あふりかくじらノート
あふりかくじら



 くじらサンデーの過ごし方。

日曜日なので、
日曜日らしく過ごすことにしました。
江國香織の「ホテルカクタス」をかばんに入れて
さっそうとお台場へ向かいました。

ときおりお台場に出かけるのは、
お気に入りの英国のお店が
ここにあるからです。

きょうはひとりです。
とびきり華やかな色の服がほしくて。

カフェで手紙を書き
南アフリカのケープタウンに住む友だちに
すごく似合いそうに涼しげな
濃紺の甚平を
衝動買いしてしまったけれど、
あれ、ケープタウンはいま
……冬?


2004年06月27日(日)



 犬養道子、途中経過。

大学生のころ、師匠が言及した書がいくつかある。
彼は学生に「課題図書」を課すことなどぜったいに
しない人間なので、ときおりだしてくる書名は
いつも印象に残る。
犬養道子の『人間の大地』もそのうちの一冊だ。

こう毎日図書館にいるのにPCばかりに
向き合っているのもときに退屈で、
いつも余計な本を引っ張り出してきては
読みふけってしまうのである。

というわけで、『人間の大地』どころか、
分厚い『犬養道子自選集』全七巻を片っ端から
読んでしまうという暴挙に出た。
(でもまだ二巻目。ちなみに『人間の大地』は第三巻にある)

犬養道子がアメリカを目指した『お嬢さん放浪記』から
始まって、祖父の死(五・一五事件)からアフリカに
導かれるまで、その流れがすこしわかってきた。

まだ途中なので、一巻で印象に残ったことばを
ひとつだけ記す。

「人間は最も素朴なところで一つである。
 驚くばかりに一つである。しかし人の属する集団の
 ─国と呼ばれる集団の、生まれ育った生い立ちと、
 生い立ちを包んだ風土や事情、生い立ちながら身に着けた
 文化・社会の特殊性等々は、それぞれ独自なればこそ、
 それぞれの集団のそれぞれの人間は、
 またそれぞれに独自である。
 『理解』という単語の『理解』のしかたひとつ取っても、
 国それぞれで微妙な違いのあることを、
 私はあの皮椅子の上に坐っていまひとたび思い知った。
 素朴なところで一つながらに、歴史や文化の積み重なりが
 増せば増すほど、ある意味で互いの『理解』はより難しく
 なるのではあるまいか…(以下略)」

犬養道子『私のアメリカ』(フレイム・ハウス)より


2004年06月26日(土)



 くじら向けでないもの。

昨日の飄々とした美容師青年が言ったこと、
もうひとつ思い出したので書きます。

自分には向いてないって言うのは、
要するに、勉強するのがめんどくさい、
ってことなんすよね。
(資格や何かの話をしていたのですが)

ほほう。
と、思った。
そうなのね。
そういうことでもあるわけなのです。

自分にリミットをつくるということは
自分自身の可能性を閉ざすこと。
そして、「できない」という結果は
「できそうもない」と自発的に閉ざしてしまった
自分の心に原因がある場合が多いのだろうな。
ポジティブに生きていきたい。

今日は、アメリカから来られたティヤンベ・ゼレザ教授という
マラウィ出身の有名な先生の講演を拝聴。
歴史家として、アフリカの「民主化」を
多角的に、かつポジティブに捉えようとしている
姿勢に深いところで共感。
聴いていて気持ちが良い。

アフリカのいわゆる民主化が浸透していないという
ことについて嘆くのではなく、体系的に分析。
学問は、こういう前向きな方向性に結び付けてこそ
面白いように思う。

リミットをつくらず
未来を閉ざさず。


2004年06月24日(木)



 飄々と生きる。

わたしは不器用に生きているからかもしれない。

飄々と生きているひとに
あこがれていた。
世俗的なものにとらわれていない
自由な生き方をするひとたちに。

雨が降っても
陽が射しても
涼しい顔をしているひとに。

今日、わたしの髪を梳きながら
サーフィンが好きだから
海辺の街へ移り住んだと言った、
あの美容師の青年のような、
そんな生き方。

そういう、微塵の嫌味もない
どこか達観したように
落ち着いた笑顔。

とりあえず、飄々と生きているふりをして
遠い国まで行ってしまいたい。

2004年06月23日(水)



