無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年05月25日(火) 『バナナがすきな人』&また来た首吊り。

 ふと思い出した話。
 結婚した時には10代だったしげも、気がついたら立派な30代のオトナになってしまった。これが普通の大人ではなくて、カタカナのオトナだったり、カッコつきの「大人」だったりするのがちょいと問題ではあるが。
 最近、しげはあまり私にくっついて行動したがらなくなった。結婚当初はそれこそ金魚のフンの如く私が出かけるところにはくっ付いて行きたがったし(行けるものなら職場にも)、実際、私が単独行動を取ることがあれば(出張とか、しげとスケジュールが合わなくて一人で映画に行ったという程度のことである)、その様子を根掘り葉掘り聞きだそうとしたものだった。「楽しかった?」と聞くのが決まり文句で、映画に行ったときならともかく、仕事の出張に楽しいも糞もない。そんな風に聞かれても答えようがないのだが、何度そう答えても「楽しかった?」と聞くのである。妻である自分がいない時間を、私が楽しく過ごしていることに嫉妬していると言うか、孤独感、疎外感を感じてしまうのだろう。つまりはコドモなのである。
 「いい加減、大人になれよ、おれは浮気する気なんて全くないし、お前と離れてたって、お前のことを忘れてるわけじゃないから」
 こう説明するのだが、そのこと自体は理解はしていても、感覚は納得していない。
 「全然? 一瞬も忘れてない?」
 と突っ込んで来る。
 「一瞬もってことじゃないよ。仕事してるときにお前のことばかり考えてたら仕事にならんだろうが」
 「ほら、見てん」
 何が「ほら、見てん」なんだか。こういう無理難題にもいちいち対応してやるものだから、私のこの10年間の精神的疲労は相当なものだったのだが、しげもトシを取ってきて、そんな自分自身が鬱陶しくなってきた、あるいは体力が続かなくなってきたのだろう、「一人で映画に行ってもいいよ」と随分寛容になってきているのである。
 しげはその理由を「自分が30代になって、こんなに疲れやすくなると思ってなかったから」と説明するのだが、これまで私が散々、「トシが違うんだから、お前に付き合える体力はないんだよ」と、それこそ口が酸っぱくなり、喉が枯れ、あるときは徹夜するくらい懸命に説明してきたというのに、しげというやつは自分が実際にそういう「感覚」を経験するまでは、納得することができないのだ。想像力が欠如していると言うか、他人を思いやる心が根本的に欠けているわけで、それが「感覚だけで生きている」と私がしげをこき下ろしてるところなんだけれども、今更反省されても、そのこと自体、ズレてやがるよなあ、としか私には感じられないのである。それに未だにしげが私の目が悪いことを認識してくれないのは、正直、ツライ。平気で「あんたがどれくらい見えんかなんてわかるわけないじゃん!」と言ってくれるのだが、どんなに詳細に説明しても(詳細に説明するからなおのこと)忘れてしまうので、こんなのは自己弁護の言い訳なのである。
 しげもあちこちカラダにガタが来始めたのだから、もうちょっと相手の体力とかが慮れるようになってくれりゃあなあ、と思うんだけれども。

 そう言えば、しげはよしひと嬢と「ミソジーズ(三十路ーず)」というユニットを組んでいるそうな。で、このユニットには第一規約があって、「トシのことは言わない」(~_~;)。
 補足事項は、「20代のやつらが、『私たちももうトシよね』なんて言ってるのを耳にしたら、ギロッと睨む」というもの。
 ……でも、20代のころ、やっぱり「もうトシね」とか言ってなかったか? 言ってたよな、たしか。そういう事実は都合よく忘れているんだよね〜、結局、若さを僻んでるだけなんだよね〜。で、言いたいのだけれども、私はもう四十路に入ってるんである。いくら僻んだって三十路が来れば四十路が来るのはほんとにあっという間なのだ。とっとと覚悟を決めて、も少しおおらかな気持ちになっていくことを考えた方がいいと思うのだが。


 仕事を早めに切り上げて、特急つばめに乗って小倉まで。昨日まで私も忘れていたのだが、芝居のチケットを取っていて、公演日が今日だったのである。昨日、しげからメールが入って、「明日はバナナだよ」とか書いてあったので、「何でわざわざバナナを買うことをメールしてくるのかな」と思ったのだが、これは『バナナがすきな人』という芝居のタイトルのことだった。なんか、しげみたいなマヌケやらかしてるな。
 場所は「リバーウォーク小倉」内の「北九州芸術劇場中劇場」。
 主宰は近藤芳正さんの一人劇団、「劇団♪♪ダンダンブエノ」なんだけれども、毎回豪華ゲストを招いて、継続公演も今回が三回目である。今回のゲストは中井貴一、いしのようこ、温水洋一、粟田麗、酒井敏也、山西惇。コメディはやっぱりキャラクターだよな、と感心するくらい、それぞれの個性が光っていた舞台。温水さんに子役をやらせたり、酒井、山西、近藤の三氏が犬だったり、もう、アイデアがハジけている。実は一番心配していたのが中井貴一だったんだけれども、デビュー当時、とんでもなく大根だったのが信じられないくらいのコメディアンぶり。人は上達するものである。
 パンフレットを見ながら、しげが突然、「えっ! 中井貴一って、佐田啓二の息子だったの!?」と驚いていたので、私の方が驚いた。しげとその手の会話は何度もしたことあるような気がするんだがなあ。もっとも、佐田啓二の名前を知っていただけでもしげの年齢を考えると立派なことなんだろうけど。


 再び特急で帰り、帰宅したのが11時。
 途中、本屋に寄った時に、突然、左眼に閃光が走った。痛みはないが、眼を揺らすと再び視界の下あたりで光が瞬く。
 うわ、もしかしたら……と思ったら、やっぱり次の瞬間、血管のようなものがだらりとぶら下がって来て、視界を遮った。一年ちょっと前、右眼に起こった網膜の剥離、どうやら左眼にも来たらしい。
 これまでは右眼の前に血管が垂れ下がっていて(医者は血管ではないと言っているが、飛蚊症について書いた本にはハッキリ血管の残骸だって書いてあるぞ)、その先が首吊り縄のように丸く輪になっていて鬱陶しかった。それが、今度は左にも全く同じのが垂れ下がってきて、しかもやっぱり先端が輪っかになってるものだから、なんだか「どちらの輪に首を入れたいですか?」と誘われているみたいである。
 前回は検診で網膜の悪化が発見されていたから、早晩“来る”んじゃないかと覚悟はしていたのだが、今回は予告もナシだから、ちょっとショックである。2ヶ月前の眼科の検診じゃ何も言われてなかったんだけどなあ。前のときも最初は剥離に気が付いてなかったし、今通ってるとこ、やっぱり藪なんじゃなかろうか。
 まあ、だんだん眼が見えなくなっていくこと自体は先から覚悟していることだから仕方ないことなのだけれども、もしもまた手術ってことになったら、またぞろン万円が一気にふっとぶのである。治りもしねえ治療にそれだけ金かけなきゃなんないってことのほうが、何か納得いかないんだけどねえ。

2003年05月25日(日) すっ飛ばし日記/エロくて見せられない女
2002年05月25日(土) サヨナラを言いたくない人/『真・無責任艦長タイラー外伝 LOVE&WAR』(吉岡平・森小太郎)ほか
2001年05月25日(金) ドームにぃ、轟くピンのぉ音ぉ♪/『ウインドミル』11巻(橋口隆志)



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