無責任賛歌
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2002年02月20日(水) |
福岡演劇事情/『KATSU!』1巻(あだち充)/『サムライ・レンズマン』(古橋秀之)ほか |
福岡には「ももちパレス」という演劇・コンサート専門の劇場がある。 名前通り、百道(ももち)にあるんだが、「よかとぴあ」が開かれる前には、この百道ってとこ、ただの海水浴場で、そんなに年がら年中賑わってたとこじゃ無かった。 今やホークスタウンが出来て、福岡の集客率ナンバーワンかツーかってとこにまでなっちゃったんだけど、そうなる前から、私はときどきこの「ももちパレス」に行っていた。 もちろん、演劇の公演を見に行くためにである。 夢の遊眠社の『半神』の福岡公演もここで見た。あのころの野田秀樹はおもしろかったなあ。 東京の名だたる劇団が福岡公演を打つ時には、たいていここを使っていたのである。というか、20年以上前になると、福岡で演劇が上演可能なところと言ったら、少年文化会館(高校演劇大会の類はたいていここで上演される)か、福岡市民会館(歌舞伎や新派はここを利用することが多い)か、郵便貯金会館(現在のメルパルクホール福岡。単発の公演はここが多い)くらいしかなかったのだ。 しかもこれらは全て「演劇専門」というわけではない。 「ももちパレス」は、演劇人にとっては、「唯一」福岡で本格的な演劇を見せることのできる劇場だったんである。 しかし、今、福岡の演劇事情はぐっと変わった。 大劇場、といった感じの施設が、この20年で立て続けに建てられれていった。 博多埠頭の「福岡サンパレス」を初めとして、「大野城まどかぴあ」や、川端の「博多座」、住吉キャナルシティの「劇団四季福岡」。 「宗像ユリックス」はちょっと遠いけど(なぜか三谷幸喜の芝居はここが多い)。 これらと競合するのに、「ももちパレス」は福岡都心部からいかにも遠かった。なにも百道くんだりまで行かずとも、公演が打てるようになったのである。と宇今日の劇団は、こぞって福岡都心部に公演の拠点を移した。 必然的にももちパレスは寂れて行く。百道自体に客は集まっていたが、魅力のない芝居にまで足を伸ばす客は少なかったし、たまにいい公演をやっても、ホークスタウンに集まる野球バカどもは、演劇を見るような知性をカケラも持ち合わせてはいなかったのである。 で、ついに決まっちゃったわけだ。 ももちパレスの廃止が。 昨日、2月19日、特に公演があるわけでもないのに、仲代達矢・山本圭・栗原小巻の三氏が福岡市庁を訪れた。 ももちパレス存続の陳情である。 俳優座や無名塾、実は毎年のようにこの「ももちパレス」で公演を打ってたんである。 福岡に住んでる人でも意外と知らない人多いんだよねー。 理由は簡単。 平日、火・水・木の三日間とか、そんな集客率がいかにも悪そうなときしか上演しなかったからなんだよ。 どうして土・日を避けたかって? 避けたわけじゃない、土・日は予約がいっぱいで、公演打とうにも打てなかったんだ。 どこぞの婦人会の日舞の発表会とかのせいでな。 それでも仲代さんたちはしょっちゅう来てくれてたんだよ、福岡に。見に行きたくてもいけなかったけどさ。 なのに廃止だ。 あくまで「ももち」に拘ってた仲代さんたちが改めてほかの劇場を探すのには骨が折れる。下手をしたら、福岡公演自体を断念しなきゃならないことだってありえる(福岡にプロデュース公演は多くても劇団の巡業が少ないのは「ペイしない」ってのがやっぱり大きいんだよね)。 だから陳情に来られたというのも、おカネのことよりもなによりも、「福岡の人たちに芝居を見てもらいたい」っていう心からの気持ちなんだろうけど……。 いくら市に陳情してもねえ、いったん廃止が決まったものをそうそう取り消しはできないんじゃないか。 おそらく、というか確実に仲代さんたちの陳情は無視されるだろう。 政治的に動いてどうにかさせるってこと、演劇人はホントに不得意だ。
