無責任賛歌
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記




ホームページプロフィール掲示板「トーキング・ヘッド」メール
藤原敬之(ふじわら・けいし)

↑エンピツ投票ボタン(押すとコメントが変わります)
My追加


2002年05月19日(日) 今日は一日寝て本・ビデオ……っていつもや/『Sink』1巻(いがらしみきお)ほか

 朝寝して、午前中のアニメは殆ど見ず。
 ゆっくり休まないとカラダが持たなくなってるので、寝るときはとことん寝る。
 寝ていても腹は減るが、食事を作る元気がない。
 近所の「めしや丼」でミックス定食を食べる。ミックスって何がミックスかって言ったら、トンカツとすき焼きなわけだね。
 いつものように肉をしげに分けてやったが、そのあとしげが「腹がイタイ」と唸り出す。
 いつも注意しているのだが、一気にかっ込みすぎているのである。そんなに慌てて食わなくても、誰もお前のメシを奪い取ったりはせんわい。……といっても納得しないのは、よっぽど昔、ど貧乏な生活してたんだろうなあ。
 やっぱり「一文無しの貧乏は罪」ってのは正しいかもね。


 『笑点』を見ていたら、柳家小さん追悼ということで、平成8年正月の映像が流れていた。
 既に6年が経っているわけだが、それでもこのとき小さん師匠は八十過ぎ。年のわりにはふっくらとして若々しいと言えなくもないが、やはり落語は聞くに堪えない。
 しかし、聞いていてツライとは言っても、芸がヘタなのかというとそれも簡単には言いきれないのが難しいところである。というのも、間の取り方は年季が入っているから、実にうまいんだよね。八十過ぎであれだけテンポよく話せるってのは立派なものだ。けれど、声はくぐもってるし役の演じ分けはできてないしで、噺のナカミ自体が聞いていて全く掴めない。
 これが不思議なことで、会場のお客さんは実によく笑っているのである。会場の方があまり聞き取れないだろうと思うのにそれだけ笑ってるってことは、やっぱり生の迫力ってものがあるのかも知れない。
 やっぱり「間」が悪いとどんなギャグも笑ってもらえないものなあ。ウチの劇団の連中、落語もあまり見ないけれど、やはり今のうちに談志の高座くらいは見ておいた方が(見れねーって)。


 アニメ『サイボーグ009』第30話「未来都市(コンピュートピア)」。
 まあ「HAL」モノですな。
 原作発表時にも「イマドキやるかい、こんなネタ」とは思ってたけど、009のSF性を強調するためにはこの辺でこういうエピソード挟んでおかないとって判断なんだろうね。
 004が語る、「自分のからだに組み込まれた機械が思い通りに働いている時には、ついそれが機械であることを忘れて、感情移入してしまう。所詮は機械のはずなのに」というセリフ、『009』シリーズのいいセリフは殆ど初期作品に集中しているように思われがちだが、これは後期シリーズの中でも特に本作の根幹のテーマに関わる問題のセリフだ。これをやっとかなきゃ、確かに『009』は「カッコいいサイボーグもの」ってことにしかならないものね。
 けれど、この手のセリフって、実はほぼ004に集中しているんである。
 ある意味、機械のからだになってしまったことについて余り葛藤を覚えていないようにすら見える(現実ならそんなことはありえまいが)ほかのキャラたちの悲しみを、彼が一手に引きうけているのだ(張々湖が悩む姿って余り見ないし)。
 それを考えると、全身武器という最も人間離れした改造を施され、そのせいなのか、最も「機械」的で冷静かつニヒルに見える004が、一番人間としての心の弱さを持っていると理解することもできる。
 後半の「機械に恋愛感情が生まれるか?」って話より、004のこのセリフをじっくり聞かせたかったんじゃないかなあ、スタッフの方がたは。
 もう一つ、この話は原作者の石ノ森章太郎自身がコンピュートピアのエッカーマン博士として登場しているので(輪郭が全部白ヒゲだけど)、それもエピソードに選ばれた理由かもしれない。
 ……けど、今回の作画監督の本橋秀之さん、『ヒカ碁』と平行で大変なのはわかるけど、後半Bパートの作画修正はちょっと手を抜いたんじゃないか。Aパート後半の009が襲われるあたりの絵が安定していただけに、後半の弱さが目立っちゃうぞ。


 ビデオ録画していたシティボーイズのライブ『鍵のないトイレ』を見返す。
 このWOWOW初放映版の時には、それ以前の「ラジカルガジベリビンバシステム」の舞台のクリップ集もオマケについていたのだった。
 ……このころの大竹さん、動いてたよなあ。髪も全然真っ黒だし。
 スケッチとしてはこのころの方が今よりも随分シュールではあったのだ。それでも客が引かずに笑ってたってのがシティボーイズの凄さなんだよねえ。その凄さってのが、あの三人の一人一人が表現している「狂気」がそれぞれのベクトルを持ってアンサンブルを奏でていることにあると思ってんだけど、そのへんの分析はそのうち「シティボーイズ論」みたいな形で書いてみたいな。……ンな時間ないって(-_-;)。


