|| 2004年10月27日(水) 大丈夫 ||
■唯一、安否の確認ができていなかった伯母夫婦を含め、地元にいる家族、親類全員の無事を確認することができました。
あれから数日が過ぎ、私はと言えば、
「危ないからこちらには来るな」 「あんまり心配するな」
と、返って向こうの家族に心配される始末・・・情けないったらありませんね。
ただ、この数日、数々の有り難いメールを賜り、恐縮するとともに、オフでも、以前勤めていた会社の同僚、或いは中学や高校の同級生など、中には十数年ぶりという方からも電話をもらったりと、私の中でいろんなことを再確認できる出来事も経験しました。
とりあえず、電話と電気だけは復旧し、常時連絡が取れるようになったことで、少しは安堵しています。 それ以外のライフラインが断たれていることと、度重なる余震で、未だ車中での生活を余儀なくされてはいるようですが、元気とのこと。わずかずつでも復旧へ向け、がんばると言います。
昭和39年、新潟地震という、やはり大きな地震があった際、母は東京にいました。交通手段も断たれ、地元の家族とも連絡がとれず、とにかく心配したと言います。
「だからあんたの気持ちはよーくわかるの、でも、何とか大丈夫だから」
私も大丈夫。ほんとはあんまり大丈夫じゃないけど、大丈夫だから。
■メールを下さった方で、アドレスがわかる方には、ぽつぽつとお返事を出させていただいています。 返信は不要なので、あえてメールアドレスを入れません、と、お気遣いいただいた方々にも、この場を借りて、心から御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
こちらは、通常の日記に戻したいと思います。以降、もし追記があれば、Mの方にでも書きたいと思っています。
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