無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年02月20日(木) 「歩き目です」(^^)/『名探偵コナン』40巻(青山剛昌)/『浪費バカ一代』(中村うさぎ)/『コレデオシマイ。』(山田風太郎)ほか

 韓国・大邱(テグ)市の地下鉄放火事件、死者は結局53人に登ったそうな。
 ……さほど満員でもなかったはずなのにちょっと多いすぎるんじゃないか。
 安全管理がもちっと何とかなってりゃ、ここまで被害は増えなかったろうって意見は多いようだけれど、それは確かに間違いないところだろう。ニュースを見てると、あそこの地下鉄の建材、「どうぞ燃やしてください」と言わんばかりの材質だったらしいし。
 でも、いくら耐火建材を使ったり、駅員を増やして安全対策を取ったりしても、基本的に地下鉄って密室なんだから、死者ゼロってわけにはいかないだろう。っつーか、地下鉄に限らず、バスも電車も飛行機も船も、いや、乗り物だけではなく、ビルだのビルだのビルだの(^^)、ありとあらゆる建造物は近代化されるたびに「密室化」されていっている。時と場所を選んで、その気になりさえすりゃ、大多数の人間をいくらでも巻き添え食らわせて、監禁したり殺戮したりが自由な状況になってしまっているのだ。
 こういう「近代的」犯罪の何が怖いかって、「家」の「安全性」ってのが、もともとは「外敵から身を守る」目的であったのに、気がついてみたら、「内部に敵がいた」からなんだね。
 子豚さんたちが、一生懸命レンガの家を作ったら、狼さんはいつのまにか中に入ってて、逃げられなくなった子豚さんたちはみんな食べられてしまいました……ってヤなたとえだなあ(ーー;)。
 でもおかげで最近は映画のネタには事欠かない(^_^;)。
 今、考えてみたら、『七人の侍』なんてのはのどかなものであった。冒頭、盗人が立てこもったのはたかが一軒の百姓家だし、人質に取ったのも赤ん坊だけ。盗人役がそもそも東野英治郎だから、そのスローモーションもどこか滑稽。
 それが今や、『マシンガンパニック』(新しくないか)だの『ダイハード』だの『スピード』だの『エアフォースワン』だの、場所はデカくなるばかりだし、人質の数は増えりゃ増えるほどいいし、何人かは人質にも死んでもらわなきゃならないって、まるで規則で決まってでもいるみたいに安易に殺されていく。
 いや、フィクションの中で大量に人が死ぬのを不謹慎だと言いたいわけじゃないよ。虚構はあくまで現実の鏡であるので、たとえそれがエンタテインメントであろうと、それは現実への警鐘となるってこと。近代化が便利なのは分るけど、こんな事態になったらどうするの? と社会に問題をつきつけることだって、フィクションにはできるのだ。

 今日になって、放火容疑で拘束された無職の男(56歳だってよ)が、犯行動機は「一人で死ぬのは悔しいので他の人たちと一緒に死のうと考えた」って供述を始めたらしい。男は身体障碍を抱えていて、「手足が不自由になり前途を悲観して今回のことをやった。こんなふうに生きても仕方ない、死ぬ方がましだと考えた」と語ったんだとか。
 ……一人で死ねや(--#)。
 こんな下らん理由で、しかもたかがガソリンにちょっと火をつけただけの楽な行動で、人が56人も死ぬのである。
 アンタねー、「津山三十人殺し」の犯人があれだけの人間を殺すのに、いかに時間をかけて頑張ったか(^_^;)。人の命を取ろうってのに、近代社会以前ではそれなりの努力が必要だったのである。
 もーね、安全対策を本気で考えるなら、ただ防衛に徹するってんじゃなくて、相手はもう無差別に人を殺そうってんだから、犯人にもそれ相応の努力を強いられるようにするって発想を盛りこまないといけないんじゃないか。
 火気を察知した途端に釣り天井が落ちてくるとか(客も死ぬって)。
 具体的には警備員を雇ってボディーチェックを地下鉄でも行うとか、そういうことしかできそうにないけど、それも人件費がかかっちゃうんでできないとか、現実的な障碍があるんだろうなあ。結局は「何があっても仕方がない」って覚悟で生活するしかないんだろうね。


