無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年07月29日(木) やっぱり「じゃないですか」はいやじゃないですか。

 歯医者通い二日目。薬を詰めてフタをかぶせて一日経ったら取り、一日経ったら取り、の繰り返しだが、いったい治療に何日かかることやら。
 昨日担当してくれたのは女医さんだったが、今日は若い男の先生。どうやらご夫婦で経営されているらしい。一応、カルテに眼を通してはいるのだろうが、椅子に座るなり、挨拶もなしに「はい、口を空けて」といきなり治療を始めたのには驚いた。愛想がないのは仕事に徹しているせいなのかもしれないけれど、「こんにちは、調子はいかがですか?」くらいは言ってほしいものである。
 折れた歯の根元あたりをドリルか何かでチュインチュインと削られるが、痛みは全くない。薬はよく効いているようである。
 治療が終わっても、先生はやっぱり挨拶なしで引っ込まれたので、どうしていいかわからず椅子に座っていると、看護師さんから、「終わりですよ」と言われた。次にいつ来ればいいのか、何の示唆もないので、「あのう、明日また来ればいいんでしょうか」と聞くと、いかにも当たり前、という口調で「そうですよ?」と返事されてしまった。いや、当たり前と言えば当たり前なんだろうけれど、それでも一応「明日また来てください」とか何とかいうのが普通なんじゃないだろうか。ちょっと通うのが不安になってくるのである。

 病院が終わってしげに連絡を取るが、どうやら寝ているらしく、返事がない。
 仕方なく帰りのバスに乗りかけたところで、電話がかかってきた。「今起きた〜」とふにゃふにゃな声。こうも予想通りたと、意外性がなくて面白味がない。
 博多駅で待ち合わせて、夕食はレストランでハンバーグとか。いや、麻酔がちょっと効いてるのかもしれないが、何食ったかよく覚えてないのである(^_^;)。


 文化庁の「国語に関する世論調査」の結果が本日発表。「檄(げき)を飛ばす」「姑息(こそく)な」「憮然(ぶぜん)とした」などの言葉について、約7割の人が本来と異なる意味で理解していることが判明。
 こういう調査は、たいてい「誤用の多い語」を選んで調査しているので、結果が悪く出るのは当然なのである。だからこの結果のみをもってして、「近ごろの若い者は言葉を知らん」と嘆くのは即断に過ぎるのである。
 第一この手の誤用は、若者だけじゃなくて、トシヨリにだっていくらでもいるんだから(^o^)。言葉の意味は時代の変遷に従って様々に変化するのは必然である。辞書引いたって、「【意味】〜、または〜」とか、「【意味】〜、転じて〜」とか、長い歴史の中で意味が一定ではなかったことを示しているものはたくさんあり、誤用の方が世間に浸透してしまって、本来の意味が失われてしまった場合だって、枚挙に暇がない。
 シティボーイズのスケッチで、大竹まことが「『カンペキ』の『ペキ』って、『壁(カベ)』だよな?」と言うと、みんないっせいに「そうそうそう」と頷き、いとうせいこうだけが「カベじゃないですよ、下が『土』じゃなくて『玉』ですよ(璧)」と主張するのに、相手をしてもらえない、というギャグがあったが、気がついたら、正しいことを言ってるのは「あなただけかもしれません」という事態に陥っていることは容易に想像できるのである。
 だから、正答も誤答もいっしょくた、というのでは意志の疎通ができなくて困る、なんとかして「正しい」日本語を浸透させないと、という主張をされる方の「焦り」も分からないではないのだが、だとしたらこんな大雑把な分析ではなくて、一つ一つの語について、この変化はなぜ起こったのか、それは本当に「ゆゆしき」事態なのか、許容されるべき変化なのか、詳細に検討を加えないことには、なかなか判断もつくまいと思うのである。

 調査は、全国の十六歳以上の男女三千人を対象に、個別面接形式で行われている。
 六つの慣用句について、それぞれ、本来の意味、それと違う意味を含む五つの選択肢から選んでもらう形だが、その選択肢の内訳は、「正答」、「誤答」が一つずつ、残りは「両方」「この二つ以外」「分からない」となっている。

《慣用句等の理解度》
(○は本来の意味、△は違う意味。数字は%)
「檄を飛ばす」
 ○自分の主張を広く知らせる 15
 △元気のない人に刺激を与える74
「姑息」
 ○一時しのぎ        13
 △ひきょうな        70
「憮然」
 ○失望してぼんやりしている 16
 △腹を立てている様子    69
「雨模様」
 ○雨が降りそうな様子    38
 △小雨が降ったりやんだり  45
「さわり」
 ○話などの要点       31
 △話などの最初の部分    59
「住めば都」
 ○住み慣れれば住み良く思う 96
 △住むのだったら都会が良い 2

