無責任賛歌
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
2003年09月07日(日) |
「時代劇の復興」というのはこういうのを指すのだ/映画『座頭市』ほか |
マンガ『ナニワ金融道』の作者で、エッセイストに転向していた青木雄二さんが、5日、肺がんのため死去。享年58。 もちろん若すぎる死ではあるのだが、あまり長生きしそうにないイメージもありはした。とか言うと、おまえは青木雄二を読んでるのかと突っ込まれそうだが、『ナニワ金融道』だけはパラパラとではあるが読んでいるのである。何しろ“しげが”全巻買っているのだ(女房の趣味感覚は未だに私には掴みきれない)。 これまで日記に感想を買いてこなかったのは、正直、マンガ自体、そんなに面白いとも思わなかったからなんだけれども、かと言ってじっくり読みこんでいたというわけでもないので、特に何かを語る必要性を感じなかったのである。 絵が下手だというのは誰が見ても同じ感想を抱くだろうし、けれどもその下手な絵にこそ魅力があるというのも、わかりはする。下手だからこそ「表現力」はあるのだ。 ただ、このあたりのことはマンガを読みなれてない人には説明がひどく難しい。なにしろ青木雄二自身が「絵が下手」と言われることに立腹していたそうだから、マンガのことなど何もわかっていないのである。何もわかっていない人が面白いマンガを描いてしまうというのも決して現実にありえないことではないので、まずそこから説明しなければならないし、その事実を踏まえた上でも、私はやはりあのマンガの押しつけがましさが性に合わなかくて評価しがたいと思っていたのだから、そこんとこを詳しく説明し始めたら、もうマンガ論一冊書く覚悟をしなければならなくなるのである。 しかも「評価はしない」が、やっぱり「惜しい人をなくした」とは思うのである。マンガの歴史を記述しようと思う者ならば、青木雄二を避けて通ることは絶対にできないが、その作品の孤高なありようを見るとき、その立ち位置をどこに求めればいいのか、少なからず迷ってしまうと思うのである。
第60回ベネチア国際映画祭が昨6日に閉幕、コンペティション部門に出品されていた北野武監督の『座頭市』が監督賞を受賞した。 1952年の溝口健二監督『西鶴一代女』(これももう、見たことないって人多いんだろうなあ)以来、実に51年ぶりの快挙であるが、黒澤・小津・溝口以来、日本人監督で世界的な巨匠は生まれていないという風評はほぼ払拭されたと言っていいだろう。神格化する必要はないし、それなりの批判はして然るべきとは思うが、ミヤザキ・キタノの二人の名が日本映画を代表している事実は認めないと、ただの意固地としか思われまい。オタクでこの二人を嫌ってる人多いけどね。 受賞日が故黒澤明監督の命日だったってのが出来過ぎの感があるが、そうした「偶然」も宣伝にひと役買ってくれると嬉しい。ともかくこれまでのたけし映画、あまりにも人に見られてないのだ。 その話をしげにするとビックリされる。 「たけしの映画って、そんなにヒットしてないと?」 「してないよ。最高で九億かそこらだろう。評価は高いけど売れないって本人も愚痴ってたんだから。ヒットしてるとでも思ってたの?」 「大ヒットとかでなくてもそれなりに人は入ってると思ってた」 「たけしのファンと映画ファンは重なってないから。テレビでたけちゃんマン面白がって見てた奴が『その男、凶暴につき』見に行くと思う?」 まあ、今の日本の映画ファンの大半は『タイタニック』や『アルマゲドン』程度に涙する浅薄なメンタリティしか持ってないから、『HANABI』の無言劇などには堪えられるはずもない。今度の『座頭市』は基本的にエンタテインメントだろうから(もちろんこれまでのたけし映画だって決してゲージツ映画ではなかったのだが)、入門編としては手頃だろう。 「権威」ってものがないと、評価を与えない、自分の目でものを見る力を持てない有象無象がやたらいっぱいいるのはうるさくてかなわないのだが、これでようやくたけし映画を語れる状況が生まれてきたと言えるだろう。 ただ、ここで昔ながらのたけしファンにヒトコト注意しときたいのは、一般のたけし映画ファンがある一定の層を作るまでは、『座頭市』について「本当のたけしはこの程度のもんじゃない」とか言い出さない方がいいよ、ということかな(^o^)。何の謂かはわかるね。
夕べもよしひと嬢がお泊まりであったが、公演直前で朝の十時から夜の十時まで12時間ぶっ通しの練習、おかげでうちに来るなりヘロヘロである。シティボーイズの公演『パパ・センプリチータ』を見せてたのだが、2時間見切れず、途中でダウンしてしまった。 で、今日も朝から練習である。 こちらは呑気に今朝も『アバレンジャー』から『鉄腕アトム』までアニメ、特撮三昧なのだから、テメエだけ楽しやがってとか思われてるかもしれんが、脚本家は書くもの書いたらあとの仕事はないものなんで、恨まれてもどうにもしようがないのである。
