■ ヘッド・フォンから石田彰
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|| 2004年10月24日(日) 一夜明けて ||


■テレビの前で、眠れない一夜を過ごす。

私の実家は、新潟県の小千谷市というところにある。
私の実家だけでなく、母の実家、本家の長男一家、大叔母の家などが市内に点在している。
小千谷や長岡、十日町というのは、中心の市街地とは別に、多くの郡部を抱えている。
一本のトンネル、一本の県道、それらが文字通りライフラインになっている地区も少なくない。
その一つに山古志という孤立した村があるのだが、そこに住んでいる伯母夫婦の安否は、まだわかっていない。

それらの郡部一帯は、普段はいたって穏やかな農村地帯だ。
市街地から一歩出ると、どこまでも田が続き、秋にもなれば、見渡す限りの黄金色が、とても美しい。
多く収穫されるのはもちろん米、いわゆる「魚沼産のコシヒカリ」というやつだ。
その昔、嘗て小千谷市も「北魚沼郡小千谷町」という名前だったことがある。
弟が通っていた実業高校などは、クラス40人中、弟以外の39人が農家の息子であり。
唯一、八百屋の長男、という肩書きを持つ彼は、それでもあちこちの田植えや稲刈りに借り出されては、収穫の際、その恩恵に与っていた。

昨日、電話の切り際に言われた「携帯が充電できないから電話してくるな」という弟の言いつけを守り、それ以来、一度も電話をしていない。
「わからない」ということは、それだけで本当につらい。
もちろん、実際に被災された方とは比較にはならないだろうとは思う。
でも、何もできないことが、こんなにもはがゆい。
明るくなるにつれ、明確になっていく被害の状況、それをテレビで見ることしかできない。
何がどう悲しいのか、なぜこんなにせつないのか、上手く説明することはできないが、でも、どうにも涙が止まらない。
しかし、現地の人たちは、泣くことすらできないでいるのだろう。

今ほど、家族から、二度目の電話があった。
家の方は、とても住める状態ではないと言っていた。
食料が足りないと報道されているけれど、食べることはできているのか、と訊いたら、大丈夫とのこと。
弟の嫁の実家が長岡市なのだが、そちらの方はライフラインが確保されているらしく、嫁がおにぎりやらなにやら、食料を大量にピストン輸送しているということだった。
近所の人たちに「お宅の嫁は自衛隊より、よほど役に立つ」と言われた、と言って笑っていた。

こっちに来れば?と言ってみたが、やはり家をそのままにしては行けない、と言われた。
弟に、「とにかくお母さんをお願いね」と言って、電話を切ると、また涙が出てきた。
娘が「どうしたの?」と、心配そうに、近付いてくる。

また日が暮れた。予報では、26日から天候が崩れるという。
どうか、これ以上、被害が拡大しませんように、と、祈るばかりだ。

■本日も、たくさんのメールを、どうもありがとうございました。
なんだか、返ってご心配をおかけしているようで・・本当にすみません。
昨日はかなり動転してしまいましたが、連絡もとれ、とりあえずは落ち着いています。
今、何ができるわけでもないし、とりあえず、私は日常をがんばるしかない、ということです。
明日予定されている、娘の芋掘り遠足のため、先ほどスコップを買ってきました。
明日の夕食は芋尽くし・・?ということになりそうです。
それはそれで、「これ、るこがほったの!」「るこのほったおいも、おいしい?」と、うるさいことになりそうですが。

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