無責任賛歌
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2003年06月14日(土) |
健康じゃないけどとりあえずは……/『名探偵コナン 特別編』19巻(青山剛昌・山岸栄一) |
昨日の『日本庭園の秘密』の続き。
また、クイーンの映画に関する趣味がそこここに見られるのも嬉しい。 エヴァを取り合う二人の男、スコット医師とテリー・リングは、一方が知的なダンディ、一方が野卑な乱暴者と好対照だが、スコットは作中、エヴァに向かって、「レスリー・ハワードとかクラーク・ゲーブルにうっとりすることは?」と聞く箇所があるのだ。 もちろんこの二人の役者は、1939年の映画『風と共に去りぬ』でハワードが知的なアシュレーを演じ、ゲーブルが野性的なレット・バトラーを演じているが、マーガレット・ミッチェルの手になる原作小説が出版されたのがまさしくこの『日本扇の秘密』の出版されたのと同じ、1936年なのである。この小説は出版当時から映画化が決定しており、誰が誰の役を演じるかが巷間、噂されていたのだが、さて、この二人の名前が登場しているのは果たして偶然の一致かクイーンの慧眼か。
ついでだけれど、映像化されたエラリイ・クイーンについて。 最初の映像化は1935年の“The Spanish Cape Mystery”。もちろん『スペイン岬の秘密』の映画化である。エラリィ役はドナルド・クック、監督はルイス・D・コリンズ。レナード・マーティンのビデオガイドによれば☆☆1/2。結構評判はよかったようだ。 続いて、1936年の“The Mandarin Mystery”。原作は『チャイナ・オレンジの秘密』。エラリィ役はエディ・クィラン、監督はラルフ・スタウブ、どうやらコメディ仕立ての映画になっていた模様だが、当時の探偵ものはだいたいそういう感じのものが多かったようだ。クイーンが後に映画化をしぶるようになるのもこのあたりに理由があるのかもしれない。 三人目のエラリィが一番有名で、シリーズ化もされた。近年まで『大逆転』や『プリティ・ウーマン」などにも顔を見せていたラルフ・ベラミーである。 “Ellery Queen, Master Detective”(1940/カート・ニューマン監督。原案は『日本扇の秘密』だけれど、キャラクター名は変えられ、もちろん日本的なものは一切登場しない) “Ellery Queen's Penthouse Mystery”(1941/ジェームズ・ホーガン監督。以下同じ) “Ellery Queen and the Perfect Crime”(1941/原案は『悪魔の報復』) “Ellery Queen and the Murder Ring”(1941/原案は『オランダ靴の秘密』) の四本が制作、これは全て映画用にクイーン自身が脚本を書き下ろしたもので、マーガレット・リンゼイ扮する女探偵ニッキー・ポーター(この名前が『ジゴマ』に登場する探偵ニック・カーターをもじっているのは明白。クイーンはニックものの映画化も手がけたことがある)とコンビを組む形が作られた。とは言っても、実はその前年のラジオドラマ化でニッキーは既に登場しているのだが。片岡千恵蔵の多羅尾伴内、金田一耕助シリーズに、助手として女探偵がいつもくっついてるそのルーツはこのあたりにあるだろう(『影なき男』シリーズは夫婦だしな)。 後に最初の三作は小説化され、それぞれ『消えた死体』『ペントハウスの謎』『完全犯罪』と題して『エラリー・クイーンの事件簿』に収録されたが、実はこれは全て代作者の手になるもの。原案作品と読み比べてみるのも一興だろう。 リンゼイのニッキーは変わらず、監督もホーガンのまま、エラリィ役者だけをウィリアム・ガーガンに変えて、更に三作、“A Close Call for Ellery Queen”(1942)、“A Desperate Chance for Ellery Queen”(1942)、“Enemy Agents Meet Ellery Queen”(1942)が作られる。 これら戦前作品はみな日本未公開。全て日米の関係が悪化した時期の作品だから仕方がないのだが、これだけの作品が作られていて、戦後になっても一本も輸入がなかったというのは不思議ですらある。 各役者の当時の写真を御覧になりたい方は次のサイトをどうぞ。でもどいつもこいつも鼻眼鏡付けてないんじゃ、エラリィとは言えないよね。 http://www.mindspring.com/~mkoldys/movies.htm
