無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年06月04日(水) 無知の巣窟/『美女で野獣』2巻(イダタツヒコ)

 夜中(っつーか朝か?)、帰宅したしげがいきなり私を叩き起こす。
 「アタマ上げりぃ!」
 寝惚けたまま、なにがなんだかよくわからず、「ふぁ?」と声を上げる私。
 いきなり枕を蹴飛ばされて、頭がガクンと落ちる。
 「な、なにすんだよう!」
 と頭を起こしたら、すかさずしげが何かを私の頭の下に滑りこませた。
 しげ、「ふんっ!」と鼻息をねずみ男のように吹かして、私の頭を「それ」に押しつける。沈みこむような感覚。
 そこでやっと気が付いた。
 これはしげが「買いたい」と言っていた「低反発枕」とかいうしろものである。父の日のプレゼントに、とか言ってたが、自宅用にも買って来たのか。
 なるほど、確かに今までの枕とは感触がひと味もふた味も違う。どう言ったらいいのか、柔らかめの土の中に沈みこんでいく感触とでも言えばよいか、まるで頭の鋳型を自然に取られているような感じである。もちろん、それが「気持ちいい」のだ。
 まあ、しげも買って嬉しいのは分かる。でも寝てる私を叩き起こす必要はないじゃないの。どうして起きたあとで見せるってことをしないのかなあ。


 「噛みつき魔」こと、フレッド・ブラッシー死去の報。
 この人と力道山との流血試合をテレビで見てショック死したおばあさんがいたとかいうのが伝説となっているけれども、テレビ創世記ならそんなこともありうるよなあ、と納得できちゃうくらい、昭和30年代のテレビの持つ意味あいは、現行のそれとは大きく違っていたのだ。
 なんたって「プロレス」がゴールデンタイムに放送されてたころである。テレビはそこにそれがあるだけで「刺激的」であった。どこにでもある、「惰性」で流される番組なんて一本もない時代だった。
 一人の悪役プロレスラーが死んだというより、また一つ「テレビの黄金時代が終わった」と感じる人も多いことだろう。


 唐沢俊一さんの「裏モノ日記」に、黒澤明の『天国と地獄』に関する以下のような記述を見て、ちょっと首を傾げる。

> 北野武が、黒澤明に招かれて、“『天国と地獄』の、間違えて違う子が誘拐されるのがいいですね、面白かった”と言って恥をかいたことを書いていた。まあ、確かにあの映画の原作がエド・マクベイン『キングの身代金』であることはほとんどの映画ファンが忘れていることだが。しかし、世の黒澤ファンたちがあの映画を持ち上げるあまり、ことさらに原作を“つまらない作品”“あまり大したことのない作品”とけなし、“そこからあれだけの映画を作り上げた黒澤は凄い”という風に話題を持っていくのには腹がたつ。

 「ほとんどの映画ファンが忘れてる」って、普通そんなヤツは「映画ファン」とは言わないと思うがなあ(^_^;)。まあ、私も映画ファンのハシクレではあるが、『天国と地獄』がマクベイン原作であることを忘れたことはないし、私の知る限り、知人でそのことを知らない人間もほとんどいない。だいたいネットで『天国と地獄』を検索すれば、たいてい「これはマクベイン原作で」と注釈が付いている。どう考えても「ほとんど」じゃないよなあ。
 「忘れられてる」ということで言うなら、『酔いどれ天使』の原作が菊田一夫の『堕胎医』であることの方が「忘れられ率」は高いと思う(読みたいヤツはウチに来な)。
 唐沢さんの日記を読んでると、時々「今時こんなことを知ってる(気にする)のは私くらいのものか」といったような記述が目につくが、たいてい私も知ってることばかりである。なんだか孤独感と言うか寂寥感を感じさせる表現だけれど、唐沢さんの周辺にいる人間って、そんなにモノシラズなバカばかりなんだろうか。
 『キングの身代金』についても、「つまらない」という意見を誰がどの口で言ってるのか、所詮は若造の青二才の半可通の、ミステリをマトモに読んだこともないスットコドッコイの言質としか思えない。そんなやつらが本当に「映画ファン」だの「黒澤ファン」だのと言えるのだろうか。
 私も87分署シリーズはそんなに読んではいないが、さすがに『キングの身代金』くらいは読んでいる。黒澤明脚色を除いてもあれはなかなか面白かった記憶がある(随分昔なんで、細かい内容を忘れてるのはいつものことだが)。テレビシリーズの『87分署シリーズ・裸の街』(古谷一行がスティーブ・キャレラ、田中邦衛がマイヤー・マイヤーだった)でも前後編で映像化されているくらいの、シリーズ中でも特に人気の高い、傑作の部類に入る作品なのだ。別に黒澤が映画化したから傑作になったわけではない。マトモな鑑賞眼を持った人間なら、「つまらない作品」などと切って捨てられるはずがないのである。
 この誤解には、黒澤明自身が「エド・マクベインの小説はほんの一部分を借りただけです。誰をさらおうとも脅迫は成り立つというあの思いつき、あれがすばらしい着眼だったので、そこのとこだけもらったんです」と述べている点に原因があるのだと思う。この言い方だと、原作を読んだこともなくて短絡的なオツムしか持ち合わせていない人間なら、「他の部分はつまらないんだな」と思いこんでしまうだろう。
 当たり前のことを真面目腐って口にするのも気恥ずかしいが、全く、「貶すならまず読んでからにしろ」なのである。

> ネットの映画サイトでも、『天国と地獄』をコトコマカに批評家ぶって分析しながら“原作は読んでません”などとツラリと書いている人が多いのには呆れる。ただ見るだけならいいが、一応批評めいたことを書こうというなら、原作くらい読んでおかないとたけしのように恥をかく。

