無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2006年12月06日(水) 小倉ワークショップ余燼/第1回演劇研究会『笑の大学』

 今年10月に行われた、イッセー尾形の作り方小倉ワークショップ。
 心理学者の吉村順子先生のレポートが、イッセー尾形ブログに掲載された(12月5日付)。
 これだけのイベントがあったのだから、参加者の一人である以上は、この「無責任」の方にもレポートを掲載すればよかったのだが(しげ。からもせっつかれてたし)、先々月はまだ心の準備が整っていなかったのである。
 ミクシィのコミュニティに簡単に書きつづったレポートがあるにはあるが、さてそれをそのままここに転載しても、雰囲気の違いに戸惑う方もいらっしゃるだろうから、それは控える。

 吉村先生のレポートを引用しながら、覚書程度のことを書いてみようと思う。
 http://issey-ogata.jugem.jp/?eid=365#sequel(引用元)

〉 遠くになり近くになり、どこかで祭り囃子の太鼓の練習が聞こえる、それがぴったり芝居にはまりました。
〉 新生児室に流れるお母さんの拍動の音、それに同調することで、一人一人が同じ根っこを持ちながらも、こんなにも違って見えるということ。30人の日常ではとても濃いショッパーズたち。それが、水墨画のような芝居を作りました。

 森田先生は、「祇園太鼓を打てる人はいない?」と参加者に聞いてみたのだが、残念ながら皆無。
 男性の参加者が少ないし、生粋の小倉っ子ばかりというわけではなかったので、これは仕方がない。ただ、無法松のイメージばかりで北九州を捉えられても困る男性も多かろうと思うので、岡田さんの静かな太鼓は、遠雷のように舞台を彩っていて、これはこれでよかったと思う。「水墨画」とは言い得て妙。
 本物の祇園太鼓を聞こうと思ったら、中村有志さんを呼んでこないとね(笑)。


「笑い講」
> ダリの格好したいんちき笑い教ボランティアのイッセー尾形に言われるままに、大声で笑い声を上げていきます。
> で、イッセーも観客もあっけにとられます。おとなしい顔のまま前に進み出た人物は、腰に手をあててあっはっはとやりだすと、表には普段表れない、見事な大物笑いを続出させるのです。

 笑ったうちの一人が私です(笑)。
 本番当日にいきなり登場することになり、イッセーさんから「地上の人々を見下すように」と言われて、その指示どおりにやってみたつもり。でも直後に「意外な笑いでした」とイッセーさんに突っ込まれた。
 腰に手を当てるのをうまくできなかったのは、練習の時に私が上がってしまって失敗したのを、森田さんが「そのまま使おう」と言って採用されたもの。ちょっとしたネタを森田さんは鋭く見逃さない。
 人の恥を無理やり晒させているとも言えるが(苦笑)。


「嫁と姑」
> 大きなぼうやのような息子、袴をはいて堂々とした体躯が目立ちます。おふくろ、新米炊くのうまいなあ。と隣に座った和服女性に言います。嫁は歯をせせりながら、テレビの前にごろ寝。

 嫁役のSさんの「しーっ、しーっ」という歯をせせる音が大好きでした(笑)。
 Sさんは喋り出せば立て板に水でアドリブのセリフが言える人なのだが、森田さんはここではあえてセリフを殆ど抑えさせた。
 息子役のTさんは失礼ながら外見がデクノボーなので(そう見えるってだけで実態ではないので誤解なきよう)、実際にこの家を支えているのは、例え家事なんかしてなさそうであっても、今寝転がってるSさんなのである。
 小倉はやはり女が強い(笑)。


「次長の詩集」
> 二人で昼休み。微妙な男女の仲なのか。体を外側に傾けている女の肩に手を回します。そしていうことは、会社の同僚の悪口。二人して、微妙な関係性を保つために会社での噂話を使うことにしたみたいです。どうも、もっとも盛り上がるのは次長の話。そこに本当に間が悪く当人の次長が割り込みます。すっかり態度をかえて次長を持ち上げる男の持ち出すのは、次長のふんどしコレクションの話題。

