無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年01月04日(土) めかなんて、こどもだからわかんないや/『眠狂四郎』6巻(柴田錬三郎・柳川喜弘)/『ああ探偵事務所』2巻(関崎俊三)

 天気予報で雪が降るとは聞いていたが、ホントに降るとは思わなかった。
 それくらい、「雪」なんてのは福岡じゃ珍しくなっている。一昨年の豪雪なんて、ここ10年では稀有な例だ。
 昨日一日は休めたが、今日はまた仕事である。時間も特に早出というわけではなく、午前中のみ。正月の、しかも休日にわざわざ出勤させてるんだから、働くにしてもせめてこれくらいにしてくれないとなあ。
 しげはもう朝は起きられないもの、と覚悟して(実際に起きてこなかったのだが)、速めにタクシーを拾いにいく。

 タクシーの運ちゃんとの会話。
 「降りましたねえ。昨日から冷えこんでましたからねえ」
 「最近じゃ珍しいですね。30年くらい前は毎年のように降っちゃ積もりしてたもんですけどね。やっぱり地球は温暖化してるんですかね」
 「じゃないですか?」
 「今日のは積もりますかね?」
 「積もるでしょう、これだけ降ってますからねえ」
 「車はたいへんでしょう? 山道なんか進めないでしょう」
 「そこまでは……どうですかね」
 「一昨年なんかこの坂道、全然進みませんでしたよ。すべって。今はみんなチェーン捲かないみたいですからね」
 「チェーン捲かなくても、ちゃんと雪用のタイヤがあるんですよ」
 「チェーンより滑らないんですか?」
 「滑らんです」
 「でも、一昨年は滑ってましたからねえ。限度はあるんでしょう」
 「そりゃ限度はね」
 「文明の利器も自然にゃ勝てないってことですかね」
 「全くそうですねえ」

 全く、他愛のない会話である。
 しげと会話するときも「オマエとの会話で何かが生み出されることってないな」と常日頃言っているのだが、実のところ、人間の会話で実のある話などそうそうできるものではないのではなかろうか。
 昔、私は、タクシーの運ちゃんはおろか、家族や友人とでもこういう「他愛のない会話」をするのがむちゃくちゃ苦手だった。それこそ天気の話一つできなかったのである。
 「雪が降ったから、それが何?」
 ってなもんで、その先、会話がどう転んでいくかわからぬ言葉を口にすることに、異常に抵抗感を感じていたのだ。
 それが自分自身の傲慢に過ぎないことに気づくのには随分時間がかかった。要するに、心のどこかで、「どうせ一過性の外交辞令じゃないか」「実のない言葉を話し掛けてくるなんて、こいつは内心、オレのことバカにしてやがるのだ」なんて被害妄想に陥っていたのである。バカはオマエじゃ。
 ……そういう感覚が小学生のころから大学のころまで続いたのだから、その間の自意識過剰ぶりというか、人間としての成長のなさを思うと、慙愧の念に耐えない。
 頑なになっていた時期が長かった後遺症で、今でも挨拶だの会釈だの、決して上手くはないのだが、とりあえず、こういう他愛のない会話をやりとりできるくらいに私もオトナにはなったんだなあ、と思う。


