あふりかくじらノート
あふりかくじら



 脳みそと文字の友好関係。

文学のこと。

アフリカの大地に属するための、
言語、そしてセクシュアリティ。

そのまわりに恐怖と悪夢が渦巻く。
善と悪。
力の拮抗。そして、そのふたつの罪深い融合。

ベッシー・ヘッドは、そうして創り出された
人工的な「悪」のなかに生まれ、生きた。

文学がそこに表現できるもの。
その限りない可能性。

アフリカの立体像が、ここに見えてくる。
彼女の、彼女流の、「属し方」。

そしてわたしはそこから、逃れられない。

2001年04月24日(火)



 丘にのぼれば空へちかづくから。

丘くじらです。

三方を海に囲まれたエディンバラの街。
そのなかに、雄々しく威圧感のある岩山がそそり立つ。
アーサーズシート。

ハイキング気分の登山コースをたどる。
行って帰ってほんの二時間ほどのコース。
隙のない切り立った崖の、岩の存在感。
木がまったくはえていない、岩と草の丘。
なだらかな斜面が、天へと導く。

わたしは何故のぼるのか。
「丘にのぼれば空へちかづくから。」
そのときだけ、いまは亡き人との想い出をとりだし、
生きている自分の、地を踏みしめ登りゆく
足に腕に肩に、そこに流れる血液の温度に、
大切に染み込ませてゆく。
これは、生きている自分のための、ささやかな儀式。

360度のパノラマは、古い街に秘められた魂と
遠くに煙るブルーグレーの山々と島。
そして、なんだか哀しい色の海。
あたたかい風景、だとおもった。
地球の上で、わたしがどの位置にいるのか、
考えてみた。

2001年04月22日(日)



 地球の裏のそのあたり。

テレパシー。
言葉に出さなくても、誰かの考えていることがつたわる。
それがたとえ、手の触れられる距離にいるひとでも、
地球の裏側にいるひとでも。

突然、誰かに電話をかけたいと思う。
その誰かが、偶然わたしのことを考えていたりすることもある。

突然、どこそこへ行きたいと思う。
その場所へ、いろんな偶然が重なって導かれる。

テレパシー。
でも、それらはたとえば、多くの偶然が重なって起こることでもあるし、
また色々な条件とか感覚の共有とかが、必然的に導くことであるのかも
しれない。

フィードバック。
自分の昔おとしたことばのかけら。

そういえば、くじらの歌声は何千キロの彼方まで届くとか。
いったいどんな会話をしているのだろう。


2001年04月20日(金)



 追憶の夕暮れ。

哀しみのなかに生きているひとが
ほんとうにたくさんいるのだと知りました。

いえ、知っていたのだけれど
眼を閉じていました。

わたしは、いまこの地球の上にいて
この街がこんなに好きです。
故郷とかそういうものよりも、
安らぎと愛着と帰属を求められたら。

わたしは、こうして生きていきます。
誰かの哀しみのことを考えながら、
どちらかというと
わたしのなかのきれいな想い出のために
何より、生きている人間のために
わたしはその行為をします。

天気のいい日に、海と街がきれいに見渡せる
あの山に登ろうと思う。

もう、一年経ったから。


2001年04月11日(水)



 仁侠くじらの盃

すべては、死のために。
劇的なる生の軌跡は、仁義とか義兄弟だとか
そういうものにまみれ渦巻いたまま、死に至るのみ。

午後8時のエディンバラ、雲の多い夕暮れの空に
血しぶきの中、何度でも撃たれ弾かれる身体を
フラッシュバックさせる。

北野 武 『BROTHER』
夕べの映画の記憶から。

たとえば彼は、そうやって生きていくしかなかったわけで、
あまりに孤独な魂が生きるには、もう誰かを殺していくより
ほかに術がなかったのだ。
彼の淋しい人生は、人を殺し続けることで彩られていたし、
それはあまりにも遠くうつくしい孤独。
そうして、自らの死の瞬間に収縮されていく、ただそれだけの
すべての営み。
ぷつりと切られるエンディングは、そのことばの重みと
死と愛と、永遠に続くしかないそういう人生を示唆している。

哀しい人生。

死の感触を知っている人間。
それはこういう哀しすぎる作品を描かせるし、哀しい人生を
創造させる。

「仁」とは、思いやりでありいつくしみである。

仁義とか義兄弟の盃とか、堅く古典的なことば。
その哀しさを、繰り返し執拗に描き出す誰か。

わたしの祖父は、その一文字をわたしに遺した。

誰かが撃ち殺されるシーンをみておかしく笑うことは、
わたしにはとてもできない。


2001年04月10日(火)



 遠い夜明け。

スティーブ・ビコのことばを脳に響かせながら
わたしのエッセイの意義を考える。

南アフリカは遠い国で
アパルトヘイトの緊張感とその傷跡は計り知れず…

でも
そんな人生を想像するとき
わたしの中に
ベッシー・ヘッドの精神的苦痛と南アでの人生を
感じることができる。

2001年の4月になって、
スコットランドはこんなに明るい。
なんて、暖かいんだろう。

なんでわたしは
日本で生まれ育ったのだろう。

なんで彼女には
会えなかったのだろう。

今日からコートを脱いで
春に溶けこめば
何かがわかるんだろうか。

2001年04月01日(日)
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