無責任賛歌
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2004年06月03日(木) |
テレビドラマも映画も本も関係ない。 |
御手洗怜美ちゃん殺害事件の犯人の女子に、付添人に選任された弁護士が初めて接見。そのときの会話の内容を弁護士たちが会見を開き、報告した。これがまた、耳を疑うような内容だったんだけれど、ホントにホントなんだろうか? 曰く、犯行については、「なんでやったのか。よく考えて行動すればこんなことにならなかった。(怜美さんに)会って謝りたい」。 これからどういう人生を歩きたいか、という質問に対しては、「普通に暮らせればいいんだけど……」。 まあ、ここでウソをつくわけにはいかないのだろうけれど、これを聞いた人の大多数が、犯人の女子に対して怒りを覚えると思うのである。 「よく考えて行動すれば」って、よく考えた末の行動だったんだろうがよ、四日も前に殺害するつもりだったんだから。もちろんこれは「受け売りの言葉」であって、本人の心の言葉ではない。多分、親か教師が日頃から「よく考えて行動しなさい」とか言ってたんだろうけれど、本人はそれを今の状況に合う言葉かどうかよく吟味もせず、機械的に流用しているだけである。いたずらをして叱られた小学生の反省文によくあるTPOを間違えた発言の一つに過ぎず、ここに「意味」は存在していない。 「会って謝りたい」という言葉も同様で、もちろんこれは「自分も死んでお詫びしたい」という意味ではありえない。仮に正確にこのような言い方をしたのではなくて、「会えるものなら会って」だったとしても、「謝ることが不可能な相手」に対して「謝ろう」とする発言は、「謝れない相手にしてしまった」のは紛れもなく「自分自身」であるという事実から目をそむけようとする心理が深層で働いている。真実の反省の言葉ではない、というよりも、実は自分の犯罪について何の後悔もしていないと断言して構うまい。だから弁護士の見え透いた誘導尋問に対して、「普通に暮らせれば」などと、本音を漏らしてしまうのである。 ……思うんだけれど、この弁護士たち、本当はこの犯人女子を熱心に弁護するつもりなんてないんじゃないのかな? いや、そもそも刑事犯として裁かれることはないのだから、自分たちの点数には全く関わらないのである。犯人女子が世間からどう恨まれようが、本名や顔写真がネットに流されようが、構わないわけだ。そうでなければ、いくらでもボカして説明できることを、こんなにあけすけに言うものだろうかね? いや、私だって、この犯人女子に対して憤りは覚えている。だからと言って、弁護士がこんな犯人バッシングを誘導するような会見を行っていいものなんだろうか。それはまた別の問題だと思うんだけれど。それともこの弁護士たちも「何も考えていない」のか?
テレビもまた、この手の事件報道の定番、「昔の文集」をどこかから(同級生だった子の誰かからだろうな)発見して放送している。 それによると、被害者の怜美ちゃんの趣味は読書、パソコン、音楽鑑賞で、好きな小説は時雨沢恵一の『キノの旅』、井上雄彦の『スラムダンク』(小説じゃないじゃん)で、犯人女子は趣味がパソコンで、好きな小説は吉村達也の『ボイス』に、高見広春の『バトル・ロワイアル』だそうな(小説読んでなくて、映画のタイトル書いただけじゃないのか?)。 なんだかもう、この対比の仕方で、被害者の怜美ちゃんは心優しく友情に厚いよい子で、対照的に犯人女子は、心に危険なものを隠し持っていた怖い子供、という印象を与えたがっているようである。いや、マスコミの「標的」は、犯人女子ではなく、やはり「危険なマンガやドラマ」なのである。 実際に、女子は『バトル・ロワイアル』もどきの小説をホームページで書いていたというから、あの映画に「影響」は受けていたのだろう。しかし、たとえ“その通りであったとしても”、『ボイス』や『バトル・ロワイアル』を見ても犯罪に走らない人間のほうが圧倒的に多い以上は、それらに責任を転嫁してはならないのである。異常者は、たとえ宮崎駿の映画を見ようがディズニーの映画を見ようが、罪を犯すものである。