ちょっとおカネがはいったので、仕事帰りにしげとラーメン屋で食事。 なんの気なしに入った店だったけど、餃子とラーメンが意外においしい。 しかも、なんの記念日なんだかわからんが、この店、今日に限ってラーメンが半額! つまり、二杯食ってもおカネは一杯分! あのね、アナタ、300円のラーメンが150円で食べれるとですよ、こげなうれしかこつ、ありまっしぇん(T∇T)。 おかげで、つい、替え玉をしてしまう。 カロリーめちゃ高いのに。 ここんとこ確実に胴回りが太くなってんのに。 でもラーメン、うまかったんだよー。 餃子はしげにはイマイチだったみたいだけど。全くどうしてそんなに餃子にだけはウルサイのだ、贅沢者め。 ああ、次の検査の結果がコハヒ……(自業自得だっつーの)。
アニメ『ヒカルの碁』第十九局「ヒカルの実力」。 あっ、やっとヒカルのじーちゃん登場。 本当なら第1話で登場しとかなきゃならないのにカットされてたものな。もしかしたら監督交替って、そういう原作改変に対する抗議が強かったせいもあるのかも。 けどまたちょっと作画が荒れ出したな。 それでも各話ごとの差がそれほど激しくないから、まあ見れるけど。
コンビニに寄って、原作マンガの方も見てみるが、小畑さん、絵がさらにうまくなってるのがよくわかる。今の絵で連載初期のシチュエーションをもう一度描くとああなるのね。いやーアキラくん美しいわ。 原作者のほったさん、第2部のために韓国の取材をしてるってことだけど、やっぱりこれからは「ヒカルVSたくさんの棋士たち」編になるのかな。
夜、東京のこうたろうくんから「ジブリ美術館のチケットが取れたよ」と電話。 ははは、これでたとえシティボーイズのチケットが取れなくてもゴールデンウィークの東京行きは決定だ。 それはいいんだが、問題は交通費。 少しでも安く上げるにゃどうしたらいいかしげに調べてもらったんだが、ともかく連休を外せば一人いちまんえん以上得するんだそうだ。 つまり、東京には4月の27、28、29と行く予定なのだが、26日の夜に出かけて、30日の朝一番で帰れば、飛行機代がそれだけ浮くのである。 しげはそうしないか、としきりに誘うが、そうなると、30日に仕事を休まないといけなくなるし、はて、どうしたものか。 「あのさあ」 「なに?」 「そうやって、飛行機代を浮かせるのはいいけど、その分、宿泊費がかかるわけじゃん。それはどうすんの?」 「だから、飛行機代が安くついた分より安いとこに泊まるの」 「たいした差がないんじゃない? それなら前日に多少高くても早目に帰ったほうがよくない? 仕事前に休めるし」 「いいと? どこも回れんよ?」 「回れんも何も、俺が行きたいとこに絶対行かせてくれんやん。それじゃ余計にいたって意味ないし」 「そんならいいよ、一人で行けば!」 だぁかぁらぁ、そこでどうして拗ねるかなあ。 もっとも、その私の行きたいところが「神田神保町古本屋巡り」であることが問題なのかもしれないが。 ちょっとこの件はもう少し話がもつれそうである。
もう習慣になりつつある深夜のチャット。 なぜか今日は「貧乏メシ」話で盛りあがる。 「ご飯に醤油だけで食ってた」程度はみんな経験してるんだなあ。どうしてみんなそんなに貧乏。 私の場合、大学時代に貧乏だったのは、生活費を削って本と映画におカネをつぎこんでたせいなんで、同情には値しないんだが。 「カップラーメンを水だけで食う」とかもみんな実験してたんだねえ。でもあれ、まずいだけだから、まだ舐めるだけの方がましなんだけど。 「齧っちゃダメ、舐めるべし!」と書きこんだら受けた。 ……実践理性は純粋理性を凌駕するってか? 「ここのメンツはサバイバルになっても生き残れるなあ」の書き込みに、「でも健康管理ができずに死ぬ」のレスがついたのに爆笑。 このホームページを本にして売ったら売れるんじゃないかとの意見も出てたが、さて、管理者の方がそんなしちめんどくさいことをされるかどうか。 それに、こういう会話をだけに知られることもなく、参加者だけが共有する楽しみ、そういう一種の「特権意識」ってのも楽しかったりするんである。 例えて言うなら、悟りを開いた仏陀が、「こんなステキなこと、人に教えたくないな!」としばらく悟ったことを隠してた心理につながるような(聞くだにインケツなオヤジだな、仏陀って)。 「究極の贅沢」ってやつなんだよね。チャットって。
