無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年10月15日(火) トンデモ傷つきブリッコの世界/ドラマ『鬼畜』/『辣韮の皮』2巻(阿部川キネコ)/『ななか6/17』8巻(八神健)

 仕事が忙しくなってきて、残業が続く。
 しげを6時過ぎまで駐車場で待たせてしまっているので、頗る機嫌が悪い。
 「遅れると分ってたら、『レッド・プラネット』、全部見てくるんだった」
 「テレビでやってたんかい」
 「うん、WOWOW。どのチャンネル見ても『5人の帰国』しかやってなかったから」
 ああ、そう言えば今日が帰国日だったっけ。なんだか興味が薄れてきているので、新聞記事もあまり注目してなかった。
 「ずっと生中継で『今どこそこに移動してます』とか実況中継してても、そんなの面白くもなんともないし」
 確かにハイジャック事件とかあさま山荘事件とか(映画になったから、あまり古い話題でもないよな)、「次に何が起こるか分らない」事態と違うからなあ。拉致自体は事件でも、帰国は事件じゃないじゃん。見てて何か面白いのか?
 何年か前のバスジャック事件だって、映像自体は退屈なんである。あんな、なんの変哲もない映像がニュースとしての価値を持つのは、ひとえに視聴者の想像力に依拠しているからにほかならない。でも別に想像なんてしたくないしな、こっちは。
 しげは脳天気に「どいつがアイドルになるかな?」なんて言っている。
 「アイドルってどういう意味だよ?」
 「5人の中にカッコイイ人がいたら、その人がみんなのアイドルになるかと思って」
 全く、事件の重大さなんて何も考えてない発言だな(^_^;)。人によっては人非人の発想だと非難する者もいようが、庶民の関心なんて実はこんなものだ。でも政治的な発言をすることでいかにも一家言があるように見せかける薄っぺらなメンタリティの持ち主に比べりゃ、よっぽどマシと言うものである。
 ついでに、「おまえが北朝鮮に拉致られたらどうする? 自分が生きるために国を売るか、自殺するか」と聞いてみる。
 「別に北朝鮮が住みよかったらそこに住むよ。でも相手がイヤなヤツだったら自殺するかな」
 拉致するヤツがいいヤツってこたないような気もするが。韓国の拉致被害者の家族も、北朝鮮に対して抗議行動を行っているらしいが、早晩、こちらも拉致を認めなければならなくなるのだろう。金正日、本気で引退後(あるいは統合後)の身の安全を考えてるんじゃないかって気がしてきたなあ。こうも路線変更し始めたの、もしかしたら跡継に国を任すのが不安になってきたからかも。だってアレ、ただのオタクだし(^o^)。ネクストジェネレーションになった途端に国が滅ぶと踏んでる人間、北朝鮮内にも多かったりしてな。
 となると、拉致被害者を帰国させた遠因は日本アニメの隆盛にありと言えなくもないかも。言えんかな(^_^;)。

 しげ、仕事までに時間がないというので、夕食はマクドナルドでハンバーガーをテイクアウト。なんでもいいから買ってくれ、としげに頼んだら、ビッグマックセットを頼まれた。以前、こればっか食ってたからなあ(^_^;)。でも実は最近のマイブームは59円バーガーだったりするんだけど。これ三つ買った方が安いよな。『わしズム』で小林よしのりが「非衛生的な肉」と扱き下ろしてたが、さて、今ドキ健康な食品なんてどれだけあるものか。おキレイ好きが高じて、ちょっとでも汚いものを見ると毛嫌いするようになるのは差別意識の始まりだと思うけどね。そっちのほうがよっぽど非衛生的じゃん。


 夕方、『火曜サスペンス劇場1000回突破記念作品 松本清張スペシャル 鬼畜』、CMカットしながら録画。
 仕事に出かけるしげから、「絶対録っとってね!」とクギを刺されていたので、片時も気が抜けない。2時間24分の放送枠だが、CMカットすればピッタリ2時間に収まるのである。
 初め、ステレオにし損なって、1分ほど石丸博也の副音声を録りそこなったが、なんとか録り損ねずにすんだ。失敗してたらしげからどれだけ恨まれたことか。
 というのも、しげは数ある日本映画の中でも、野村芳太郎監督版の『鬼畜』(昭和53<1978>年)が一番好きなのである(今回の監督は田中登)。私も松本清張の映画化作品の中ではこれが最高傑作だと思うから、結婚前、お互いに『鬼畜』が好きだと言うことで意気統合したのであった。そのころしげはまだ女子高生。いいトシしたオトナが女子高生と「あの子供を崖から落とすところがいいよねー」とか喋りあってる風景って、あまりゾッとしないよな(^_^;)。

