無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年01月26日(水) チャボなんぞ知らん。/DVD『メリー・ポピンズ スペシャル・エディション』ほか

 総合病院で検査。
 というか、精密検査が受けられるかどうか、レントゲンとかの検査。病気持ちはそういうところから始めないといけないので面倒臭いことこの上ない。半日かかって一応、「悪い“ガス”も出てないみたいだし、検査は可能なようです」という結果。なんか“ガス”が出てたら検査できないのか。つか“ガス”ってなんの“ガス”よ。
 ともかく精密検査は受けられることになったけれども、またまたケツカメラを入れられるのである。昨日も今日も医者から指突っ込まれちまったし、ホモでもねえのにケツばっかやられまくりでいいのか、オレ。「気持ち悪くなったら中止しますからね」と先生は仰っていたが、気持ちよかったらどうしよう(T∇T)。
 次回また半日かけて検査しなきゃならなくなったんだけれど、入院ってことにならなきゃいいなあ。血便がどうか痔でありますように。……って痔になることを期待する心理ってのもどうにかしてるよなあ。


 水曜日は出かけることが多くて久しく見ていなかった『トリビアの泉』。もしかしたら半年くらい見てなかったが、これが面白い。いや、ネタのレベルとか、演出のダサさとか、そんなのは全然変化しちゃいないんだが、こちらの意識が変わってるんだね。もう映画『デビルマン』見たあとなら何見ても許せちゃうってやつだね(^o^)。
 スーパーバイザーの唐沢俊一さんが、以前、『トリビアの泉』に間違いが多いことを指摘されて、「テレビで語られていることを本当だと信じちゃいけない」とトンチンカンな答弁をしていたが(それはただの原則論で、具体的な問題の指摘にまで敷衍していいものじゃない。第一、この番組のコンセプトは“おもしろけりゃいい”からといって「デタラメ」まで許しちゃいかんものだろう。痩せても枯れても「知識」番組なんだから。製作に関わっている人がこういう放言をしちゃよくないよなあ)、番組のコーナーで「ガセビアの泉」というのができていたのには笑った。番組に送られてきたネタの中にはガセも多くて、それを検証して「正す」ものである。今日は「爪楊枝の溝は折って楊枝置きにするため」というガセビアを、製造している会社に尋ねに行って、「アレはただの飾り」と回答してもらっていた。「デタラメでいい」と強弁していたのが明らかに方向転換されているわけで、よっぽど非難が強かったんだろう。「ズボン」の語源説についても「いくつかの説のどれか」なんて曖昧なことを言わずに明確に「履くとき『ズボン』という音がするから」という説が正しいと“真実”に拘っていた。
 ここにきてようやく、雑学ブームが一般化したことで、「検証番組」が増えて俗説が駆逐されていく風潮が生まれてきたようである。そこまでいかないと雑学は「面白い」レベルにまでは到達しない。「ウソでもおもしろけりゃいい」という感覚はある意味必要だと思うけれど、それもTPOを考えないと、誰かに被害を与えることはあるし、つまらないだけに堕する。マトモな批評ではない根も葉もないウワサやデマが、人の立場を危うくすることはよくある。
 人を騙す快感に酔い痴れちゃってる人は(オヤジギャグ飛ばすやつに多いよな)、自分がどれだけシラケルこと、あるいは“危険なこと”を言っているのか気がつかないから、回りのトモダチが「それギャグになってないよ」と言ってやる必要があると思う。でないと自分も「被害」に巻き込まれかねないぞ。


 ホームページ移転、少しずつ進めてはいるが、どうも一月中には終りそうにない。つか、うまくいかーん(T∇T)。ニフティの契約、2月まで延長したので、まだもちっとだけ間がありはするのだが。しげの劇団ホームページの移転はほぼ終わっているので、手が空いたら手伝ってもらおうっと。

 さて、その新しい劇団ホームページ、既にしげ、加藤くん、穂稀嬢、桜雅嬢、よしひと嬢のプロフィール、日記が新規登録、どいつもこいつもオタクなことばかり書き散らしている。それは毎日楽しく読ませて頂いているのだが(更新いい加減な人もいるが)、今日(1/26)のしげの日記を読んでのけぞった。

> 夫が、以前我が家に連れ込んでいた女の飼っていた「チャボ」が、我が家の開かずの部屋となっているところで増殖。
> そして、押入れの天袋で死屍累々。悲鳴を上げる。
> 恐怖!