 お調子者の社員を演じたのは、本当はマジメなんだろうけれども決してそうは見えない後のサノ氏。はまり役である。交流会で、森田さんが笑いながら「誰か止めろよ」とダメ出ししたフンドシ話は、もちろんアドリブ。
 観客も「いつまで続くんだこれ」とタメイキをついたと思うが、ようやくLisa嬢が切ってくれてホッとした。シロウトを舞台にあげることの是非は観客の判断に委ねられているが、その判断の境界がこのスケッチにあったように思う。
 「完成度」という観点に立てばもちろんこのスケッチは失敗だろう。しかしそもそも演劇に「完成」などというものはありえるのか、という疑問もまた湧く。
 サノ氏のフンドシ話には誰しもウンザリしたと思う。しかしそのウンザリは石を投げたくなるようなウンザリだったろうか。同じくウンザリしているLisa嬢と観客は見事に同調してはいなかったか。そしてLisa嬢のカウンターパンチを期待してはいなかったか。
 それが観客による演劇の「補完」ということなのではないかと思う。
 もっとも、私は練習日に見たタイトルどおりの「次長の詩集」のネタの方が好きではあった。Lisa嬢の震える声の「お母さん」の詩の朗読は(やはりこれもアドリブ)、温かいような寒いような微妙な雰囲気を漂わせていたし、そのロマンチックなんだかぶっきらぼうなんだかよく分からない詩を書いたのが仏頂面の草莽の志士詩であるのだから、これは笑えた。
 いきなりの変更は、本番前日の森田さんのダメ出しで「詩集は面白くないなあ」と言われた結果だ。急遽サノ氏のアドリブで「次長のフンドシ」になってしまったのだから、森田さんの「止めろよ」も、シロウトにいきなりのレベルアップを要求しといてそれかよ、である(苦笑)。


「自衛隊タクシー」
> 泣く娘をとつとつと慰めるお父さん。得意の四文字熟語を引用するのですが、そのうち、熟語を披露することにうっかり夢中になりかけます。タクシー運転手として、もらいすぎたお金を届けに行ったエピソードを話しだすお父さん。どう関係があるのかわからないけど、娘はありがとう、ありがとうと感謝します。なおも泣き続ける娘に、お父さん「空が泣いたら雨が降る、山がなくときゃ水が出る♪」と歌いだします。

 これも好きなスケッチの一つ(と言って嫌いなスケッチはないのだが)。
 ともかくKさんのキャラクターは強烈だ。森田さんの「余計なことをしなければ名優に見える」という指摘もよく分かる。シロウトとプロの最大の違いは演技を抑制できるかどうか、間が取れるかどうかなのだろうが、Kさんの場合は抑制しているのか間が取れているのか、そんなことを超越してあるがままでそこにいる。
 ここまでくれば、別に名優に見えなくてもKさんはKさんでいてよいと思える。
 娘が泣いているのも、果たして本当に心配しているのかどうか分からない。どうもこのムスメ、何かいかがわしいことに関わったか、関わったと誤解されているかのどちらかなのだが、お父さんは娘を慰めるつもりで自分語りしているうちに、当初の目的を忘れてしまっているようなのだ。
 娘は「ありがとう」と口にするが、何がありがとうなんだかよく分からない。
 このあたりから、「現実の中の不条理劇」という様相がこの発表会に漂い出す。


「おじいちゃんうるさい!!」
> なんとか孫の会話に割って入ろうとして、全部阻止されるじいちゃん。でもじいちゃんはめげません。じいちゃんうるさい、と言い続ける孫娘。じいちゃんいることで、このわがままそうな姉妹がとても仲良しにやってるのです。まったく会話にならないのに、じいちゃんはしきりに姉妹にはなしかけます。3人ともにうれしそうに見えてくるから不思議です。

