無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年08月15日(月) いつでも危険と隣り合わせ/『沈夫人の料理人』3巻(深巳琳子)

 昨晩、家に帰る途中で福岡空港のそばを通っていたとき、カメラマンがやたら集まって、滑走路に向かってシャッターを切っていた。何やってんだろうと思っていたのだが、朝のニュースを見ると、一昨日、JALウェイズ機が離陸直後にエンジン部分で爆発を起こし、600個あまりの金属片を散らばらせていたのである。
 幸いにもすぐに着陸したので乗客に死傷者は出ずにすんだけれども、落下物に当たってやけどなどの軽傷を負った人はいたそうである。
 しかし、テレビの映像を見ると、エンジンはかなり火を噴いていて、全くこれでよく墜落しなかったものだと呆れるほどだ。怪我人ゼロっての、奇跡に近いんじゃないか。
 ところが国土交通省の航空・鉄道事故調査委員会は、これを「航空事故とは見なさない」とし、調査官も派遣しないと決めたとか。さすがにこれには無能で知られる本県の麻生渡県知事も、現状を視察した後で「市街地の真ん中にある空港。重大な事故ではないとの考えは非常におかしい」と批判のコメントを出した。出したところで状況を改善できる力はないのだろうがね。
 実際、福岡空港くらい「市街地に近い」空港というのも全国でも珍しいらしい。しかし何も市街地の真ん中にわざわざ作ったわけではなくて、市街地が後からこの空港を取り囲んでしまったわけだが。もともとは終戦間際に軍用に作られ始めたのだが結局は間に合わず、米軍に摂取されて基地として整備され、そのあと返還されて空港として使用されるに至った、というのが時代を知る父の説明である。民間のことを考えていないのは初手からだったわけだね。
 今となっては、福岡空港は博多の町の再開発にとって(しなくていいとは思うが)目の上のタンコブになってしまっている。町が東に伸びるのをここで堰き止めてしまっているので、だからこそ今の福岡空港は潰して更地にしてしまって、交通と街の開発の邪魔にならない新宮沖とか雁ノ巣とかに新空港を作ってウォーターフロントに、なんて計画も何度となく俎上に上るわけだが、バブルがはじけちゃった後じゃあ、画餅どころか税金の無駄遣いで福岡経済の命取りにもなりかねないのである。こういう計画をポンと立てて進めちゃおうとするから麻生知事は評判悪いんだけどね。
 今回の事故で、福岡のテレビ各局は一様に何年か前のガルーダ機の墜落事故を思い出して「福岡空港の危険性」を訴えているのだが、実際、これまで民家への墜落事故などがなかったのが不思議なくらいである。
 そのことを考えれば、確かに「事故の原因究明」なんて悠長なことを言ってるんじゃなくて、今の空港を取っ払っちまった方が「危険のモト」自体が断てるわけだが、でもじゃあどこに新しく作ったらいいかって言うと、もう海を潰すか山を潰すしかないというところにまで来ているのである。そりゃ簡単に実現はできんわな。
 結局、こんな事故がどれだけ続出しようと、こんな空港のそばに住んでること自体、運命と思って我慢していくしかないってことなんだね。NHK料金が安くなるのだけはメリットだけど。


 夕方から父のマンションで送り火。
 五時の約束だったが、もちろん父は三時に電話を入れてきた。
 つか、マナーモードにしていたので気が付かなかったのだが、私の携帯を見てみると、既に二時に電話を入れてきていたのである。せっかちにもほどがあるってば。
 ちょうど外出中で寿司屋にいるというので、そこで合流する。昔なじみの寿司屋で、もちろん回転などではない。当然、ネタは時価だが、美味さは格段だ。トロの脂身が舌の熱でとろけて、口いっぱいに甘く広がるのがもう至福の味わいである。適当に握ってもらったけれども、あとで勘定を聞いて目の玉が飛び出た。
 「普通の寿司屋」ってのはやっぱり高級料理でさ、百円寿司って、ネタがよくないから当然なんだけれども、破格の安値なんだよねえ。