 『鬼畜』をご存知ない方のために、簡単に説明しておくと、この映画・ドラマの原作は、松本清張が知り合いの検事から聞いた実話をもとに脚色した犯罪小説である。愛人に産ませた三人の子供の始末に困った男が、子供を次々に崖から落として殺した、という事件。今でこそ親が子供を虐待して殺すケースは頻繁にニュースになってはいるものの、原作発表時の昭和32<1957>年には、相当ショッキングだと考えられたのだろう、下の赤ん坊こそ事故死に見せかけて殺したものの、長男と長女は命が助かる形に変更された。
 最初の映画化では、緒形拳、岩下志麻、小川真由美の三人が好演し、三者三様の「鬼畜ぶり」を披露してくれた。あれだけの傑作に仕上がっていれば、再映像化はなかなかに困難である。その困難に挑戦した結果は如何、と、期待と不安が入り混じった形で今回のドラマ化を見てみたのだが……。
 ……驚いたね。出来がいいか悪いかって以前に、これ、「盗作」じゃないの? いや、そこまで言うのは言いすぎかもしれないが、映画版の『鬼畜』をそのままなぞった描写があまりにも多すぎるのだ。少なくとも脚本家の「節度」を疑う作りになっているのは確か。
 もちろん原作が同じだから似るのは当たり前、という面はあろう。しかし、先の映画版には、脚本の井出雅人がオリジナルで付け加えたシークエンスが結構あるのだが、それを今回の脚本家の佐伯俊道、ほとんどそのまま流用しているのである。一番顕著なのはラストシーンである。犯人の父親が逮捕されて、殺そうとした子供と対面するシーンは、実は原作にはない。セリフが一字一句同じというわけではないのだが、子供が父親を父親と認めないところ、父親が泣き崩れる状況、その展開はそっくりそのままだ。……こりゃ、やっちゃいけないよなあ。
 映画版を見ていなければ、そんなことには普通、気がつかない。しかし、『鬼畜』は清張作品の代表作の一つでもあるのだ。原作と映画とドラマと、その三つを全部見ている人も結構いるはずだ。なのに、こんなパクリがバレないとでも思ったのだろうか。もしかしたら佐伯俊道、老人ボケが始まってるのかもしれない。
 この老人ボケ説、案外当たっているかもしれない。というのも、今回のドラマ化でのオリジナルシーン、例えば前回の映画では初めの30分ほどで姿を消す愛人が、今回は二度再登場するのである。しかし、一度目はともかく、二度目の登場は、はっきり言ってドラマ的には全く意味がない。男が逮捕され、呆けて留守をしている妻のところに愛人がやってくる。
 「あの子たちを返して!」
 「もう遅いのよ!」
 妻はヒステリックに叫ぶが、このシーンはこれで終わり。自分の産んだ子が殺されたってのに、そのあとのリアクションを全く描かないというのはいったいどうしたわけか。ともかく、意味不明な原作の改変が多過ぎる。
 原作からの変更、という点では、登場人物の名前もそうだ。前回の映画化は原作のとおりだったが、今回は主人公の印刷工、竹中宗吉は竹中保夫に、妻のお梅は春江に、長男の利一は保に、愛人の菊代は昌代に変更されている。……要するに名前の語感が古臭いからってことかね。名前だけ変えたって、キャストがみんなどヘタくそじゃなあ。保夫のビートたけしはビートたけしの演技しかできないし、昌代の室井滋と春江の黒木瞳は、まだキャストを逆にしたほうがマシである。そして、三人が三人とも、鬼畜ぶりが甘い。先の映画版の足元にも及ばぬ薄さ、貧弱さである。
 ……火サスは所詮、火サスなのかね。なんだか口直しに野村版『鬼畜』を見たくなっちゃったなあ。