 おじいちゃんのYさん、この方のマイペースは、地も舞台も変わりない。
 会場大爆笑のスケッチだったが、実は私はじり子さんが「じいちゃんうるさい」と口にするたびに舞台の袖で涙ぐんでいた。
 その口の効きように腹を立てていたからではない。「3人ともにうれしそうに見えてくる」、まさにその通りで、爺ちゃんがいて、孫がいて、その孫がじいちゃんに「うるさい」と平気で言える家庭。それが羨ましかったからである。
 「家族」の姿が見失われている現代、このワークショップに私たちが森田雄三&イッセー尾形に罵倒されながらも集まってくるのは、失われた家族の絆を追い求めているからなのかという気がしてくる。


「だんなの悪口」
> 泣く直子。慰めるピンクの服の太った女性。ここでも、慰める女性は自分の過去の話を淡々とします。確かに相当不幸かも。そこへ、ピンク女性の夫が帰ってくる。マッキュンと呼ばれる夫と、直子の間に親しげな空気が流れてきて、だるまのように前を向いたままのピンク女性のまゆがじょじょに上がってくると、その表情の豊かさに、みとれてしまいます。もしかしたら、この二人はキャサリンと呼ばれるピンク女性のこの表情を見たさに、こんなやりとりをはじめたのでしょうか。たぶんそうなんじゃないかな。3人のせりふの間のよさが場面を支えていました。

 てめえの女房が出ていると、どうも客観的に語れないのだが(苦笑)。
 やたらお誉め頂いて恐縮なのだが、私としてはしげ。を見るたびに「こいつならもっと自然に、かつ面白く出来ろよなあ」と思ってしまうわけで、けれどもそれは、それだけ才能を買っているということになるわけで、ミビイキが入ってるんじゃないかと言われるとそうかもしれないと悩むことになるのである。
 実際、しげ。は「うちのダンナ、おならが臭いの」と悪口を言うネタをイッセーさんに「そのキャラに下品なギャグは似合わない」とダメ出しされたそうで、キャラ作りが最初から成功していたわけではないのである。
 しげ。は最後まで、「モスラの歌がどうしてそんなに受けたのか分からない」と言っていた。実は私もよく分からない(笑)。このスケッチを冷静に見るには、DVDで再見する以外にないだろうと思っている。

「病棟のうわさ話」
> ここでも、白衣の男性と事務員は女医の悪口でお互いの関係を暖めています。選ばれているのは、強烈にうわさ話しても大丈夫なくらい強烈なキャラクターです。
> もちろん、強烈キャラの女医さん登場です。3人になって、次の人のうわさになりますが、どうも当の女医さんよりは格が下らしく、話がはずみません。なぜか、立ち上がって歌いだす女医さん。お追従というのも、盛り上がるらしく、二人は勢いを盛り返します。

 苦言を呈することになるが、これは練習段階の方が圧倒的に面白かったスケッチ。
 内容は悪くない。にくまるさんやなつさんのツッコミも練習の時は笑いを誘っていた。それが本番で空回りしたのはなぜか。
 ご当人も承知だろうが、あきこさんのキャラクターが弱くなってしまったためだ。特に、「プレイバック」の謳いだし、これが繰り返すたびに弱くなっていったのだ。
 人前でいきなり意味もなくモモエちゃんになりきるような強烈なキャラクターだからこそ、悪口が生きる。気弱なキャラクターが見えてしまった時点で、舞台に寂しさが漂ってしまった。
 あきこさんもそれを感じていたからこそ、博多ワークショップでは奇跡の起死回生を図ることになる。もちろん、そこには森田さんの徹底的なダメ出しがあった。
だからこそ言えるのだが、一回や二回の失敗なんかどうだっていい。舞台が面白いかつまらないかなんてどうだっていい。そこに立っているのはドシロウトなのだ。たとえどんなに練習を積もうと、逆にプロになってはいけないのだ。
 イッセーさんが私に「自信満々でやっても面白くないよ。しろうとが不安でたまらないけれども一生懸命やる。それが面白いんだから」と言った。
あきこさんも博多ではただ一生懸命にやった。だからこそ輝いた。
そのための試金石として、この小倉の舞台はとても意義のあるものだったと思う。


