無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年02月21日(金) しげ、テレビ出演!/『江戸川乱歩と少年探偵団』(堀江あき子編)/『クイーンフェニックス』上・下(横山光輝)

 例のあぐにさん向けのSFレビュー、本棚を引っ掻き回しながらチョイスを続けている。
 昔、読んだことあるやつを読み返しているのだから、ところどころトバシもするし、読むスピード自体は早いのだが、自分でも「……こんな話だったっけ?」と思うくらいに中身を忘れていたりする。
 それに、アマゾンコムあたりで検索してみると、ホントに絶版・入手不可になっているものも多い。全く、SF受難の時代であることだ。
 けれど、以前、山本弘さんの「SF秘密基地」の「初心者向けのSF」スレッドで私が紹介した、ポール・アンダースン&ゴードン・ディクスンの『地球人のお荷物』、ハリイ・ハリスンの『テクニカラー・タイムマシン』、トム・ゴドウィンの『冷たい方程式』、これ全部山本さんは「絶版でしょう」と仰ってたが、調べてみたら、全部入手可能であった。アマゾンコムは絶版本も扱っているから、必ずしも絶版かそうでないかは判然としないのだが、少なくとも入手可能なものを「手に入らないだろう」というニュアンスで言ってほしくはなかったなあ。 念のため、本屋の店頭も回ってみたが、『地球人のお荷物』と『冷たい方程式』はしっかりあった。……山本先生、忙しいのは分るけど、ちゃんと調べてからモノ言ってよ(T∇T)。

 この三作をなぜ推薦したか、ということは、往年のSFファンであるならば、容易に見当がつくことであろう。御覧の通り、それぞれの持つテーマが全部違っているし、その中でも特にエンタテイメントに徹したものを選んでいるのである。『テクニカラー・タイムマシン』は、もちろん、タイムマシンものの一つでタイムパラドックスに面白い結末をつけてくれているし、もちろん『冷たい方程式』は「方程式もの」の元祖だ。
 今日までに選んだ分も、できるだけテーマがバラけるようにしてみた。

 『地球人のお荷物』に始まる『ホーカ』シリーズは、今回もあぐにさんに特にプッシュするつもりで推薦したが、これはファーストコンタクトもの、あるいは「異文化交流もの」(^^)と言われるものの一つである。
 あぐにさんは梶尾真司がお好きなようだから、恐らく梶尾さんのファースト・コンタクトものの傑作、『地球はプレイン・ヨーグルト』はお読みになっているであろうと推察した。ならばこれも面白く読んでいただけるのではないかと想像して選んだのである。
 SFという手法の「効果」の一つとして、モノを常に相対的に見られる、というものがある。つまりは絶対的な固定観念を否定するところから物語が始まるわけで、「宇宙にはこんなにトンデモナイ文化だってあるのだ」というファースト・コンタクトものは、まさしくSFの王道なのである。
 実際、小説もそうだが、映画ではこのテーマはこぞって描かれる。でも、あまりに描かれすぎちゃって、最近の作品はどれもどこか大上段で、異星人の存在をやたら超越的な存在か侵略者に限定しがちだ。
 『未知との遭遇』って、どこがSF? スピルバーグの手前勝手な夢物語でしかないではないの(←当時のSFブームが過ぎ去った今、意外に地雷発言ではないらしい)。『コンタクト』や『ミッション・トゥ・マーズ』はいかがですか。そう考えると『2001年宇宙の旅』は「うまく逃げて」ますね(^o^)。
 真正面からこのテーマに挑むと、どこか滑稽になってしまう。だったらいっそのことギャグで、というか、ギャグとSFは既成概念の破壊という点において極めて近い関係にあるのだが、「地球の文化にかぶれたテディ・ベアの姿をした異星人」なんてフザケた設定、よくもまあ考えついたものだ。
 『スターウォーズ ジェダイの復讐』のイウォークを見たとき、「ホーカのマネじゃん!」と思ったSFファンも多かろう。ルーカスもまたSFオンチである(←これも本人が認めてるし)。
 実際、1970年代半ばの、「映画主導のSFブーム」には、コアなSFファンは殆どノッてはいなかったのだ。ノッてたのは石上三登志と手塚真くらいのものではないのか(^o^)。
 2作目『くたばれスネイクス! 』と3作目『がんばれチャーリー』も挙げたが、最新の版の『お荷物』の折り返しを見ると、『がんばれチャーリー』の記載がない。……なんで一作だけ絶版にしたのかなあ。
 表紙が天野喜孝だというのも、意外に気が付かれないけど、オススメの一因。もっとも、初版当時、『お荷物』は『オズの魔法使い』シリーズのイラストも担当していた新井苑子さんが書いていらした。私の持っているのはもちろんこちらの版。どちらが好きかはもう好みの問題だろう。