 人生は刺激的でうつくしい。

目の前の壁に大きな世界地図がある。
アフリカが真ん中にある英語表記のやつ。
わたしはいつもこれを眺めては、
明日どこへ行こうか夢想する。
無限大の可能性がある。

旅をして、愛を見つけちゃったりして、
そのひとの国にさっさと移住してみちゃったりして、
なんていうストーリーがわたしのまわりに
いくつかあって、聴いててわくわくしてしまう。

人生は刺激的でうつくしい。
この世界には、たくさんの人がいる。
まったく違った暮らしが待っている。

やっぱ、アフリカかな。
ボツワナかな。

とりあえず翻訳しまくっていたら
空気が足りなくなったので
台風様の暴風を部屋に取り込んだ。
酸素がたっぷりで息苦しくなった。

この風は、どこからくるのだろう。

2004年06月21日(月)



 あふりかくじらの物語。

妄想狂のわたしは、ときどき狂ったように
言葉とイメージが天からふってくるのに
いたたまれなくなって小説を書きます。

というわけで、やるべき課題やら翻訳やらが
あるときに限って頭が冴え、夜中にやおら
PCを取り出し何かの儀式のように
ぱちぱちとやり始めるわけなのです。

書いているときは苦しいのですが、
書かないともっと苦しいのでやっぱり書きます。
でも、書いている自分はなんだか宗教的で
とてもこわいものがあります。
おかしな世界へ引き込まれてしまったらどうしよう、と
本気で心配したりもします。

だから、根性のなさも手伝って、小説は
短篇のものしかかけません。こわいから。
生きていくうえで、わたしに必要なもののうち
とても大切な要素なのです。
こんなこわいことが。

2004年06月18日(金)



 あたしスタイルで。

何年ぶりだったろう。
横浜にある母校を訪れた。
ここに通い始めたのは18歳のときだったなぁと。

ひさしぶりに恩師のゼミに出席。
わたしのいたころも、毎週のようにOBの方がきては
重箱の隅をつつくかのようなチェックをして
いたんだけれでも、それはほんとうに良かったと思う。
わたしは、重箱チェックはしなかったけれど、
誰かがやっている研究をじっくりきくのはいいことだ。
わくわくする。
あんなことも、こんなこともある、って未知の分野を想像する。

あれもこれも「わかった」という研究よりも、
あれもこれも「わからない、知りたい」という研究のほうが
深く進められるように思う。
わかった、は自分でリミットを作っているということだから。
社会科学にそういった意味の答えはない。

だからわたしはこのゼミで、「わからない」と思うことを
学んできた。それをすべての原動力とした。
あたらしい未来が開けた。

女の人生は長いんだから、って緒方貞子さんが書いていた。
アフリカは人間の暮らしている大地。
研究一筋でも、足りない。
現場一筋でも、足りない。
これからの三年間をおもいっきり有意義に過ごそう、
という考え方をもって選択を躊躇するのではなくて、
「わからない」ことへ向かって
「やってみたい、知りたい」ことへ向かって
物怖じせずに突き進んでいくことを覚えた。

あと二年で三十路です。早いものだ。


2004年06月16日(水)



 どの街に住んでも自由。

どの街に暮らそうがわたしは自由。
この街も案外悪くないと思ってる。
でも、すこしだけ長くいすぎてしまったから。

今日、図書館の席がいっぱいで、
いつも「蛍の光」が流れるまでいるのに
二時間ソファでPCに向かってあきらめた。

あるとき人生のハッピーな転機があって、
同じ街にたまたま越してきた大切なひとがいる。
ひさしぶりに会って、甘いものを食べた。

この街にいるのも、悪くない。
でも、これからずっとはいられない。

新しい人生へ。
生きていくのは孤独だけれど、色んな街のにおいに
わたしは敏感になっていたいのだ。
だからひとつところにはいられないのだ。

今日は、そういう話をした午後だった。

******

先月、スコットランドはエディンバラに行ったときの
お写真を若干アップしました。画期的。


2004年06月10日(木)