「やくざ団地」
> 着飾った女性二人。第三者の悪口でここでも盛り上がるかとおもいきや、ここでは、二人の関係は作れません。聞いているおとなしい女性は同意することができないのです。悪口に同調しない人がこのテーマでしょうか。当の女性が登場し、自分の悪口の残り香をかぎつけます。衣装がはっきりしていて、真ん中の同調できない女性をはさみ、まっ白のチャイナドレス、と真っ赤なワンピース。間の女性にお互いの悪口を吹き込みます。

 これも練習の時の方が面白かったスケッチ。
 悪口を言い合う二人を姉妹とする落ちは説明的で、それを付ける必要はなかったのではないかと思う。ただ、それを付けざるをえなかったのは、月子さん、ポアレさんの二人が、あともうちょっとのところでヤクザの女房に見えなかったせいだろう。
 練習の時には初めての組み合わせで緊張感が漂っていたのだが、それが本番では薄れた印象だった。


「悪かったのはだれ?」
> ここでは、対立している学校の職員の間にとんちんかんなだめ先生が入ってきます。少しも仲裁しようなんて色は見せずに、♪仕事おさめだ正月ちかい、みんなで仲良くてんぷらそばたべよ♪と第九の節で歌います。家庭の愚痴は楽しげです。足がくさいといわれても、カレーが1週間続いても、校長にだめだしされても、先生は楽しそうです。真剣に対立していた二人はだんだんばかげた気分になってきて・・・。ここでも仲直りは第3者の悪口を交換することです。

 自分が出ているとやはり客観的には判断しづらい。
 吉村先生に「だめ先生」と見てもらったのはありがたいが、裏設定としては、他地方から転勤していて小倉に馴染めず、ふてくされているというつもりだったのである。だから小倉弁を喋れない。ワークショップではなぜかセンセイ役ばかりを振られているが、知り合いの教師をモデルにしてある。
 森田先生からは「あと一日あればね」とダメ出しを頂いたが、実際、やったあとで、最初の二人のやりとりはもうちょっと長めにやってもよかったよな、とか、最後は三人の大合唱でもよかったよな、とか思う。
 爪楊枝をくわえるのも思いついたが、それはやりすぎだったろう。


「舞踊教室」
> ダンス教室です。半パンの男性をはさんで、中年の女性二人が先生の悪口を言っています。とりを飾るにふさわしく、ダンスの先生は本当にアクの強い人物のようです。それにしても、ここでの見せ場はダンス生徒の女性が、超高速で悪口やら追従やら繰り出す様子です。先生が登場して、うっとりナルシスチックなせりふを口にするのに、がんがん合いの手入れていきます。うっとりするような掛け合いに、日本の悪口は文化だったんだってわかります。

 先生役の方は本当にダンスをされているので、練習時に披露したダンスは素晴らしいものだった。
 生徒役の人たちがそれを真似できたらよかったのだが、さすがに数日の練習ではそれは不可能で、本番ではかなり簡略化されてしまったのが惜しい。
悪口を言われるキャラクターはやはりより個性的でなければならないから、ダンスも本格的であったほうがいい。
 先生に一番可愛がられている生徒が一番トッポイ感じの男性で、ダンスもへたくそ、というのが笑える。そういった演劇的なし掛けがかなりあるスケッチだったので、シロウトには難しい芝居なのだが、かと言ってこれをプロでやったら面白くなるかと言うとそれも違うだろう、ということが感じられるのである。
 特に男性役の朝日新聞さん、これはシロウト以外の誰にもできないキャラクターだったろう。