 そういう騒動があったということを私は全然知らなかったのだが、「ほび〜しょっぷ・デジラ」というところが販売していた「目玉おやじキット」が、レゴジャパンからの要請を受けて、販売休止に追いこまれていたのが、このほど販売再開になったとか。
 そもそもは、このキットの作者さん、「MINDSTORMS」というLEGO製品の「目玉パーツ」を使って、「目玉おやじロボット」を作ってみた。できてみると、とても出来がよかったものだから、水木しげるさんの許可も得て、前記の「デジラ」さんに持ちこんで販売してもらうことになったのだが、予約を取った時点で、レゴからクレームがついた、という経緯のようだ。
 それからどういう紆余曲折があったかは分らないけれど、そう間を置かないで正式販売が決定、「世界最小・最軽量の歩く二足歩行ロボット」のお披露目となったわけである。
 まあ、ホントに「目玉おやじ」に似てるかどうかは御覧になった方の判断に任せるとして、一度クレームをつけはしたけれども、自社の製品を材料にして別のモノを作っても問題はない、と判断したレゴジャパン、立派だなあと思うのだ。法律的なことは詳しくないからよく分らないが、係争に持ち込もうと思えばできるケースだとは思う。改造バイクは違法だし(←問題が違うって)。
 いったんは販売中止をしたのだから、少なくとも作者や販売会社も、レゴの権利を侵害しようという意図はなかったわけである。ほかの名前で売ることもできたのに、ちゃんと水木さんの許可を得たあたりも誠実でいいと思う。
 こういう権利上の問題は、たいてい泥沼化するものだから、こういった形で事態が収束したことは素直に喜ばしく思う。世の中、みんなこんな風にうまくいくものではないってことはモノ作りにかかわるものは絶対に考えておかなきゃならないことだけどね。
 値段が6800円かあ。チトお高いけど(それでも安く上げたそうである)、やっぱ、小さくても「オモチャ」じゃなくて「ロボット」なんだよなあ。そう思うと欲しくなっちゃうなあ……って、だから、これ以上私ゃ趣味は増やせないんだって(^_^;)。やっぱオタクを極めるには、おカネ持ちのお坊ちゃんじゃないとムリなんですねえ。

 当該サイトはココ。↓
 http://www.shirakawas.com/medama/


 中村うさぎ『浪費バカ一代 ショッピングの女王2』(文春文庫・500円)。
 オビで倉田真由美さんが「国民の一人として言わせていただきます。先輩、税金払ってください。」と書いてるが、中村さんの税務署との攻防は、まあ本人は読者に笑ってもらおうという気なのかもしれないが、たまにタイノーしつつも(^_^;)キチンキチンと税金を払ってる身にすれば、あまり面白くないのである。
 これが西原理恵子さんのように「税金なんぞ払わん」という潔い(^o^)態度でいてくれたら、かえって喝采を上げたくなるのだが、「払う気はあるケド、つい買い物しちゃったの。えへ♪」じゃ、いったい誰が同情するというのか。
 例えて言うなら、「黒澤明ボックス全巻買っちゃったんで、税金タイノーしま〜す♪」はまあ許せるけれど、「天空戦記シュラトボックス全2巻、計ろくまんえん買っちゃったので、税金マケて♪」ってのは許せないようなものである(どっちも許されねーって)。
 でも、病気だから仕方がないのかなあ。ホントに病気なんだろうかと疑わしくも思えるのだけれど、診断は出てるみたいだしなあ。それに、「叶美香と女王対決!」なんて、「そもそも向こうがアンタを相手にしてないだろう」って状況までギャグのつもりで書いてる様子を見てると、哀れすぎて非難する気になれないのである。
 こないだ姉の店に行ったときのことだが、ちょうど中村さんがテレビに出て借金まみれなことを嬉々として語っていた。それを見て、私が父に「この人、買い物依存症なんだよ」と説明したら、「馬鹿や」のヒトコトで終わってしまった(^_^;)。病人は今もなお世間ではなかなか理解してもらえないのである。


 マンガ、野中英次『魁!! クロマティ高校』6巻(講談社/マガジンKC・410円)。
 あー、これはもう、「学園不良ギャグマンガ」なんかじゃありませんね。
 今までにもフレディが出たりゴリラが出たりメカ沢が出たり、そのたびに不良たちは「アレは何だ?」と悩んでたわけですが、今度は高橋秀樹君が頭につけてるヘンなものや、なぜか教室にいるアザラシのアラちゃんについて悩んでます。
 まあ、不良はそんなことで悩みません。ましてや不良の友達どうしで語り合ったりしません。クロマティ高校の生徒たちは毎日悩んでますが、答えの出せないことについて悩んでいるので、そのうち、初めは謎だったものが、何となくウヤムヤになっていきます。
 で、また同じ日常が繰り返される、と。『サザエさん』か『うる星やつら2』か(^o^)。
 しげは「高橋秀樹が出たよ!」と喜んでます。ホンモノは「高橋英樹」ですが。