 読んでビックリした人もいると思うが、これはしげの見た「夢」である。現実の話ではない。なのにヒトっ言も「これは夢です」って書かないんだもんなあ。
 しげが夢と現実の区別がつかなくなるのはしょっちゅうで、この夢を見たあとも、起き抜けに「あんた、この部屋の中に入っとったやろ!」と責めたてて来たのである。「開かずの部屋」というのは、以前、うちで宴会をするために部屋を片付けた時に、しげが入口に本を積み上げてしまった部屋のことで、壁抜け男でもなきゃ中に入れるはずがないのだ。
 「どうやったらこの部屋に入れるんだよ。だいたいオレ、浮気なんてしたことないだろうが」
 「そうだった。アンタ、浮気しないヒトだった」
 「浮気しないことが悪いんかい。それにチャボってなんだ、チャボって。事件記者か」
……いや、昔、水谷豊主演の『事件記者チャボ!』ってドラマがあったんですよ。
 こういうやりとりをしたあとだから、当然しげもこれが夢だということはハッキリと認識していたのだが、それを日記に書くときに全然注釈をつけないというのはどういう神経か。頭がイカレてるやつのことだから、その理由を問い質したところで全く無意味なのは分かっちゃいたのだが、一応「なに考えてるんだ」と聞いてはみた。案の定、しげはにやつくだけで返事をしない。つまりは確信犯なのである。
 しげが問題を起こすのは、要するにヘンなことを言って「構ってほしい」だけなのである。構ってほしいならそれを素直に言えばいいのに、必ずこんなヒネクレた手段を取る。他人に対して優位に立ちたいという欲望だけは強いから、自分が悪い、自分がバカだ、自分が間違っていたとは絶対に認めたがらない。他人をダシにしてからかったり、わざと意味不明な文章をつづって相手を混乱させるという卑劣な手段を取るのだ。これまでも何万遍、「普通に文章を書け、それが読む人に対する礼儀だ」と口を酸っぱくして注意してきたのだが、性格が腐っているから聞いたタメシがない。しげの日記にはこれからもこの手の妄想、意味不明な文章が散見すると思うが、読まれた方はいちいち相手にしないでいただきたい。しげのバカは一生直らんのだ。
 でもなあ、もう充分しげの性格知り抜いてると思ってた鴉丸嬢から、しげに「死屍累々ってどうしたの!?」と問い合わせのメールが入ったそうだ。しげは「アレは夢」と返事したそうだが、しげは内心、「わあい、引っかかった引っかかった」と喜んでるのだ。鴉丸さん、4月1日じゃないんだから、ここは怒っていいとこだよ。それとも分かっててしげに「構ってあげた」の? バカに同情しちゃダメだって。
 トラブルメーカーの自覚がないやつはこれだから困るのだが、しげは私の方こそトラブルメーカーのように言うのである。どの口で言うか。おまえの不適切発言の尻拭いをどれだけやらされた(あるいは、しきれなかった)と思ってんだ、このどぐされは。(^_^メ)


