あふりかくじらノート
あふりかくじら



 アラスカつながり。

劇団ひとりという方、いらっしゃいますでしょ。
どうやら私とおんなじ学年のようですね。
しかも小学生のころアラスカに住んでいたとか。
ちょうどわたくしと入れ替わりですね。
私は六年生からですから。

なんか、ちょっと親近感。
でも、きっと探せば日本にこういう経験のあるひと
けっこういるはずなんだがね。

ともかくアンカレジ暮らしのことを書こうかと思って
PCひたすらにらむ日々でございます。

2004年04月30日(金)



 図書館の陽だまりの中で。

今日もくじらは、例によって図書館を泳いでいました。
なんともいえない良いお天気です。

週末に控えた研究発表の為に猛勉強するはずなのに、
なんだかもう
日本近代文学のこととか
英文学のこととか
糖尿病の治療のこととか
「死ぬ瞬間」とか
土星のすべてとか
アフリカ史とかブロードウェイとか、
色んな本が並んでおりますでしょう?

奇妙な興奮のうちに、時がたつのを
忘れてしまうのです。

過去のわたし。
現在のわたし。思考の流れ、生きていく時間の変化で
本の色合いも違って見えるのです。
そうすると、わたしはわたしの人生と
いちばん向き合えるのは、こういう時間なのではないかと
本気で思ったりするのです。
あんなときもあったな、と。
あんなひとがいたな、と。
こんな未来もあるのかもな、と。

心の中で、ね。
本題はどこへやら。

2004年04月22日(木)



 言語センス次第。

わたしの言語センスが誰よりも優れているとは
もちろんいえないし、最近は自分の書いたものを
あれこれ評価される機会が多いので
穴があったら入りたくなることもあるけれども、
わたしの感覚が、南アフリカの作家ベッシー・ヘッドに
つながり、アフリカに導かれることになった
というのもまた動かしようもない事実だ。

子どものころアメリカで英語に出会ったとき、
語学としての英語だけではなくて
初めての海外生活の中で、
文化の流れに密着した言葉の成り立ちや、
太平洋の広さなど、つまり日本とはどんな遠いところで
あるのかということを感じ取ったということは、
わたしの「言語センス」を形成する重要な過程で
あったということだ。

翻訳、「文学の研究」(「文学研究」ではない)そして
作家ベッシー・ヘッド研究やアフリカ研究なども、
そいうところにつながってくるのだと思う。
辞書で単語を引いたって、到底わからないような
血の流れた言葉のあり方。センス。

だから思う。
わたしのアフリカ滞在記を読んで
「英語ができないハプニングがあれば面白いのに」
と言うのはまったく見当違いのご意見だ。
英語ができないわたしが、どうしてあんな形で
アフリカに導かれようか。

なんてね。

2004年04月21日(水)



 部屋と石とわたし。

銀座に毎日いる。
天然石とビーズアクセサリー展の手伝い。

小さなギャラリーに所狭しと並ぶ
色とりどりの光たちに見つめられて、
表題のようなことをぼんやりと考えながら
翻訳を進めようと試みたりする。

石にはパワーがあるのだ。
宝石ことばとかそういうものを
信じようとするわけではないけれど、
それでも
あの落ち着いた光は
大地のエネルギー。
凝縮されたようなパワーには
ときどき油断するとやられてしまう。

生きていくうえで、強くあることは
大切なのだ。
なぜか。

石にあたらないようにするためだ。

2004年04月17日(土)



 ジョージア・オキーフと白い骨。

モダンアート。アメリカ芸術。
ジョージア・オキーフの油彩カンヴァスの
色鮮やかさと時が止まるほど強烈で
ぴしゃりとあってくる焦点。

真っ白い牛の頭蓋骨が中央にすえられて
音のない衝撃がおそってくる。

なんて静かで力強いのだろう。

いつのころからか
真っ白な牛の頭蓋骨のイメージが
わたしの心の中にすみつき、
いつかわたしはそれを手に入れたいと
願っている。

ロンドンのナショナル・ギャラリーで
アフリカ展に何度も足を運んだとき、
たくさんあるうつくしい木彫りのお面のなかで
まるでうつくしく白い骨のような牛の頭が
滑らかに彩られていた。

わたしはあの前に張り付き、
無心にスケッチをしたっけ。

白い、骨。


2004年04月08日(木)



 すべてのうつくしいもの。

すべて、うつくしいもの。
目に映る、すべての世界。

やさしい太陽の光、色とりどりの街。
コーヒーの香り、きらめく桜。
行きかう車の喧騒、ショップに飾られた
うつくしいかばん。

それらをひとつひとつ、
すべて分かち合いと思うから、
それを感じる心の中に
同時に存在してほしいと思っているからこそ、
わたしは好きなひとにそばにいてほしいのだ。

心の中を、抱いている思いを
思考の流れを、希望や理想を語り、
それを聴いてほしいからそばにいてほしいのだ。
わかちあい、わたしがここに存在していることを
証明してほしいのだ。
絶対的な、この現実世界における
安心感を手に入れたいのだ。

そして、幸福感に浸りたいのだ。

不意に、何かの拍子に心が崩れてしまわないように。
その防護壁を、自分自身がずっと持たなくて
すむように。

世界が、いま、この瞬間だけ、
その安心感で輝いてみえるように。

それは、愛ではないのだろう。

2004年04月05日(月)



 無印良品色の午後に。

用もないのに無印良品をのぞくことが、
まるで日課のようになっている。

ブナ材のライティング・デスク、
オフ・ホワイトの綿100%の手触り、
パイン材の無垢なうつくしさ。

日々の些末な物事に追われ、雑然とした精神状態に
なっているからだろうか。

2004年04月04日(日)



 ジンバブエの空気と時間を。

頭の良いひとだと思う。
わたしはいつも考えがまとまらずに
断片的な言葉をまくしたてるけれども
彼はそれをひと粒ずつつなげて
きれいな形にして
的確な返答をする。

遠くを見つめる瞳。
ミュージシャンであるゆえの
独特のカン。
善良な生き方には無駄がない。

アフリカの伝統的な楽器ムビラ<親指ピアノ>は
そんな彼にしっくりくる。

ジンバブエの街から少し離れたところ
訪れたこともないけれど
その空気を知っているような感じがした。

ゆうべも、そんなひとに会った。
わたしはまた、彼の世界に引き込まれてしまった。

もうすぐジンバブエに帰るって。


2004年04月03日(土)



 侵略の構造。

伊賀の里にて
全員、忍者の格好で
市議会が行われたという
パフォーマンスの話が、
夕べテレビであったけれどもね。

浦安市だったら
やっぱり市議会議員が
みんなミッキーの耳をつけて
開催されるんだろうか。

ただでさえ多くの面積を
オリエンタルランドに侵略されているというのに
(恩恵は受けているのだが)
やっぱりそんなことしたら
完璧にのっとられるかしらん。

市長はミッキーか?
それもどうかと。

2004年04月01日(木)
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