あふりかくじらノート
あふりかくじら

■■■
■■
■ 脳みそと文字の友好関係。

文学のこと。

アフリカの大地に属するための、
言語、そしてセクシュアリティ。

そのまわりに恐怖と悪夢が渦巻く。
善と悪。
力の拮抗。そして、そのふたつの罪深い融合。

ベッシー・ヘッドは、そうして創り出された
人工的な「悪」のなかに生まれ、生きた。

文学がそこに表現できるもの。
その限りない可能性。

アフリカの立体像が、ここに見えてくる。
彼女の、彼女流の、「属し方」。

そしてわたしはそこから、逃れられない。

2001年04月24日(火)

■■■
■■
■ 丘にのぼれば空へちかづくから。

丘くじらです。

三方を海に囲まれたエディンバラの街。
そのなかに、雄々しく威圧感のある岩山がそそり立つ。
アーサーズシート。

ハイキング気分の登山コースをたどる。
行って帰ってほんの二時間ほどのコース。
隙のない切り立った崖の、岩の存在感。
木がまったくはえていない、岩と草の丘。
なだらかな斜面が、天へと導く。

わたしは何故のぼるのか。
「丘にのぼれば空へちかづくから。」
そのときだけ、いまは亡き人との想い出をとりだし、
生きている自分の、地を踏みしめ登りゆく
足に腕に肩に、そこに流れる血液の温度に、
大切に染み込ませてゆく。
これは、生きている自分のための、ささやかな儀式。

360度のパノラマは、古い街に秘められた魂と
遠くに煙るブルーグレーの山々と島。
そして、なんだか哀しい色の海。
あたたかい風景、だとおもった。
地球の上で、わたしがどの位置にいるのか、
考えてみた。

2001年04月22日(日)

■■■
■■
■ 地球の裏のそのあたり。

テレパシー。
言葉に出さなくても、誰かの考えていることがつたわる。
それがたとえ、手の触れられる距離にいるひとでも、
地球の裏側にいるひとでも。

突然、誰かに電話をかけたいと思う。
その誰かが、偶然わたしのことを考えていたりすることもある。

突然、どこそこへ行きたいと思う。
その場所へ、いろんな偶然が重なって導かれる。

テレパシー。
でも、それらはたとえば、多くの偶然が重なって起こることでもあるし、
また色々な条件とか感覚の共有とかが、必然的に導くことであるのかも
しれない。

フィードバック。
自分の昔おとしたことばのかけら。

そういえば、くじらの歌声は何千キロの彼方まで届くとか。
いったいどんな会話をしているのだろう。


2001年04月20日(金)

■■■
■■
■ 追憶の夕暮れ。

哀しみのなかに生きているひとが
ほんとうにたくさんいるのだと知りました。

いえ、知っていたのだけれど
眼を閉じていました。

わたしは、いまこの地球の上にいて
この街がこんなに好きです。
故郷とかそういうものよりも、
安らぎと愛着と帰属を求められたら。

わたしは、こうして生きていきます。
誰かの哀しみのことを考えながら、
どちらかというと
わたしのなかのきれいな想い出のために
何より、生きている人間のために
わたしはその行為をします。

天気のいい日に、海と街がきれいに見渡せる
あの山に登ろうと思う。

もう、一年経ったから。


2001年04月11日(水)

■■■
■■
■ 仁侠くじらの盃

すべては、死のために。
劇的なる生の軌跡は、仁義とか義兄弟だとか
そういうものにまみれ渦巻いたまま、死に至るのみ。

午後8時のエディンバラ、雲の多い夕暮れの空に
血しぶきの中、何度でも撃たれ弾かれる身体を
フラッシュバックさせる。

北野 武 『BROTHER』
夕べの映画の記憶から。

たとえば彼は、そうやって生きていくしかなかったわけで、
あまりに孤独な魂が生きるには、もう誰かを殺していくより
ほかに術がなかったのだ。
彼の淋しい人生は、人を殺し続けることで彩られていたし、
それはあまりにも遠くうつくしい孤独。
そうして、自らの死の瞬間に収縮されていく、ただそれだけの
すべての営み。
ぷつりと切られるエンディングは、そのことばの重みと
死と愛と、永遠に続くしかないそういう人生を示唆している。

哀しい人生。

死の感触を知っている人間。
それはこういう哀しすぎる作品を描かせるし、哀しい人生を
創造させる。

「仁」とは、思いやりでありいつくしみである。

仁義とか義兄弟の盃とか、堅く古典的なことば。
その哀しさを、繰り返し執拗に描き出す誰か。

わたしの祖父は、その一文字をわたしに遺した。

誰かが撃ち殺されるシーンをみておかしく笑うことは、
わたしにはとてもできない。


2001年04月10日(火)

■■■
■■
■ 遠い夜明け。

スティーブ・ビコのことばを脳に響かせながら
わたしのエッセイの意義を考える。

南アフリカは遠い国で
アパルトヘイトの緊張感とその傷跡は計り知れず…

でも
そんな人生を想像するとき
わたしの中に
ベッシー・ヘッドの精神的苦痛と南アでの人生を
感じることができる。

2001年の4月になって、
スコットランドはこんなに明るい。
なんて、暖かいんだろう。

なんでわたしは
日本で生まれ育ったのだろう。

なんで彼女には
会えなかったのだろう。

今日からコートを脱いで
春に溶けこめば
何かがわかるんだろうか。

2001年04月01日(日)
≪ ≫ 初日 最新 目次 MAIL HOME

エンピツランキング投票ボタンです。投票ありがとう。

My追加


★『あふりかくじらの自由時間』ブログはこちら。★




Rupurara Moon 〜ルプララ・ムーン〜 ジンバブエのクラフトショップ



『あふりかくじらの自由時間』 を購読しませんか?
めろんぱん E-mail


【あふりかくじら★カフェ】 を購読しませんか?
めろんぱん E-mail


 iTunes Store(Japan)