無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年10月23日(水) 『ハリポタ』ホントに面白いか?/『呪いのB級マンガ 〜[好美のぼる]の世界〜』(唐沢俊一&ソルボンヌK子監修)

 職場で若い子から、「今日は『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』の発売日ですよ」と教えられる。イカンイカン、すっかり忘れていた。積読にしちゃいるが、一応全部初版で買っちゃいるので、買い忘れないでいようと思ってはいたのだ。
 それで仕事帰りに「本屋に連れてってくれ」としげに頼んだら、「おれはアンタのパシリじゃない」と文句を垂れられる。つい、二、三日前も、私が車の中で鼻歌を歌ってたら、「俺が運転してるのになんでアンタが楽しそうにしてるんだよ」と因縁つけられたが、何をそんなにイラついてるんだろうか。どうやら仕事がメチャクチャ忙しいらしい。かと言ってヤツアタリされても迷惑だ。
 「四の五の言わずに連れてけこのアマ」と、チョイと鼻に指突っ込んで、奥歯ガタガタ言わせてやってドテっぱらに穴ぁ空けてカツブシを突っ込んで言うことを聞かせる。

 博多駅バスセンターの紀伊國屋書店、『ハリー・ポッター』がそこら中に山積。昼間、天神を回って買い物をしたというしげの話によると、「天神コア」あたりでは、一階フロアで叩き売りまでしてたそうである。バナナか。口上の一つでも聞いてみたいものだ。
 そこまで売れてるというのは(売ろうとしているのは)、やはりどこか異常に思える。近来にないベストセラーになっちゃった理由がどうも判然としないのだが、逆に理由なんてたいしてないのかもしれないとも思う。読書が日常の習慣となっている身にしてみれば、『ハリー・ポッター』もたくさんの本の中の一冊に過ぎないのだが、そうでない人にとってはやっぱり面白いんだろう。トバし読みしかしてないんでよくわからんけど(^_^;)。
 でもなあ、あまり若い人がこういうのばかり読んでるのもどうかと思うんだけどなあ。例えば受験生の場合、特に弊害があると思うけどね。読書感想文とか、みんな『ハリポタ』だと、点数はどうしても辛くなるだろうし。面接試験とか、「最近、何か読みました? あなたも『ハリポタ』? ふ〜ん、そうですか。じゃあ、お次の方」ってなもんで、あっさり落とされちゃうかも。
 けれど、今はどこの古本屋に行っても全くその姿を見ない『ハリポタ』シリーズだけれど、3年後にはひと棚全部『ハリポタ』で埋まることになりそうだよな。どうせ「本なんか読まなくても生きていける」とか考えてるど畜生どもがベストセラーだってんで、仕方なく買って読んでるのが殆どだろうからな。そう考えると、これだけ「売れてる」ことが本自身にとってはかわいそうなことのようにも思えてくるのである。

 もう一冊、近所の本屋には全く置いてなくて苦労した唐沢俊一監修『呪いのB級マンガ』もゲット。新刊だってのに平積みされてなくて、棚に2冊しかなかった。紀伊國屋は、唐沢さんの新刊には比較的好意的で、新刊休刊を問わず常時サブカルコーナーに平積みされてるのだが、この本だけは別扱い。ご本人の著作も面白いのだけれど、こういうプロデュース本も唐沢さんの真価が発揮されてると思うので、もっと読まれたらいいと思うんだけどなあ。澁澤龍彦本もあまり売れてなさそうだし。


 晩飯はロッテリアでチキン。
 しげがイライラしてたのは、やっぱり昼間なにやら車のグッズを買ってて寝てなかったせいらしい。帰宅すると、夜仕事に出るまで3時間ほど寝るが、日頃は寝つきの悪いしげがバタンキューである。ああ、ホントにそんなに疲れてるんだったら、ドテっぱらに突っ込むの、カツブシじゃなくて明太子くらいにしといてやればよかった(なんのこっちゃ)。