 この調子でレビュー全作の選んだ理由を書いてったらキリがないなあ(いつものことだ)。あとはもう、簡単に。

 ジョン・ウィンダム『呪われた村』。
 インベーダーものの代表であるとと同じに「ホラー」としても読めるということで。映画化された『光る眼』(新・旧とも)も秀作という珍しい作品。幼いコドモが実は恐ろしい存在(しかも眼ェ光るってとこも)、というのはこれが元祖なんじゃないかなあ。そう考えると、『アキラ』だの『スプリガン』だのが余計な不純物をこき混ぜただけの模倣に見えてくるのですね。
 フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』。
 サイバーパンクの先駆的作品ということで。と言うか、そういう印象を持つのは映画『ブレードランナー』の印象に引きずられちゃってるせいで、原作の方は文明批評的性格の方が強くて、それほどでもない。読み返してみて自分の記憶がかなり違ってたものの一つ。どういうわけか「原作にデッカードは出てこない」と思いこんでいた。なぜ?
 C.L.ムーア『大宇宙の魔女 ノースウェスト・スミス』。
 シャンブロウが好きっ! まあ、これもファーストコンタクトの変形なのだが、男は女にゃ弱いからねえ(^o^)。
 A.E.ヴァン・ヴォクト『スラン』。
 これがどうやらもう絶版らしい。アマゾンコムでなら入手可能。
 影響力という点では『宇宙船ビーグル号の冒険』(「冒険」が付かなきゃね!)の方が大きいし、こちらは絶版じゃないんだけれど、やっぱり「迫害される超能力者」ってテーマのもののほうが、あぐにさんの好みなんじゃないかと思ったのである。
 とか言いながら、スタニスワフ・レム『ソラリスの陽のもとに』は完全に私の好み。これを「読め」というのは殆ど押しつけである。「イドの怪物」ものは人によって好みが全く分れちゃうから、これを気に入ってくれるかどうかは、さて、難しいところかなあ。
 今の表紙はもう、タルコフスキーの映画の写真ではなくなっている。表紙に映画の写真を使うことを嫌うSFファンも多いけど、これは比較的、ファンの間では評判がよかったと思うんだけど。まかり間違っても、今度の映画の写真は使わないでほしい(^_^;)。

 けれど、SF作品をまとめて読んで行くと、なんだかもう心の中にフツフツとSF魂が湧き上がってくるのを抑えることができない。自分みたいな浅薄非才な者がエラそうにSFを語るなんてなあ、と毎回思いながら、それでも語ってしまうのである。SFは魔窟だ(^_^;)。
 あぐにさんに推薦するだけでなく、今まで未読だったSF作品も(これ読んでないなんて恥っての、結構あるのよ)この際、読んで見ようと思う。特に海外SFは積ん読にしてるのって多いし。


