無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年12月17日(火) 買ったからには見まくるぞ/DVD『七人の侍』『赤ひげ』『蜘蛛巣城』『姿三四郎・最長版』

 昨日外に締め出したしげ、朝になったら帰って来るかと思ったら、音信不通のまま。
 これで仕事場に迎えにも来なかったら、また二、三日追い出しておこうかと思ったが、仕事を終えて駐車場に出てみると、ちゃんと車を乗り付けている。ただゴメンの言葉はない。いやに静かに大人しくはしているが、反省しているわけではないのは分ってるので、早晩またケンカになるであろう。
 しげ、仕事が早いと言うので、コンビニで落としてもらって、自分一人分の夕食の買い物。近所のほっかほっか亭を覗くと、新発売とやらの「てりやきチキン弁当」を売り出していたので、それを買う。ちょっと味が濃いが、まあ悪くはない味。


 初めてアニメ『スパイラル』を見る。
 クリスマスに合わせてか、プレゼントを買う話で、本筋からちょっと離れている印象。思ってたより出来はそう悪くなさそう……と思ったら、作ってるのが『少女革命ウテナ』『エクセルサーガ』のJ.C.STAFF。ああ、こりゃもう少し早めに見ておけばよかった。トリックに難があるのは分るけれど、原作は必ずしも志が低くはないんで、アニメのデキがよければ追っかけてみてもいいかなと考えているのである。


 さて、今日は黒澤明ボックスのまとめ見。一度見てるやつばかりだし、筋は先刻ご承知、という方もおられようから、今回見て、改めて気づいたところだけ。
 まずは途中まで見てたDVD『七人の侍』後編。
 これも語りだすと長くなりそうだなあ。できるだけ短くいこう。
 最初に見たのは多分中学生か高校生のころだと思うけれど、そのときは登場人物に好き嫌いが結構あった。
 七人の侍で好きなのは、久蔵・勘兵衛・五郎兵衛・七郎次・平八の順で、勝四郎と菊千代は嫌い。百姓はみんな嫌いだった。要するに足引っ張るやつが嫌いだつたのだね。
 ところがこのトシになって見返してみると、この嫌いだったはずの青二才たちが全く逆にいとおしく見えてくるのである。百姓の利吉の軽率で平八が、菊千代の先走りのせいで五郎兵衛が死んだと言うのに、中学生のころは腹を立ててた私が今は「それも仕方がないよなあ、若いんだし」という気持ちになっているのである。それどころか彼らの若さ故の苦悩が昔よりヒシヒシと伝わってくるのだ。
 考えてみたら、黒澤監督は常々「私は青二才が好きだ」と公言していた。たとえ失敗しても、人を傷つけても、そこで泣き、自らを責め、そこから先に進もうとする意志が若者には見える。それをこそ黒澤監督は「オトナ」として愛したのだろう。
 なるほど、平八が死んでも五郎兵衛が死んでも、勘兵衛たち「オトナ」は、一切その責任を利吉や菊千代に着せようとはしなかった。彼らの「若さ故の過ち」はオトナが引き受けなければならない自らの罪でもあるからだろう。
 ……そう思うと現実のオトナって、みんなオトナになりきれてないトッチャンボーヤばかりだよなあ。いったいいつから日本は「オトナ」のいない社会になってしまったのか。
 メイキングには、当時の撮影風景もチラリと収録。


 DVD『赤ひげ』。
 これもまた「青二才」の物語である。パンフレット(これがもうムチャクチャ分厚い)によれば、史実の小石川診療所には赤ひげこと新出去定のような名医はおらず、診療所と言うよりは隔離所のようなもので、病人はあまりここに入りたがらなかったと言うことだ。とすればこれもまた「映画」という名のファンタジーであるのだろう。
 ファンタジーではあっても、その描写の仕方自体は実にリアルだ。
 加山雄三演ずる保本がその高慢から診療所のお仕着せを着るようになるまで、随分時間がかかる。
 六助の死、女の手術、おくにの告白、狂女に殺されかけ、瀕死の佐八に彼の過去を聞かされ、そしてようやくお仕着せを着るのである。自分がここで何をしなければならないか、若造が気付くにはこれだけの手間がかかるということだ。その間、赤ひげはただ保本を見守って待っているだけ。
 この「待つ」ということが今のオトナにはできないのだね。患者に触れ、彼らの心を知ることができれば、自然に自分のすべきことは知れるものだという信念と、若造への信頼がなければ、「待つ」ことはできない。オトナがオトナになりきれないのは、つまりは自らを信じることすらできなくなってるからではないのか。
 ……なんだか青臭い教育論になりそうだからこのへんでやめるけど、説教するだけが能じゃないよなってことは言えるのではなかろうか。
 あともう一つだけ。食事のシーンで去定と森半太夫、保本が三人並んで食事を取るシーンがあるが、これ、『家族ゲーム』で森田芳光がやってた手だなあ。もちろん先にやったのは黒澤さんのほうなので、また私の中で森田芳光の評価が低くなってしまった。