 「現実と夢の区別がつかない」と言えば、一昨日発表された次のニュース。
 長崎県佐世保市の小6女児殺害事件を受けて、長崎県教育委員会が県内の小中学生を対象にして、「生と死のイメージ」に関する意識調査を実施した。加害女児(12)の少年審判の決定が、女児の特性について「自己の経験や共感に基づく『死のイメージ』が希薄」と位置付けたことを受けて行われたもので、対象者は県内公立校の小学4年と6年、中学2年の計約3600人。抽出方法としてはほぼ妥当な数字だと言える。
 衝撃的だったのは次の質問に対する回答。
 「死んだ人が生き返ると思いますか」との問いに「はい」と回答した子供たちが、小学4年では14・7%、小学6年では13・1%、中学2年18・5%。だいたい500人以上の子供が「死んでも生き返られる」と考えたということになるのだろうか。
 私は「アンケート」にはある種の誘導尋問的な性質が必ずつきまとうと考えているので、その結果にはあまり信用を置いていない。それが子供を対象にしたものだとしたらなおさらである。例えば、大人であっても「人間は死んでも生き返られると思いますか?」と聞かれた場合、“それがどういう相手からどういう意図で発せられた質問か”そのときの状況判断によっては回答の仕方が変わるはずだ。親や兄弟、親しい身内を亡くしたばかりの遺族から「ねえ、人って死んだらやっぱり消えてなくなるのかなあ」と泣きながら聞かれたとしたら、「きっとこの空のどこかから君のことを見ていてくれてるよ」なんて言って慰めることはあるだろう(もちろん「人は死んだらそれまでさ」とあえて現実を突きつけて故人を忘れさせる場合もあるだろうが)。質問の意図を読めない、状況判断が未分化である子供たちだと、そういう場合もひっくるめて「死んだ人が生き返る? あるよ」と答えてしまうケースは充分ありえるのである。
 理由として挙げられた筆頭の回答は、「テレビや映画などで見たことがあるから」で29・2%、「ゲームでリセットできるから」が7・2%だが、これは子供たちが現実と夢の区別が付いていないかどうかの証明には全くなっていない。回答した子供たちが「テレビやゲームでは人は生き返るけれど、現実の人間は生き返らないよ」と判断している可能性もあるからである。……あのね、こういう質問で浮き彫りにされることはね、子供たちに「現実と非現実の区別がついているかどうか」じゃなくてね、「質問の意図が理解できているのか」、「他人の話を理解しようと務める能力が低下しているんじゃないか」っていう「学習能力」のほうになっちゃうのよ。質問の仕方は充分精査しないといけないんだけど、今回はそれがかなり雑だね。
 例えば質問の頭に「現実に」と付けて、こう質問してみたら、回答の内容もかなり変わってくるのではないか。「現実問題として、人間が死んで生き返ることがあると思いますか、次の中から選びなさい。1、絶対にない 2、滅多にないがたまにはある 3、あると聞いたことはあるが信じられない 4、信じられないが、あったらいいと思う 5、しょっちゅうあるし、自分もきっと生き返られると思う」
 大人に聞いても1より3、あるいは4を選ぶ人は多いと思うが、だからと言って「現実と夢の区別が付いていない」と判断されはしないだろう。それどころか1と回答すれば「夢がない」「冷血漢」と判断されかねない。子供たちも4の場合を含めて「ある」と答えた可能性もあるのである。その証拠に、自由記述では「人は死んでも心の中で生きている」「医学や科学が進歩すれば、生き返ることも可能」などの意見もあった。問題はあるが「脳死を人の死と認めない」立場の人間なら、後者の回答であってもおかしくないとも言える。
 中2の生徒に「殺人や傷害での罰や法律制度を知っているか」と聞いたところ、47%が「知らない」と答えた、という結果については「夢と現実」問題とは何の関係もない。単純な知識の問題で、「知らない」と答えたからと言って、生徒たちに「判断力がない」と即断することもできない。「法律は知らないが、人を殺すことはよくない」と考えている子供たちだっていて当然だろう。さらに言えば、大人だって、本当に「知っている」かどうか疑問だ。あなたは「どの程度の殺人なら死刑になると法的判断を明確に示せるか?」と質問されて「具体的に答えられるだろうか?
 新聞の「社会科の授業で裁判制度を教えるが、刑罰や社会的責任について教える機会はない」というコメントも、現代の子供たちが教育の場で常識的な判断を培うことができなくなっているというイメージを読者に与えるようにミスリードしている。
 子供たちの回答に問題が全くないとは言わない。「夢と現実の区別がついていない」「生と死のイメージが希薄」という分析は眉唾ではあるが、「質問の意図が正確に受け取れない」「自分の回答がどのように受け取られるか想定できていない」という、“学力不足”と“コミュニケーション不全”の問題は歴としてあるからだ。その点で「親は子供のことをちゃんと理解してコミュニケーションを図っているのか」と批判するのならば納得はできる。しかし、この「お互いの気持ちが伝わり合わない」問題は、単純に親と子の会話を増やせば解決するようなものではない。
 「夢と現実」の問題ならば、「サンタクロースって本当にいるの?」「いないんだよ」でケリが付く。しかし、「信仰や思想、人間はなぜ“虚構”を生み出し、それにすがろうとするのか」を子供に理解させることは極めて困難で、親も学校もそこからは常に眼を背けてきた。現代の日本人が子供はおろか大人でもコミュニケーション不全に陥っているのは、根本的にはそこに原因がある。みんな、「相手と共同幻想を共有できるとは限らない」時代に生きているという自覚がないから、自らの信じる「正義」やら「主張」やらをぶつける形でしか相手と接することができず、その結果、「拒絶」ないしは「対立」しか生み出さなくなっているのである。しかし、そんな個人間での拒絶や対立が生じても、総体としての社会は機能するように、組織を、自治体を、急激に肥大化させていったのが戦後の日本ではなかったか。そのツケがここに来てあちこちで吹き出しているのではないのか。
 「親と子のコミュニケーションを密に」と言いつつ、「ゆとり教育を見直せ」と言い、その二つの意見に矛盾があることに気がつかない。いや、子供に「ゆとり」を与えると同時に親にも「ゆとり」を与えなければ無意味であったということに気がつかなかった大馬鹿野郎な施策に対して「改善を」と言うのであれば、最も効果的な解決方法は、子供の勉強時間を元に戻して増やすことではなくて、親の勤務時間を減らして、家庭にいて子供と接する時間を増やすことではないのかね(ともう何度も言ってるんだが)。そんなことは非現実的だという批判をしたい人もいるだろうが、知ったこっちゃない。それができなきゃ(そして親にその決意と覚悟がなきゃ)、子供の学力はこれからもどんどん下がっていくだろうし、非行だってどんどん増えていくだけだ。子供の残虐な犯罪の下地を作っているのは、「親が家庭にいないサラリーマン社会、共働き社会の増大によるものだ」ってこと、みんな気付いてて無視してるんだろう? そこから眼を背ける気なら仕方がない。あとは「増え続ける少年の凶悪犯罪を社会が受け入れる覚悟」「自分がいつか子供から殺される可能性を親が受け入れる覚悟」をして頂くしかあるまいよ。覚悟がなくても現実はそうなるだけなんだが。
 