 買ったばかりのDVD‐RW、どの程度の機能かと何度か試し録画。
 記録フォーマットに「VR(Video Recording)モード」と「ビデオモード」の二種類あるってところからして、キカイ音痴の私には閉口ものなのだが、VRモードってのはRW対応機種での録画編集を何度も繰り返して行える、というものらしい。ビデオモードというのは、録画した映像をファイナライズ処理(いわゆる保存処理ってことだな)することで、市販のDVDプレーヤーでも再生できるようにしたもの。
 こないだ紅白を録画したときは、その違いがよくわからずに、VRモードで撮っちゃったのだが、そうなるとRW対応機を持っていない人にこのDVDは貸し出せないことになる。
 となれば、知り合いや友人にDVDを貸せるように、というのも目的の一つだから、設定を常に「ビデオモード」にしておけばいいかな、と考えて、今日はCSスーパーチャンネルの『新刑事コロンボ・死を呼ぶジグゾー』をビデオモードで録画してみる(この映画は以前に見てるので詳しい感想は書かない。コロンボとしては駄作である)。
 録り終わって、早速パナソニックのLD‐DVDコンパチプレイヤーにかけてみると、なかなかの画質である。音もクリアーで、さて、副音声の方はどんなもんだろう、とオーディオ切り替えのボタンを押してみるが、いっかな、英語が聞こえてこない。ボタン操作を間違えたのかと、設定表示を調べてみるが、やっぱり原因は解らない。
 説明書をもう一度読み返してみると、なんとビデオモードでは二カ国語録音が出来ないのであった。
 ……えーっと、つまり二カ国語録音するためにはVRモードで録画しなければならず、そうするとDVDの貸し出しは不可能で、ビデオモードで録画すると人に貸すことは出来るけれども、主音声しか聞けない、とそういうワケ?
 中途半端な性能だなあ。これが「出たばかり」のDVDレコーダーの限界なんだろうなあ。もうしばらくすれば、もっと改善された機能のブツが出回ることになるんだろうけれど、今はこれでガマンするしかないなあ。

 気を取りなおして、同じくCSスーパーチャンネルの『サタデー・ナイト・ライブ』vol.20を録画。
 録画時間モードが四種類(60分から360分まで)あるのだが、60分番組(実際は正味45分)なので、「高画質映像で録画可能」と説明書にある「FINE」モード(60分)で録画してみる。
 確かに画質はいいかもしれないが、ビデオテープよりかなり割高になる計算。デッキが壊れたんで仕方なくDVDに移行したのだけれど、今んとこ一般的にはDVDレコーダーをあえて買わなきゃならないメリットはないんじゃないかな。

 『サタデー・ナイト・ライブ』と番組欄にも表記されてるが、放映初期のものなので、タイトルはまだ“NBC’S SATURDAY NIGHT”。恐らくこれは1975年の放送分。ジョン・ベルーシもダン・エイクロイドも20代でド新人だったころである。
 ホストのリリー・トムリンがオープニングで出演者たちの名前を間違えまくる、というギャグは当然、当時だから成り立つもの。けれどその「間違え方」にも「工夫」があるのが楽しい。
 チェビー・チェスを“ジェリー”・チェイスと言い間違えるのは念頭に「ジェリー・ルイス」があるからだろう。「ウィークエンド・アップデイト」のスケッチにもディーン・マーティンとジェリー・ルイスの“底抜けコンビ”の「和解」が紹介されているから、当時ちょうど「時の人」扱いされていたらしいことがわかる。小林信彦の『世界の喜劇人』を読むとホントにただの「芸ナシ」にしか思えないジェリー・ルイスだけれど、それでもある世代のアメリカ人にとっては強烈な印象を残していたのだろう。ルイスが『底抜け再就職も楽じゃない』や『ジェリー・ルイスの双子の鶏フン騒動』(原作はカート・ヴォネガットの『スラップスティック』!)で本格的に「復活」するのは数年後のことである。
 ギルダ・ラドナーをゴールディ・ゴールディと言い間違えるのはゴールディ・ホーンとの混同。これも当時のゴールディ・ホーンが『シャンプー』などでコメディエンヌとして高く評価されていたからだと思われる。
 偶然にもチェビー・チェイスはこの後、ゴールディ・ホーンと『ファール・プレイ』で共演することになる。
 しかし、やはり全てのギャグを理解するのは難しい。
 「再結成ブーム」で、デビー・レイノルズとエディ・フィッシャーが再びコンビを、というネタはわかるのだが(この二人の間の娘が「レイア姫」ことキャリー・フィッシャーである)、これにジミー・ホッファが絡むってのはどんな意味があるのかなあ。私はジャック・ニコルソン主演の『ホッファ』もチラッとしか見ちゃいないので、よくわからないのである。やっぱりマフィアがらみでみんなつるんでたのだろうか。