 DVD『蜘蛛巣城』。
 説明は要らないだろうが、シェークスピア『マクベス』の時代劇版である。
 最初劇場で見たときにはセリフが割れてて殆ど聞き取れなかったんだけれど、ノイズが取り除かれて音声もシャープになり、日本語字幕もつくので随分見やすくなった。
 今見るとまさしく舞台を意識してる演出をしてるな、と判るのは、殺人のシーンが殆ど省略されているからである。城主・都築国春を鷲津武時が殺すシーンも、盟友三木義明を家来に暗殺させるシーンもみなカット。けれどこれは鷲津が自らの罪から目を逸らし続けたことの象徴でもある。結局彼は身分不相応な野心に身を滅ぼした、哀れな小さな人間に過ぎないのだ。
 もともとの舞台がそういう脚本になってるのだから、日本に舞台を移しているとは言え、これは原典に忠実な映像化と言えるだろう。
 昔見たときには気付かなかったが、チョイ役で「蜃気楼博士」井上昭文や、「コロンボ」小池朝雄、「ムーミンパパ」高木均などが出演してたのを見つけるのも楽しい。


 DVD『姿三四郎』。
 ご存知の方も多いと思うが、黒澤明のデビュー作である本作の完全版は今のところ存在しない。戦後の再映時に、上映時間の制限を受けてネガからカットされ、そのまま紛失してしまったのだ。カット部分は二十分に及び、その部分は現在、字幕で解説されている。
 以前から「海外には日本映画の失われた作品が埋もれているのではないか」というウワサはたびたびあった。しかし、それがどこにどういう形で残されているかは皆目見当がつかなかった。ところがソ連邦が崩壊したことがこの「失われたフィルム」探索に一筋の光明をもたらしたのである。
 戦時中に満州からロシアに移送されたフィルムの中に、『姿三四郎』の編集版があり、そこに日本版にはないシーンがいくつか発見されたのだ。今回DVD化されたのは、そのカット部分を復元、挿入した、現時点における「最長版」である。
 残念ながら、あまりにも有名な、猫が飛び降りるのを三四郎が見て、投げられても着地する方法を思いつくシーンは今回も発見されなかった。このシーンを亡母は当然見ていて、生前見ていることを自慢して、私を悔しがらせていたものだったが。
 川崎のぼるのマンガ、『いなかっぺ大将』で全く同じエピソードが披露されるが(そのときの猫がニャンコ先生)、これはもちろん『姿三四郎』へのオマージュである。
 今回の復元シーンで最も長いのは、月形龍之介演ずる檜垣源之助が、村井半助の娘・小夜(原作の乙美に当たる)に言い寄るシーン、父親の半助に婚約を取り付けようとするシーンである。これがないと、三四郎との三角関係がはっきりしないよなあ。全く、このシーンの復活は実に喜ばしい。
 村井半助を試合で傷つけてしまった三四郎は、小夜の誘いにも「顔向けができない」と会おうとしない。このシーンも今回の復活。とか何とか言いながら、次のカットでちゃっかりと小夜と一緒に歩いているのだから、カタブツなようでいて小夜に惹かれてしまっている三四郎の純情さ、かわいらしさがここで強調されることになる。こういうユーモラスなシーンは、やっぱりカットされちゃ困るね。
 せっかくこれだけ復元されたんだから、東宝、リバイバル上映くらいしたらどうか。そういう発想がないから、この国では映画文化がいつまで経ってもマトモに評価されないんである。

2001年12月17日(月) はったらっくおっじさん/『BEST13 of ゴルゴ13』(さいとう・たかを)
2000年12月17日(日) 今世紀最後のゴジラ/映画『ゴジラ×メガギラスG 消滅作戦』ほか



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