アニメ『鉄腕アトム』第22話「さよならプリンセス」。 アトム版『ローマの休日』ですね。リノを主役にしたのは、カーヤの相手役がアトムだったら、また人間とロボットは愛し合えるのかという難解なテーマを扱わなきゃならなくなるからかな。アニメはここんとこ、どんどんウス味になってく感じだけれども、言い換えれば、原作の描写がどれだけ濃密だったかってことだよな。ロボットの妻と結婚して暗殺される金三角とか、子供向けアニメにしにくいんだろうけど、それやらなきゃアトムじゃないんだし。
護衛の目を眩ませて、メトロシティに逃げこんだマユ−ラ王国の姫カーヤ(サファイヤっぽいけど髪形がちょっと違う)。彼女は、マユーラ王国の王位継承者の証しである「トゥーロンの徴(しるし)」を狙っているゼド(多宝丸)たちに追われていた。リノ、そしてアトムたちは、彼女をひょんなことから匿うことになり、自由な時間を過ごしたい彼女のために、変装をさせて町を案内することにする。けれどゼドたちの魔の手はすぐそこに迫っていた。
まあこういう話は“演出で”ヒロインをいかに魅力的に見せるかってとこに命がかかってるんだけど、ちょっと普通の女の子として描き過ぎてないか。定番の話をやるならやるで押さえとかなきゃならない展開ってものがあるんだが(たとえば王女が市井に混じることで起きるカルチャーギャップな騒動とか)、なんか「筋をなぞってるだけ」って話が多すぎるんだよな。もうすぐ青騎士も登場するらしいってのに、こう腑抜けたエピソードが続くと、期待度がどんどん下がって来るんだけどなあ。 カーヤの侍従ドンパは、パッと見たらヒゲオヤジに見えるんだけど、ヒゲが曲がってるからブタモ・マケルなのかも。せめてキャラデザインくらいは中途半端なものにしてほしくないよなあ。
『笑っていいとも増刊号』に、小松政夫さんが出演、タモリといきなり「材木屋」のコントを披露してくれてたのを偶然見る。こういうのがあるから「サンデーモーニング」なんか見ちゃいられないのである。 あとはまたひたすら日記書き。
で、受賞記念と言うわけではないが、ワーナーマイカル福岡東で映画『座頭市』。しげはこの機を逃すとまたしばらく映画を見る時間がなくなっちゃうので、練習終わってくたびれてるからだをムリヤリ映画館まで運ぶ。私にはそれはもうムリだ。夜、映画を見ようと思ったら、前日からたっぷり睡眠を取っておかないととても持たないのである。
さて、この映画の魅力をどう語ればいいものやら。これまでの北野武映画の最高傑作と呼ぶ人も多いとは思う(まあ私も何本か見てない北野作品もありますが、だいたい同じ評価)。 けど素直に「面白かった」と語るのに抵抗があるのも事実。これまでの北野作品を見てきた人ならご理解頂けると思うが、北野監督には、映画、ドラマのセオリーをわざと外す癖がある。それはつまり手塚治虫のヒョウタンツギみたいなもんで、北野監督の「照れ」なのだが、時代劇のようにセオリーがガッチガチに固まってる分野でそれやると、多分昔ながらの時代劇ファンで「なんじゃこら?」って反応する人もいると思うんだよね。 一例を挙げれば、座頭市の「金髪ほかの設定」なんかがそうだ。勝新太郎の座頭市にとらわれない映画を作るためには、これくらい思い切った手を使う必要があるが、旧来のファンが「噴飯もの」と怒ってもおかしくはない。 金髪なら、眠狂四郎もそうだったじゃないか、と言い出す方もおられようが、あれには転びバテレンの息子、という設定がある。座頭市には本来、そんな設定は施しようがない。意外と知られてないが、原作の『座頭市物語』は、作者の子母沢寛が土地の人から聞いた実話をもとにして書いた小説なので、座頭市は実在人物なのである。アナタ、坂本竜馬が実は紅毛碧眼だった、とかいう小説を書いたら歴史家からフザケンナって言われちゃうでしょう。 けれども、やたらハシゴ外されてるにも関わらず、この映画、決してつまんなくなってはいないのだ。ただ映してるだけに見えて、画面の持つ緊張感がただごとではないのはいつものたけし映画になってるんである。