エラリー・クイーンの活躍は、戦後はテレビに舞台を移す。 こちらは数が多いので、とても書ききれない。でもそのほとんどが日本未輸入。詳細は次のサイトでご参照下さい。 http://www.mindspring.com/~mkoldys/episodes.htm ここに紹介されているテレビ作品のうち、日本で紹介されたのはピーター・ローフォード主演の“Ellery Queen: Don't Look Behind You”が『青とピンクの紐』というどうしょうもないタイトルでテレビ放映。原作は『九尾の猫』である。ジム・ハットン主演のテレビシリーズも放映されたはずだが、私はいずれも未見。見ても多分つまんなかったんじゃないかな。刑事コロンボのオリジナルスタッフであるウィリアム・リンクとリチャード・レヴィンソンが制作してたのだが、さて、倒叙ものでないミステリだとあの人たち今一つだからねえ。それにどうやら現代に時代を移してるらしいのもマイナス要因なんである。
映画に戻って、『十日間の不思議』がフランスで“La Decade prodigieuse(「異常な10年間」英題/Ten Days' Wonder)”として1972年に映画化。なんと監督はクロード・シャブロルである。オーソン・ウェルズやアンソニー・パーキンスも出演していて、見てみたいのだが、これがまた日本未公開。フランス映画なので、エラリィもフランス人に置き換えられ、「ポール・レジス」という名前になっている。演じるのはミッシェル・ピッコリ。 そして今のところクイーン最後の映像化は、1979年、「エラリー・クイーンが映画になる」のキャッチコピーで本邦で映画化された野村芳太郎監督作品『配達されない三通の手紙』(原作は『災厄の町』)。考えてみたら、クイーンの映像化作品を私はこれしか見ていない。 当時は松坂慶子のセミヌードがやたら宣伝に使われていて(後に『青春の門』や『火宅の人』で完全ヌードを披露するようになるが、このころはまだ出し惜しみしていた)、パンフの裏表紙も全面、胸を隠した松坂さんのヌードであった。こういうことは細かく覚えているのである(^_^;)。 エラリー・クイーンに当たる探偵役はボブ(名字がわかんねえんだよ)というハーフの留学生の青年という設定で、演じていたのは蟇目良。その二年前、朝の連続テレビ小説『風見鶏』で、新井春美の相手役をさわやかに務めていてある程度顔が売れてはいたが、外国作品が原作だから外人を探偵にしたのかと、当時はその安易さに鼻白んだ人も多かったと思う。今だったら黒田アーサーにやらせるのか。ヒロインが安達祐実だったらお笑いになるぞ。 映画は原作よりも随分アッサリした作りになっていて、犯人もトリックも簡単に割れる。脚本の新藤兼人が本格ミステリの書き手としてはあまり妥当ではなかったせいだと思う。『事件』の時はよかったんだけどなあ。 それでも佐分利信・乙羽信子・小川真由美・栗原小巻・神崎愛・片岡孝夫(片岡仁左衛門)・渡瀬恒彦・竹下景子・米倉斉加年 といった演技派の好演に助けられて、地味な印象の強い野村作品の中では珍しく豪華な印象を与えていた。DVDが出れば絶対買うんだがなあ。
つい長々と書いてしまったが、若い読者にとっては細かいウンチクはともかく、今回の新訳は「読みやすくとっつきやすい」だろう。ハヤカワ文庫版でクイーンのほぼ全作品が新訳で読めるようになったことは素直に喜びたい。 もっとも、本来のエラリィ・クイーンであるマンフレッド・リー(本名マンフォード・レボフスキー)とフレデリック・ダネイ(本名ダニエル・ネイサン)の従兄弟が二人で合作していたのは1958年の『最後の一撃』までで、ブレインであるリ―が引退してからは、執筆者としてしか関与していなかったダネイは「EQ」ブランドのプロデューサーとなり、それ以降の作品はすべて代作とならざるをえなかった。1963年の『盤面の敵』などはシオドア・スタージョンの作なのである。 それはそれとして、クイーンの作品は私も未読のものが多いから、これから読んで行くに吝かではないのだが、まだ一度もクイーンを読んだことがない、という方には、とりあえず『Xの悲劇』と『Yの悲劇』をお奨めする。もっとも探偵エラリィは出てこないんだけど。
マンガ、青山剛昌原案・山岸栄一漫画『名探偵コナン 特別編』19巻(小学館/てんとう虫コミックス・410円)。 最近は、特別編のほうがお話自体は青山さん自身が描いてるものより出来がよくなってきてるような。画力を比較するとアシスタントさんたちが描いてるのはまだまだなんだけどね。 もちろんご都合主義はどの話にもつきものだし、トリックに無理があるものも多いんだけれど、「てんとう虫コミックス」だからと言って、手抜きはしないように、という配慮が働いてきているのではないか。昔ほどチャチなトリックが少なくなってきているのである。 本編でも数少ない倒叙推理もの、「名探偵VS完全犯罪」などはもう少しページをあげて、じっくり描いてほしいくらい緊迫感がある。青山さんもウカウカしてると、アシストさんたちに足元救われちゃうぞ。 それにしても『コナン絶体絶命』で強盗犯に撃たれた阿笠博士、なんで助かったんだ?
