琴 星 商 事 日 乗
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2005年05月01日(日)
  出雲路紀行3 <画像あり>

 7時に起きた時は雨は降っているような降っていないような。部屋風呂に少々お湯(温泉)を張って軽く湯に浸かり、支度をして8時過ぎに出発。取り敢えず、雨だけれど近くの玉作湯神社に参拝しました。

 玉作湯神社は、その名の通り製玉の神と湯の神を祀る社。祭神名は宝玉製作の祖神として櫛明玉神、玉造温泉発見・温泉守護の神として大名持神、その他少彦名神、五十猛神。大名持はオオナムチ。大国主の別名です。境内にあった「湯山主之大神」の神を祀る石塔には「大己貴命」(オオナムチノミコト)の名が小さく併記されてました。此処では大国主が温泉の神なんですね。

 続いて宍道湖畔まで戻り、いずもまがたまの里伝承館へ。勾玉制作の技術の伝承やその歴史・製作などに関する資料館的展示、そして土産物屋。それらを併せ持った観光施設です。2001年にNHKで放映したドラマ「聖徳太子」や今年の正月に同じくNHKで放映したドラマ「大化改新」(ちなみにデジタル衛星ハイビジョンで5/5・6両日に再放送だそう)なんかの小道具の装飾品もここで製作されたようです。
 土産物コーナーで本物の玉で出来た勾玉にたくさん触れましたが(買ってない)、本物はやっぱり重いですね。ストラップで可愛いのあったら欲しいなぁと思ってたんですが、この重さじゃ携帯には邪魔だわ。

 建物の外、あずまや風の所に足湯が設けられています。雨だからか誰も入ってなかった(屋根も壁もあるから濡れないのに)ので、持参のタオルを持って浸かってきました。足湯めちゃ気持ちいい〜♪ 底には勾玉の里らしく、カラフルな玉石(の多分スライス)が敷き詰められてました。何かこれはこれでパワー放ってそう。石ってチカラ持ってるみたいじゃないですか。パワーストーンって色んな石に色んな効能謳うでしょ? それが温泉に浸み出てそう。イメージですけど。


左から玉作湯神社、境内の湯山主之大神、いずもまがたまの里伝承館の足湯。

 その後、最後に出雲大社を拝んでこようかなぁ、と思ったんですが、駐車場に入る車列が渋滞を引き起こすほどの混雑ぶりだったので、近くにある出雲大社の摂末社を拝みに。
 まずは上の宮。ここはそれなりの敷地に拝殿も備えて、結構しっかりした神社のような造り。続いてそのすぐ先にある下の宮。ここは祠のような社。それから因佐神社(いなさのかみのやしろ)。ここは鳥居もしっかりとあって参道もあり、即ち境内もそれなりに広いんですが、お社は大きな祠くらいの規模。

 ちなみに昨日出雲大社から蕎麦屋へ向かう途中、これらの摂末社とは反対側の北島国造館側にある摂社・出雲井社にもお参りしました。ここも社殿の規模は因佐神社並。
 判る人には判ると思いますが、漫画「新・カルラ舞う!」の出雲の暗黒神編に登場するお社です。今回の旅行には、この出雲編2冊もガイドブックとして持っていきました(笑)。

 蕎麦屋に行く前に、大社郵便局へ。友人に送る絵葉書(但し出雲の写真とかじゃないんだけどね)はポスト投函でも良かったんですが、御守を送る友人がいまして。80円で送れる重さ・厚みか判らなかったので、休みの日でもやってる筈の集配局らしき郵便局をカーナビで探し出して行った次第。折角だから、ついでなので風景印を押して頂きました。折角の風景印だから、自分宛にも葉書1通出しておきました(笑)。・・・別に消印マニアじゃないですよ。ついでがなければやりません。


左から上の宮、下の宮、因佐神社、ついでに昨日行った出雲井社。
下の宮は出雲大社境外末社、それ以外は出雲大社境外攝社。

 それから出雲市中心部へと車を走らせます。目的? 決まってるじゃないですか。「献上そば 羽根屋本店」での石臼挽き割子リベンジですよ!