街道で一人、休んでいる金髪頭の座頭、市(ビートたけし)。近づいてきたヤクザは、子供に頼んで市の仕込杖をそっと奪う。市が丸腰になったと思い、刀を振りかざすヤクザたちだったが……。 この冒頭のシーンで、もういきなり北野監督の「外し」が入る。 市に襲いかかろうとしたヤクザの一人の抜き放った刀が、勢い余って隣にいた仲間を斬ってしまうのだ。 私も時代劇を結構な数、見てきたつもりではあったが、こんなシーンを撮った監督をこれまでに見たことがない。第一、映画の流れを阻害するにも等しいこんなカットを挿入したら、普通は大バカの烙印を押される。 けど、不思議なもので、このうっかり斬ってうっかり斬られたこの二人のワンカットが実にリアルでかつおかしいのだ。「流れが壊れているのに惹きつけられる」。 北野武の映画を楽しめるか楽しめないか、観客は実はこの時点で「試されて」いるのである。こういう例を挙げていったらキリがないし、中にはネタバレに引っかかるものもあるので、ワケの分らないキャラだの、コマギレの編集だの、どんでん返しだの、あとの細かい「外し」は実際に映画館で見て、確かめていただきたい。 監督の「照れ」を感じることができればこの映画、とても「かわいらしく」見られるはずである。
その日、三組の旅人が、同じ宿場に入った。 一人は座頭市。 二組目は服部源之助(浅野忠信)と妻おしの(夏川結衣)。某藩の師範代であったが午前試合である浪人に打ちのめされ、脱藩してその男を追っている。 三組目は旅芸者のおきぬ(大家由祐子)、おせい(橘大五郎)の姉妹。二人は、幼いころに自分たちの親を殺した盗賊に復讐するため、その行方を探し求めていた。 そしてその宿場町は、ヤクザの銀蔵(岸部一徳)と分限家の扇屋(石倉三郎)に仕切られていたのだった。
筋の紹介はごく一部に留めておきたい。ビートたけしは浅草時代に習い覚えた殺陣に工夫を加え、迫力のある映像を作りあげることに成功している。いやもう、痛そうな絵ですわ。σ(TεT;) 遊び人新吉(ガダルカナル・タカ)の飄逸な味わいや、野菜屋のおうめ(大楠道代)のキモの座りっぷりもいい。 CMでも目立っていた「ゲタタップ」だが、これを違和感なく構成した妙も見事だった。
『座頭市』、文句なく私のフェバリット時代劇に入っちゃったのだが、ついでだから、時代劇ベストテンも選んでみよう。もっともテンではとても収まり切れなくて、ベスト20になっちゃったけれど。 これでもとても絞り切れていないことは、『七人の侍』や一連の『忠臣蔵』や、『鞍馬天狗』『旗本退屈男』『遠山の金さん』『銭形平次』『宮本武蔵』といったシリーズものが軒並み落ちていることからもご想像頂きたい。 とても順位は付けられぬので、今回ばかりは時代順である。いちいちコメント付けてたらまた字数オーバーするのは目に見えているので省略、内容知りたい人は自分で調べてちょ。
1.『雄呂血』(阪東妻三郎主演/二川文太郎監督/阪東妻三郎プロ=マキノプロ=1925) 2.『右門一番手柄 南蛮幽霊』(嵐寛寿郎主演/橋本松男監督/東亜キネマ=1929) 3.『丹下左膳余話 百万両の壺』(大河内伝次郎主演/山中貞雄監督/日活=1935) 4.『赤西蠣太』(片岡千恵蔵主演/伊丹万作監督/千恵蔵プロ=日活=1936) 5.『人情紙風船』(河原崎長十郎主演/山中貞雄監督/P.C.L.=東宝=1937) 6.『蛇姫様』(長谷川一夫主演/衣笠貞之助監督/東宝=1940) 7.『虎の尾を踏む男達』(大河内伝次郎主演/黒澤明監督/東宝=1952<製作は1945>) 8.『雨月物語』(森雅之主演/溝口健二監督/大映=1953) 9.『血槍富士』(片岡千恵蔵/内田吐夢監督/東映=1955) 10.『東海道四谷怪談』(天知茂主演/中川信夫監督/新東宝=1959) 11.『座頭市物語』(勝新太郎主演/三隅研次監督/大映=1962) 12.『切腹』(仲代達矢主演/小林正樹監督/松竹=1962) 13.『十三人の刺客』(片岡千恵蔵主演/工藤栄一監督/東映=1963) 14.『眠狂四郎勝負』(市川雷蔵主演/三隅研次監督/大映=1964) 15.『十兵衛暗殺剣』(近衛十四郎主演/倉田準二監督/東映=1964) 16.『五辧の椿』(岩下志麻主演/野村芳太郎監督/松竹=1964) 17.『怪談』(中村賀津雄ほか主演/小林正樹監督/文芸プロダクション=にんじんくらぶ=東宝=1965) 18.『大菩薩峠』(仲代達矢主演/岡本喜八監督/宝塚映画=東宝=1966) 19.『御法度』(ビートたけし主演/大島渚監督/松竹=角川書店=IMAGICA=BS朝日=衛星劇場=1999) 20.『座頭市』(ビートたけし主演/北野武監督/バンダイビュジュアル=TOKYO FM=電通=テレビ朝日=齋藤エンターテインメント=オフィス北野=松竹=2003)
番外『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ! 戦国大合戦』(矢島晶子主演/原恵一監督/シンエイ動画=ASATSU−DK=テレビ朝日=東宝=2002)
2001年09月07日(金) 夢の終わり/映画『王は踊る』ほか 2000年09月07日(木) 涙のリクエスト/『冷たい密室と博士たち』(森博嗣)ほか
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
☆劇団メンバー日記リンク☆
藤原敬之(ふじわら・けいし)
|