 マンガ、柴田錬三郎原作・柳川喜弘作画『眠狂四郎』6巻(新潮社/バンチコミックス・530円)。
 ついに出ました白鳥主膳。原作では華々しく登場したわりに、あっさり死んじゃった不遇のキャラであるけれど、マンガ版ではちゃんと眠狂四郎のライバルとしてキャラ立ちできるものかどうか。もっとも眠狂四郎自体がまだまだマンガのキャラクターとしてし「雰囲気だけ」でまるで内面が描けてないから、ドラマの展開自体は全然面白くなっていかないのである。
 もう6巻にもなるのに、絵が全然上達してないように見えるのも(なんたって男も女もみんな表情同じだもんなあ)、原作を読みこめてないから、キャラクターが一律化しちゃってるんである。眠狂四郎を桃太郎侍みたいに描くんじゃねえや。


 マンガ、関崎俊三『ああ探偵事務所』2巻(白泉社/ジェッツコミックス・530円)。
 探偵もの、とは言っても本格ミステリでもハードボイルドでもなくて、市井の「探偵事務所もの」なんだけど、ほどよいギャグが楽しい(けれどマイナー)なシリーズの第2弾。いかにも売れてそうにないんだけれど、ドラマとしては意外に骨格がしっかりしてるから、もっと人に知られてほしいんだよなあ。
 主役は事務所所長で推理とコスプレと少女マンガが好きな妻木氏なのだけれど、表紙絵は助手の井上涼子嬢のちょっとえっちなポーズ。商売としてはけだし、正解であろう(^o^)。
 収録されてる7話のうち、失踪中の少女マンガ家を探し出す「Case10/11」と、盗聴ノイローゼの女性の依頼を受ける「Case12〜14」が特に面白い。
 1巻でアニメ業界を描いた時にも、「アニメ関係者の顔ってヘン」と、一部に反感抱かれやしないかとヒヤヒヤもののネタを出してきてたけど、今巻の「少女マンガ編」でも、人気少女マンガ家・鈴木杏子(どこから取った名前かな〜)のアシスタントの顔がみんなとてつもなくイタイんである。いやもう、どいつもこいつも○○、○○、○○○のオンパレード。で、実際にこういう顔の人間っていそうだから怖い(^_^;)。
 少女マンガ家に対するヒドイ偏見として、ずっと昔、「少女マンガ家はみんな○○な自分から現実逃避するためにマンガ描いてる」というのがあったが、あえてその偏見を助長させたがってるような描きかたなんである。
 作者の関崎さん、女性だけをムチャクチャ描いちゃ悪いと考えたのか、編集部の男どももみんな人間の基準からちょっと外れてる面相のやつばかり描いてるんだけれど、世間の人々の心が海よりも広く深いことを祈るばかりである。
 それはそれとして、この「全国のどこに失踪したかわからないマンガ家」をわずか二日で探し出すテクニック、結構リアルなんじゃないか。「よそ者がいても目立たない程度に人口のある都市」を探せってのは納得できるし、昔はいざ知らず、乳母日傘でないと生活できない現代の少女マンガ家に野宿はムリであろう(←これも偏見)。
 で、盗聴ノイローゼのご令嬢、遥ちゃんであるが、自分を覗いてる犯人はN■Kだそうである。なんとなればN■Kの集金のおじさんがニヤニヤしてたかららしい(^_^;)。そのあと遥ちゃんは考えを改めて、犯人はN■Kではないと気づくのだが、では誰が犯人かというと、CIAだったそうで。
 ……私、遥ちゃんと全く同じ主張してた人を、以前実際に知ってたんですけど、なんですか、盗聴ノイローゼの人って、つまるところ自分の存在を「盗聴・監視されるくらいの重要人物」だと認識してほしいんですかね。マンガの中ではなんだかんだあって、遥ちゃんのノイローゼは最終的に治るんだけれど、現実のノイローゼの方の場合はなかなか治らないもののようであります。
 だいたいCIAに監視されるような重要人物が、そうそうそのへんに転がってるわけないじゃないですか。そんなのはドイツ統一にもソ連邦崩壊にもウラで関わった私くらいのものです。


 夕方くらいから咳が激しくなる。ヤバいなあ。

2002年01月04日(金) 消えた眼鏡と毒ガスと入浴シーンと/『テレビ「水戸黄門」のすべて』(齋藤憲彦・井筒清次)
2001年01月04日(木) ああ、つい映画見てると作業が進まん/『快傑ライオン丸』1巻(一峰大二)ほか



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