無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年09月01日(水) 『華氏911』余燼

 昨日に引き続き、今日はいきなり500人近くのお客さんが来られました。いやもう、カウンターが回る回る。九万ヒットが間近だけれど、この分だと、またキリ番ゲットは通りすがりさんだろうなあ。毎回粗品を用意して、そのたびにムダになってるのがちょっと寂しいのである。
 話題が『華氏911』に関することだから、気がついたら名塚さんとこ以外にもいくつかのBBSとかにリンクが貼られているのだけれど、自分の文章が賛否両論の俎上に乗せられるというのもフシギな気分である。それだけ『華氏』が喚起した問題が多数の人々の琴線に触れたのだろうけれども、いくつか私の文章に疑義を呈している人の文章を読んで首を捻りたくなるのは、ブッシュが大統領を辞めれば歴史が変わるかもしれないとユメを見ている人が意外に多いということだ。……変わるかよ、アメリカが(~_~;)。それはマイケル・ムーアだって、映画の中で「ゴアだったらイラク戦争は回避できたのか?」と疑問符付きでしか言えなかったことなんだけどねえ。あの国が「定期的に戦争を起こさなければやっていけない国」だということは、別に私が言わんでも、いろんな人がこの「五十年以上に渡って」言い続けていることである。いちいち日記にそのあたりの話を全部書いてる余裕はないので、例えば参考までにC・ダグラス・ラミスの『なぜアメリカはこんなに戦争をするのか』あたりでも読んでみてちょ。
 これはまあ言っちゃなんだが、映画評論家の町山智浩さんが6月25日の日記で、マイケル・ムーア礼賛しちゃった影響が大きいのだと思う。
 「そもそも映画としての評価など関係あるかね?」と言って『華氏』が政治的プロパガンダ映画であることを全肯定し、「ムーアの目的はいい映画を作ることでも、公平なジャーナリズムでもない。ブッシュを一刻も早く止めさせること、少しでも無駄な犠牲を減らすことなのだ」と持ち上げる。更にはムーアへの賛同者をイイ気分にさせるために「でも、もしかしたら、一人の男が作ったたった一本の映画が大統領の暴挙を止めることができるかもしれないのだ。一本の映画が、何百何千という人の命を救うかもしれないのだ。歴史上、多くの宗教家や哲学家や芸術家やロックミュージシャンが戦争に反対してきたが、実際に止めることに成功した人はどれほどいるのだろうか? でも、もしかしたらそれが初めて実現するかもしれないのだ」とまで言い切る。
 けど、その肝心のマイケル・ムーア自身がパルムドール受賞後のインタビューに答えて、「くれぐれも言っておくけど、『華氏911』は政治声明じゃないんだ。他の娯楽映画のように映画館で2時間、楽しんでもらいたいんだ。僕が映画制作をスタートする段階で最初に考えることは、自分自身が金曜の夜に観に行きたくなるようなものを作りたいということ。(中略)そしてその何時間後、何日後、何週間後もその映画の話をしてくれるような楽しい映画を作りたいんだ」って言ってるのは何なんだろうね? タランティーノだって、「政治は受賞に何の関係もない」って言ってたけど。
 もちろん、ウソをついているのはマイケル・ムーアの方である。あれが政治映画でないはずはなかろうが。言っとくが私は政治映画がダメだなんて言うつもりは全くない。町山さんのような立場で、ムーアを支持する姿勢は決して間違っちゃいないと思う。私だってブッシュは大嫌いだから、「本当に」アメリカの戦争を批判した映画になら、いくらだって賛同はしたい。
 けれど、明らかな政治映画をなぜ政治映画でないと韜晦する人間に、どんな信用を置けというのだろうか。ムーアのその言質はただの「逃げ」ではないのか。ムーアさんよ、ブッシュを「本気で」批判する気があるのなら、そういう覚悟のない態度を取ってていいのか?
 笑ってしまうのは、私のムーア批判に対して、「批判するのは簡単だけど」とか掲示板に書いてた人がいたことである。ムーアがそもそもブッシュを簡単に批判してるけど、それはどうなるのかね。
 第一問題は大統領のクビのすげ替えでどうにかなることではない。イラク戦争はブッシュが大統領にならずとも、確実に起こったろう。たとえ911以前にテロの危険がゴアに報告されていたとしても、やはり彼は動かなかったと断言できる。なぜなら、CIAやFBIから報告される「その手の」レポートは、彼らが職務を遂行していることを証明するために「定期的に」行われるもので、殆ど信憑性がないものと判断され、たいていは反古にされているからだ。で、実際に9割9分が根拠のないニセ情報である。それをテロリストたちは知っていたからこそ、911のテロは成功したのだ。問題は、そういうテロに対して無防備なシステムを作ったアメリカという国そのものにあるということにどうして気付かないか。
 アメリカは思い上がったヤクザ国家でしかない。歴史上、侵略国家でなかったことなどない。自分がお山の大将、百獣の王だと思っているから、まさかネズミに食いつかれるとは思っていないし、食いつかれたらどんなに小さな敵でも激昂して踏み潰さずにはいられない。もしも、敵の姿が見えなくなれば、誰でもいいから敵に仕立てあげて潰してみせるくらいのことはする。ブッシュでなくともだ。
 いや、そもそも日本人なら、朝鮮戦争で、ベトナム戦争で、「基地」として使われてきた歴史的過程を知っていれば、大統領が誰であろうと、アメリカは同じことをやり続けるのだということを理解していておかしくないはずなのに、なぜ今更ムーアの甘言にうかうかと乗せられるのか。
 ムーアは決して「アメリカよ、これ以上戦争をするな」と言いたいわけではない。彼は戦争自体を否定などしていない。反戦主義者などではないのだ。よく映画を見ていれば分かることだが、彼は「もしもブッシュが真剣にビン・ラディンを追っていたら」ブッシュに対して「NO」とは言わなかった、と主張しているのだ。これは、もし、空爆の標的がサウジアラビアであったなら、そこで「テロリストの巻き添えを食らって」サウジの無辜の民衆がいくら死のうと構わない、と言っているに等しい。もし、上院議員たちが自分の息子を兵士として送る署名にサインしたら、ムーアは果たしてどう反応したか? もちろん、サインする議員なんていないだろうと予測してそういう方法を取ったのは明白だが、もし何人かでもいたら、彼らに対してバンザイをしなければならなくなるのではないか? いや、一人だけ、戦場に自分の息子を送った上院議員がいたが、なぜかムーアは彼を取材しなかった。そりゃそうだ。そこで「あなたはエライ」とでも言おうものなら、自分が好戦家であることがバレるからである。アメリカが「正義の戦争」を行っていると納得すれば、ムーアはただちに「戦争賛成」を唱えるだろう。勘違いしてはいけない。ムーアもまた「バカでマヌケなアメリカ人」なのである。
 結局ムーアは、「ブッシュ、テメエの戦争に俺たちを巻き込むな」と言ってるだけだから、我々だって、「ムーア、お前個人のリクツに日本人まで巻きこむな」と主張して何が悪かろうか。私が言いたいのは、アメリカを批判するなら、ムーアみたいな胡散臭いヤツの尻馬に乗らずに、「自分の言葉で」批判しろよ、ということなのである。
 まあ、批判したって何が変わるわけでもないから悔しいんだけどな。その悔しさを「緩和」させてくれた気にさせてるだけだから、あの映画、ゴダールから馬鹿にされるんだよ。