 体調崩すことがあまりに重なっちゃったので、ある仕事の責任者から、二つほど外される。ああ、一応、トシだけは食ってるんで、責任者的なことはさせられてるんですね。しかも結構、重要な。
 まあ、私はプライドなんてものはもともと持ってない人間だし、上司の覚えがめでたくないこともわかっちゃいたから、仕事を降ろされたこと自体は別に動揺もせずに受け入れられたんだが、申し訳なかったのが、私の代理として仕事をしてくれた同僚。急場だったんで明らかに準備不足な仕事ぶりになっちゃってるのを見ていると、もどかしいんだけれどもそれを私が口にできるはずもなし。
 同僚がまたいいヒトなんだわ、仕事を放棄しちゃった私をまるで恨む様子もないし。おかげで、なんで私はこんなにカラダが弱いかな、とまた鬱になる。
 昔は自殺願望が起きるたびに「まだアイツとアイツに恨みを晴らしてないから」と自分を鼓舞したものだったが(^o^)、今は不思議と、一人でサビシイからと言って、誰かを巻き添えに死のうなんて発想だけは浮かばなくなっている。恨みもまた風化するものだということは、10年前、20年前には思いもよらなかった。
 「人間、諦めが肝心」ということをこの10年で体得しちゃったってことなんだろうか。だとしたら、体得させてくれたのは紛れもなくしげなんだが、あまり感謝したくはないな(^_^;)。


 山田風太郎の『コレデオシマイ。』を読んでいるうちに、横溝正史を読み返したくなってきたので、『本陣殺人事件』『獄門島』『悪魔が来りて笛を吹く』『犬神家の一族』『女王蜂』などを読み返す。
 仕事がなくなっちゃったんで(窓際とまではいかないが)、仕事中だけど本読む時間ができたのだな。嬉しいやら情けないやら。
 最初に読んだのは中学生のころだから、どれだけ印象が変わるかと思ったのだが、初読の興奮はないにしても、やっぱり『本陣』や『獄門』は名作だなあ、と感心。ただ、今、初読だったら、中学生のときのように、作者のトリックにあっさりは引っかからないだろうな、とは思う。
 だって、昔は『奥の細道』読んでなかったけど、今は読んでるし(^o^)。……そうなんですよ、この中のある作品のトリックを見破るには、『奥の細道』を読んでおく必要があるのです。
 そんな、専門的な教養がないと謎が解けないなんて、アンフェアなんじゃないか、と仰る方もいるかもしれませんが、そうじゃなくて、昔は「俳句」なんて「常識」だし「基礎教養」だったってことなんですよ。そのことを知っているのと知らないのとでは、その作品を評価するにしても意味は全然変わってきます。そういうことがピンと来るようになったってのも年を取ったってことなんだなあ。
 若い諸君、オトナになるって、楽しいよ。死期も近くなるけど(^o^)。
 ……ああ、やっぱりミステリを読んでいると鬱も忘れられるなあ。
 

