無責任賛歌
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昨日の日記に書き忘れてたが、「ダイヤモンド・シティ」は全て禁煙で、喫煙コーナーはごく一部、しきられたボックスの中だけでしかできないようになっている。愛煙家の方には申し訳ないが、本来、これが「街」の自然な姿だろう。 福岡市が条例で歩き煙草を禁止し、罰金を科すことにしているのに、実際には煙草を吸いながら堂々と闊歩している若者はまだまだいる(いいトシをした大人は殆どいない。この件に関しては、「大人が悪いから、子供も悪くなる」という理屈は通らないようである)。当然、煙草はポイ捨て。こういう脳がニコチンに犯されてる狂人は、どうせマナーがどうとか言ったって、聞きゃしないのだから、罰金くらいではナマヌルイ。タイホしたって構いはしないと思うのだが、そこまで主張すると「たかが煙草で」と引かれちゃうんだよなあ。でも、本当にどうして煙草が刑事罰の対象にならないのか、私はそちらのほうが不思議なのである。タバコと万引きと酔っ払いにはえらく寛容だよねえ、この国って。
終日、雨で蒸し暑い。運動もできないから、何となくハラがだぶついてきた気がするのである。せっかくこないだ医者で誉められたというのに、ちょっとヤバイかな。 アノ仕事コノ仕事と、次から次へと舞い込んできてくれるので、ひと息つくヒマもない。同僚が突然倒れて(文字通り、仕事の最中に倒れての休職)、代理の仕事がまた一つ増えてしまった。同僚の病気の原因も当然「過労」である。ともかく毎年のように、病人、退職者が出るので、昨年からかなりな仕事の整理を行っていたにも関わらず、今年もやっぱり病人が出てしまった。実は我々、昼休み時間も実質的に全くないのである(昼メシは仕事の合間に弁当をかきこむか、あるいは絶食が普通である)。 昼休みも時間以上にきっちり取るわ、定時にぴったり帰るわ、余裕カマシてくれてるのはウチではトンガリさんだけである。 ……だからよう、今度倒れた同僚だって、そのトンガリさんの仕事代行してるんだって。この仕事、自分に与えられた仕事だけコナシてれば成り立つってものじゃないのだ。慢性的な人出不足で、みんなどこかカラダを酷使し、家庭を犠牲にし、しなくていいはずのムチャだってやっちゃってるのだ。今日も残業、明日も残業、それでもみんな、愚痴一つ言わずに(ちょっとは言ってる人もいるが)頑張っている。なのにやたら休んで(一応「病院」ということではあるが、それにしちゃやたら頻繁である。私ゃできるだけ土曜を使ってるんだけどねえ)、仕事を遅らせてて、それでも平然として、文句だけは付けてくるのである。ご本人はすぐにキレて、「誰それを刺したい」と口走っておられるのだが、アンタが刺される方が先だろうがと言いたい。
てなわけで、今日も残業。けれど今日はしげの仕事が休みだったので、迎えに来てもらえた。しげは、昨日テレビで録画を仕掛けておいた「ダンダンブエノ」公演の『いなくていい人』が、途中で切れていた、と嘆いていた。どうやらテレビタローの記載上の時間とはズレて放送されたらしい。残念だけれど、BSでの放送だから、また再放映の機会もあるだろう。 一緒に晩御飯をジョリーパスタで。以前は、ここの前の道が工事中で、近所にあるにも関わらず、立ち寄りにくかったのだが、道が開通したおかげで来やすくなった。ただ、カロリー的にはかなりギリギリである。朝飯昼飯食うヒマなかったので、これくらいはよかろう、と食事。 しげもここが気に入って、カルボナーラ(ハーフサイズ)を頼んだ。一応、ダイエットも考えているようである。 しげ、ここのところは心が安定しているかと思っていたのだが、「PPの日記に、『青いこと』書いちゃったよ。はずかし〜」なんて言っている。今度の公演を最後に、本人は「引退する(第1次)」と言っているので、そのあたりのことを書いたらしい。やりたいことがなくなったわけではなく、「形態」が変わるだけなので、私はさして心配はしていない。役者は、その人が本物であるなら、引退しようが死ぬまで役者である。原節子も、高峰秀子もそうであるように。 ……いや、しげがこの二人並の役者だと言いたいわけではなくて、「役者の心」の問題としてね。ああ、畏れ多いこと。ヾ(;´_`A``アセアセ。
