あふりかくじらノート
あふりかくじら



 クラシック・バレエの麻薬効果。

バレリーナになることを信じていたのは、
そう遠くもない昔のことだ。
バレエを愛した。
いまでも、バレエを愛している。

メールマガジンを読んでくださる方の中で、
ときどき丁寧なメールをしてくださる方がいて、
最近、彼女の書いたエッセイを読んだ。
そこには、わたしが少女時代愛した本を
彼女もたいせつに読んでいたことが書かれていた。
バレリーナ森下洋子の半生記だ。

「レッスンを一日さぼると自分にわかり、二日さぼると
 パートナーと先生にわかり、三日さぼるとお客様にわかる」

クラシック・バレエは、高潔だ。
偏見かもしれないが、ほかのどんな踊りよりも
うつくしく厳しく、高潔であると思う。

5歳のころ、わたしはクラシック・バレエをはじめた。
レッスンは楽しく、バレエはうつくしく、わたしは
どんどんバレエを愛した。
バレエのない人生など、考えられなかった。

操り人形のように一本の糸でつるされて、
芯が通ったようにすうっとまっすぐ踊る。
きれいに伸びる手足、指先の表情。
マイム、と呼ばれる、セリフのかわりに身体で表現する
独特のことばがある。

うつくしいピルエット、フェッテ。
きれいなポーズほど、きつい。

バレエに魅せられているのは、ほかならぬバレリーナである。
あんなにきついのに、やめることができない。

わたしはバレエを愛している。
あの、舞台のうつくしさに凝縮された感情を。

        ★       ★

戦争が終わったから、もう戦争はないのかというと、そうでもない。

2003年04月20日(日)



 書くということの心地よさ、およびその苦しさに関する事項。

紙とペンが心地よく、その手触りとか感触─ペンが滑っていく─
について、わたしは考察する。

全身で感じるその流れとは、たとえば脳の中から無作為にあふれ出す
ことばたちの不確実性だ。
あるいはそれは、意図されたものでなくとも何かをがっちりと捉え、
一文字ずつがおそろしくかっちりはまっていって何らかの生命の
意味を持つ。
そういうことがものを書くということで、そしてそれらの無数の文字が
錯綜する中で、わたしの意識の断片とか、深い泉の底から引き上げられた
どうしようもなくうつくしく、異質なかけらが紙の上に踊り、おちていく。

そして、それを意識の中(あるいは潜在的な)から引き出し
書きつけたわたしはその瞬間、すでにそこへは戻ることができないのだ。

旅を熟成させる、とはわたし自身がよく思う概念だが、
そのようなこともまた、文字や断片の力にあやつられているばかりの
わたしをいらだたせる。

文字をかきつけ、紙に色がつき、くたびれている。
よれっとしたその感触、何にも代えがたく心地よいものだから、
やっぱりわたしはまた、そういうわたし自身を救うために
書きつけるのである。

それだけのことだ。

2003年04月13日(日)



 桜が吹き飛ばされるその様子。

イラクで国際空港が制圧されたとか、
香港で何割の人がマスクをつけているとか。

今日、桜が散ってしまうのでしょうか。
暖かい春の昼下がりもあれば、今日のように
雨風の強い午後もあるわけで、同時に
世界のどこかで誰かが死んで生きます。

ベッシー・ヘッドなら何を思うだろう。
何を書くだろう。

わたしの意識のフィルターを通した世界を、
こうして映し出していく中で、どこかの誰かが
それに共鳴してくれました。

わたしは、書き続けていくのだと思います。
雨が降るから。
何かのために。
ベッシーの思いのために。
ほんのかけらの幸福のために。
誰かの心のなかとの共鳴のために。

この世界を分かち合うために。

2003年04月05日(土)
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