あおい世界
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何も拘らないという母の言葉通り、 昨夜は通夜だというのに全員ぐっすり就寝し、今朝はすっきり起床。 起きて横たわっている父の姿を見ることで、引き戻される現実の世界。
昨日も一日中そうでしたが、 お客様への挨拶、お茶だし、鳴り響く電話応対、買い物、送り迎え、 身内への三度の食事、娘たちの身の回りの世話や洗濯などなどなど、 忙しく動けている間は悲しんでいる暇もなく、有り難くも思いました。
昼過ぎ、棺に皐月の花も供えたいと母が言うので、 トシコさんや、叔母さん、娘たちと一緒に花摘み。 気が紛れているうちに、葬祭会館の方がいらして納棺。 ここでも母の意向で釘打ちはなし。 何もかも希望通りで、外野の煩わしさがないことが嬉しかった。
父が乗った車を先頭に、数台連なって葬祭会館へ行き、 夕方から極々親しい身内だけによるお別れ会を行いました。 母が喪主の挨拶をしただけで、 バイキング形式の食事を振る舞い、父を偲びました。 市内に住む親戚は集まってくださいましたが、 遠方の親戚たちには無理をさせたくないと言っていた母、 それでも先週、病院に来てくれた函館の兄夫婦が来てくださり、 母はどんなに嬉しかったでしょう。
前々から両親は、死んでから慌てたって意味がないから、 生きているうちに交流を持ちましょうと言っていました。 両親ぐらいの年齢になると入退院は当たり前に繰り返されていますし、 どの家庭にもそれぞれの事情があるのだから、 亡くなっても連絡しませんよと。
実際、関東に住む弟はヘルニアの手術をしたばかりだと言うし、 (父の妹の夫が)連絡したけど音沙汰ない弟が居たりします。
夜、葬祭会館に泊まるものだけになりました。 母、兄貴とトシコさん、あたしと娘二人、函館の伯父さんと伯母さん。 バイキングで残ったお料理を食べながら飲み直し。 心許せる関係だけで集うその中に、寡黙な父がいるようでした。 仕切ることなく、 でしゃばることなく、 決して接待上手ではないけれど、 誰にも嫌悪感を抱かせない父がひっそりと混ざっていたはずです。
夜、何度もお線香をあげに行き、父の顔を見ました。 その顔は20代の頃のように痩せて面長になってしまった分、 高い鼻がますます強調され、 染みのない色艶のいい肌のままで眠っているようにしか見えませんでした。 今にも目を開けて起き上がりそうな父。 父が亡くなったことを、信じられない気持ちのまま。。。
(記載 6月18日)
検索WORD = 父の病−
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