無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年07月15日(木) 父の引退と恍惚

 今日も残業で帰宅は9時過ぎ。
 残業自体は前からわかっちゃいたのだが、実はもちっとだけ早目に帰宅するつもりではあったのだ。ところが昨日の日記に書いた、『スパイダーマン』好きの同僚にとっつかまって、『スパイダーマン2』の感想を聞かれて、延々と喋っていたのである。いや、喋っていたのは殆どアチラで、私ではない。
 日記にこれだけばかすか書いてるものだから、私が私生活でもお喋りだと思ってるヒトもいるだろうが、そうでもないのである。確かに、「ここは喋らないといけないな」というときには喋りもするが、そうでないときは、挨拶以外、何日間黙っていても平気で、ヒトリゴトのクセも殆どないから、どっちかと言うと「周囲に壁を作っている」と思われても仕方がない面すらあるのだ。
 でも、別に同僚を敬遠してるわけじゃなくて、ただ単に話題が特にないからってだけなので、話かけられれば受け答えはする。しかし、こちらと趣味も信条も同じ、という人は滅多にいないから、積極的に世間話をしかけることは殆どしないのである。ひょんなことからその同僚とはお喋りをするようになって、こちらが映画好きということもバレてしまったのだが、おかげでやたらと映画の感想を聞かれるようになってしまったのにはいささか往生している。
 仕事関係者とはトラブルを起こせないので、ネットや私生活のときのように「あの映画はダメ」「この映画はダメ」とアケスケには言えない。ひたすら相手の「『スパイダーマン』はここがよかった」話をフンフンと頷いて聞いているだけなのだが、それだけで結構時間が経ってしまった。いや、後半は殆どトンガリさんへのワルクチであったが。当然のごとく、居残って仕事したにも関わらず、作業は明日にまで持ち越されちゃったのであった。


 帰宅した途端に、父から電話。
 今帰り着いたところだ、と言うと、驚かれるが、その声になんだか張りがない。用事を聞くと、「俺もそろそろ引退しようと思いようと」とのこと。
 父の糖尿も年を取るごとに悪化して来ているので、床屋を続けるのにもそのうち限界が来るだろうとは予測していたことだ。しかし昔気質の職人である父に、私が引退を勧めたところで、首をタテに振ることは到底考えられることではなく、かえって意固地になる可能性だってあった。本人がそうと決意しない限り、周囲で何を言ってもムダなので、ほったらかしていたのである。
 「俺も段々指が自由に動かんごとなってきよるしな。もともと8月いっぱいでやめようと思いよったと。……今度の誕生日で、いくつになるや? 69か」
 普通の定年退職より9年も余計に働いてるわけだし、母の死んだ年もとうに越している。
 「いいっちゃない? 扶養家族になるなら、手続きしちゃあよ」
 「うん、それはよかばってん……」
 どうも父の口調の歯切れが悪い。
 「なんね、なんかあったとね」
 「最近、姉ちゃんの愛想が悪いったい」
 「なんで?」
 「……あまり考えとうはなかばってん、店ば乗っ取るつもりやなかろうか」
 「……はあ? 何のことね」
 乗っ取るも何も、店は姉に継がせる約束をしていたのである。父がいったい何を言い出したのか、私はとっさに意味が分らず、思わず問い質していた。ところがそこで今度は父の方が怒り出した。
 「何のことて……お前が前に言いだしたことやないか」
……ますます「はあ?」である。どうも父は何か大きな勘違いをしているらしい。
 「姉」と呼んではいるが、私と血が繋がっているわけではなくて、40年来の父の弟子である。もっとも、私が物心ついてからずっと住み込みで暮らしてきたので、私にとって「姉」は、まさしく「姉」以外のナニモノでもない。父の店の権利も全て姉に譲渡することにしていたし、実の息子としての主張をする気など、私にはサラサラないのだ。当然、「姉が店を乗っ取るつもりではないか」なんて考えたことなど一度もない。いったい、父がなぜそのような思い込みをしてしまったのか、理解に苦しんだ。
 どうやら、以前、姉が店を継ぐ時に、姉自身が「親戚の人に、店ば乗っ取ったって言われんやろうか」と気にしていたのを、私が「別にいいやん。言わしときぃよ。何なら店の権利だけやなくて、土地の権利も姉ちゃんに譲渡しとけばいいっちゃない? 僕は要らんから」と言っていたのを勘違いしているらしいと思い当たった。父もだいぶボケてきているのである。
 「別に姉ちゃんになら、乗っ取られても構わんめぇもん。もともと店ば譲る気でおったっちゃろうが」
 「ばってんが、お前に少しくらい財産ば残しちゃりたいけん」
 「要らん。自分の財産は自分が生きてるうちに使いきりゃよかと。ぼくに残せるおカネがあるなら、旅行でも遊びでもお父さんの好きなことに使いい。棺桶の中までおカネ持ってっても、しゃあなかろうもん。葬式代だけ残しといてくれりゃそれでよかて」
 「葬式代も残しきるかどうか分からんぞ」
 「だったら職場から借金するけん、気にせんでよか。だいたい自分の死んだあとのことまで心配したっちゃ、どんこんならんめぇもん」
 「……そりゃそうたい」
 「仮に姉ちゃんが騙して店ば乗っ取ろうとしとったとしても、それで何が困るね? お母さんとか、親戚にずっと騙されて騙されて、騙されとうてわかっとってもわざと騙されてやって、それでもよかて思ってやっとったやない。馬鹿でよかて、それがうちの血筋やろうもん」
「……わかった。俺も年やな。こげん気が弱くなるとは思うとらんやった」
「年取って気が弱くならんわけなかろうもん。ぼくも病気のときは仕事なんてしとうもない、世の中どうなったってかまわんて思うもん」
「そうやな。お前と話して気が楽になった。今度またゆっくり話そうや」
父の気持ちが吹っ切れたのかどうだかはよく分らないが、電話はともかくそれで切れた。姉が父の疑心暗鬼通り、本当に店の土地の権利まで狙っていたとしても、私にしてみれば相続税だの固定資産税だの、面倒な手続きや支払いをする手間が省けて助かるくらいのものである。でも、姉のほうはどっちかと言うと、資産税だけ私に払わせて、店の経営を続けていった方が楽なんじゃなかろうか。まあどっちでも姉の好きなように決めればよいことである。
 しかし、父と話していて自分でもつくづく感じたことだが、私は根っからペシミストであるようだ。土地とか遺産とか、いや、親子の絆そのものを一切信用していない。というか、嫌っているのだ。父はこれが私からの事実上の「縁切り」であることに気付いていたかどうか。
 