 お昼時ですから、やっぱり混んでいます。運良く待たずに席に通されましたが、一昨日とは人の数が違う。
 そして念願の石臼挽き割子そばの注文に成功致しましたヽ(・∀・)ノ♪
 一昨日の普通の割子も十分美味しかったですが、石臼挽きの方がやっぱり香りも風味も高い! 正直、大した育ちでもないんで味覚が肥えてる訳でも味にうるさい訳でもない(というか、うるさいの意味が私は多分違う←偏食)んですが、こっちの方が美味しいってことは判る。
 決まりました。今回の旅程での出雲蕎麦ナンバー1は「献上そば 羽根屋本店の石臼挽き割子そば」です。
 蕎麦ばっかだとタンパク質が足りない(というか取れない)らしいので、出し巻き卵も注文。ビタミンCは、C1000タケダで補給しときました(アハ)。

 美味なる蕎麦で腹を満たし、続いて島根県立八雲立つ風土記の丘資料館を目指しますが、その前に道の駅湯の川でまたしても足湯。まがたまの里よりちょっと熱かったですが、湯の川温泉は日本三大美人の湯だとか。足だけでもその恩恵に与りたい物です。

 で、八雲立つ風土記の丘資料館。館内撮影禁止だし、雨だから外の古墳なんかは遠目にしか見てないので写真はありません。
 現在、ここに荒神谷遺跡出土の銅剣などは所蔵されています。しかも名前は結構有名だと思うんですが、やはり「資料館」は「資料館」であって「博物館」ではないな、と思いました。大きいのは規模の問題なんですけど、展示ケースの中に蜘蛛が入り込んでたりとか(まあそのケースの中味は蜘蛛がいても問題なさげでしたけど)。一応学芸員の資格を持ってますので、こういう細かいことが気になる私です。

 資料館の入り口を入ると、受付と同じロビー内に、銅剣や銅鉾、銅鐸のレプリカが自由に触れる状態で並んでいます。作られた当時の状態ではなく、出土した状態の青銅器。銅剣、銅鉾、銅鐸。それぞれ持ってみました。
重ッ!!!
 持った瞬間、ずっしりと腕に掛かる銅器の重み。全部が金属で、今の包丁みたく薄っぺらいものじゃないんですからそりゃ当然なんですが、こんなに、こんなに重いとは。
 青銅器は最終的には武器ではなく祭祀器として使用されていたのだろうけど、小さい銅剣だって十分すぎるほど重たい。こんなものを振り回して戦争していたなんて。この剣がぴかぴかしていた頃、どれほどの切れ味があったのだろう。いや、鏃がいっぱい刺さって戦死したことが間違いないような人骨に「切り傷」が残っていたりするのだから、骨に達するほどの深手を負わせることが出来た筈だ。こんな、こんな重たくて分厚い剣で。

 展示内容はともかく、レプリカの青銅器に触れることが出来ただけでも、入館料200円の価値はあったと思います。
 銅鐸の音色は澄んでいて、最終的には剣や鉾と同じ目的で使用されていたとは思えません。今は錆びて青緑色になったこれらの銅器。作られた当初は金色に輝いていたようです。金色の「出来たて状態」レプリカもケース内に展示されていました。

 資料館を後にし、再び(雨でも結局)神社巡り。近くの平濱八幡宮・武内神社へ向かいます。
 ひとつの「神社」がふたつの「神社」を祭祀し、奉仕している。この神社はそうとでも言ったらいいのかしら。平濱八幡宮と武内神社が別の場所に存在しているのではなく、同じ境内にひとつの社務所で、本殿・拝殿を並べて鎮座しているのです。
 雨は降り続いていましたが、ちょうどご祈祷が始まるところでした。
 境内に「やるき達磨」なるものがありました。達磨の頭に水を掛けて「頭を冷やして静かに学ぶ」ことを祈願する達磨だそう。雨が降って十分すぎるほど濡れているんだけれど、でも水を掛けて願掛けしておきました。