 さてまた来ちゃったよのスパムメールだけれど、文面は変わったが、引き込もうとしてるサイトのURLは似ている。足がつかないように、刻々とURLを変えてるってことなのかな。全く違ったものに変えてないのは、面倒臭かったからか。そういう手抜きばっかやってるからマトモな文面も作れないのであろう。

> 幸
> 今でも?

> まだセフレ募集してますか?私も今探しててメールしたんですが・・・
> 今年30になる8歳児のママしてます。今の旦那と付き合って
> 直ぐに子供できちゃったからあまり遊んでなかったんです。
> 今まで子供の面倒見ないといけなかったから我慢してたんですが
> ようやく一人になる時間も増えました。もっと男の人と遊びたいし
> エッチもしたいです。できればあなたとそんな関係になりたい。。。
> 私のセフレになって下さい。一日10万円お渡しします。その代わり
> 私とは秘密の関係で居て欲しいんです。
> 私はあなたと体だけの関係を望んでいます。約束守って頂けるなら
> http://www.xxx-*********/~totoro/secret.php?pr=777888
> の掲示板に来てください。会う日と時間決めたいです。
> 名前は幸です。場所は私がそちらに行きます。
> 無料登録なのであなたに迷惑はかけません。

 しげの夢じゃ浮気男にされてしまうし、どこの誰かも分からんやつには「セフレ募集中」のレッテル張られるし、なんか脱力。世の中には独身の変態でホントにセフレがほしい男もごちゃまんといるから、そっちに回ってくれ。ただいくら彼らが女に飢えてるからとは言え、こんなメール、相手にしないとは思うが。


 DVD『メリー・ポピンズ スペシャル・エディション』。
 別に大地真央に勧められたわけではなく、この映画は昔から大好きだったので購入。お前、ディズニー嫌いじゃなかったのかと言われそうだが、私がつまんねえと思うのは「ディズニーアニメ」なんであって実写は別。それにそもそもP.L.トラヴァースの原作のファンなのである(原作での表記は『メアリー・ポピンズ』)。……ああ、大丈夫、今日は長ったらしいウンチクは語らないから(^o^)。
 ディズニーチャンネルなどでも流れているから、買うかどうかは迷ったのだが、やはり3時間に及ぶ充実した映像特典に惹かれた。
 メイキングやゲームなどは定番だが、特筆すべきは、リチャード・シャーマンが演奏する未発表曲『チンパンズー』と、このスペシャルエディションのために製作された“続編”『王様と猫』だろう(原作は『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』)。40年ぶりに同じ役に挑むジュリー・アンドリュース、さすがにもう70歳になろうというお年では往年と同じイメージでは見られない。けれども4、50歳くらいには見えるくらいに若い。たとえ『メリー・ポピンズ』と名乗らなくても、もう歌は歌えなくなっているとしても、それでも彼女はやはりメリー・ポピンズなのである。

2003年01月26日(日) 短いほど分らない話/DVD『帰ってきたウルトラマン』4巻/『プリンセスチュチュ』2巻ほか
2002年01月26日(土) 食事中には読まないで下さい。/『ラーゼフォン』1巻(百瀬武昭)/『増量・誰も知らない名言集』(リリー・フランキー)ほか
2001年01月26日(金) 夢の通い路



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