マスコミが「責任転嫁」の躍起になっている様子は、実際「そりゃいくらなんでもコジツケだろうが」と言いたくなるくらいに迷走している。 例えば毎日新聞は、「女児(11)が、県警の調べに『テレビのドラマを見て(殺害を)やろうと思った』と供述していることが分かった」と、いかにもドラマの影響で殺人が誘発されたかのように報道しているが、これは大きな間違いである。その女子が見たという『月曜ミステリー劇場 ホステス探偵危機一髪(6)』の中には、確かにカッターナイフを使った殺人が描かれていたそうだが、この番組が放映されたのは事件前日の5月31日。女子がまた、「3、4日前にも殺害を実行しようとしたが、カッターナイフを使う授業がなかったので諦めた」とも供述している内容と矛盾している。 これは明らかに、女子自身が、「事件は自分に責任があるのではなく、ドラマや映画に影響を受けたせいだ」と思わせたがっているのだ。なかなか“したたか”ではあるが、自己弁護にあまりに躍起になってしまったたせいだろう、矛盾したことを言ってしまっていることに、自分では全く気がつかなかったのだろう(^_^;)。その程度のことが、毎日新聞の記者に分からないはずはないから、これもまた“あえて”検証もせずに垂れ流しているのだ。記者もまた、「本当の原因はドラマだ」と読者に思わせたいのである。 ちょっとやり口がいやらしくないか。
現行法では、どうしたって未成年は処罰の対象とはならない。それどころか、どんな残酷な犯罪をしようと、「人権擁護派」の方々が、これから先、一生の面倒を見てくれるのである。今の町で暮らすことは不可能でも、遠く離れた土地で、名前を変え、就職の斡旋すらしてくれて、ごく普通の生活ができるようになる。そういう仕組みがこの社会にもうできあがってしまっているのだ。こんな「甘い」世の中はない。 彼女は確実に、平穏な一生を終えることだろう。「犯罪天国」にあって、誰が犯罪者にならないでいられるだろうか? イヤなやつの一人や二人、“未成年なら”軽く殺せようというものだ。 だから犯人の少女は、「異常者」ではあるが、精神異常者ではない。冷徹で狡猾な、一匹の鬼である。彼女に心の闇などはない。そういう子供達を、この国は営々として育て続けているのである。
眼のこともあってしばらく運動を控えていたので、カラダがかなりなまっている。 仕事は立て込んでいたけれども、なんとか時間を作って、職場の周りを五周する。ちょっと見ないうちに、草むらに花が咲き誇っていて、道の様子がすっかり変わってしまっている。花を踏まずに歩くのもひと苦労だ。かなり気候も初夏らしくなって、そろそろ背広姿のままで歩くのはちときつい。明日あたりからはジャージに着替えて歩くことにしようか。
帰りに、博多駅の紀伊國屋に寄って、予約しておいたDVDをいくつか買う。ダン・エイクロイドの出演作が一気に3本(『キャノンズ』『大混乱』『キャスパー』)も出ていたので、これはもう買うしかないのであるが、正直、このあたりの作品は映画の出来としては今一つなんだよなあ。いや、『キャスパー』だけはクリスティーナ・リッチが出てるから許すけれども(別に私に許してもらわねばならない筋合いのものではないが)。 『鋼の錬金術師』5巻、アームストロングさん、大活躍の巻。なんかオレ、このオッサンがエドとアルの次に好きかもしれんな(^_^;)。
普段はせいぜい4、50程度のアクセス数が、本日はいきなりの760。(@_@) なんやねん、と思ったら、ほぼ全部が佐世保事件に関してのアクセスであった(~_~;)。 キーワードが「御手洗怜美」「ホームページ」だったりするから、たいていの人が、まだ見つかっていないという被害者のホームページを探しているのだろう。でも、そのキーワードでグーグル検索しても、私のこのサイトはせいぜい100番目くらいにしか出てこないのだ。読んでみたって、ダラダラと事件についての勝手な文句垂れが続いているだけで面白くもなんともないと思うのだが。 ネットの人々が時折ふと怖くなるのは、そこまでいちいち丹念に調べてった人がやたらいるからである。被害者のサイトの「悪口」とやらを自分の目で確かめたいんだろうけれど、私にはよくわからん情熱だ。どんなにヒドイ悪口が書かれていたとて、それが「殺人」にまで発展していいわきゃない。確認の必要もないと思うんだけど、どうなんですかね。 それに、下手にアクセスされて、中傷の書き込みでもされたら遺族の方々もたまらないだろうから、とっくの昔に消去しちゃってるんじゃないかな。
2003年06月03日(火) 路傍の石のように生きたい/『ああ探偵事務所』3巻(関崎俊三)/『爺さんと僕の事件帖』4巻(しかくの) 2002年06月03日(月) 「八手三郎」は「やつでさぶろう」/『ふたつのスピカ』1・2巻(柳沼行)/『僕らのスーパーヒーロー伝説』(堤哲哉)ほか 2001年06月03日(日) 全集員合(←解る人には解るね)/『だめだこりゃ』(いかりや長介)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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