無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年11月06日(水) あのころ/『コミック1970』

 山田風太郎原作の『魔界転生』(どうか「まかい・てんしょう」と読んでください)の映画化のニュースは既に伝えられていたが、その製作発表が昨日正式に行われた。
 以前も日記に書いたような気がするが、再度、怒りを表明させて頂く。
 監督は『ザ・中学教師』、『学校の怪談』シリーズや『OUT』の平山秀幸、堅実な演出を心がけている人ではあるが、山田風太郎のケレン味とは真逆の資質である。適役とはとても思えない。
 キャストは天草四郎に窪塚洋介、柳生十兵衛に佐藤浩市、クララお品に麻生久美子という布陣。スチールを見て、そのみすぼらしさに頭を抱えた。安っぽい衣装(もしかしてカネかけてるのかも知れないが、少なくとも「時代劇」を作る気がないことは間違いないデザイン)、三人揃って着物をまるで着こなせておらず、その迫力も気力も感じられない立ち姿は情けないばかり、製作発表のときくらいは少しは期待させてほしいものなんだけどダメなのか。
 既に、この時代劇とは何のゆかりもないキャスティングで、これが「山田風太郎の忍法小説の映画化」ではなくて、「深作欣二監督、沢田研二主演のバカ映画のリメイク」なんだな、ということが分って、それだけで幻滅を感じてしまう。重要なキャラだった魔界衆の殆どをカットするという暴挙をやらかしたのが前作なんだよね。あんまり腹が立っちゃったものだから、原作ファンだってのに、『魔界』のDVDだけは買う気になれなかったってくらいなのだ(『伊賀忍法帖』は成田三樹夫が出てるんで買ったけど、『魔界』は若山富三郎の殺陣以外に見るべきところがないんだもんなあ)。今回もそうなるのかなあ。

 しかもなにが腹立たしいかって、クボヅカの舞台挨拶が、「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャ〜ンって感じっす」だってんだもの。
 えぇ、おい? 誰が呼んだって?(--#)
 お前か?(;`O´)o それともお前か?o(`O´;)
 クボヅカ呼んだやつ表に出やがれ! 処理場の水100リットル飲ましたるぞ!
 ……少なくとも、山田風太郎ファンでクボヅカを呼んだやつは一人もいないと断言できよう。
 天草四郎って、美少年じゃなきゃいけないんじゃないのか? 世の天草四郎ファン、美少年フリークはクボヅカでいいじゃんとか言って、アレを許しちゃってるのか?(もちろん昔の沢田研次も論外であった。おまえは稗田礼二郎だけ演じてりゃいいのだ)まだ、タッキーか藤原竜也に演じてもらったほうがナンボかマシだ。それとも私の感覚の方が異常なのか?
 それに、あとのキャストはちゃんと予定されてるのか? 製作発表にどうして三人しかいないんだよ。
 宮本武蔵は? 荒木又右エ門は? 田宮坊太郎は? 宝蔵院胤舜は? 由比正雪は? 柳生但馬守は? 柳生兵庫は? 森宗意軒は? 紀伊頼宣は? 半端な役者でできる役なんて一つもないぞ? 前回みたいに「細川ガラシャ」なんて役立たず出してたら吊るすぞコラ~凸(-~~- )。

 *あとで分ったキャスティング。
 窪塚洋介(天草四郎)、佐藤浩市(柳生十兵衛)、麻生久美子(クララお品) 加藤雅也(荒木又右衛門)、古田新太(宝蔵院胤舜)、長塚京三(宮本武蔵)、中村嘉葎雄(柳生但馬守)、黒谷友香(おひろ)、吹石一恵(お雛)、高橋和也(伊達小三郎)、杉本哲太(徳川頼宣)
 やっぱり森宗意(意外と知られてないが実在人物)以下、相当数キャストがカットされている模様。長塚さんが武蔵って……。嗚呼……(T∇T)。

 『魔界転生』の原作は、時代劇に興味のない人にも「これは面白いぞ!」とお勧めできる屈指のエンタテインメントなのだ。それを何でこうも毎回チンケなキャストで映画化せねばならんのだ。それに本気で風太郎忍法帖を映画化するつもりなら、『柳生忍法帖』から『魔界』を挟んで『柳生十兵衛死す』の三部作を映画化しなきゃウソだろう。何でこうも映画界にはサルが多いのだ。
 ……と言いつつ、どうせ見に行くんだよ。カネの無駄遣いだ、なんて言われなくても分ってるよ。
 ほっといてよ、フン。(T^T)(^T )(T )( )( T)( T^)(T^T) ヒュルルル……。


 夕食はロイヤルホスト。寒いので注文したのはシチューなど。
 ハガキで送られて来ていた10%割引券をこれで使い切る。
 なんだか無性に口寂しくなったので、セブンイレブンに寄って、ポテトチップスほか、普段は買わないお菓子類を買う。カラダに悪いことは分っているので、しげが止めるかと思ったが、「寒い、先に車に戻っていい?」と言って、さっさと店を出て行く。なんか気遣われてないなあ、と思って、ヤケになって食玩なんかもやたら買いこむ。
 手塚治虫コレクション、松本零時コレクション、いずれも原型製作は海洋堂。手塚治虫はブラック・ジャックをGET。これで揃ってないのは『W3』だけになった。でもこの「最後の1個」ってやつが、なかなか当たらないんだよね。