 この調査をする前に、まず、これらの言葉を「知っているか」「使ったことがあるか」その「浸透度」自体を調査しないとデータとして不充分だと思う(どういうわけだか文化庁は、これらの言葉については浸透度を調べず、他の慣用句、「取り付く島がない」「押しも押されもせぬ」「的を射る」についてだけ、浸透度を調べている。これらの三つの慣用句については、「使わない」という回答が若者の10%を越えているが、これを多いと見るか少ないと見るかは微妙なところだ。どっちにしろ、これらの言葉も「誤用」が多いことでは有名である。「取り付く島がない」は42%が「取り付く暇がない」、「押しも押されもせぬ」は51%が「押しも押されぬ」、「的を射る」を「的を得る」と誤用していた人は54%に上る。これは意味の誤用ではなくて、言葉遣いの間違いだから、会話中、意味が伝わらないわけではない)。
 いったい日常生活でどの程度これらの言葉が認識されているか、客観的に判断することは難しいのだが、なんとか類推することができなくもない。少なくとも正答率の高い、「住めば都」などは日常会話の中でも結構頻繁に使うことがあるのだろう。転勤や引っ越しの経験のない人の方が少なかろうし、これなどは「生活密着型」の慣用句と言える。
 あとは軒並み誤答率の方が高いが、正直な話、どれも「聞いたことも使ったこともない」人が結構な数でいるのではないか。そういう人があえて選択肢の中から答えを選べば、例えば「檄」と「激」を取り違えて、「刺激を与える」と誤答してしまう可能性は高い。素直に「分からない」と答えた人もいるかもしれないが、なんとなく聞いたことがある、程度なら、人はこれが正答だ、というものを語感のみで答えてしまうものである。だいたい、こういう言葉を「使ったことがない」人にとっては、その言葉の意味が何か、なんて「どーだっていいじゃん」の世界なのである。なんでもかんでも「どーだっていい」で済ましてたら、その人本人が「どーだっていい」存在であることを公言してるのも同然だと思うのだが。
 そういうコトバとアタマの不自由な人は別として、思い込みで誤った使い方をしている人はどうしてなのか、ということなのである。言葉は当然、「誰かが使っているのを聞いて」、覚えていくものだから、「そのように勘違いしてもおかしくない状況」が、本来の使用法の中にも存在していた場合だってありえるのではないか。
 そう考えると、「檄を飛ばす」の誤用も、あながち完全に間違いとは言えないことが見えてくる。「檄文」を飛ばさなきゃならないということは、それだけ世間の人々が沈滞していて、自己主張できないでいる状況が往々にしてあるということでもある。だから、「檄文」に「元気のない人に刺激を与える」効果があることは充分考えられることなのだ。「檄」と「激」の類似による勘違いだけではない。
 「姑息」についても、一時しのぎの手段を卑怯な手段として糾弾することは別におかしいことではない。三谷幸喜の『その場しのぎの男たち』の登場人物たちは、「一時しのぎ」でもあり「卑怯」でもあった。この転用は容易に起こり得るのである。
 「憮然」の「憮」の字は、字面通り、「心」が「無い」様子である。本義は確かに「がっかりしてぼんやりしている」ことだが、既に転じて「不満を感じながらどうすることもできず押し黙るさま」との意味で使用される場合が多く、「旺文社国語辞典」(第九版)では、その意味も併記されている。ここから「腹が立っている様子」まで辿りつくのはもうすぐだ。
 つまりこれらの誤用は、実際の場面で誤って使われていても、その誤りに気がつかないことも多いと考えられる。「あの人、憮然としているね」と言った場合、ともかく「押し黙っている」点では同じだから、「ぼんやりしている」とも「怒っている」の両方に取れる場合がありえる、ということだ。だから、選択肢を「押し黙っていること」と「おしゃべりなこと」とでもすれば、これは正答率が一気に上がるに違いない。つまり「腹を立てている」を誤答とするのは、「細かいニュアンスの違い」までを問題にした場合に限る、ということになるのだ。
 それに対して、「雨模様」と「さわり」の誤用は、正答率との差が近いこともあって、誤用されては困るたぐいのものである。本来の使用法の中に、誤用の可能性もあまり認められない。だから、意味を正しく認識している者とそうでない者との間で、「雨模様だし、早く帰ろうよ」「え? まだ降ってないよ?」とか、「サワリだけ話してよ」「だから最初から話してるじゃない!」と、トンチンカンな会話になる可能性もある。「小春日和」を「春」のことと勘違いするのと同様、「雨」という単語が入っているために、もう雨が降っているものと勘違いし、「触る」という言葉は次にさらに何か具体的な行動に出ることを予想させるから(「つかむ」とか「もむ」とか(^o^))、「最初だけ」というように勘違いしてしまうものであろう。これらの誤用は、実際に正しく使われている状況を経験していれば、間違える危険は少ないはずなのだ。……死語になりかけてるのかなあ、「雨模様」も「さわり」も。
 じゃあ、誤用をなくすにゃどうしたらいいかと言うと、これ、「間違った言葉遣いをしてる人間を馬鹿にする」しかないんだよね。まあ、角が立たないように優しく注意する、という方法を認めないわけじゃないんだけど、それこそ経験者には分かるだろうが、言葉を間違えて「恥をかいた」経験がないと、人は学習しないものなのだ。優しく言っても忘れるだけだし。私も、高校のころ、“danger”を「ダンガー」と読んで大恥かいた記憶は、今でも忘れられないのである(もちろん、『帰ってきたウルトラマン』に出てきた怪獣「ダンガー」と取り違えたのである)。
 2ちゃんねるで「ガイシュツですが」が流行したのはもう何年も前だが、恐らく最初に「既出」を「ガイシュツ」と読み間違えて馬鹿にされた人は、2度と言い間違え、書き間違えすることはあるまい。ちなみにしげは今でも「示唆」を「ししゅん」と読み間違えています。私が優しく言っても全然訂正できないので、みんなでしげを馬鹿にしてやってください。

