無責任賛歌
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2003年07月22日(火) |
オタクの末路?/『吼えろペン』8巻(島本和彦)/『フロイト先生のウソ』(R・デーゲン)/DVD『マジンカイザー死闘!暗黒大将軍』 |
昨21日、川崎市でペット卸販売店に侵入してカメ88匹を盗んだ無職の男(46)が逮捕された。 もともと男は大のカメ好き。自宅でも、カメ20~30匹を飼育している。男はカメを盗んで帰宅すると、水槽には入れずに洗面器やたらいに振り分けてそのまま眠った。朝になって家中がカメだらけになっていることに気づいた家人が、さてはカメを盗んだかと110番通報したと言う。 いやまあ、なんと言うか、女の子を集めるよりは罪がないかなという微笑ましい事件だね。罪になるんだけど。本人はホントに純粋にカメが好きで、売買して儲けようとかそんな気は全くなかったらしい。これこそ純粋犯罪と言えるかね。今私が作った言葉だけど。 でも、ふと考えれば、88匹という数はやっぱり異常は異常なんである。最初は一匹二匹だったのがどんどんエスカレートしてってあのカメこのカメとほしくなったのであろう。日本に生息するカメはクサガメ、ニホンイシガメなど7種類だけだが、全世界では70種類以上いるとか。そういうものもツガイで集めてきちんと飼育しよう、なんて考え始めれば確かにキリはあるまい。多分、一種ごとに育て方も違うと思われるが、そういうものも調べて飼おうとしてたんではなかろうか。そういう粘着質は、食玩を全種類コンプリートしなければ気がすまないオタクの気持ちに共通するものがある。憶測だが、この男がかつて『ガメラ』のファンであった可能性は案外高いのではないか。かつてのガメラブームを知らぬ若い人にはピンと来ないだろうが、『ガメラ』ファンは必然的にホンモノのカメも好きになっていたものなのである。 オタクに対する一般人の偏見は未だに強い。 家人も多分、男から「またカメ飼いたいんだけど」とか言われて「いい加減でこれ以上カメ飼うのやめなさいよ、もう30匹もいるのよ」と怒ったりしてたんではあるまいか。オタクの欲望を頭ごなしに規制することがどんな事態を産むか、家人は気づかなかったに違いない。まあ野放しにして財産食いつぶされても困るが、オタクの心はみな繊細で傷つきやすいのである。優しく真綿でくるむように接して頂けるとありがたいのだが。いや、私の集めてるものは本とかDVDとかあまり危険のないものばかりなんで(^_^;)。
香取慎吾主演で『忍者ハットリくん』が映画化だって。もちろんアニメでなく実写である。ここまで来るとなんでもあり……つか、ずっと先に実写ドラマ化されてたこと知ってる人ももう少なかろうなあ。って私も本放送時にはまだ生まれてない。これも有名だが、デビュー当時の松坂慶子が出てたくらい昔なんである。 ふと思ったのだが、我々がマンガの実写化にどうしても拒否反応を抱いてしまうのは、アニメが普及する以前、マンガが実写化されたモノに稚拙っつーか、ロクでもないものがやたら多かったせいではなかろうか。『鉄腕アトム』も『鉄人28号』もなんかねー、という出来である(もちろん『忍者部隊月光』のような例外もある)。 かつての「恥ずかしい」記憶が無意識に残っていて、どうしても拒絶反応を起こしてしまうのだ。……って、だからそのころ私、まだ生まれてないんだって。
仕事帰りに博多駅の「杵屋」でミニ天丼定食。天丼にウドンがついてるんだけど、これくらいがカロリー的にはちょうどいい。別に食っちゃいけないものがあるんじゃなくて、量を減らしゃいいだけなんだから。
マンガ、島本和彦『吼えろペン』8巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。 島本和彦はこのマンガのこの巻を描くために生まれてきたと言っても過言ではないのではないか(^o^)。 もちろん、「富士鷹ジュビロ」の登場である。まあこれまでにも島本さんは実在マンガ家をモデルにして描いてきてたけど、これはもうホンモノ以上に熱い(いや、本人知ってるわけじゃないけど)。島本さんはこのエピソードを描くだけで通常の2倍くらいの時間をかけちゃったのではないか(^o^)。 これまで島本和彦の「熱さ」に対抗できるマンガ家などそうはいなかった。