 マンションに着いて、一息つく。
 テレビを見ると、終戦記念日で(でも段々と「終戦の日」って呼び方をするようになったな)、また靖国参拝のニュースなど。
 私がしげを指して、「こいつ、よく僕に『進駐軍に会ったことある?』って聞くんよ。いったい何歳だと思ってるんかねえ」と言うと、父は「それはおれのことやな」と言って笑った。
 「お父さんは『ギブ・ミー・チョコレート』って言ったことあるん?」
 「おうあるぜ」
 「進駐軍を追いかけよったと?」
 「道に落ちとるのを拾いに行きよった」
 「チョコレートを?」 
 「チョコレートもあったばってん、缶詰を拾いに行きよったな。あれは米軍がわざと撒きに来よったっちゃろうな」
 「ジープで?」
 「そう。ともかく何にもないけん、何でん美味しかった。チョコレートも、多分、今のに比べたらたいして美味しゅうはなかったと思うばってんがな。
 お前の婆ちゃんと、大きい婆ちゃんと、畑やら家の前の道で野菜ば育てて、それで料理ば作ってくれよったとやが、これがまたよう盗まれるとたい。ころあいやなあと思っとったら、次の朝、見たらくさ……」
 「盗まれとる」
 「そうたい」
 父は笑った。
 「ばってん、おれはお母さんみたいに苦労はしとらんけんな。お母さんの苦労はどんだけか分からん。引き上げでどんだけ苦労したか……」
 「引き上げの途中で殺された人もおったやろうしね」
多分、それ以外にもいやなことはあったと思う。普通に考えれば、台湾にいた母の家族が、何事もなく帰って来れたはずはないのだ。父も母からそういう話は聞いているのだろう。それきり、口をつぐんだ。  

 道が混まないうちに、早めに送り火を焚くことにする。
 焚き付けの新聞はこちらで用意してきたので、今度はオガラもすぐに燃えた。
 父がまた「お母さん、長生きするって言いよったとに」とブツブツ文句を垂れるので、「お母さん、ずっと自分の方がお父さんより年上だってことで引け目感じてたから、お父さんが追い越すの待っとったっちゃろ」と言って揶揄する。
 「おれは全然そんなこと気にしよらんかったとになあ」と笑う父。「十年やなあ」としみじみと呟いた。
 祖母の死からはもう25年である。祖母が死んだとき、母が「婆ちゃんはまだどこかにいる気がするとよ」と呟いていたことを思い出した。人間は、死を実感することが一番難しいのかもしれない。葬式も盆も、儀式はみなファンタジーである。

 所定の場所に線香を立てに行く。
 毎年同じ川岸だというのに、しげはいつも道を覚えていなくて、自身なさげに車を走らせている。父も父で、もう十年このあたりに住んでいるのに「ここやったかな?」とやはりよくわからない様子。せっかちなところと言い、道をおおまんたくり(=適当)にしか覚えていないところと言い、血が繋がってないのに、こういうところは父としげは実の親子の私よりも似ている。
 それでもさほど迷いもせずに現場に着くことが出来た。まだ五時前だというのに、マコモに包まれた供物も山と積まれているし、何蝋燭も何十本も立っているが、風で全て火が消えている。毎年思うんだけれど、風除けくらい付けられないものなのかな。

 父からまた食事に誘われたが、さっき寿司を食ったばかりで、また食事ができるはずがない。通帳を早く作れとせっつかれたので、明日また会う約束をして辞去。
 今年の盆も終わった。
 