 マンガ、蛭田達也『コータローまかりとおる!L』巻之五(講談社/マガジンKC・410円)。
 表紙の女の子、忍者の格好してるけど、真由美だよな?
 功太郎のかあちゃんも同じ顔をしてるし、区別つかんわ(功流美が真由美に変装するという話が前にあったが、変装前も変装後も同じ顔なのであった)。
 『少年マガジン』本誌連載分は今巻で終わり。通巻91巻。もうちょっとで100巻だったのに、やはり『こち亀』への道はそんなに簡単なものではないか。一時期の勢いはなくなったとは言え(映画化はされたし、アニメ化の話は何度も浮かんでは消えた)、必ずしもそんなにつまんなくなったとは思わないのだけれど、長期連載による読者の「飽き」はどうしても避けられなかったんだろうなあ。
 「L」編は最終編らしく、コータローの身内に関わる物語が中心になっているけれど、狂死郎がフィーチャーされてるのもその一環か。シリアスな展開でもあくまで中心脚を駆使するあたりが相変わらずの狂死郎で嬉しいんだけれど、このキャラって、あくまで「シリアスにならない」のが命綱だったんだよねえ。それを、功太郎との回想シーンまで今ごろになって描いて、ちょっと感動ものっぽくするってのは、なんだか蛇足。作者も随分煮詰まってきてたんだな、って感じないわけにはいかない。
 それに、狂死郎を出すなら、由利栄先生もセットにして出してほしかったな。

 巻末にはデビュー前の『コータローまかりとおる プロト編』を収録。絵がヘタっていうこと以前に、中身はほとんど亜月裕の『伊賀野カバ丸』のパクリ。まあ、だれでも初めは模倣から始まるものだから、これを今までずっと封印してたってだけでも蛭田さんは良心的な作家さんだと思う。
 けど、「マガジン SPECIAL」に移籍ってことは、単行本の出るペースが今までよりずっと遅れちゃうってことだよなあ。ヤレヤレ、本当の完結まではいったいあと何年かかるやら。
 

 マンガ、青山剛昌『名探偵コナン』40巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。
 FILE.1からFILE.3までは高木刑事と佐藤刑事のラブコメ。笑えないけど。
 デート中の二人の中を妨害しようと、白鳥警部以下の佐藤刑事ファンが仕事そっちのけで監視体制を張るってギャグは、ありがちだけどまあ許せなくもない。
 けど、そこに麻薬取り引きネタをムリに絡めるものだから、話はおかしくなってしまう。
 アトラクションに乗ったときに、係員に預けた高木刑事のバッグと、麻薬の運び屋のバッグが取り違えられるってのがまず納得しがたい。「運び屋は中身がヘロインだと知らされてなかったから、係員にバッグを預けた」ってコナンは説明するけど、中身を知ってようが知っていまいが、運び屋がカネになるブツを人に預けたりはしないって。
 それからさあ、右利き左利きのネタ使うの、もういい加減でやめてよ。「右利きの人間はバッグは右肩に担ぐ」「このバッグは左肩側のベルトの穴が広がってるから、左利きの人間がしょってた」って、簡単に断定できんだろう。私ゃ右利きだけど、バッグはたいてい左肩で担ぐぞ。利き腕を自由にしてた方が便利だから。
 ……なんて考えてたら、ホントにコナン、あとで自分の推理を修正して、「野球選手は利き腕を自由にするために、その反対側の肩で担ぐ」だと(ーー;)。別に野球選手じゃなくてもそうしてるやつ、いくらでもいるってば。
 FILE.4からFILE.6まで、山に迷いこんだコナンたちが遭遇した殺人事件。
 えーっと、まずコナンたちを除いて、その家には父親と息子しかいません。で、父親が殺されました。犯人は誰でしょう。……作者、馬鹿?(確実にそうだな)
 一応、アリバイは作るんだよねえ、首吊り自殺に見せかけるために、紐を首に回したあと、被害者の口に噛ませる。被害者の口の力が尽きたら、天井からブラリ、というトリック。……中学生のころ同じトリック考えたなあ。でも私は小説にはせずにボツったよ。だって、被害者が一瞬で口から紐を離して落ちちゃったら、アリバイにならないもの。っつーか、絶対そうなるって。……バカトリックだねえ。
 FILE.7からFILE.9までは阿笠博士の初恋編。
 あの、青山さんはもう暗号ものはやらないほうがいいです。「ミステリ自体書いても仕方がない」とまで言わないのは恩情ね。
 折り返しで作者、「暗号が難しくなっちゃった」って書いてるけども、そもそもフサエが阿笠博士に暗号で自分の居場所を示さなきゃならない理由がないじゃないですか。
 まあ百歩譲って、フサエちゃんが暗号でアガサ君の知恵を試したかったとしても、よく偶然にも「野井」さんとか「蝶野」さんとか、暗号を作るのに都合のいい名前の人が近所に住んでましたね。これが「能登」さんと「入野(いれの)」だったりしたらフサエちゃんはどうしたでしょうか。
 ポーの『黄金虫』や乱歩の『二銭銅貨』なんかをまず読んでほしいものですね。