熱く見せかけて実は軟弱、でもやっぱり熱血という島本さんの築き上げたギャグだかシリアスだかよくわかんないけど、勢いがあればそれでヨシ! というスタンスは、唯一無二のように思えたのだ。まさかその牙城を脅かすギャ……いやいや、熱血マンガ家が現れようとは誰が予想しただろう。 何たって、富士鷹ジュビロが富士鷹ジュビロの絵柄で咆哮するのだ(本人が描いてんじゃないかってくらいのすげえカキコミ)。まさに「吠えろペン」というタイトルは彼のためにあったと言っても過言ではない。 いやもう、とてもその「熱さ」を伝えられる筆など私は持っておりません。いくつかのジュビロ氏のセリフを引用するだけで御容赦(^_^;)。
「面白くなるように……話に読者が食いつくように……と連載の当初はどんどん目新しいエピソードやキャラクターを投入し……これでもかこれでもか! と風呂敷を広げまくり――気がついたら大変なことになっちゃってるもんなんだよ!!」
「大人がだ! マンガ描いてメシを食わせてもらている、仮にもプロがだよ!! 自分をきつく戒めながら、それでも立ち向かって行くという姿を! 若い読者に見せられんでどうする!」
「おれは、たとえ死にそうに時間のない時でも! 原稿を落とす――いわゆる雑誌に穴をあけたことはないんだよ! もちろん今後もあけるつもりはいっさいないが! それがプロとして最低限の縛りじゃあないのか!?」
「アシのみんなには正しい線を描くようにと指導している……が、魂のこもったキャラクターは実はイビツであるべき! くずれてなきゃいかんのだ!」
「一度雑誌に載せたものを……単行本の時に改竄するのは読者に対する裏切りだ!! だったら最初っからやらなきゃいいんだ! 単行本描き直しという腰の抜けた行為は、おれは大嫌いだ!!!」
「ククク…ついにおれも『吠えろペン』に出るか! ついに! ……だがな…言っておくが、下手な遠慮するなよ! やるからには面白さ最優先だ! わかってるな!? 遠慮してつまらんものを描いてみろっ、絶対に許さんぞっ!!」
手塚治虫を思いっきり批判してるのもあるな(^_^;)。 けれど私もここで声を大にして言おう。
「ジュビロのセリフを聞いて、妙に斜に構えたり、何をアツくなってんだバカ、とか嘯くヤツラは魂が腐っている! 人間のクズだ! 男なら自らの魂に向き合わんでどうする! 燃えて吠えてこそ、それが男の生きざまというものではないのかっ!!」
……うーむ、やはりジュビロ氏ほどの熱さはなかなか再現できんなあ(^_^;)。
ロルフ・デーゲン(赤根洋子訳)『フロイト先生のウソ“Lexikon der Psyco-Irrtumer”』(文春文庫・740円)。 タイトルはフロイトだけをターゲットにしているが、「心理学」全般の胡散臭さを様々なデータをもとに片っ端から批判した本である。 精神分析も含めた心理学が決して万能ではないことは随分前から指摘されてはいる。学問としても新しく、理論として確立されているわけでもない。フロイトのようになんでもかんでもリビドーで説明しようってのはそりゃムチャだろうとシロウトでもわかるし、学会でもフロイトを引用すれば失笑を買うとも聞いている。じゃあ、ユングならいいのか、というものでもないらしい。要するに学問としては未だ「発展途上」の分野なのである。 だから突っ込もうと思えばいくらでも突っ込みどころはあるのだが、往々にしてこういう本は「突っ込みすぎ」て、かえってその実証性を疑われることにもなりかねない。 例えば犯罪者の人格形成に教育やマスメディアが一切関与していないような書き方はやはり「言い過ぎ」ではないか。子供が犯罪を起こせばすぐに「親の教育が悪いからだ」と短絡的に語りたがる人間が多いのには確かに閉口するのだが、「親による虐待などの不幸な家庭に育った子供が、将来破壊的な行動に走るとは限らない」ことは、「犯罪行動の素因として幼児期の虐待が影響している」ことを否定することにはならないのである。 「実証的データを元にした検証」というのが謳い文句ではあっても、そのデータの抽出が恣意的であれば導かれる結果は当然誤る。そのことを戒めている本書が同じ過ちを犯していては、失笑を買っても仕方があるまい。 もう少しその「実証」の内容を細かく見てみる。 