マンガ、あだち充『KATSU!』1巻(小学館・410円)。 ボクシングものかあ。 前にもやったぞ、『スローステップ』だったっけ。 また、二番煎じでいいのかあだち充……と言っても、今更あだち充がどう作風を変えればいいのかって言われりゃ答えようがないね、やっぱし。 実際、ちょっとでも「いつもと違う」ことしようとすると人気出なくなるものね、あだちさんの場合。 私の好きなあだち作品は『虹色とうがらし』と『いつも美空』だったりするんだが、前者が11巻、後者は5巻で打ち切られた。結構描いてるじゃんってことにゃならんのだよねー、なんたって20巻、30巻出すのがフツーの人だから。 で、この二作に共通してるのがSFだってこと。 別にSFとしてイマイチってほどでもないから、やっぱり「あだち充とSFのイメージが合わない」という読者の思いこみのせいで人気が出なかったんじゃないかなあって気がする。 でも、作家のイメージをこうって決めつけるのって、その人の幅を狭くさせるだけだ。ちょっとくらい違和感を感じたって、ある程度自由に描かせる度量が読者の側にもないと、本当はこれから面白くなるはずだったせっかくの作品を、充分に楽しめないままに終わらせちゃうことにもなりかねない、それってすっごくもったいないぞ。 その点、今回はSFのエの字も出て来ないから、それなりに人気は出るんじゃないかな。結局スポーツラブコメしかあだち充には要求されてないのかと思うとさびしいけど。
好きな女の子とお近づきになりたい……という極めて不純な動機で、その子の父親の経営するボクシングジムに通うことにした高校1年の里山活樹。 けれど意中のその子、水谷香月は、父親嫌いが高じた大のボクシング嫌いだった……。 展開としては、活樹の意外なボクシングの才能が目覚める……って感じになるんだろうけど、結局は天賦の才能があった、みたいな展開、あまり好きじゃないんだよなあ。 才能とか努力とか、そんなもんをいちいち付与しなきゃ、人は人を好きになる資格がないってことなのかね。その人の性格さえありゃいいんじゃないの? ……って感じのマンガを描いてたころのあだちさんの方が好きだったな。 実は、「なんの才能もない、優しいというより優柔不断、さらにスケベで、スポーツや勉強の取り柄もない」男の壺がなぜかモテるって話、あだちさんは一つしか描いたことないんよ。 それが『みゆき』なんだね。 この話の活樹も、ボクシングの実力が全然伸びなかったらいいのにな。伸びたらその辺のよくあるボクシングマンガと同じになっちゃうし。 ……と言いつつ私は『はじめの一歩』は全く読んだことがないのであった。
古橋秀之『サムライ・レンズマン』(徳間デュアル文庫・770円)。 うおおおおお! おっ、おもしれええええ! いやもう、びっくりしちゃったっつーかなんつーか、次のページをめくるのがもどかしい小説に出会うのなんてひっさしぶりだよ、ヤマちゃん(誰やそれ)。 いや、実のところ、そんなに期待して買ったわけじゃなかったんだよね、この本。 スペースオペラの金字塔、E・E・スミスの『レンズマン』シリーズは、確か中学生の時に少年向けにリライトされたSFシリーズ(当時の少年たちはたいていそれでSFに触れたんだがどこの会社の何というシリーズだったか忘れた)で一冊(多分『銀河パトロール』)を読んだだけで、全作は読んでない。中味も忘れた。 どっちかと言うと、私は日本初のCGアニメと言われた(^o^)映画版『レンズマン』やその続編のテレビアニメシリーズ、コミカライズ版の村野守美や三浦みつるのマンガで、レンズマンシリーズには触れている。どれも「若き」キムボール・キニスンが成長していく物語で、筋は殆ど『スター・ウォーズ』(と言っても『レンズマン』の方がモトネタなんだけど)。 ああ、あと、あれも読んだな。栗本薫のパロデイ『エーリアン殺人事件』。主役の名前はゴールデンボール・キニスン。ベッタベタやがな。 まあ、薫ちゃんはどうでもいいんだが(^^)、こういう「元祖」スペースオペラが、「日本で」アニメになったりマンガになったりってのは、当時なかなか不思議な現象だった。『キャプテン・フューチャー』なんて、NHKでアニメ化されてたんだもんなあ、出来は最悪だったけど。 けれど、『レンズマン』のアニメの方は、初期のCGのどうしようもなさを除けば、割合よくできていた。テレビシリーズが作られたのも宜なるかなである。 でなければ、この『サムライ・レンズマン』、買おうなんて気にはならなかったろう。 ……でも、まさか一読三嘆、もう次の作品が読みたい! なんて気にまでさせられることになろうたぁね。 ホントに瓢箪から駒、予想もしてなかったことだったんである。
