無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年07月15日(月) 開高健よりは痩せてると思う/『新ゴーマニズム宣言 テロリアンナイト』11巻(小林よしのり)

 台風が近づいてきているようである。
 昨日までの涼しさがウソであったかのように、今日はムシムシと暑苦しい。
 こういう暑い日にはちょっと女を殺したくなりませんか(c.斉木しげる)。でもそんな理由で女を殺していったら、世の中、ただでさえ女に相手にされずに寂しく自宅で美紗だの紫亜だののフィギュア片手に○○○○しているオタクは多いというのに、彼らのささやかな明日への希望の芽すら摘んでしまうことになるではないか。そんな残酷なこと、ようできまへんわ。
 というわけで、今のところ女を殺してはいない。全国のモテない汚い愛想もないオタクの諸君、私に感謝したまえ。君たちのまだ見ぬ未来を支えているのは実は私の愛なのだ。

 職場の女の子からいきなり「有久さんって、安部公房に似てますね」などと言われる。あまり嬉しい例えではないが、似ていると言われれば似ていなくもないかな、とは思う。それよりも今時の若い子が安部公房を知っているだけでもオドロキである。読んでるのかホントに。
 「顔立ちだけじゃなくて、喋ってることとかも」などと言われたから、実際に読んではいるのだろう。それにしても若い癖に侮れないことを言うやつだ。確かに私には安部公房との共通項がある……というか私の書く戯曲が安部公房の影響を受けてるってことなんだが。
 『壁』と『人間そっくり』、あるいは戯曲『ウェー 人間狩り』などは私の書く戯曲の隠しモチーフになっている。
 日頃から私は、世間話的に「現実なんてあやふやなもんだ」とかナマイキなこと言ってたから、その子はたまたま安部公房の本を読んで「有久さんと同じこと言ってる!」と驚いたのだろう。ああ、でも若い子と安部公房の話ができるなんて嬉しいなあ。
 で、つい悪ノリしてしまいました。
 「似てるかな? でも実はもっと似てる人いるんですよ」
 「え? 誰ですか?」
 「この人」
 偶然とは恐ろしいものである。こういう西手新九郎が現実にあるのだから。
 たまたまそのとき私が持っていた本が、『裸の王様』。そこの著者の写真を見せた途端、女の子が飛びあがって驚く。
 「そっくり!」
 そんなに私、似てますか? 開高健に。
 オーパ!

 台風、鹿児島を掠るそうだとかで、福岡の方も小雨がぱらついている。
 てっきり駐車場に迎えに来ていると思ってたしげの姿が見えない。昨夜も仕事から帰ってきてから寝つけなかったみたいだから、また寝過ごしているのだろう。それにしても、携帯に連絡入れても全く応答がないというのはどういうわけだ。
 仕方なくタクシーで帰宅。
 何度か乗せてもらった運ちゃんだったので、裏道を通ってくれて、早めに帰ることができた。私の商売は先刻ご承知の方なので、「大変ですねえ」と労ってくださる。そう、大変なんスから、これでも。
 帰宅してみると、やっぱりしげは寝ている。病院の検査では、悪いところ全然なかったんだから、ホントにただのグータラだ。劇団のメンバーに向かっても威張って「全然悪いとこないって〜」と笑って言ってたしなあ。「病院行きたくない〜」って泣いてたのはどこのどいつだ。


 しげが仕事に出かけた後、夜食にスパゲティを作る。
 焼き肉のタレで下味をつけて、トマトソースにウィンナーを細切りにして混ぜる。本当はタマネギも混ぜたかったのだが、買ってくるのを忘れた。仕方なく長ネギのみじん切りを混ぜるが、別にヘンな味にはならなかった。ちょっと冒険だったかも。
 飲みものも尽きていたので、スーパーで買ってきたパックのお茶をいろいろブレンドして、オリジナルティーを作る。麦茶に減肥茶(成分見るとハト麦茶ベース)に玄米茶にグァバ茶。
 私はこのお茶を気に入っているのだが、グァバ茶を混ぜるとしげの評判が頗る悪い。
 「飲んだらね、喉に奥のほうからウェーって来ると」
 というのだが、わしゃ別に毒薬を調合したわけじゃないんだがな。
 しげはともかく麦茶派である。私には麦茶オンリーってのはあっさりし過ぎてて喉にまるで引っかからないので、少しは苦味があった方が、と思うのだが、しげは舌がコドモなので、オトナの味がわからないのであろう。
 仕方なく、グァバ茶を混ぜたものと混ぜてないものとを作る。玄米茶ベースのあっさり味とグァバ茶メインのオトナ味。
 でも、なんでこんなにしげに親切にしてやらなきゃならないのかなあ。料理も作ってくれないし家事もしないし、私が奉仕するばかりだ。
 このしげの甘ったれのツケは、そのうちしげ自身にしっぺ返しみたいな形で振りかかって来ると思うけれど、果たしてそのときまで私の方が生きてるかどうか疑問だ。
 ┐(~ー~;)┌ マイッタネ。