 帰宅して、『空飛ぶ雲の上団五郎一座』を見返しながら寝る。
 

 雑誌『コミック1970』(週間アサヒ芸能増刊12月1日号/徳間書店・390円)。
 1070年に発表された短編マンガを収録した雑誌創刊号。表紙は手塚治虫『アトムの最後』、松本零士『大海賊ハーロック』、みなもと太郎『ホモホモ7』である。
 これから1971、1972、1973、1974……と発行していくつもりらしいが、『コミック伝説マガジン』も休刊したってのに、現代までたどり付けるのかどうか(^_^;)。

 「人生って無意味なんだな」と自覚したのが小学校1年生の入学式のこと。「ここに、どうしてこんなにたくさんの人間が集まっているのか?」その疑問の答えがないことに気付いて、私は自分もまた無意味に生まれたのだという事実に気付いた。1969年のことである。
 それ以来、「儀式」というものが心の底から嫌いになった。だって全ての儀式は本質的に「葬式」なのだから。一つ儀式を経るたびに、我々は自分の心を殺しながら、いつか訪れる完全な死に向かってただ無意味に生き続けている。
 そんなヒネたことを考えてた小学生だった私が、1970年の「大阪万博」になぜあれだけ入れこんだのか、今思い返せば、私はアレに自分と地球の「最後の未来」を期待していたのだ。
 この世も捨てたものではない、未来には希望がある、この地球で自分が生きて行ってもいいものなのかどうか、それを「万博」が証明してくれるような気がしていた。前年、事故で死の淵をさ迷い、その後遺症に怯えていた私には「人類の進歩と調和」というスローガンは、どんなに安っぽく聞こえようとも、すがりつくことのできる甘美な誘いの言葉であった。
 ……何だかんだヒネたこと言ってもガキだったのである。
 私にとってのその「希望」の象徴がアメリカ館の「月の石」と「アポロ着陸船」だったのだが、当然あの熱狂の中ではそれを見る望みは叶わなかった。コロンビア館でもう一つの月の石は見てきたけど、当時の私にとってそれはただの「まやかし」に過ぎなかった。
 せめて乗りたいと思ったダイダラザウルスは相当待って乗った。当時世界最長と振れ込みのジェットコースターだったが、1時間以上待たされて乗っていた時間は1分程度のものだった。「終わったな」と思いながら、表面では「楽しかった」と父に愛想笑いする術を私はもう覚えていた。
 それ以来、私は自分の人生を余生だと思っている。

 父が私を万博に連れて行ってくれたのは、「住友館」に「未来の床屋の椅子」が展示されると聞いたからである。実際に見はしたのだが、今はどこにでもあるような、高さが上下するだけの床屋の椅子であった。
 父は立腹して「博覧会は二度と行かん」と言い、向後は沖縄海洋博にもつくば科学博にも行かなかった。私にねだられて、数年後に一度だけ、「万博跡地」を見に行った。パビリオンは一部を残して殆ど撤去されており、太陽の塔と遊園地だけがそこにあった。諦めきれない気持ちに諦めをつけなきゃなんないんだな、と思った。
 先日、万博タワーが撤去されたというニュースを聞いたが、もう私には何の感興もない。二度とあそこに行くことはない、という事実を噛み締めるだけである。

 旧作の収録が多い中、畑中純の新作『1970』は太陽の塔の周囲を三島由紀夫、高倉健、エルビス・プレスリーが取り囲む表紙で始まる。けれど、当時二十歳の畑中さんにとって、万博の狂騒は時代の一風景でしかなかった。岡本太郎を「好かん」とけなし、それでいて「なんかある人やろうのう」と一定の評価を与える。いかにも「インテリ崩れ」なカッコつけだが、そういう人は昔も今もいる。「青い」人間はいつでも自分の評価が絶対だと信じ、しかし社会の中では名もない一私人に過ぎない事実とのギャップに悩み、ヤケになるのである。
 そういう傲慢と変わらぬプライドを持たないごく普通の庶民はただ単純に時代に流されていく。
 1970年、各メディアは盛んに万博を題材に使ったが、そこに宣伝以外のものを見出すのは困難だった。
 アニメ『サザエさん』は前年始まったばかり。磯野家はよっぽど裕福だったのか、家族全員で万博に出かけ、動く歩道に驚いていた。
 『ガメラ対大魔獣ジャイガー』でジャイガーは万博会場を目指したが、ガメラに阻止された。
 それはみなただの「風景」である。その時代にだけあるものだが、そこにそれがあることの意味を見出そうとしてもそれは徒労に終わるだろう。

 当時リアルタイムでマンガに万博が登場した例と言えば、水木しげるの『千年王国』だが、ブータンのパビリオンで「悪魔」ベルゼブルと「魔女」が新たな「魔女造り」にいそしんでいたように、万博が「虚飾」の祭典であることを、水木さんは見抜いていたのだろう。
 残念ながら水木しげるの作品は今回収録されていない。次号にも載らないようである。手塚治虫はこのころ時代の影響を受けつつ時代から逃げたマンガばかり描いていた。もう少し、水木作品のような時代と切り結んだマンガを収録してほしいものなのだが。

2001年11月06日(火) 10年ぶりのスプラッタ/『西原理恵子の人生一年生』(西原理恵子)ほか
2000年11月06日(月) 別に国際化したいわけでもなし/『大人の国イギリスと子どもの国日本』(マークス寿子)



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