 毎日新聞が戦争の評価などについて、電話で全国世論調査を実施したところ、日中戦争・太平洋戦争などについて以下のような結果が出た。
「間違った戦争だった」43%
「やむを得ない戦争だった」29%
「分からない」26%。
 アンケートというものがその質問の仕方によっていくらでも大衆操作ができることはもはや説明するまでもないことだが、この手の質問にうかうかと乗せられちゃってる人も結構いっぱいいると思う。何がインチキって、このアンケート、項目が少なすぎるのよ。肝心な質問項目が決定的に欠けている。
 何が言いたいかっていうと、これにもう一つ、こういう質問を付け加えたら、「目からウロコ」だと思うんだけどね。
 「やむを得ないが間違った戦争だった」。
あるいは、「間違っているがやむを得ない戦争だった」。
 どっちを先にするかでニュアンスが変わるから、両方入れてもいい。そしたらこの二つの質問だけで六割以上は行くと思うが、どうかね。
 つまり「大東亜共栄圏」という日本のスローガンは、「自衛戦争」でもあったが「侵略戦争」でもあったということである。中国も朝鮮も欧米列強の前ではまるでアテにならなかったのは事実だし、同時に資源のない日本が大陸の権益を独占しようとしたのも事実である。だとしたら両方の面があったって判断したらどうしてダメなのかね。
 太平洋戦争についてだって、「アメリカに経済封鎖を受けたから、南進するしかなかった」。即ち、「やむを得なかった」面と、南方は日本の領土じゃないんだから「侵略」の面の両方があったことは事実で、どっちも否定できないでしょうが。
 なんかね、二十年くらい前にね、「日本は侵略もしたけど、中国・朝鮮に対していいこともした」と誰ぞが意見を言ったらね、「侵略を正当化している」とアチラさんに曲解されて非難されてたんだけどね、そのときは決して「あれは侵略戦争ではなかった」とは誰も言ってなかったのよ。「侵略」の面だけをより強調したりするなって言ってただけで。
 それが段々と論点が二極化されてね、もう「果たしてあの戦争は自衛だったのか侵略だったのか」ってどちらか一方しか認めないような二項対立の図式に意図的にずらされていったのね。だから上記のアンケートも、多分、毎日新聞自体、おかしいってことに気付いてないんだよ。
 今や、「侵略」の面を強調するあまり日本の立場を全否定するサヨク連中と、逆に「自衛」やら「共栄圏」の面を主張することで「侵略」が全くなかったように装うウヨクの連中とに日本人は二極化しつつある。アンケート電話を受けた連中も、「質問がおかしい」とか「両方の面があるだろう」って見抜けなくなってるんだよね。
 どっちの意見であろうと「洗脳」されてる点では同じ。まだ「分からない」って答えた人間の方がマトモだ。つまりマトモでない人間が七割以上いるってのが日本の現状なわけだ。たいへんな事態じゃないか。
 私が何が言いたいかよく分からない人がいるなら、もっとストレートに言うけど、つまり、先の質問を受けて、質問のおかしさに気付かずに、「分からない」以外の答えを選んだ人は、もうそれだけで「洗脳されている」人か、「洗脳されやすい」人のどちらかなんだってことなんだよ? あなたはそうなってないか、自問自答してみたらどうかな?
 日本にはね、「本気で戦争したがってる」人間は実際にいくらでもいて、別に街宣車でがなり立てるような行為に走らなくても、何食わぬ顔をして社会の中に溶け込んでるんだからね。自分の頭で考える力をなくしてる人たちは、気が付かないうちにいいように動かされちゃうかもしれない。もう動かされてないかな?
 国家のことや政治のことを日頃から得々として語る人は、右だろうと左だろうと、それだけで既にイカレちゃってると判断されても仕方がない。身近にそんなやつがいたら、上記の質問をしてみよう。それでその質問のおかしさに気付かなかったり、ムキになって自分の主張を押し付けようとしたりしてきたら、その人はもう考える力を根元からなくしてしまっていて、その思想はとっても危ない誰かさんに植え付けられたものだってことなんだよ。
 危ない危ない。近づかない方が無難無難。


