無責任賛歌
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2005年05月26日(木) |
チェーン店も消える/映画『バタフライ・エフェクト』 |
2、3ヶ月に一回くらいの割合で食事していた「一番カルビ」の諸岡店、今月いっぱいで閉店が決まったそうで、20%割引の案内が来ていた。 街が様変わりしていくのは時代の変遷というやつで致し方がないことではある。近所を見回してみても、私が子供のころから親しんでいた店だの食堂で、今も残って営業中、なんてところは数えるほどしかない。「代替わり」というものが現代ではほぼありえないことになってしまっているので、「老舗」の店なども一代で立ち消えていくしかない。かく言う我が家も、不肖の息子が床屋を継がなかったために、曲がりなりにも髪結床の昔から続いてきていた床屋の家系(母方)がついに途絶えてしまった(親に詳しく聞いたことはないが、江戸の昔から少なくとも三代か四代かは続いていたのである)。しかし今や床屋という職業自体が法改正により絶滅してしまっているので(現代の理容師は昔の床屋とは別物で、剃刀を砥ぐ技術もない)、私が継いだところで焼け石に水、どうにもならなかったのが現実であろう。 それやこれやの「商店街」の存続が危ぶまれている原因は、一昔前ならスーパーマーケットやらショッピングモール、チェーン店といった巨大資本の進出のせいにされていたものだったが、気がついてみたら、そんな巨大資本も、一時の乱立状態から緊縮整理の方向に進んでいる。しげが以前勤めていた空港通りの「モスバーガー」、ここも最近潰れてしまっていたが、一見順調そうに見えていた焼肉業界も、実情はなかなか厳しいものがあったのだろう。「一番カルビ」が開店したのは数年前だったと思うが、撤退があまりにも早い。同じ筑紫通りに「ウエスト」もあれば「焼肉のさかい」もあるので、結局は淘汰されたということである。だいたい、福岡には焼肉屋ばかり多すぎるのである。 せっかくの割引券を無駄にするのももったいないので、仕事帰りに待ち合わせて「一番カルビ」に。「たらふくセット」とかいうのを頼むが、鶏肉とホルモンを焼いているうちに、ロースにカルビは全てしげに食われた。いつもは自分ばかり高い肉を食ってちゃ悪いかと、5枚に1枚くらいは私にも譲ってくれるのだが、今日は全くなし。よっぽど肉に飢えていたのだろう。もちろん、しげは毎日肉に飢えているので、さして不思議はないのだが、ちょっとばかり心が落ち着いていないのかもしれない。
ダイヤモンドシティ福岡ルクルで、映画『バタフライ・エフェクト』(注意・ラストのネタバレあり)。 タイトルは例の「カオス理論」による「バタフライ効果」のことで、北京だったかブラジルだったかで蝶が羽ばたくと、アメリカで嵐が起きることだってある、という「風が吹けば桶屋が儲かる」式の考え方を示したもの。 要するに「何がきっかけで運命が変わるか分からない」ということで、それを時間SFと絡めたところがミソと言えばミソである。 主人公の大学生・エヴァン(アシュトン・カッチャー)は、少年のころ、心神喪失状態に陥り、記憶をなくしてしまう癖があった。今ではごく普通の生活を送っていたエヴァンだったが、七歳のころからつけていた日記を発見して、失われた記憶を取り戻そうとかつての友人たちに会おうとする。 精神病院に隔離されていた父の死に、自分は何か関係していたのか? 初恋の相手・ケイリー(エイミー・スマート)と地下室でビデオ映画を撮ったとき、何が起こったのか? イタズラで郵便箱に仕掛けたダイナマイトは爆発したのかしなかったのか? エヴァンを眼の敵にしていたケイリーの兄・トミー(ウィリアム・リー・スコット)は、エヴァンの犬を本当に焼き殺したのか? 故郷の町を去ったエヴァンは、ケイリーに「君を迎えに来る」と約束していながら、それらの謎を放置したまま13年を過ごしてきていたのだった。 当時のことを聞き出そうと、友人のレニー(エルデン・ヘンソン)を訪ねたエヴァンだったが、彼はもうずっと心を閉ざして家に引きこもったままだった。エヴァンは思い余って、ケイリーに再会したが、それが彼女を精神的に追い詰め、自殺に追い込んでしまう。そのショックが、エヴァンに「過去を変えたい」という強い思いを抱かせることになった。日記を凝視するエヴァン。その眼に映る日記の文字がぐらぐらと揺らぎ始める……。 結局、「過去を変える」という時間SFの定番ネタなんだが、その手の作品をたくさん読んだり見たりしてきた人には「今更」感が強いだろう。それに、小説と違って映画だから詳しい説明が省かれてしまうのは仕方がないのかもしれないが、タイム・パラドックスの問題があまり深く考えられていないのが気になってしまう。 エヴァンは過去を変え損なっては再び時間軸を遡るのだが、一本目の時間軸と次の時間軸が同じものなのかそうでないのか、そこが判然としていない。普通に考えれば“過去が変わってしまっている”のだからそれぞれの時間軸はあくまで別のもので、たとえエヴァンが過去を変えたつもりになっていても、それは本人が枝分かれした別の時間軸に飛び込んだだけのこと、「過去を変えることができた」とエヴァンが思っているのはただの自己満足に過ぎないのである。もともとの時間軸では、ケイリーはあくまで死んだままだ。だからそんなことに気づきもしないであっちこっちの世界を行ったり来たりしているエヴァンは底抜けの馬鹿にしか見えない。主人公に感情移入ができないから、全編、不快感が続くばかりでちっとも面白く見られないのである。 パンフレットではSF作家の梶尾真治氏が本作に影響を与えたと思しい先行作品を挙げているが、殆どラストシーンの演出がそっくりそのままな、アノ時を駆けちゃう日本映画を挙げないのはどうしてなのかなあ、と思っていたのだが、どうやら梶尾さんが見た本作と、実際に公開された映画とはラストが違っているらしいのだ。 これは二者を比較しなきゃなんないからもうあえてネタバレしちゃいますけど、劇場公開版はエヴァンがケイリーと出会うこと自体を回避して運命を変えて終わるのに対して、ディレクターズ・カット版はどうも創世記にまで遡っちゃうみたいなんですね。そこまでせにゃあ、運命は変えられんものだったのかとちょっとオドロキだけれども、無難でありふれた終わり方しちゃった公開版よりも、そっちのほうがトンデモでかえって面白かったかもしれない。テレビ放送するときはぜひ、オリジナル版のほうを放送してもらいたいものである。
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