> 共通に悪口言い合える対象のいる職場は平和です。そして、芝居っていうのは、どんなに秘密でも悪口でもいじわるでも、観客に見せるってことが、結局陰湿なものを公明正大なものへと転化してしまう力を持っています。WSで、普段やらないことを大声でやってみて、参加者がはればれするのも、芝居の力が大きいでしょう。

 悪口が決して陰湿なものではない、いや、陰湿な悪口であっても、「聞こえよがし」な悪口は、相手が「強者」であれば、決して「いじめ」には繋がらない。
 悪口を単純な正義感で否定し封印するのは、逆に陰湿な感情を発散させないままに人間関係を継続させることになる。それは果たして健全なことだろうか?
 悪口ですぐに「傷ついた」とのたまう御仁が世の中にはたんといらっしゃる。被害者意識が強くなりすぎるあまり、「あいつは私を傷つけた」とヒステリックに吹聴する。「何もそこまで言わなくてもよかろう」と周りが思っても、自意識過剰に陥っているので聞く耳を持たない。意識的にか無意識的にか、騒ぎ立てることで、自分を逆に社会的強者の立場に転換しようとしている。
 こういう人物がごろごろ現れるようになれば、悪口文化は滅びる。いや、かなり滅びてしまっていると言っていいだろう。このワークショップは、失われつつある文化の再生を図ろうとしている、そしてだからこそ一般人の、プロでないシロウトが参加することに意義を見出している、私にはそのように思えるのである。


> 今回の小倉は三者関係を見事にとりあげたんだなと思いました。ここではおもしろいことに二者の関係はそれほど重要なものとして描かれません。そりゃそうです。二人でいるときは楽しいとか楽とか当たり前すぎます。
むしろ、三人目がいることでできあがる二者の関係を堂々と取り上げたことがおもしろい。いじめって、この3人目を弱い人にすることですよね。でも、小倉ではふてぶてしい3人目がどんどんやってきました。これは、なんというか現代のヒーローなんだと思います。

 私もその「3人目」を演じたわけだが、果たして「ヒーロー」に見えたのだろうか。


 夜、ワークショップ仲間のHさんと待ち合わせて、しげ。と三人でSGcafeへ。
 SGでのイベントには何度も参加しているが、私の主催としては初の試みで、演劇研究会を開くのである。
 teruさんとネットでやりとりしているうちに、何となくそんな感じになってしまった。

 俎上に乗せるのは、舞台版『笑の大学』(1998再演版)。
 三谷幸喜作・山田和也演出、西村雅彦・近藤芳正出演の、映画化もされた傑作喜劇だが、映画版よりも舞台番の方が圧倒的に面白い。
 ただ、誰か批評家も言っていたことだが、これを三谷幸喜の喜劇に対する決意表明と見るのはどうか。劇中劇がそこまでの傑作には仕上がっていないことが、その批評の根拠になっていると思う。面白い作品ではあるが、過大評価で神棚に祭りあげるようなまねはしたくないのである。
 これはもう、何度も日記には書いてきたことなので、それ以上の感想は省略。

 とりあえず集まったみなさんが、舞台の楽しさについて歓談してくださったのが嬉しい。

 次回は1月10日(水)『12人の優しい日本人』の予定。

2002年12月06日(金) 頑張れ爆走 紳萋鷁麁本オタク大賞/『SとMの世界』1巻(ビーパパス・さいとうちほ)/『井戸の中の悪魔』(篠田真由美・秋月杏子)
2001年12月06日(木) 他人の日記ネタ。Aさんすみません(^_^;)/『ナジカ電撃作戦』MISSION 009/『韃靼タイフーン』2巻(安彦良和)ほか
2000年12月06日(水) 人は年6回風邪を引く/『冒険配達ノート ふまじめな天使』(赤川次郎)



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