だいたい、このタイトルだけ見たら、ああ、『レンズマン』のパロディかって思うでしょ? いかにもパチモン風だし。 ちっちっち(人差し指を立てて横振り)。 違うんですよ。 これ、ギャグでもなんでもありません、至極マットウな小説……っつーか、「正統な」小説だったんですよ。 どういう意味かって? ふっふっふ、知りたいでしょう。 わかりました、教えましょう、けどね、けどね、これは、私と、あなただけのヒミツですよ、誰にも言っちゃダメですからね(……それは……無理だろう)。 これね、この『サムライ・レンズマン』ね、なんと、なんとなんと、アチラの『レンズマン』の権利持ってるエージェントとちゃんと契約して書かれた、「正統な」レンズマンシリーズの続編だったんですよ! ……驚いた? 私も驚きました。
あのキンボール・キニスンが、クリスが、ウォーゼルが、バスカークが、ふたたび悪の宇宙海賊ボスコーンと戦うために集結する! そして、銀河パトロールの新しきエース、タイトルロールにもある通り、武人であり、群がる敵を振れることなく投げ飛ばすアルタイル柔術の使い手、己の道を、剣の道を極めることにその命を賭ける、新しきグレー・レンズマン、シン・クザク! しかもねえ、しかもねえ、これがなんと「盲目の美剣士」なのよ! それって、つまりさ、アレだよ、ね? う、「宇宙の机龍之助」! アニメ世代には、『ルパン三世』の石川五右衛門がよりストイックに、かつニヒルになって登場、と言ったほうがピンと来るかな。 いやもう、「どっひゃー!」だね! こんなとんでもないアイデアを思いつく作家がいようとはいようとはぁ! もう、このカッコよさをどう説明したらいいんだろう!
恒星トランジア。 要塞ビルに篭城する麻薬業者を前にして、若きレンズマン、銀河パトロールのウィリアム・モーガンは途方に暮れていた。 そこに突然、衛星軌道上からレンズを通じて、もう一人のレンズマンからテレパシーが送られてくる。 「今から突入する」 耳を疑ったウィリアムの目の前で、まさしく宇宙から「垂直落下」してくる一つの物体! あれこそが装甲宇宙服に身を固めたシン・クザク! 「余計な手出しは無用」 轟音とともにビルに墜落! そして、ウィリアムが中に駆けつけた数分後には、シンは、既に麻薬業者の組織を壊滅させていたのであった。
くううううう、かっこえええええええ! いや、この後もいちいちストーリーを紹介していきたいが、それでは未読の人の興味を半減させてしまうことになる。 後はぜひ! そのおもしろさをご自身の目で確かめてほしいのだ。
でも、もうちょっとだけ言わせてもらえれば、ヒロインのキャット・モーガン、この子がもうとんでもなくイイ! いくつもの種族からなる多種族混成姉弟の長女、一人で何人もの妹弟たちを育てていかなければならないために、隕石工夫の仕事につき、すっかり男勝りなケンカヤロウになった。 けどな、定番かもしんないけどな、そういう子だからこそ、優しさの本当の意味を知ってたりするもんなんだよ。 彼女の啖呵を聞いてみれば、そこに人への思い、人の心を踏みにじるものへの怒り、それが思いっきり溢れてることに気がつくハズだ。 ああ、もう、抱きしめたいぞ、キャティ!(勝手に愛称で呼ぶなよ)
ところでシン・クザクって漢字で書くと「孔雀真」?
2001年02月20日(火) 女房の家出/『× ―ペケ―』1〜3巻(新井理恵)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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