 マンガ、えんどコイチ原作・小西紀行漫画『リトル 〜神様修業中〜』(集英社/ジャンプ・コミックス・410円)。
 奥付を見ると、出版は去年の四月(実際は三月か)。買ったのはそのころだと思うんだが、今までずっと積読だった……とゆーか、部屋ん中のどこに行ってたかわからんかった(^_^;)。そんなこんなでまだ読んでない本、溜まってるなあ。全く日記つけてるヒマなんてホントはないんじゃないか(でも書く)。
 それはさておき。
 今回、えんどさんは原作のみで、マンガは別の人が描いてるわけだけれど、絵がえんどさんよりはるかにウマイのにもかかわらず(えんどさんゴメン)、読んだ印象はえんどさん本人が描いたのと殆ど変わらない。絵柄が違っていても、ストーリーラインがまさしくえんどさんだなって思えるからだろう。
 話は『死神くん』の天使版。……って、コンセプトちょっと間違えてないか。
 『死神くん』は、人の命を奪うはずの死神が人の命を助けることもあるという逆説的な設定が面白かったわけで、それを天使にしちゃ、なんの変哲もない。天子が人を助けるのはフツーじゃん。
 神様も実は人助けの修業中、としたのが工夫のつもりなんだろうけれど、私みたいなトシヨリになっちゃうと、「それって石森章太郎の『二級天使』じゃん」と言いたくなっちゃうんだよね。もともとえんどさんの人情マンガって、オー・ヘンリーかドーデみたいな「どこかで聞いたような」話が多いんで、新味を出すのがむずかしいんである。「『週刊ストーリーランド』じゃないぞ」って感じか?
 月刊ジャンプの連載だけど、1巻分の連載で打ち切りってことは人気がなかったんだろうなあ。このあとえんどさんはまた似たようなコンセプトで、自筆で『エンド・ゾーン』を描くことになる。やっぱ、絵の描ける人は誰かに描いてもらうより自分で描くべきだろうねえ。 
 

 マンガ、天樹征丸原作・さとうふみや漫画『探偵学園Q』5巻(講談社/KCM・440円)。
 時々ミステリ関係の掲示板やホームページ見て回ってるんだけど、子供ならともかく、いいトシしたオトナのミステリファンがこのマンガ誉めてたりしてるんだねえ。「独創的なトリック」とかなんとか。……どこがや。
 なんだか今回も「ミステリマンガ」って言うより、昔の学習雑誌のフロクについてたような「推理クイズ」って感じの話が多いんだけど(-_-;)。
 だからいくら「QクラスとAクラスの争いが」とか言われたって、「どっちもレベル低いじゃん」という印象しか持てないんだけどね。
 でも、これはもう「小学生向け」と割りきってるので、文句をつけるつもりはない。ともかく、キュウの恩人ってのが金田一はじめではありませんように、と祈るばかりだ。


 マンガ、いがらしみきお『Sink』1巻(竹書房/バンブーコミックス・980円)。
 いがらしみきおがweb上で連載しているマンガの単行本化。このマンガの作者名を隠して、人に「このマンガ、誰が描いたかわかる?」って聞いても、当てることができる人、皆無に近いんじゃないか。それくらいいがらしさん、絵柄を変えて「シリアスなホラー」に挑戦しているのだ。
 え? あの『ぼのぼの』のいがらしさんが? とか、ちょっと古いファンなら『ネ暗トピア』のいがらしさんが? とか意外に思うだろう。
 けれどこれが面白い。
 概して、ギャグの傑作を描く人にシリアスを描かせると、素晴らしい作品をモノにする人が多いけれど(山上たつひこの『光る風』とか、とり・みきの『山の音』とかね)、本作もまだ1巻のみだけれど、掛け値なしの傑作になりそうな気配。
 「sink」という単語は「沈む」とか「衰える」という意味の動詞だそうな。名詞だと「台所の洗面台」という意味になるそうだけれど、第1話の第1コマ、まさしくその洗面台の排水溝に水が流れ込んでいくシーンから始まる。
 ごく平凡な山下家の日常に少しずつ変化が現れ出したのは、息子の駿がガールフレンドの弓をストーカーの三浦から守ろうとして刺されてしまったことがきっかけだったのか、それとも父親が未成年者連続殺人事件の現場に偶然出くわした時に、異様に首の長い女を見かけたことが原因なのか。
 その後も山下家の周りでは微妙に異様なことが起こり続ける。
 両手が異様に長い男、井本。
 電柱にぶら下がった自転車。
 誰かが家の中に入りこんでいる気配。
 大学の校舎の塀にめり込んでいる無数のタイヤ。
 そして少しずつ「変化」していく息子の駿。
 繰り返されるデジャ・ビュ。
 友人の林教授は「バランスが崩れ始めているんだよ」と語るが、彼とて何かを知っているわけではない。これらの「異状」は何かの予兆なのか、それとも「啓示」なのか。いずれにせよ、このマンガを読んでいるうちに、読者の我々の心は我々の体から離れ、このアンバランスゾーンに紛れこんでいくことになるのだ。
 ……そう、なんだかこれ、いがらし版『ウルトラQ』になりそうな気配なんだね。どういう展開を見せるのかまだまだ先の予測はできないけれど、出だしだけでこれだけ興味を引かされると、どうしても期待が膨らんでしまう。
 これ、完結したら誰かが映画にしそうだけど、中田秀夫に撮らせたらいいものになりゃしないかな。キャストは余りスター的な人を選ばないで、地味でも演技力のある人を配役してほしいね。主役の山下は内藤剛志あたりがイメージかなあ。林教授役には、ぜひとも谷啓をプッシュ(^o^)。

2001年05月19日(土) 地上の星々/『狼には気をつけて』2巻(遠藤淑子)



↑エンピツ投票ボタン
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記

☆劇団メンバー日記リンク☆


藤原敬之(ふじわら・けいし)