心の弱さだ。

わたしは数年越しのごまかしをしようとしている。
そういう風にすら思えてきてしまう。

ポストコロニアル状況を越えて、コミュニティの挑戦。
今日は、その話を聴いた。

そう。開発の世界はなんだかんだいっても「プラクティカル」だ。
(そして報告書を書くことが??)
しかし、生きていく上で人間の世界の話をはずすことは
やっぱりどうしてもできない。

今日の話は、高度なアカデミズムだった。

学問的に過ぎるのは疑問だ。
でも、ある域を超えた知識の集積は、やがて生命を持ち、
そして始めて意味を成す。
はっきりとその感触がわかる。

死んでしまった学問などいらない。
それをわたしは、ことばではなく、血であり肉である
生命としたいのである。
そういう苦しくて仕方のないところに、わたしはいる。

未知なる大きな物の姿を思い描き、恐怖する。
でも突き進むのみなのである。

ベッシー・ヘッド。
コミュニティの話は、まさにあなたの人生だった。
そして、あなたの見たボツワナとその歴史でもあった。
セロウェ村の風景だった。人々だった。

ああ、あなたが今日、あの教室にいたら
いったい何と言っただろう。
ポストコロニアルのコミュニティに、何を見ていた?
わたしは、どうすればよかったの?
すっかりわからなくなってしまった。

学問的世界と現実世界の狭間。
どうしても、ひとつの世界におさまることができない。
それは苦しいけど、目をそらすことができない。

彼女の小説には、何が書いてあったんだろう。
わたしが訳す、あの小説には。


2005年03月27日(日)



 ホテル・アコースティック。

最近すごく嫌なことがいっぺんにたくさんあって、
心がくたびれてしまったので、
今日は、何にも考えないことにした。

やるべきことも、書くべきメールも、
翻訳のことも考えてなかった。
お昼休みには、いつもみたいに作業じゃなくて、
カフェに行って本を読んだ。

大切なひとの気持ちにものすごく癒されたあと、
ひとり帰り道を歩いていたら
たっぷり満月に気付いた。

新しくできた真っ白なリゾートホテルの
大きな大きなガラスからやわらかい光が漏れ、
その中に吸い込まれてぼんやりしたくて
たまらなくなった。

深夜のラジオからは、
アコースティックな音色が流れる。
キャロル・キングも流れる。

ホテルでぼんやりすることが、わたしの望み。
ラジオを聴いて眠ることが、わたしの時間。


今日は、そんな日。

2005年03月26日(土)



 『優しい時間』がほしくて。

実家に戻り、また母と暮らすようになってから
すでに数年が経ってしまった。

母は、少し歳をとった。
わたしだってもちろん、歳をとった。
もう、三十路に手が届きそうなところにいる。

しかし、たとえば街で若い母親と赤ん坊をみかけると、
いくらその若い女性がわたしよりも年若だったとしても、
母は必ず、女性ではなく赤ん坊のほうをわたしと同列に見た。

テレビドラマを見るたび、
「いつか(結婚する)本物のひとに出会えるからね」と
白馬の王子様思想を親身になってわたしに言った。

わたしには子どもはいないが、母親というものにとって
子どもはいつまでも小さな子どもなのだろうか。

小学生の頃、お友だちが遊びに来たときにわたしが
お茶を淹れたりすると、必ずお友だちの目の前で
「あら、珍しい。そんなの初めてじゃないの」
ということを言った。
もちろんわたしのプライドや面子は子供心にずたずただ。
わたしが27歳ごろに知人を自宅に招いたときも、
同じことを目の前で言われた。
いつまでたっても、わたしはお茶を淹れるのが初めてなのである。

年を経るにつれ、母は以前にも増してこういう態度を
とることが増えてきた。
年齢によるものもあるのだろう。
それはわたしをいつも哀しくさせる。

そしてやっぱり、心が乱されるのは、
わたしの中に自分の生き方に対する焦燥感や不満や
色んなものが鬱積しているからなのだろう。
それがよくわかっているから、年とともに、
わたしのなかにも、そんな母との関係が辛くなる部分がある。
周囲は結婚し子どもができたりし、わたしは大学院など出て
会社勤めはせずに何やらまだまだあれこれやっている。