 そのままダラダラとテレビを見てたら、『踊るさんま御殿』に三船美佳が出演していた。結婚してもうしばらく経つけど、ようやくハタチになったようだ。けど、さんまの「もうリコンしたんかいな?」というボケにマジギレ。瀬川瑛子のツッコミでなんとか笑いに落とせていたが、精神年齢はやはりオトナになりきれていないようである。『友情』に出たころには本格的な女優を目指すのかとちょっと期待してたんだけど、こんな堪え性のない性格じゃちょっとねえ。
 しかしこの人、父親の三船敏郎にも母親の喜多川美佳にも似てないが、隔世遺伝なのか?
 実は三船美佳はどうでもよくて、今回大変だったのは千石規子さんである。もうトシはいくつだ、大正11(1922)年生まれってことはちょうど80歳か、これがまあ、ちょっとどころでなくて危ないのである(・・;)。
 本番中にいきなり寝るのもなんだかなあ、なんだが、何を聞かれても受け答えが「何十年女優やってると思ってんの〜?」「私は私〜」である。でも何となく会話が繋がってるように聞こえなくもないのは、誰かブレーンがいて、何を聞かれてもこう答えなさい、ってレクチャーしてるんじゃないか。ここはさんまに「ボケとるがな!」と突っ込んで欲しかったのだが、さんまは形式的にコケて見せるばかり。あのコケ、「この人には何も突っ込めません」という記号なんで、じつはフォローにもなんにもなってない。三船美佳に対してひたすら謝ってたのと同じで、これって、かえって千石さんを「神棚」に隔絶して置いてきぼりにしちゃうことになってんだよね。たとえ相手が話がマトモに通じる相手でないとわかっても、怒るなり笑うなり、積極的な働きかけをしなきゃ、そこに人間関係は生まれないと思うんだが。
 いつのころからか、お年寄りをバラエティで使うのに(というか弄るのに)、そのトンチンカンな返事にコケて見せる、お手上げして見せる、というパターンができあがっちゃってる感がある。まあ、ヘタに「ボケたんかオマエは!」とかやっちゃうと、視聴者から「お年よりをバカにするとはケシカラン!」と抗議がくるからやれないんだろうけど、昔は吉本新喜劇の平参平を弄る時のように(まあ、あの人は芸でボケてたのか本当にボケてたのかあまり区別のつかない人だったが)、本気でそのボケにハラを立てて振りまわすドツキ倒す、ということをしていたものだ。それでいて別に舞台上の出来事が現実の差別に繋がると考えるほど、昔の観客はアホではなかったのである。
 なんだか、コメディとバラエティの区別がつかなくなってからこっち、「差別ギャグ」が対象の存在肯定になってるって仕組みが理解されなくなってきてる気がするなあ。キレイゴト言ってる連中ほど、自分の差別性に気付いてないよな。
 ……なんか今日、差別のことについてばかり考えてるなあ。それくらい無自覚な差別者が世間に横溢してるってことなんだけどね。
 でも、さんまに「あなたの出演者に対する気遣いはかえって差別です。もっと相手を罵倒しコケにしなさい」と言っても聞きゃしないのはわかる。仮にさんまが認めても、三船美佳が許さない(^_^;)。自分が被害者だと思いこんでる人間に何を言ったって無駄だもんな。私も腐るほどそういう経験してきましたです、はい(-_-;)。
 こないだ島田伸介が『行列のできる法律事務所』で「アシスタントを罵倒する発言が名誉毀損」と非難されてたけど、その根拠は、パネラーの弁護士の全員、見事にバラバラだった。言い替えればどんなにテキトーな理由でも被害者ぶれば相手を名誉毀損に持ちこむことが可能だってことだ。犯罪的だよな。どこぞの掲示板で「名誉毀損で訴えてやる!」みたいなことを叫んでる○○○○がいるが、管理人さんも困ってることだろう。
 罵倒や悪口が本当に相手を傷つけるものかどうか、キッチリ線引きなんてできるものではない。いい加減、「バラエティは人をバカにして笑いを取るから不快」なんて幼稚な意見を吐くのやめようよ。誰に言ってんだ、俺。


 マンガ、阿部川キネコ『辣韮の皮 萌えろ!杜の宮高校漫画研究部』2巻(ワニブックス/GUM COMICS・819円)。
 おお、無事に2巻が出たか。オタク以外に誰が読むんだって気はするが、掲載誌の『コミック・ガム』もオタク雑誌だからいいのか。
 今巻の新登場キャラは仮面ライダーオタクの漫研部顧問、ジャスティス(^o^)と、新寺部長の姉、同人作家の花京院艶子。後者は明らかに作者本人がモデルだな。同人女って意外とオタク男を毛嫌いするものだけれど(同族嫌悪か?)、阿部川さんは結構、心が広いような気がする。何しろこのマンガ、一般社会にはちょっと溶け込めなさそうなオタクを何人も登場させてはいるのだけれど、その中で一番マトモな人格者が、デブでメガネの少女マンガマニアなのである。そうだ! デブでメガネで汗っかきで石森章太郎や大島弓子のファンに悪人はいないのだ!(自分に向かって言うなよ)
 ジャスティス(自称。本名が「正義」だからである)みたいなオタクな教師って、意外と多そうな気はするが、生物のテストで「ライダー1号からアマゾンまでのそれぞれのもとになったと思われる生物を答えよ」なんて問題出してたらクビになるんじゃないか。まあ、そこまででなくても、校長から叱責くらいはくらいそうな気はするが(けど、この問題、1号・2号=バッタ、アマゾン=トカゲ、ストロンガー=カブトムシは知ってたが、V3とXはなんだったっけ? ……とかなんとか言ってたら、山本弘さんとこの掲示板に全部紹介されていた。結構アバウトだったんだね)。
 「『龍騎』なぞ我々に言わせればライダーではないね!! あれはガンダムで言うトコロのGガンダムなのだよ!!」……熱いなあ、この教師。徳光康之の濃爆オタク先生はガンダムからサクラ大戦に転んでオタクとしてのステイタスを自ら放棄してしまったが、ジャスティスは大丈夫そうだ(^_^;)。
 だいたい、このタトエ自体、「ガンダムシリーズにおけるGガンの位置」を知らないと理解できまいにねえ。主人公でオタクだけれど美少女系な滝沢くんは、これに「ガンダムじゃないですかー」と返してしまうのだ。あまつさえ、「ハカイダーって何代目のライダーなんですか?」と来たもんだ。こういうヤカラ。現実にいるしな。そういうヤツはたとえどんな美少女であろうと、いな、美少女であればなおのこと○○して○○○して○○○○○○○○○○○○、どうか。