 久方ぶりに、小林よしのりの『新ゴーマニズム宣言』に関する話題。
 例の『脱ゴーマニズム宣言』を著した関西大講師の上杉聡が、「作品の引用をドロボー扱いされた」として名誉毀損で小林・小学館双方に約720万円の損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決である。
 本日、最高裁第一小法廷では、名誉棄損の成立を認めて250万円の支払いと謝罪広告の掲載を命じた二審判決を破棄して、上杉さんの請求を退ける再逆転判決を言い渡し、これが確定した。
 以前、上杉さんの『脱ゴーマニズム宣言』を著作権侵害だと小林さんが訴えた別の訴訟では、マンガを引用したこと自体は適法、との判断が下され、カット1点の配置変更のみが著作権侵害と認められた。そのため旧版の出版差し止めと慰謝料20万円の支払いは行われたが、「改変のない原典のままの引用」に改訂された『脱ゴーマニズム』の再発行は行われた。形の上は小林さんの勝訴ではあるが、「マンガの引用権そのものが認められた」点では、実質的に上杉さんの勝利である(おかげで、このHPも各種作品の引用を“そのまんま”行えてるのである)。
 となれば、上杉さんには改めて小林さんを訴えなけりゃならない理由はないはずなので、いったいなんでまた「名誉毀損」なんて訴訟を起こしたのか、理解に苦しんでいたのである。結局は、「訴えられたんだから訴え返してやれ」っていう幼稚な発想だったんだろうけれど。第一「名誉毀損」を持ち出すなら、上杉さんの『脱ゴーマニズム』だって小林さんへの「中傷」と見なすことだってできる。そうではなくて、あくまで「引用による批評」と見なされたからこそ、上杉さんは勝利することができたのではなかったか。小林さんが上杉さんを「ドロボー」呼ばわりしたのだって、『脱ゴーマニズム』の「引用」が行われた上での「批評」の範疇内にあり、それを訴えることは、上杉さんが自分で自分の首を締めているのと変わらない。小林さんは常に馬鹿を自認しているが、上杉さんは自分が馬鹿であることに気付いていない馬鹿だった、ということである。この論争については上杉さんの方にまだ理がある、と思っていただけに、上杉さんが自滅してしまったことは残念なことであった。
 今回の判決で重要なのは、「(盗作だなどとする)法的な見解の表明には、特定の事実の摘示を含む場合があることは否定できないが、判決で結論が示される事項だとしても、法的見解自体が事実の摘示とは言えない。小林氏の表現は意見や論評で、互いに著作の中で批判し合っていた経緯から人身攻撃に及ぶとまでは言えない」と結論づけた部分である。
 つまり、「ドロボーって言い方がどんなにひどくっても、それが『意見』である以上は認められなきゃならず、事実に合致してるかしてないかは関係ないし、傷つけたことにもならない」ということなんである。
 だから、「『ゴジラ×メカゴジラ』って『エヴァ』のパクリだよな」と言っても、名誉毀損には当たらない……って、そんなの当たり前で、裁判にかける方がどうかしてるよなあ。上杉さん、よっぽど血が上ってたんだろう。上杉さんは、「ドロボー」って言われて怒ったのなら、それをまた再反論するか、無視すればよかったのである。それだったら敗訴してアタマの中身疑われずにすんだと思うんだけど、やっぱり根っからの馬鹿はしょうがないってことか。


読んだ本。
ロバート・アーリック『トンデモ科学の見破り方』、
戯曲、ケラリーノ・サンドロビッチ『カメレオンズ・リップ』、
雑誌、『言語』8月号、
雑誌、『キネマ旬報』7月下旬号、
マンガ、青山剛昌『名探偵コナン』46巻。

2003年07月15日(火) それはそれなんだってば/『プラネットガーディアン』1〜3巻(高坂りと)/『サトラレ』4巻(佐藤マコト)
2002年07月15日(月) 開高健よりは痩せてると思う/『新ゴーマニズム宣言 テロリアンナイト』11巻(小林よしのり)
2001年07月15日(日) 演劇は愛だ! ……ってホント?/『バトルホーク』(永井豪・石川賢)ほか



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