兄弟の一番上であるわたしはいつも、この家で昔から
新しいものを開拓してきた。そして親と対立してきた。
大学一年生の頃、友だちの下宿にみんなで泊まろうとしたとき、
「お友だちの親はそんなことのために娘さんに
一人暮らしをさせたのではない」と電話口で大騒ぎをし、
わたしだけ無理やりひとり家に帰された。
皆の前で恥をかき、皆の雰囲気は一気に最悪になった。
でも、いまでは弟が何日帰って来なかろうがひとことも言わない。

二十歳になる直前、わたしは一人暮らしを始めた。
数年間離れて暮らすと、ずいぶん母親との関係も良くなった。
ほとんど会わなくなることにより、家族と付き合いやすくなった。

でも実家に戻ってしばらく経つと、また同じ状況に戻ってしまった。


結婚と言う形を取れば、これも落ち着くのかもしれない。
でも、母親は白馬の王子様的なものを信じているから、
結婚をしていないわたしの恋愛は彼女にとって
「本物」ではない。

わたしの恋愛の延長線上に結婚が無かったとしても、
本物でない恋愛だなどと、誰が言えるだろう。
もちろん、母に話をするわけではないけれど、
話したとしてもやっぱり
「いつか本物にきっと会えるからね」になるだろう。

恋愛や結婚の形は人間の数だけある。
わたしの恋愛は、結婚というわかりやすい形態を
とってはいないし、その予定もまずない。
そして、こういう形を望んでいたからこうしているわけでは
もちろんない。

わたしはいま、過去のように無理やり「結婚」という型に
自分を当て込もうとしなくなってから、
人生がもっと孤独になった代わり、辛いことも増えた代わり、
生き易くなった。

ただ一つ言えることは、母親でも他人だということ。
だからこういうことが分かり合えるとは思わない。
でも、その分、わたしの個人的な人生と関係付けることなく、
母を大切にしていきたいのである。

『優しい時間』のように、
自分と向き合うやさしいときが欲しいと切に願う。


2005年03月25日(金)



 厳然たるもの、迫り来るのだ。

それは何か。

「ブリジット・ジョーンズ・ダイアリー2」である。
観たい。観たい。すごく観たくて腰が浮く。
ブリジット大好き。
そしてこんな自分が恐ろしい。

迫り来る「負け犬症候群」に女たちは惑わされ、
水曜日(レディースデイ 1,000円也)にはひとり
映画館へ向かう。
ポップコーンとでっかいコーラを手にして
口をあけてスクリーンに引き込まれていくそのツラ。
ビバ、三十代。(注:くじらはまだ二十代)

それは負け犬?
でもブリジット・ジョーンズの原著も思わず読んでしまったし、
あたしはもうこういう生き方なんじゃないかといじけてみる。

でもね。
気持ち良いわけです。
この、変な脅迫感とともに生きてゆくのが。
そして、ブリジットを観て笑うのが。

「負け犬出版」の設立を真剣に考えよう。
あ。確定申告、ちゃんとしなくちゃね。そうでしょう?

2005年03月16日(水)



 記憶は現実とつながるのか。

小さいときから引っ越して転校して育ってくると、
時間と場所と記憶とが不思議に強く結びついていく。

友だちも、住んでいる街も、長い年月わたしのなかで
続いたことは、考えてみたけれどやはりなくて、
そうすると、過去の時間はその場所に閉じ込められていく
ことになるのである。

でも、人生とは皮肉なもの。おかしなもの。
アラスカ州アンカレジに住んでいた中学生時代、
同じ学校に通ったひとと連絡が取れそうな気配。
ほんとうにぐうぜんのきっかけで。

いつか彼女に再会するんだろうか。
「昔のひと」に会うのは、初めてである。
わたしの記憶と場所と肉体、その時間軸は
どのようにゆがめられてしまうのか、
恐ろしいけど覗いてもみたいきがするのである。

2005年03月13日(日)