 今回は巻末に昨年のSF大会のレポートもあり。昔から吾妻ひでおとか、SF大会のリポートマンガを描いてる人は多いけど、そろそろ1冊にまとめたらどうかなあ。けど、一人のマンガ家さんじゃとてもその全貌は窺い知れまい。同大会のレポートはエロの冒険者さんも書かれているが、全くと言っていいほど内容が重なっていない。それくらいイベントの数が多いのだ。
 エロさんが『クレヨンしんちゃん部屋』に行ってる時に阿部川さんは『さいとうちほ&幾原邦彦が語るウテナから最新作まで』を覗いている。私がもし行ってたらやっぱり『ウテナ』の方に行くだろうな。それは別に『クレヨンしんちゃん』より『ウテナ』が上、と考えているわけではなく、唐沢さんたちが何を語るかはだいたい見当がつくからである。
 『トゥーン大好き!』コーナーには阿部川さんも参加してたはずだが、例の大川周明……じゃなくて○○り○○○おの唐沢さん帽子トバし事件の顛末は一切描いていない。まあ、『ガム』の読者に「SF大会は怖い」イメージを抱かれちゃ困るだろうから、そりゃ当然なんだけれども。……それはそれとして阿部川さん、少し似顔絵の練習した方がいいと思うぞ。松本零士も武田康廣も庵野秀明も樋口真嗣もみな同じ顔というのはちょっとなあ。


 マンガ、八神健『ななか6/17』8巻(秋田書店・410円)。
 アニメ化も決定したそうで、まずはめでたい。
 前巻までは新キャラをやたら出しまくって、ちょっとテコ入れ気味の話も多かったが、やっぱりこのシリーズは稔二と二人の七華、そして雨宮さんの三人(四人?)で成り立っているのである。
 16歳の七華と6歳のななかという「二重人格」の設定は、初め三角関係のドロドロになりかねない三人の関係をオブラートに包む働きをしていた。その機能はまだ働いてはいるが、この「二人の七華」の対立が、ここに来て一気に急展開を見せはじめる。
 16歳の七華は、自分の中から6歳のななかを消そうとする。しかも、まずは雨宮さんを利用しようとし、次には自ら6歳のななかを演じて稔二を騙し……。
 二人の七華は同じ七華であってやはり別の人格。それを「同じ七華じゃねーか」と叫ぶ稔二は、やはり七華の苦しみを理解しきれてはいなかった。そして6歳のななかは、稔二に嫌われたと思い込み姿を消す。しかし、そのとき稔二が流した涙は、16歳の七華が望んだ自分のための涙ではなかった……。
 いやあ、いいなあ、16歳の七華の悪辣さ。嫉妬に狂ったオンナの恐ろしさを少年マンガで堂々とやっちゃう潔さにも感心。こういう描写は、手加減しちゃうとかえってつまんなくなっちゃうからね。やはり「一旦は」6歳のななかに消えてもらわねば収まりがつくまい。そしてこの展開は、「二人の七華のどちらかが生き残るのか?(あるいは統合されるのか?)」という疑問を、久しぶりに読者に突きつける形になった(ここしばらくナアナアなラブコメ的展開が多かったからなあ)。うん、『ななか』って、結構ハードな物語だったんだよ。
 でも、まだ最終回じゃない(^o^)。次巻予告に出てきたキャラは男か女か?

2001年10月15日(月) カチカチ山の……/ドラマ『着ながし奉行』
2000年10月15日(日) ステーキとモーレツとSFミステリと/『海底密室』(三雲岳斗)ほか



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