 コンテンツに書こうと思ってたこと、かなり吐き出しちゃったなあ。でもまだキチンと論証してない部分も多いけど。
 そんなに文句があるなら、ヤフーの掲示板あたりに行って、自分の意見書きこんだらどうだ、とか言われることもあるのだが、私ゃ自分の意見を人に押しつける気は毛頭ないので、そういうことはしません。意見書きこんで流すだけならいいんだけど、ああいうとこって、必ず反論のレスつけなきゃ気がすまない御仁がいるからねえ。
 そもそも私は、ディベートの習慣のない日本人に建設的な論争はほぼ不可能だろうと考えている。論争というものはある一定の共有されたフィールドの上でしか成立しないものなのだけれど、日常会話でだって、たいていの場合、そのフィールドをズラされちゃうことが多い。それを私は「話の次元が違うよ」と説明するのだけれど、この「次元」とか「レベル」という言葉がまた、勝手に「アタマの出来が違う」と相手に誤解されて「オレをバカにするのか!」とキレられてしまう。これはちゃんとした論理学用語で、単に「場」の違いを表してるに過ぎなくて、別に知能とは関係ない。別にこの言葉を知らなくても、文脈から「別にバカにして言った言葉ではない」ということも分かるはずなのだけど、ここで腹を立てる人は結局、「筋道立てて話すこと」「相手と意思を疎通させようとすること」自体、まるで理解できてないことが露呈されるので、「ああ、この人とは会話ができないのだなあ」ということが察せられるのである。
 何が悲しいって、この経験、しげとの間で起こることが一番多いんだよな。他人だったら適当に話を合わせて会話を打ちきっちゃうんだけれど、しげとではそうもいかない。だから「どこがどうズレているのか」説明してやんなきゃならなくなる。やたらムダな会話になっちゃうと言うか、ヘタしたら徹夜で語り合ったりすることもあるのよ。からだ持ちませんて(T∇T)。
 えーと、そういった体力気力の問題がありますので、一部、私の文章に不快を感じられたサイトの方、私は別に怒ってもいないし、そちらに乗りこんでいって荒らしたりする気もありません。どうぞ、ご心配なく。