 今日はしげが、「オタクアミーゴスin九州V(ファイブ)」の公演の宣伝のために、夕方はTVQまで出かけているので、車でのお迎えはなし。
 タクシーで帰宅して、食事でもしようかと思っていたときに、しげから連絡が入る。
 「すぐ降りてきぃ」
 「どこ、おるん?」
 「下」
 随分時間がかかるかと思ったが、意外に早かったようだ。考えてみたら、生放送の一発撮りだから、時間が過ぎればもう終わりなんである。「うまく撮れなかったからやりなおし」なんてことにはならない。
 下の駐車場まで降りて助手席を覗いたら、なんと鴉丸嬢が座っている。
 テレビ出演はしげだけで、鴉丸嬢はバイトと聞いていたから、これは驚いた。
 「あれ? 鴉丸さんも出演したの?」
 「うん、したよぉ」
 なんだか気の抜けたような返事だけれど、まあ、しげ一人じゃ彩りに欠けるから、これで少しは宣伝効果があがったかも。
 「これからどうするの?」
 「ちょっとドンキに行く」
 「……びっくりドンキー?」
 「ドンキホーテ。そりゃ、びっくりドンキーに行ってもいいんだけど。どうせメシ食うし」
 なんだかこないだも同じようなルートを辿ったような気もするが。まあ文句を付けるほどのこともないので、後部座席に乗りこむ。鴉丸嬢、座席を後ろに倒しているので乗りにくいな、と思ったが、考えてみたらこれはもともと私が倒していたのだった。
 早速、撮影の首尾がどうだったのかを聞いてみる。
 「で、うまく行ったの?」
 「……失敗したあ」
 「……何を?」
 「リハーサルのときに『時間は気にするな』って言われたから、本番で気にしなかったらマキが入った」
 そりゃ入るって(ーー;)。
 そのディレクターさんは多分、「緊張しなくていいから」という意味でそんなことを言ったんだろうな。けれど、しげというヤツは言葉をまさしく額面通りにしか受け取れないのである。比喩とか皮肉とか韜晦とか冗談とか、そんなものは全く通用しないのである。
 例えば、AIQのエロの冒険者さんのサイト「素敵なあなた」で、日記に毎回、謎の「宇宙パトロールのジョンさん」という人物が登場するのだが(^o^)、これをしげはずっと実在人物だと思いこんでいたのだ。もちろん、ホンモノの宇宙パトロールがあるとは思っていないが、「そういう名前の組織がある」とは思いこんでいたのである。
 ……しげみたいな人間が世の中にたくさんいたら、冗談の一つも言えなくなるよなあ。まあ、あそこまで極端なヤツは滅多にいないけど。
 「TVQに行くときも、道に迷ったし」
 「……道に迷ったって……博多駅のすぐ近くじゃん。その前もよく通ってたろう」
 「でも迷うんよ」
 しっちゃかめっちゃかではないか(-_-;)。一緒にいたしおやさんもさぞや呆れ果てられたことであろう。

 このときの様子は、しおやさんのホームページ「しおしおのパー」でも紹介されてるので、ご参照されたい。
 http://www.net-jp.com/showya/0302mainichi.html


 箱崎の『楽市街道』に到着、とにもかくにも腹が減っていたので、びっくりドンキーで食事。
 鴉丸嬢、相変わらず少食で、サラダのようなものを頼んでいるが、それすら食べきれない。しげまでとは言わないまでも、もちっと太った方がいいと思うがなあ。体も薄いが、命も薄くならないか。
 そのあと、しげたちがドンキホーテで買い物をしている間、私は近所の明林堂書店で本を物色。たいして探せないうちにすぐに携帯で呼び出される。
 駐車場にあわてて駆けつけたが、なぜか呼び出したはずのしげたちの姿がそこにない。不思議に思ってしげに連絡を入れたら、ドンキホーテの前で待っていたのだった。……これは私に荷物を運ばせようというハラだったな(~_~;)。全く、自分がやるべきことはできうる限り私にやらせて、私の手伝いは一切しようとしないのだから、性根が腐っているのである。
 鴉丸嬢を家まで送って帰宅。なんとはなしにカラダの芯に疲れが染み入ってくるような一日であった。