帰宅してみると、パソコンの上に子供用の「伝言板」が置いてある。あの、字を書いてレバーをひくと、書いた字がスッと消えるというやつだ。 「なに、これ?」と聞いたら、「会えん時、それで伝言できるから」と言う。いい工夫だとは思うが、それだけ二人の生活が離れてしまったのだなあ、と思うと、ちょっと寂しくなる。
京都大の学内ベンチャー企業「ロボ・ガレージ」の開発した二足歩行ロボット「クロイノ」、腰の位置を低くして、軸足が外側に傾くように設計されており、軸足のひざを伸ばしたまま、より人間に近い歩行が可能になったとか。これって、「アシモ」はもう古くなっちゃったってことなのかな。あれはあれで中腰スタイルが何となく「しもべ」っぽくって、好きだったのだが。昨年のシティボーイズ公演での中村有志さんの「アシモ」演技も、わずか一年で過去のものになってしまうわけである。、これだけ科学の発展が著しいってのに、どうしてまだ宇宙ステーションの一つもできんのだ(問題が違うって)。
佐世保の同級生殺人事件で、加害者の女子が、殺害に至る過程を詳しく供述し始めた。 5月27日、加害者が怜美ちゃんにおんぶしてもらったとき、怜美ちゃんから「重い、重い」と言われたので腹を立て、「失礼じゃない」と文句を言ったけれど無視されたのが、殺害を決意した直接の理由だとのこと。こういう理由で殺されなきゃならんのなら、私はしげに百万回殺されている。猫だって生き返れねえぞ。 「最初は首を絞めてやろうと思ったけど、暴れたりしたら無理だと思ったから止めた」ということで、事件のあった当日1日、カッターの刃を新たに替えて、筆箱から出したり入れたりを繰り返していた。このあたりの行動も既にキちゃってるとしか言えない。 昼休みになって、怜美ちゃんに「ちょっとおいで」と声をかけて、現場の学習ルームに呼びだし、カーテンを閉めて、椅子に座った怜美ちゃんの後ろに回って、左手で目隠しをした後で、首の右側を深さ10センチになるほどに切りつける。このあたりの殺害方法は、明らかに映画『バトル・ロワイアル』に影響を受けている。 これでまたぞろ、「あの本は危険だ」とか言い出す阿呆が、モグラかミミズみたいに、にょこにょこ出て来るかもしれないけれど、もう大きな運動にはならないんじゃないかな。いい加減、これだけ事件が続けば、この国の大衆も、子供を操って犯罪に走らせているものの正体が、「本」だの「アニメ」だの「ゲーム」などという、ソフト自体にあるのではなく、それを乗せているハードである「メディア」の「煽り」だってことには気が付いているだろうから。 加害者は、その後、約15分間、現場にとどまって、怜美ちゃんが生き返らないことを確認して、血のついた自分の手をハンカチで拭いたりして過ごしたという。 この殺害状況から、ようやく「精神鑑定」の声も出始めたようだけれど、殺人に際してこれだけ冷静な行動を取っているのに、「狂ってる」と言えるものなのだろうか。もう充分「大人」だって考えてもいいんじゃなかろうか。子供の犯罪が起きるたびに思うことだけれど、幼いからこそ、判断力が付く前に法の手で「処分」してあげるのも一つの恩情だと思うんだよ。だって、この子に「悔悟」の気持ちを植えつけたとして、この先60年か70年か80年の人生を、ずっと「監視付き」で過ごさせる気なのかね?
今日の読書は、コーエン兄弟脚本、村雨麻規編訳、小説版『レディ・キラーズ』、マンガ、北条司『エンジェル・ハート』10巻、石川賢『ゲッターロボアーク』3巻(完結)、姫川明『ASTROBOY鉄腕アトム』3巻(完結)とこれだけ。残業が響くと、これくらいしか読めないのである。
2003年06月07日(土) なんだか盛り沢山な日/映画『腰抜け巌流島』/DVD『怪獣大戦争』ほか 2002年06月07日(金) 野良犬は革命ごっこの夢を見るか/映画『血とバラ』 2001年06月07日(木) MURDER IS EASY/『詩的私的ジャック』(森博嗣)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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