「無意識」の項で、筆者は「投影」(=性衝動や願望、罪の意識を他人に無意識的に移し替える防衛機制)などあり得ない、と否定する。分りやすく言えば、誰かが「あいつは陰険なやつだ」と非難したら、実はそれは自分のことを語っている、というものである。 この時点で、「そりゃそういうこともあるだろ」とたいていの人は納得すると思うのだが、筆者は納得しないのである。彼はデヴィッド・ホームズの実験を紹介してそれがいかに間違っているかを説明する。 被験者にまず自分の欠点を挙げてもらった。次に、彼が他人の欠点をどう思っているかも挙げてもらった。また、知人・友人にも被験者に対する評価も挙げてもらったのである。結果、友人から指摘された欠点を被験者が他人に投影している例は全く見られなかった、というのだが、さて、この実験が実験として成立していると言えるだろうか。こんな杜撰な実験で「投影はない」などと結論付けちゃいかんのじゃないか、と誰でも気づきそうなものなのだが。 「あいつはおっちょこちょいだよな」 「そりゃお前のことだろ」 こんな会話を友人間でしたことのない人間はいないだろう。ネット上の論争でも「そのセリフそのままお前に返すぜ」というパターンは実に多い。みんな「目糞鼻糞を笑う」例はいくらでも知っている。 「投影」はコムズカシイ心理学用語のなかでも一番理解しやすいものの一つである。「投影」は現実にあるのだ。なのになぜこの実験では被験者が他人に「投影」をしなかったのか。被験者が想定した「他人」に自分の中にあるような欠点が発見できなかったか、あるいはこんな「あなたの欠点と他人の欠点を挙げて下さい」と言われれば、それが何の目的で行われてるかを被験者が気づいてあえて投影を行わなかった、と考えるのが妥当だろう。こんな実験は何の証明にもなっていないのである。 一つ一つの例を詳しく見ていくとキリがないのだが、「心身症」も「多重人格」も全てウソ、心理療法はプラシーボ(偽薬)効果以上の効果を上げていない、などと断定されると、そりゃなんぼなんでも言い過ぎやがな、と反証を挙げたくなってしまうのである。「臨死体験」や脳に関する「10パーセント神話(=脳の90%は使われていない)」「右脳左脳」などに疑義を提するあたりが納得できるだけに、我田引水的な部分が結構目立つのが残念なのである。
DVD『マジンカイザー 死闘!暗黒大将軍』。 第2シリーズが作られるとばかり思ってたのだけれど、結局1時間のスペシャル完結編でおしまい、ということなのかな。ブロッケン伯爵、ピグマン子爵、ヤヌス侯爵は未登場のまま、私が一番好きな原作エピソード、「ドナウα1」(考証的には正しくても「ラインX1」にしちゃダメなんだよう)も映像化されないままだから、ホントはここで終わってほしくはないんだけど。 地獄大元帥でもう一本、ということも考えられなくはないけれど、ミケーネの七大軍団は使い切っちゃったし、スケールダウンするのは否めないものなあ。テレビシリーズだって闇の帝王との決着はつかないままだったから、まだまだ未消化な印象は否めないのである。 けどマジンガー軍団の敗北、もりもり博士の死、ゴーゴン大公の甲児暗殺作戦など矢継ぎ早にエピソードを畳みかけて暗黒大将軍との一騎打ちに持ちこむまでの勢いはよくぞやってくれた、と感激ものである。やっぱり原作のエッセンスをちゃんと使ってくれるのが一番いいのだ。 『マジンガー』には出演していない永井豪キャラとして、リッキー(ちい子先生)、パイロット(悪馬尻直次郎)、欧州連合軍の隊長(雷沼教授)がゲスト出演。そのへんはサービスなんだろうけれど、暗黒大将軍の声は映画版の小林清志氏でもなければTV版の緒方賢一氏でもなく、飯塚昭三氏。ゴーゴン大公も加藤修氏ではなく長克己氏。どちらも悪くはないけど、オリジナルメンバーでというコンセプトが崩れちゃってるのは残念。
2002年07月22日(月) 角川+大映=…?/『楽勝!ハイパー▽ドール』vol.2(伊藤伸平)/『スレイヤーズすぺしゃる⑲ るなてく・へすてばる』(神坂一)ほか 2001年07月22日(日) 愚か者の舟/『ハッピーマニア』1巻(安野モヨコ)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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