 マンガ、小林よしのり『新ゴーマニズム宣言 テロリアンナイト』11巻(小学館・1260円)。
 タイトル、英語としてはヘンじゃないのか。まあ、ワザとなんだろうけれど。
 本文は本文で、ますます活字が多くなってて、マンガにする意味あまりないんじゃないのか、とツッコミ入れたくなってくる。ヘタすりゃ1ページ、ほぼ活字で、フキダシのスキマにちょっと絵があるだけ。ホントに読みにくいったらありゃしないね。
 小林さんは「『ゴー宣』は読者に読解力がないと読めない」みたいなことを以前書いてたような気がするが、そりゃどんな本だってそういうもんだよ。『ゴー宣』が読みにくいのは、単にコマ割りとレイアウトがヘタなせいなんだから、掲載誌の『SAPIO』に頼んでページ数増やしてもらってコマに余裕を持たせたらどうかね。でも、小林さんのことだからページが増えたら増えたで余計なこと書きこむんだよ、きっと。
 実際、重くて厚くて、なのにやっぱり活字でいっぱいの『戦争論2』も、随分前に買ったまま、途中で放り出して読み終えてない。この11巻も内容的にリンクしてるから、平行して読んどいた方がよさそうなんだけど。

 昨年の同時多発テロについて、小林さんの意見と私の意見とは重なるところが多い。……困ったなあ、小林信者と思われちゃうかな。南京事件や従軍慰安婦については意見が違うところの方が多いんだけどな。
 でも、あのテロ事件が起きた時点で、「アメリカもついにやられたか、ざまを見ろ」と思った連中は、巷には結構いるんじゃないか。広島・長崎に原爆を落とし、朝鮮で代理戦争を行い、ベトナムで枯葉剤を撒き、今もなおアラブに介入し続けているアメリカを見てなお、アレが絶対的な正義の具現者だと信じてる人間がいたとしたら、そいつは救いようがないアホだと思うが、どうかね。
 アメリカが実質的な専制国家だとわかっていながら、日本が摺り寄っていかざるを得ないのは、単純に国家間の勢力バランスを考えればほかに選択肢がないからだってこと、みんなわかってると思ってたんだけどなあ。
 なのに、あのテロが起こった当時、ネットの日記なんか見てたら「こんなひどいテロは許せません」とか、「人道的な判断」をしてるつもりでアメリカの味方してた意見もやたらあったもんね。ちょっとでも歴史かじってたり国際情勢を知ってる人間だったら、諸手をあげてアメリカに賛成してもいられないってこと、判りそうなもんだが。
 政治家がアメリカの御機嫌伺わなきゃならないのは仕方がないが、民間人がどうして「アメリカがんばれ」を簡単に言えるのかねえ、何も考えてないんじゃないの? 案の定、アメリカのアラブでの無差別空爆が知られるようになると、日本の中での「アメリカ万歳」の声も低くなっていったけどね。……もっと早く気づけって(-_-;)。
 人種的な偏見はないけど、未だに「戦争を終わらせるためだったんだから、原爆を落としたのは正しい」(「仕方がない」じゃなくて「正しい」と言ってるアメリカ人のほうが圧倒的に多いぞ)なんて主張してる奴らを信用できるかい。
 小林さんのモノイイがナマイキだからって、なんでもかんでも「反対」を唱えていいってもんでもないだろう。アメリカ批判だったら、黒澤明だって『八月の狂詩曲』で「アメリカは被爆者の慰霊をしていない」と批判してたし、宮崎駿だってあのテロに関しては反米的な発言をしているぜ。みんなクロサワさんやミヤザキさんは好きなんでしょ? だったら堂々と「反米」を唱えてみたら?

 時間はかかったけれど、みんなの予想通り(^o^)、小林さんは『新しい教科書を作る会』を今巻で脱会。もともと右とか左とかのイデオロギーがある人でなし(靖国や特攻隊賛美だけで右翼と決めつける風潮が戦後すぐの時期にはなかったことも今巻で示されてるが、これは本当だ)、その場その場の義憤で動いてる人なんだから、小林さんを広告塔に利用しようって考えてた西尾幹二がアホなんだよなあ。小林さんは「友達」にすると面白い人だけど、「同志」や「仲間」にしちゃいかんのよ。
 これで小林さんが柳美里と仲良くなったりしたら面白いんだけれど、さすがにそれはないだろうな。

2001年07月15日(日) 演劇は愛だ! ……ってホント?/『バトルホーク』(永井豪・石川賢)ほか



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