 ネットに参加する人間の知的レベルが著しく低いのは、某SF秘密基地の定連を見ていても分かる。チェック機能の働かない、書きたい放題の映画サイトに集まってくる連中など、無知な上に恥知らずの塊みたいなやつがほとんどである。そいつらを基準にイマドキの連中を語られてもなあ、とは思うが、そいつらに「分を知れ」と言ったって、聞く耳なんか持ちゃしない(持ってりゃ、SF秘密基地があんな惨状になりはしない)。実際にそういう有象無象がはびこるのも、ネットの避けられぬ弊害なのだ。
 バカの淘汰は不可能としても、「指摘」だけはしておかないと、バカが増殖する。唐沢さんにはやっぱり「小言幸兵衛」になってほしいんだけど、そこまで老けこみたくはない、と思ってらっしゃるのかなあ。


 その「無知の巣窟」、某SF掲示板であるが、しばらく覗いてなかったが、いつのまにかまた、いくつもの香ばしいスレッドが立ちまくっている。
 洋モノの特撮・テレビ番組の翻訳の名訳・迷訳のスレッドの中で、『刑事コロンボ』の翻訳について、某作家さんが戸田奈津子と額田やえ子を取りちがえた挙句、「コロンボはキリストのカリカチュア」などとトンチンカンな批評をしているのを見つける。
 さすがにこれには「あれは『罪と罰』のポルフィーリィ判事がモデルなんですよ」とツッコミが入ったが、コロンボファンには周知の事実をその作家さん、ご存知なかったようなのである。
 一応、コロンボをキリストに見立てること自体は面白い見方だし、不可能だとも断言しないが、そもそもミステリにおける「探偵」が主役ではなく「狂言回し」に過ぎないことは自明のことであるし、だからこそ「神」に例えられるのは別にコロンボに限ったことではなかったのである。私生活が明らかになっていない探偵なんて腐るほどいる。「隅の老人」もキリストのカリカチュアだと言うつもりかね(^o^)。
 「そう断言できる」というのと、「そう解釈することも可能だ」ってのをとっちがえちゃいけないんである。
 その作家の方も、随分トンデモ擬似科学を批判されてる方なんだけれども、自分が思いこみっつーか妄想にとらわれちゃシャレにならんと思うんだが。
 ついでに言っておけば、額田さんの訳を「名訳」と称える人も多いが、それも原典に当たらずにイメージでモノを言ってるだけの「錯覚」である。「my wife=かみさん」と訳したってだけで名翻訳家に仕立てあげるのは、いくらなんでも乱暴ってものだろう。実は額田さんの珍訳の多さは、戸田奈津子に勝るとも劣らないのだ。そのいくつかはこの日記でも指摘しておいた。
 プロがものを調べないで放言するようになるんだから、ネットはやっぱり参加する者の常識を狂わす「何か」があるのではないか。こんな言い方すると、いかにも「ネットの幽霊」なんてアヤシゲなものがいそうに聞こえて、話が一気に胡散臭くなっちゃうけれども。
 他のシロウト衆のトンチンカンぶりは今に始まったことではないので、今更いちいち指摘しないけど(『あずまんが』関連のスレではもう読んだだけで萎えちゃったけどさ)、これはプロの方の書きこみだったんで、つい文句つけちゃいました。またたまに覗くだけのROMに戻ります。


 『キカイダー01』のDVD−BOXが発売されることになったそうであるが、既発のDVDに大幅な新作画を加えた上に、原作の『イナズマン』中の短編『ギターを持った少年』を完結編として付加するとか。ああ、また、そういうアコギなことしてくれるし。
 結局、前の分のDVDが「未完成品」だったってことじゃないのよ。テレビシリーズで一編放送したものがスケジュールの関係で未完成品だったなんて事件はもう日常化しちゃってるが、OVAがハナからツクリが適当だったなんて、客を舐めてないか。
 え? じゃあ、そんな制作会社のインケツなやりくちに反対するのなら、DVD‐BOXは買わないかって?
 それはもちろん(以下自粛)。


 広島アニメーションフェスティバルの事務局から、「アニメーション作品を出品しませんか?」と手紙が届く。
 昔しげと参加して、ワークショップで見よう見まねで一回だけヘタクソなアニメを作ってみたら、こうして毎年案内が来るのだ。
 ったって、今や『ほしのこえ』なんてのが作られる時代に、今更私ごときが何を作れますかってねえ(^_^;)。「国際」フェスティバルなんだよ? それとも私みたいなのにまで声かけなきゃならんほどに出品作が減ってきてるのかなあ。まあ、ホントは単にかつての参加者全員に宣伝のつもりで送って来てるだけだろうけれども。
 でもほんの遊びで、5秒ほどのアイデア一発勝負のでアニメを作って、ホームページに載せたいとは思っているのである。そういう機能もビルダーには付いてるみたいだし。まあ、これも遠い夢ではある。


 マンガ、イダタツヒコ『美女で野獣』2巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。
 オビの推薦文が加藤夏希である。これだけで「買い」だね(^o^)。
 いやまあ、ナカミは1巻同様、「女の子の地下プロレス、ちょっとえっちあり」ってだけの話です。まあ、それだけだからリクツなんてこねくらずにすんで楽しいんですが。

2002年06月04日(火) 日常ってつまんない?/『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』1巻(安彦良和)/『ヒカルの碁』17巻(ほったゆみ・小畑健)ほか
2001年06月04日(月) Nobles oblige/『韃靼タイフーン』1・2巻(安彦良和)



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