 山田風太郎『コレデオシマイ。風太郎の横着人生論』(講談社+α文庫・819円)。
 1996年に行われたインタビュー集。晩年の風太郎さんは、病気のために小説は書けなくなっていたが、こういうインタビューには時折応じていた。タイトルを見ると、これが最後のインタビューのように見えるが、このあと『いまわの際に言うべき一大事はなし。』『ぜんぶ余禄』と続くのである。
 毎回、喋ってることはまさしく風に流れて飄々と、いかにも風太郎さんらしいものばかりだ。死ぬならこんなふうにトシ取って死にたいって思うくらいに自然体でカッコイイ。
 風太郎さんが「小説を書くのは遊び。ストレスなんてたまらない」と語ってるのは有名な話だが、原稿用紙の桝目を一つ埋めるだけでもウンウンと苦吟している作家が聞いたら、目を丸くするだろう。実際に吉行淳之介は、この言葉を聞いて絶句したそうな。
 こういう姿勢でいるから、『忍法帖』シリーズをあれだけ多作できたのだろう。あんな奇想天外な物語は、しゃっちょこばらずにノビノビとした精神状態でないと書けないものなのだろうな、と納得。

 風太郎さんが珍しくも女優について語っているところがある。
 晩年、風太郎さんと高峰秀子とは親交があったそうだ。なんと高峰さんのほうが風太郎さんのファンだったらしい。風太郎さんがサイン本を贈ったら、高峰秀子は浅草の「麦とろ」のソバをお返ししたそうな。ソバってのが粋でいいねえ。私も食いたくなった(^o^)。
 「高峰秀子というのは不思議な女優でねえ。たいていの俳優は、若い時分は自分の職業を馬鹿にしたようなことをいっていても、年とると、俳優は修業が大事だとかいいだすんですよ。(中略)ところが、高峰秀子は、いつも自分の職業について馬鹿にしたようなことをいうんです。それでいて、名女優なんですよ、カンがよくてね」
 と評する風太郎さんもカンがいい。まさに高峰秀子の「粋さ」のツボをついているではないか。もちろん、高峰さんは、役者を本気で馬鹿にしているのではなく、あれは馬鹿にしなければ成り立たない職業なのである。
 まあ、役者に限らずとも、自分の職業に誇りを持っているなんてことを公言して憚らない人間なんて、トテモ信用はできないわなあ。
 あと、風太郎さんが挙げる名女優は、轟夕起子に大竹しのぶ。「動き出すときれいに見えるというのは名優の証拠。司葉子なんかは、グラビアはよくて動き出すとたいしたことはないんですよ」。見る目あるなあ(^^)。

 映画は見るのに、同時代の作家の作品を風太郎さんは殆ど読まなかったとか。
 「あんまり感心すると真似するから読まないといってるけど、本当は面倒臭いからですよ」。
 本当にそれが本音ではないだろうか(^_^;)。
 なんと、横溝正史まで殆ど読んでいないと言う。なのにその批評は的確である。
 「(戦前の作品を除けば)『獄門島』と『本陣殺人事件』くらいしか読んでいない。最近『犬神家の一族』など読んだけど、『獄門島』と似ているけど、『獄門島』よりだいぶ落ちるわ」。
 そうなんだよなあ。『犬神』を横溝正史の代表作のように勘違いしてる人も多いけど、あれ、作者が「タマにはラストを考えないで行き当たりばったりで書いてみよう」って、書いた実験小説なんだから。でも、「どう考えてもこいつを犯人にするしかないよな」ってことに作者自身も気づいちゃって、作品内で金田一耕助に「もうみなさんも犯人が誰かわかってると思いますが」って言い訳させちゃったくらい犯人がバレバレなんである。
 私も横溝正史は100冊くらい読んだから言えるけどね、人に奨めるなら、『鬼火・蔵の中(短編集)』『本陣殺人事件』『蝶々殺人事件』『獄門島』『悪魔の手毬唄』がベスト5。っつーか、あとはファンになるつもりじゃなきゃ、別に読まなくてもいい。逆に、この5冊を読まないで探偵小説を語ってほしくはないってところもある。
 山田風太郎さんは、実に「必要最低限」の作品だけ読んでいるのである。

 ……とか言いながら、山田風太郎のオススメ本を挙げるの忘れてたな。私のベスト5は、『甲賀忍法帖』『伊賀忍法帖』『くノ一忍法帖』『魔界転生』『妖異金瓶梅』。未読のやつもまだあるから、このベスト5は流動的です。
 風太郎さんが自ら作った戒名は、「風々院風々風々居士」。
 なんてかっこいいんだろう。

2002年02月20日(水) 福岡演劇事情/『KATSU!』1巻(あだち充)/『サムライ・レンズマン』(古橋秀之)ほか
2001年02月20日(火) 女房の家出/『× ―ペケ―』1〜3巻(新井理恵)ほか



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