 毎月1日は「映画の日」なので、仕事がハケてからしげに誘われて、「ダイヤモンドシティ」に行く。
 もうさすがに混んじゃいないだろう、と『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』を見たけど、お話まるで『ドラえもん』でしたね。ハリーがますますのび太に見えてくることったら。まあお話は可もなく不可もなく。オトナがみんな無能揃いってのは、いくらハリーたちを活躍させるためとは言え、ちょっとワザトラし過ぎるなあとは思ったけれども。まあ、ハーマイオニーが相変わらず可愛かったから、イイかな。グーで殴るとこ、最高(^o^)。
 校長先生がマイケル・ガンボンに変わったので、先生たちが「メグレ警視と心理探偵フィッツとドーラ・チャールストンの名探偵共演だ!」と喜んでたんだけど、何のことかよくわかんないでしょうね。すみません。

 予告編で、ロバート・ゼメキス監督の『ポーラー・エクスプレス』が流れたんだけれど、これ、『ジュマンジ』のクリス・ヴァン・オールズバーグの絵本『急行「北極号」』の映画化なのだね。けれど、見て驚いたのはてっきり実写映画化されるものだと思っていたら、全編CG映画になっていた。
 ゼメキス監督は先日来日して、「絵本の油絵があまりにも美しかったので、その質感をスクリーンでも生かすためにはCGでやるしかなかった」とか言ってたけど、オールズバーグをバカにしてるのか? CG使ったってあの質感は再現できないよ。なんかもう「CG使わなきゃ」って信仰がアメリカの映画人の中にはできあがっちゃってるんかね。「11月に皆さんが本作をご覧になれば絶対納得するはず」とも言ってたそうだけど、既に予告編であのいかにもCGな気持ち悪い動きを見せられて「つまんなそう」としか思えなくなっちゃったんだけど。「油絵をアニメにすることが不可能じゃない」ことは、『老人と海』などでも証明されている。要は手間隙を惜しむかどうか、なんだけど、ハリウッドは最近、惜しむことしかしないもんな。
 ピクサーの新作、『Mr.インクレディブル』も全然つまんなそうなんだけど、どうしようかなあ。

2003年09月01日(月) 「じゃないですか」って言ってる人が多いじゃないですか/映画『用心棒』/『呪恩2』(清水崇・MEIMU)ほか
2001年09月01日(土) 加藤夏季補完計画(笑)/『スペオペ宙学』(永井豪)ほか
2000年09月01日(金) 食って寝るだけの毎日も今日まで/ドラマ『横溝正史シリーズ・本陣殺人事件』ほか



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