 調査では、「新しい表現」として、「若者言葉」の浸透度も同時に調べているのであるが、こちらはより厄介である。なにしろこれは既に「間違い」とは言えなくなっているのだから。
 「何気なく」の意味で「なにげに」を使う人が24%、「すごく速い」と言わずに「すごい速い」と使う人が46 %。「一歳年上」を表す「一コ上」は51 %、「チョー」(とても)は21%、「むかつく」は48 %となっている。こんなのも私にはムリをしないと全く使えないのだが、若い人はおろか、大人にも既に違和感はなくなってきつつあるのだろう。全て前回調査より使用率がアップしている。
 佐藤雅彦の『毎月新聞』の中で徹底的に批判されていた「じゃないですか」の浸透率も高い。相手に確認を求める必然性もないのに、「歯をみがくじゃないですか。その前に……」のような使い方をされても、「なんで『歯をみがく前に』と短く言えんのだ」と腹立たしいだけなのだが、これも前回調査の13%から19%に増えている。「じゃないですか」という表現が間違いなのではなく、どうして使う必要がない時にまでいちいち「じゃないですか」と言わなきゃならないのか? これもやはり、現代人の不安神経症の表れと言えるかもしれない。人間関係が希薄になっているから、些細なことでも確認を取らないと落ちつかなくなってしまっているのである。しかし、言われた方は、「アンタ、そんなに私との間にカベ感じてたの」と、逆に相手との距離をむりやり認識させられるわけだから、不愉快な気分にさせられて仕方がない。
 ところがねえ、六十歳以上のひとでもねえ、8%の人が「なにげに」、20%が「一コ上」、34%が「すごい速い」などの表現を使うと回答してるのよ。その理由を文化庁の国語課は、「こうした言葉が高齢者にも広がったのは、若い人たちとの会話で使わないとコミュニケートできないということも影響しているかもしれない」と分析してるんだけど、そうかもしれないねえ。哀しいけどその気分、わかんなくもないから。私も、「てゆーかあ」とか「〜してるし」とか、無理して使ってるし。でないとホントに私の言葉って、固くなっちゃって、若い人には読みづらかろうし、自分で読んでてもつらくて仕方がなくなることだってあるのだ。
 でも、「ムカツク」とかは生理的嫌悪感が強くて、どうしても使えない。てゆーかあ、「ムカツク」気分とかあ、心の中に存在してないから? 使いようがないってゆーかあ(「怒り」の感情がないんじゃなくて、それを腹にためこむような「ムカツク」気分にはならないの)。
 まあ、これはよくてあれはダメ、という基準は、意志の疎通がどの程度可能か、という点にあるのだけれど、これには感覚的なものも多分に作用しているので、どうしたって明確な境界線が引けるものではない。結局は「時代の推移」を見て判断していくしか仕方がないのだが、そうなると言葉遣いについてはオールドタイプである私などは、他人と会話すること自体、だんだんイヤになってしまうのである。
 ……だから、私だって、毎度毎度「その言葉遣い間違ってるよ」って指摘ばかりしてたかないんだってば。私が他人のコトバの揚げ足取りがやたら好きなヤツだとか思ってたらとんだ誤解だ。そんな、周囲のヘンな言葉遣いをいちいち訂正していったら、あまりに量が多すぎて、仕事もなにもできゃしない。私ゃ9割方のイカレた言葉遣いを見逃しているんだって。ただ、どうしても「今言ったの、これこれこういう意味?」と聞き返して確認しなきゃならないことがあって、それが人によっては「イヤミ」と取られてしまうことがあるのだ。
 だから、自分の言葉遣いの方がヘンだって可能性も少しは考えてほしいんだけどねえ。

2003年07月29日(火) ちょっとだけギャグの話/『キャラクター小説の作り方』(大塚英志)
2002年07月29日(月) 肉は血となり肉となる/『砲神エグザクソン』5巻(園田健一)/DVD『マジンカイザー』6巻ほか
2001年07月29日(日) いっじわっるはっ、たっのしっいなっ/『竜が滅ぶ日』(長谷川裕一)ほか



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