 春が来たってさ。

学部のときの後輩と、それから先輩の元教え子さん。
このふたりの年下の男の子から、おんなじ日にメールが来た。

ひとりは、独学で頑張って保育士の資格を取り、
実務経験がなくて就職活動に苦労していたけれど
やっと学童保育で働くことに決まったらしい。

もうひとりは勉強熱心な人類学者で、博士課程合格したとか。

そういう季節なのかしらね、四月を目前としたこの時期は。

わたしはといえば、相変わらずばたばたと落ち着きなく暮らしてる。
砂浜に上ってきたうみがめのように進まない。
だけど、ずうっと昔の自分から見てみるとずいぶん
進んできているんだよね。

仕事を決めるのも大変。
進路を決めるのも大変。
それでも、迷いながら迷わなくなってきた。
さくっと決断をし、他の選択肢を切り落とすことが
できるようになって、
腹もちっとは据わってきたんかいな。

だから次は、もっと自分のいるべき場所に近づきたい。

それから、自分の言いたいことをもう少し言える場所へ行きたい。
わたしの人生で、できる仕事ってとても限られているのだから。

2005年03月12日(土)



 十年以上も前、人生変わったとき。

女子高生だった頃、その方の本に出会った。
世界の高齢者福祉をルポしたものだった。
日本の高齢者福祉の遅れを知り、なんたること、と思い、
わたしはそれから福祉の道を志した。

スウェーデンにも行ってみたし、老人ホームでも働いた。

いま、めぐりめぐってアフリカのことをやっている。
福祉は、人間生きていくところどこにでもある。

その方は、日本の福祉を変えるには国政からだ、
と息巻いていた若き日のその本の意気込みのとおり、
いまでは国会の中でもとくに福祉に力を入れた議員として
大活躍されている。

今日、初めてお会いした。
講演会にいったのである。

十年間わたしの心の中に
ひとつの支えとなっていたその人は、
やっぱり昔とおんなじトーンで、熱く語られた。
すごく面白い夜だった。

十年以上、たったんだ。
わたし、ここまできている。

(詳細は、新しく立ち上げたブログにて)

2005年03月08日(火)



 うみがめを見て完成度も高く。

このままこの日が毎日続けば良いのにと思うほどに、
今日は無邪気に幸せな一日だったように思う。

その日の仕上げとして、ドラッグストアに行って
日常の小さな買い物をし、それからツタヤで映画を借りて、
服を少しだけ見て、化粧品を買う。

今日という日の満足度さえ高めれば、
わたしは当分それで良い。
この先の人生のことも考えることもなく。


うみがめのくだりは、内緒。

2005年03月05日(土)



 本日は、あらすかくじらなり。

あらすかくじら、積雪に興奮す。
雪解け道がぐちゃっとしていればしているほど、
真新しい誰も足跡をつけていない雪がまぶしい。

右折しようとしたバスが横断歩道を渡るお兄さんの姿を見て
渡りきるのを待ってあげてたんだけれども、
途中の中央分離帯で立ち止まって、
まだ誰も踏んでない雪を夢中でざくざく踏んでるお兄さん。
しーん…と待つバスドライバー。

いい。
この風景。
誰もが子どもなはずさ。

アラスカの、分厚くってこれでもかっていうくらい
しーんとした大きな雪景色を思い起こす。
あのとき、くじら11歳。
雪は静かなんだって知った。
マイナス三十度だった。

これぞ雪、っていう景色は東京では見られない。
でも、なんとなく思い出してうれしくなる。

東京の積雪に大騒ぎするニュースをみていると、ふと思う。
靴がいけないよ、みんな。靴。

2005年03月04日(金)



 おせーんだよ、てめぇ。

このような言い回しを不意に耳にしたとき、
それが中学生の女の子のようなとてもかわいらしい、
およそ「てめぇ」などというべらんめえ調とは到底
調和しないようなトーンと言い馴れない発音だったりすると、
なんだかきゅんっと落ち着かなくなって、そわそわした気分になる。

中学生の女の子。
気を張っているのだ。アピールしたいのだ。
でも、なんていっていいのかわからない。
だから、「てめー」になるのだ。
でも、そんなにかわいくて高い声だと、なんだか
またまた「せつなく」なってしまうよおジョーさん。

でも、わたしにもそんな日もあったのかな。

どすを聞かせた「てめぇ」ができれば一人前。
わたしはそれで自分の身を助けたこともあるんだな、これが。

2005年03月02日(水)
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