 マンガ、深巳琳子『沈夫人の料理人』3巻(小学館)。
 精進料理の「精進」は、中国語だと(北京語かな?)「jingjin(チンチン)」というのだそうな(笑)。誰かもう『トリビアの泉』には送ったかな?
 美食家の沈鳳仙夫人のために料理の腕を振るう李三の奮闘を描くシリーズ第三弾。苛められれば苛められるほどその技量が発揮されるという李三のキャラクターは、あまりにも卑屈すぎて好感は持てないのだが、Sっ気(サドの方ね)のある人は、沈夫人になったつもりで、李三の右往左往を楽しめるだろう。
 正直、料理マンガというのは本当に料理が食えるわけじゃなし、料理を取り巻くシチュエーションやドラマがいかに工夫されているかによって良し悪しが決まるものだ。今回は李三を陥れようとする新しい召使・高子安や、ついにその究極の麺打ちの技を披露する李三の兄・李大など、李三が始終オドオドビクビクしているのを叱咤するようにアクの強い魅力的なキャラクターがどんどこ登場してくる。
 何よりやはり、ヒロインである沈夫人のサドな魅力が、本作を他の凡百の料理マンガと一線を画す要因となっている。もちろん、サドなだけが彼女の取り柄なのではない。彼女はただの意地悪女ではなくて、豊かな知性と、李三の料理人としての類稀なる腕を見抜いている洞察力、あまりに惨めっぽい李三についほだされてしまう可愛らしさ、そういったものを併せ持っていて、だからこそどんなに高慢ちきな態度を取っていても許せてしまうのである。
 最初は前近代の中国を舞台にした料理マンガとは、気を衒ってるばかりでそんなに続かないんじゃないかと思っていたのだけれど、1巻より2巻、2巻より3巻と、俄然面白くなっている。1巻のころにはまだ自信なさそうな線も次第に伸びやかに、整ってくるようになり、登場人物たちの表情も実に生き生きと、微妙な感情まで表現できるようになっている。


 マンガ、細野不二彦『ダブル・フェイス』7巻(小学館)。
 『ギャラリーフェイク』に比べるとエピソードごとに何となくムラがあって、これまではやや停滞気味だった感じの本作。『フェイク』がめでたく完結したので、作者はこちらの連載の方に力を入れるようになったんじゃないかと想像していたのだが、これがそれほど面白くなってはいないのだね。
 まあ確かに「春居筆美」の正体に小泉じゅんが少しずつ迫っていく過程は面白くはある。けれど、Dr.WHOO以外のキャラクターをあまり非現実的なものにしてしまうと、肝心のDr.WHOOが霞んで見えてしまうのである。あの「シロウサギ」ってのは何なんだろね。
 シロウサギの陰謀(ってのが、Dr.WHOOとの過去が具体的に描かれないから、どういう陰謀かもよく分かってないのだが)を食い止めるために、Dr.WHOOがシロウサギの愛娘を誘拐するってのは、細野さん、アタマでもイカレたのかと疑いたくなるくらいにデタラメな展開である。
 それじゃあ、Dr.WHOのほうが明らかに「ワルモノ」じゃないのよ。読んだあと、何とも重苦しい気分なって、とてもカタルシスなどは得られなかった。
 連載が長くなると、「これはいったいどうしちゃったんだ」って言いたいくらいに話が矛盾だらけになり、迷走する癖をこの作者は持っているのだが、今回もそんな感じになりそうな気配である。
 あまり長く続けずにあと1、2巻くらいで完結させるのがよかないかなあ。

2004年08月15日(日) この日を記念日にしたのは「盆」だから?
2003年08月15日(金) 記念日って何の/DVD『レッド・ドラゴン』
2002年08月15日(木) 母の呼ぶ声/『フルーツバスケット』5〜9巻(高屋奈月)/『神罰』(田中圭一)
2001年08月15日(水) 代打日記
2000年08月15日(火) 盆休みも終わり……なのに毎日暑いな/映画『シャンハイ・ヌーン』ほか



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