朝方、しげに眼科まで送ってもらう。 精密検査は点眼して瞳孔を開き(ルパンがデジレに変装するときに使った手だな。今もアトロピンを使ってるのかどうかは知らないけど)、医師が光を当てて中を覗き込むという、考えてみれば随分アナログな検査である。 糖尿でない人はこの瞳孔が20分ほどで簡単に開くのだが、糖尿病者の場合、これがなかなか時間がかかるのである。私も1度の点眼では効かず、2度点眼して結局は30分以上、目をつぶってじっと待っていなくてはならない。この間、悪い想像ばかりがアタマを経巡って、精神的によろしくないこと甚だしい。 しげは鴉丸嬢と舞台の小道具類を買い物するというので、私の検査中に彼女を迎えに行く。 待機中、目をつぶっていても左目にかけてチックが起こる。しばらくこんなことなかったのになあ。 ようやく瞳孔が開いてくる。目の前のものが白く反射し出してまぶしい。 土曜日ということもあるのか、小さな眼科なのだけれど、待ち合いには患者さんが4、5人。ちょっと待たされて、やっと呼び出される。それでも自分では瞳孔が開ききってないような気がする。 何やらごっつい機械にアゴを乗せ、まぶしい光を当てられ、目を覗かれる。その間、「右見て、もっと右、上見て、真っ直ぐ見て、瞬きしないで、左見て、左下見て、まぶしいの我慢して、下見て」とうるさい注文。でも唯々諾々とするしかない。 検査が終わって、医師が首を傾げる。「念入りに見たんですが、前回の結果にあった白斑も眼底出血も見当たりませんねえ」 「それは異状なしってことですか?」 「異状はありますよ。ヘモグロビンA1Cが高過ぎます。いつ出血してもおかしくありません。そうなったら糖尿はもう相当進行してます」 「写真に映ってたってのは間違いでしょうか」 「わかりませんね。念のため、2ヶ月後に来て下さい。2ヶ月間隔で検査していったほうがいいでしょう」 以前は「1年に一回でいいですよ」と言われていたのが随分短縮されたものだ。ホッとした反面、油断は禁物ということなのだろう。
待ち合いに戻ってほどなく、しげと鴉丸嬢が迎えに来る。 見えない目でムリヤリ雑誌を読んでいたので、「なんだ、目ぇ見えるんじゃん」と鴉丸嬢が拍子抜けしたような声。もちろんメガネをかけていてはまぶしすぎるので、裸眼で雑誌に目を当てるようにして光を遮断して読んでいたのである。 「そうまでして本を読むか」と呆れられたが、それが常識というものだろう。だから本や映画に関しては私は非常識を通してるんだってば。 けれど、さすがにそろそろ本格的に世界がまぶしくて目を開けるのが辛くなってきたので、しげの肩に手を置いて薄目を開けて、車まで案内してもらう。 しげ、「ヘンなのが肩に手を置いてるみたいで気持ちが悪い」と本当にイヤそうな声を出す。ヘンなのって何なんだよ。
昼飯の弁当をコンビニで買ってもらって、私は帰宅、しげたちは買い物に出発。 飯はお握りとハンバーグ。やっぱり薄目を開けて食べる。そのあとは、どうせ目を開けてはいられないので、そのまま昼寝することにする。
起きると午後の2時。帰宅したのが10時半ごろだったから、3時間ほど寝たことになる。ちょうど直後にしげも帰宅。しげはこれから夜の映画に向けて昼寝である。しげは夕べもバイト先の人たちとカラオケ三昧だったので、あまり寝ていないのである。 その間、私はチビチビと日記を書き進める。 6じ過ぎになってしげを起こすが、寝惚けたしげ、自分がなぜ起こされたか、まるでわからない。 「なん、どこ行くと?」 「映画に行きたいって、自分が言ってたじゃん」 「なんの?」 「テリー・ギリアムの新作!」 なんだかよくわからないままに慌てて起き出すしげ。なんとか車にすべりこんでようやく正気に戻るが、時計を見て、「なん、時間まだあるやん。慌てて損した?」と私に聞く。 「ギリギリに行ったら焦るくせに。時間はちょうどよかろうが」 「いきなり起こされたけん、寝惚けとったとよ」 起きてる間だって、ずっと寝惚けてるようにしか見えないんだが。
長くなったので、この続きはまた明日。なんかどんどん先送りになってくなあ(^_^;)。
2002年06月14日(金) 狂ったヒトふたり。片方は軽いけどね/映画『模倣犯』 2001年06月14日(木) ミステリー波止場の片足/『あひるの王子さま』1巻(森永あい)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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