 出雲国分寺跡(本当に「跡」)の前を通り、茶臼山(神名樋山)の麓に位置する眞名井神社へ。・・・麓、というか、頂上にはない、というだけで、手積の石段を登った上に社殿があります。手積だけに石の大きさや形も揃ってないし、ボコボコ。しかも雨に濡れていて登りにくいことこの上ないです。いや、登るのはまだしも、降りることを思うと・・・(なら行くな)。
 規模も式内社・出雲国風土記掲載社なれどそう大きくもなく、出雲国神仏霊場にもなっていない。しかも天気も悪い。だから無人であることを覚悟していたんですが、階段を登るに連れ、上からラジオか何かの音が聞こえてきました。あ、社務所に御神職が。
 参拝を済ませてから、御朱印を頂きに社務所へ。5分ほどお話させていただきました。観光客としては雨は厭だけれど、この時期の雨は農家にとってはまさに慈雨。水が入り、田植えも始まった田圃は、晴れていればキラキラ輝いてとても綺麗なことを私も知っています。ボコボコして雨で滑りそうな階段も、昔の人がひとつひとつ積み上げたもの。どれもこれも大切なこと。
 昔の人が頑張って積み上げた階段はやっぱり雨で歩きにくかったけど、一歩一歩確実に踏みしめ、下まで降りました。


左から献上そば羽根屋リベンジ、平濱八幡宮・武内神社、眞名井神社。

 眞名井神社から西へ進み、山代郷正倉跡を曲がって国道432号を北へ。最後の目的地は、山代神社。
 元は眞名井神社があった茶臼山の中腹にあったそうですが、この地に産土社がないために凶事が続くので、鎮守社として1680年にお迎えしたようです。
 参道を進み、少し階段を登ったところに拝殿があります。その拝殿向かって左に、まるで比叡山のにない堂のように廻廊で繋がった幸(さいわい)神社が。祭神は猿田彦神。「幸」は当て字で、これは恐らく「サイノカミ」なんでしょう。幸神社手前に賽神もまた別に祀られています。
 本殿向かって右には社日神社もありました。社日(しゃにち)。元は中国稲作地帯の「土地の神」で、稲作の敵である鼠を食べてくれる蛇の神様を祀ったらしいですが、出雲地方では主に五角形の石柱の形で祀られています。これまで訪れた神社でもいっぱい見ました。

 出雲。元々蛇神を祀っていた土地。だからこの地から逃げたタケミナカタが鎮まる諏訪社も蛇神の信仰がある。古い古い時代に蛇神を祀っていた筈の土地。その地に現在まで祀られてきた神社の境内に残され、新たに作られ、奉斎され続ける中国起源の蛇神。出雲、蛇。この奇妙な符号の一致。嗚呼、気になる。そもそもこの地を初めて訪れた日に蛇に出会ってしまったところから、蛇づいているんだわ。否、そもそも私の修論のテーマは諏訪に纏わる蛇神(=龍神)信仰だった!
 ・・・蛇、逃れられないのか?私は。

 国道54号を初日と逆に南下し、途中、道の駅認定第1号だという「道の駅掛合の里」で休憩。そこで面白い物を見付けました。それは「水琴窟(すいきんくつ)」。土中に埋めた瓶に落ちる水滴の響く音を竹筒を通じて聴くんです。見かけると絶対に聴いてしまいます。水琴窟により音色はそれぞれ微妙に異なりますが、どれも良い音♪♪

 それから行きに寄った「奥出雲そば処一福」で夕食。今までずーっと割子蕎麦しか食べていないので、ここは思い切って舞茸天蕎麦(温)! 此処は舞茸も地元頓原産。そしてずっと油物を食べていないので、そろそろ食べたい。
 出てきたお蕎麦は、普通の天麩羅蕎麦系とはちょっと違いました。これも出雲風なんでしょうか? 器の中には蕎麦や具、薬味と蕎麦湯が入っていて、つゆは割子同様自分でお好みで掛ける! こーなのか出雲蕎麦(温)! しかも入っている舞茸天の量が・・・量が・・・。普通、3個も入ってれば合格ですよね? それがもういくつあったか判らないほど入ってるんです。多分、器の手前半分は蕎麦、奥半分は舞茸天だったんじゃないかと思うくらい(ホントにそうかも)。舞茸天も美味しいんですが、驚きの方が大きかったです。すげえよ一福。


左から山代神社、道の駅掛合の里にあった水琴窟、一福の舞茸天蕎麦。

 まだまだ見足りない出雲。次行く時は、もっと蛇神様について勉強していきます(ぇ


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・過去の「今日」。

2004年05月01日(土) 山並 <画像あり>

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