 アフリカン・スピリット。

ケープタウンの友人から、南アのヒット曲を
集めたオムニバスCDが届いた。
ああ、そうしてわたしは今夜もそれを
おもむろにステレオにセットし、
ボリュームをあげるのです。

血が滾るとはまさにこのことで、
ダンス・ミュージックのリズムにわたしは
じっとしていることができません。

先日エディンバラのあるクラブでアフリカン・ナイトという
ことでアフリカ系のDJがはじけるような曲をかけ、
じっとしていられない仲間たちと共に
夜が更けるのを忘れて踊り狂った記憶が
はっきりとよみがえります。

本気でアフリカの血が入っているんじゃなかろうか。
母親に言われました。
母親でなくとも、わたしも少しうたがっています。

どうしてこう、静かにしていることができましょう。
その、リズム。
その肉体の高揚。
何も飾らず、何も気取らず、しかも思うがままに
伸び伸びとしたその激しさ。

2004年06月07日(月)



 サンダルウッドの香り。

翻訳をする。
ものすごく集中力の要る仕事。
これでもかというくらい、狂ったように
ばちばちキーボードをはじくのだ。
いまのわたしには、ベッシー・ヘッドの作品を
翻訳することが最大の仕事。

それからいろいろとじっくりこなそうと思う。

でも三時間くらい翻訳すると、脳みそがぼんやりとして
おかしな行動に出る。
なので、夢想したようにインターネットで
スコットランドはエディンバラの
うつくしいフラットを探しまくり、
値段の相場を吟味する。
そうすると、心がだいぶ元気になってくる。
夢を見るということは、生きることの原動力だ。
あたしはココに住むのダ!ってね。

お部屋に帰って、白檀のお香を引っ張り出して、
論文に苦しんでいた日々の
深夜の部屋の空気に浸る。

また、新しい思い出をたくさんの人たちと
たくさんの場所でつむいで生きたいと、
切に願う。

思う存分、生きることのできなかった
ひとたちのために。

2004年06月04日(金)



 ファインダーを通した世界。

ウェブサイトのトップページにあるネコの写真は、
2001年にギリシアのパロスという島を旅していたときに
撮影したものなのであります。

初めてお会いしたどなたかが、わたしの写真を
気に入ってくださり、早速パソコンの壁紙に
してくださったということで
わたしはほんとうにうれしくなりました。

旅先に、わたしは大量のフィルムを持ち込みます。
いつも結局数本程度しか撮影しませんが、
それでもぜひごらんいただきたいうつくしい写真
(われながら!)がたくさんありますので、
地道にアップしていこうと思います。

文章もそうですが、写真もまたたくさん伝えられることがある。
わたしの意識のフィルターと、ファインダーを通した世界。
そうしてわたしの心は少しずつ澄んでいきます。

エディンバラの石畳の風景や、懐かしい大聖堂、
(うつくしいコーラスを聴きました。無料!)
ロイヤルマイルという大通りにたくさんみられる
クロースと呼ばれる横道から見える、ニュータウン
(といっても実に古い)の眺め。
そして、二度目のストックホルム。

ぜひ、あなたにお見せしたい。

2004年06月02日(水)



 心豊かな生活のこと。

英国に行くといつも思うけれど、
生活のひとつひとうのことを素直に楽しむという
とても当たり前のことを、みんなけっこう自然に
実践している。

これは、お金をかけるというのではない。
こうやって日本で都会暮らししていて、
とくに会社員だったころはほんとうに
お金をかけることばかりの日々を送っていた。
それでもまだ、満たされていなかった。

でもどうだろう。
友人にもらったキャンドルをひとつ灯して、
数が少なくても質の良い靴や服はずっと大切に使い、
ひとりで過ごす時間を大切にし、
友人や家族で過ごす時間を大切にする。
日々の雑事に忙殺されない。

たくさんのお金を使わない。

そういう小さなことの数々を、
ふと立ち止まって一拍おいて楽しむことがたいせつ。

限られた人生の時間の中で、
どれをいちばんたいせつにするか、だと思う。


2004年06月01日(火)
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