 先日からLOTTEの『銀河鉄道999』フィギュアを集めているのだが、海洋堂の香川雅彦原型制作なだけはあって、シチュエーションがスバラシイ。今日はようやく一番欲しかった鉄郎の母ちゃん(星野加奈江)をゲット。これが雪の中、機械伯爵に撃ち殺された瞬間の苦悶の表情をフィギュアにしているという通好みというよりは子供向けに何を作るっとんじゃ(^_^;)、という物である。もちろん私はこういうのが大好きだ(まあ、えっち)。
 まだ鉄郎と車掌さんを揃えてないけど、もうこれで充分。好きなのが手に入れば、あまりコンプリートには拘らないのである。


 マンガ、唐沢俊一&ソルボンヌK子監修『呪いのB級マンガ 〜[好美のぼる]の世界〜』(講談社・1680円)。
 ついに出たまるまる一冊好美のぼる本。世に唐沢俊一ファンは多かろうが、こういうプロデュース本まで楽しんで読んでる人はやっぱり「ケッタイ」な部類に入るんではなかろうか。なんだ私か(^_^;)。
 唐沢さんやK子さんがプッシュしているからと言って、じゃあ「好美のぼるは面白いよ!」と人に勧めることができるかと言うと、それはやっぱりちょっとためらわれるところなのである。ただ、それは好美のぼる作品が必ずしも「つまらない」せいではない(読んでつまんねーじゃん」という感想を持つ人が多かろうとは思うが)。
 大衆が消費する文化にも様々な質があって、マンガにおいても、作家性やアーティフィシャルな面が強い作品もあれば、マンガ表現の職人技を見せてくれるもの、ただひたすら荒唐無稽でナンセンスなものなどがあって、その全てをひとくくりにできるものではない。好美のぼるを始めとする貸本マンガや、オヤジマンガ、エロマンガ、4コマ専門誌などは確かに粗製濫造ではあるのだが、ある意味「どうせ読み捨てなんだから何やってもいい」という「デタラメさ」や「自由さ」もそこにはあるのである。そこに常識では考えられないすっとぼけた笑いも生まれてくるのだ。ジャンプマンガを始めとする少年マンガにはシバリが多すぎて、突き抜けた面白さってのはないからね。
 収録作品の『毒香水』、轢き逃げされて顔をメチャクチャにされた少女が、復讐のために麻薬の入った香水を犯人の少女たちに贈って廃人にしてしまうのだけど、いくらクスリが切れて苦しいからって、フツー、女の子が犬のポーズを取って「ウーッウーッウーッ」とヨダレ垂らして唸ったりはしません(^_^;)。一応少女マンガなはずなんだけど。
 しかもラスト、全ての復讐を果たして高笑いした主人公、次のコマで「この手でとうとうやったのになぜ寂しいんだろう」とか言っていきなりクビ吊って死ぬし。間が無いっつーか、「あと1ページしかなかったのでとりあえず結末つけました」っつーか。
 そんな好美さんがライバル視してたのは、手塚治虫だそうである。まあ、先日の『ロック・ホーム』について書いたことでもあるが、初期作品は手塚さんも思いっきり適当でアンチクライマックスな結末つけてたから、確かに同列に並べてみること不可能じゃない。けれど、劇画に対抗するようになって以降、格段にドラマとしての厚みを重ねていった手塚さんに比べて、好美さんは全く変化しなかった。でもこれはこれで「一切の迎合が無い(いや、時流への迎合はあるんだけれど、全て「好美流」に昇華されている)」という点でスゴイことなんだけれど、その偉大なるマンネリを理解するには、世間はもちっとマンガの持つパワーについて学習せねばならんと思うのだ。
 好美のぼる、タダモノではないのだよ。

2001年10月23日(火) 凡人礼賛/DVD『エイリアン9』2巻/『魔獣狩り』(夢枕獏・木戸嘉実)ほか
2000年10月23日(月) 浮かれたホークスファンは情けない/アニメ『犬夜叉』『人造人間キカイダー』第2話ほか



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