無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年05月19日(水) 鬱陶しい雨の日の、鬱陶しい話。

 今日も終日雨。散歩というか、運動療法ができないので困る。いや、ホント、運動しないとテキメンに体重が増えちゃうのよ。

 昨日、私にヘコまされてシュンとしていたトンガリさんだが、あれくらいでメゲるような御仁では元よりない。その程度ですむなら、私ももっと気がラクになってるんである(-_-;)。
 上司がどうしてもトンガリさんに直接確認しなければならない要件が、2、3件あったので、まあ、呼ばれるだろうとは思っていたけれども、「付き添い」で(^_^;)、一緒に会いに行く。
 予想はしていたが、上司に対してはトンガリさん、毛の先ほどの遠慮もせず、ケンもホロロである。愛想がないどころの話ではない。最初から「何しに来やがったコイツは」という目つきで上司を見るだけならともかく、上司が口を開いて二言三言、言ったかと思うと、「そんなことは私のする仕事じゃありません」と、何のかんのとヘリクツをこねて仕事を回避しようとするのだ。
 まあ、そうなるだろうということはこちらも予測していたから、簡単には逃げられないように、理論武装はしてきている。けれど、ただ単に理屈でヘコましても、昨日のようにヒステリーを起こされるだけである。「これはつまりこういうことなんですよねえ?」とあくまでトンガリさんに質問を繰り返し、トンガリさん自身が自分で自分のクビを締めて行くように誘導して行く。結局トンガリさん、自縄自縛に陥って、渋々、「会議を通していたただけるのなら」と言って納得する。でもその会議にアンタが出ようとせんのだろうが、と喉の先まで怒声が出かかったが、そこでまたこじれると話が進展しないので、ニコニコ作り笑いで「よろしくお願いします」と頭を下げて辞去する。
 あとで何人かの同僚から「ご苦労様です」と労われたが、こういうやりがいのない苦労は、ホントはご免被りたいのだ。

 ここんとこ、特にトンガリさんの切れっぷりが激しいので、ついに支社長に内情を直訴する。というよりは、支社長だって状況は知ってるはずなのに、どうしてこうも仕事サボリまくりのトンガリさんを放置しておくのか、不思議で仕方がなかったので、ちょいとカマをかけてみたのだ。
 支社長、「いや、その件はいろんな人から聞いてるんだけどね」と、やっぱり実情は知ってることをポロリと漏らす。けれど、「それについては本人とよく相談しておくから」と、どうも歯切れの悪い返事。なんだかねえ、邪推したくはないんだけど、支社長、トンガリさんにウラで弱み握られてるんじゃないかという気がしてならない。


 昨年上演された“ミュージカル”『そして誰もいなくなった』が、再演の運びとか。しかも今度は福岡公演もある! まだ来年2月の話なので、全く鬼が笑っちゃうのだが、ことによると東京まで行かなきゃならないかと覚悟しかけていたので、こちらで見られるというのは嬉しい。来年まではなんとしても生きていなきゃなあ。
 キャストは殆ど前回公演と変わらないが、うえだ“服部半平”峻さんが新キャストでミスター・ロジャース役で出演されるようだ。これも楽しみである。
 公式サイトは以下の通り。

 http://www.soshite.jp/


 国語学者の金田一春彦先生が、本日、クモ膜下出血のため死去。享年91。
 ブンガクブ出身で、多分一般の人たちに比べればそのご著書に触れる機会も多かったと思われる身にしてみれば、金田一先生はどうしても「先生」という敬称をつけて呼ぶことしかできない。
 保守的なのが普通の言語学者の中にあって、「言葉は時代とともに変遷する」ことをより肯定的に捉え、「ら抜き言葉」も「可能の助動詞」として許容していた。実は夏目漱石にも「ら抜き言葉」があることを指摘されていたのも金田一先生の著書で知った。私は必ずしもその主張に諸手を挙げて賛同を示したいとは思わなかったが(「ら抜き言葉」は便利ではあっても必要なわけではないと思うからである)、金田一先生の柔軟な思考には尊敬の念を抱いていた。
 金田一先生に関して、私が好きなエピソードが二つある。
 一つは「石川啄木」に関するエピソードで、ご承知の通り春彦先生の御父君、金田一京助氏は啄木の親友だった。しかし放埓な啄木は遊蕩に金を使い果たしては京助氏のところに借金を申しこみにやって来る。これを京助氏は同郷のよしみで絶対に拒まない。けれどあまりに遠慮のない啄木の借金ぶりに、幼少のころの春彦先生は、てっきり自分の父親の方が「取り立てられている」と勘違いしていたそうだ。こんな御父君の優しい人柄が、そのまま春彦先生の人柄にも伝わっているように思う。
 もう一つ、春彦先生の優しさを表すエピソードが、あの「金田一耕助」の生みの親である横溝正史にまつわる話である。やはり御父君からその探偵の名前を勝手に拝借していたことをずっと気に病んでいた正史氏は、京助氏の生前、機会はあったにもかかわらず、一度も京助氏と会おうとしなかった。そのことを聞いた春彦先生は、人伝に正史氏に「いえ、あなたのご著書のおかげで、私の名前がちゃんと“キンダイチ”と呼んでいただけるようになりましたから」と感謝したというのである。
 実はこのエピソードは御父君の京助氏のものだ、という説もあるのだが(何しろ、正史自身がエッセイで「京助」説と「春彦」説の両方を披露しているのである)、どちらでもかまわないように思う。金田一耕助の飄々とした人物造形には、親子揃って、金田一先生の人柄もいささかは影響しているように思うから。
 数年前、機会があって、金田一先生にもお会いできるはずだったが、既に体調を崩されて叶わなかった。返す返すも残念でならない。

2003年05月19日(月) すっ飛ばし日記/あるものが見えない女
2002年05月19日(日) 今日は一日寝て本・ビデオ……っていつもや/『Sink』1巻(いがらしみきお)ほか
2001年05月19日(土) 地上の星々/『狼には気をつけて』2巻(遠藤淑子)



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