 堀江あき子編『江戸川乱歩と少年探偵団』(河出書房新社・1575円)。
 編者の堀江あき子さんは、東京都文京区の弥生美術館の学芸員である。1965年生まれ、私より三つ下なのだが、相当な「少年小説」ファンのようだ。これまでに企画した展覧会が、「江戸川乱歩の世界展」「懐かしの『少年倶楽部』展」「斎藤五百枝展」「松野一夫展」(この二人は戦前に活躍した挿絵画家)というのだから、これは筋金入りである。
 小説の単行本からはカットされることの多い、雑誌掲載時の挿絵や、フロク、マンガや映画など、ビジュアルを中心にした乱歩の少年探偵モノの魅力を総力特集。いやあ、これは乱歩ファンには凄く嬉しい一冊だ。
 当たり前だが、画家によって、登場人物のイメージも随分と違う。もっとも、乱歩の「少年探偵」シリーズは、昭和11年から37年まで、実に26年にわたって書き続けられているのだから、時代の風俗の違いもそこにはハッキリと現れている。
 第一作、『怪人二十面相』(昭和11)の画家は小林秀恒。明智小五郎は鼻筋の通った美青年、髪はちょっとだけモジャモジャ。小林少年は面長というよりはちょっと顔がでかい(^o^)。いがぐり頭で、どこかもっさりした印象である。「リンゴのような頬」という描写を、「リンゴのようなアタマ」と誤読したのではないか(^o^)。
 第二作、『少年探偵団』(昭和12)、第三作『妖怪博士』(昭和13)の画家は梁川剛一。明智は二十面相の手下に変装しているのでヒゲヅラである(^o^)。小林君は歌舞伎役者風のいかつい顔になっているが、やっぱりイガグリ。
 第四作、『大金塊』(昭和14)の画家は林唯一。明智はやや鼻が大きい。小林君は学生帽をかぶっているが、やはりイガグリだろう。戦前の画家の三人の中では一番個性がない絵。
 戦後になると、山川惣治、伊勢田邦彦、谷俊彦、白井哲、中村猛男、吉田郁也、古賀亜十夫、岩井泰三らが挿絵を担当しているが、特筆すべきはあの石原豪人だろう。いやもうさすがに、一味も二味も違う。
 最初に石原さんが乱歩の挿絵を担当したのは『魔法人形』(昭和32)。掲載誌は『少女クラブ』。つまりこれが乱歩初めての少女小説なのである。女の子がもう色っぽいことと言ったら。男装した少女探偵・花崎マユミと言い、生ける人形・ユリ子の空ろな美と言い、二十面相でなくても襲いたくなる、いや襲わずにいらりょうかというほどの耽美さだ(おいおい)。明智も小林君もどうでもいいな(^o^)。
 もう一作、石原さんが担当したのは、『塔上の奇術師』(昭和33)。……『魔法人形』の翌年の作品なのに、その妖しさは3倍増し(~_~;)。
 小林少年も刈上げのおかっぱヘアで、眉もマツゲもクッキリ、唇もツヤツヤしてるけど、ヒロインのスミ子が、どう見ても一番キレイだったころの薬師丸ひろ子である(いや、彼女の生まれる前だからそんなはずはないんだが)。
 ああっ、この作品だけでも挿絵全部復刻して単行本化してほしいぞっ!(ムリだって)


 マンガ、横山光輝『横山光輝SF傑作選③ クイーンフェニックス』上・下(講談社漫画文庫・各693円)。
 ……なんかすごく『ハムナプトラ』に似てるんスけど(^_^;)。
 ということは『ミイラ再生』が元ネタなワケだな。全く臆面がないよな、横山さん。
 古代エジプト、女王と禁断の恋に落ちた僧侶・カクラテスを殺すよう、神の啓示を受けた醜い少女・バステト。しかし彼女は美しいカクラテスに心を奪われる。断腸の思いでカクラテスを殺したバステトは、神より永遠の美と永遠の生命を与えられる。カクラテスの転生を信じるバステトは、女人国の女王として、はるか未来に転生するはずカクラテスと相まみえることを信じて、長い、長い年月を待ち続けるのであった。
 そして現代の日本。カメラマン・加蔵春彦は、なにかに引き寄せられるようにエジプトに出発することになったのだが……。
 ……女性を描くことがヘタな横山さんが、随分女を出すなあ、と思ったら、掲載誌が『少女コミック』だったのだった。だからって、エジプトにアマゾネスがいるってのはどうもねえ(^_^;)。

2002年02月21日(木) アホがアホを教育したってねえ/アニメ『七人のナナ』第7話/『鉄鋼無敵科学大魔號改』(唐沢なをき)ほか
2001年02月21日(水) 買い物ブギ/『ブギーポップは笑わない』第1巻(緒方剛志)ほか



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