無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年07月16日(火) 乱れる話いろいろ/『ぴたテン』1・2巻(コゲどんぼ)/『桃色サバス』1巻(中津賢也)

 島根でのSF大会、どうやら無事に終わったようである。
 DAICONFILMが話題になっていたころからSF大会には興味があったし、これまでにも何度となく参加する機会はなくもなかったのだが、学生時代はともかくカネがなくて、参加は夢のまた夢であった。
 当時、学生で参加してた人も多かったようだが、みんなそんなに金持ちなのか? と不可解に感じていたものだったが、あとになって判明したところによると、ホントにみんな金持ちなのであった。いいなあ、いいとこのボンボンは。
 じゃあ、オトナになって就職して、いよいよ行けるようになったかと言うと、今度はヒマがない。病気でしょっちゅう仕事を休んでるくせに、と言われそうだが、趣味を優先させてまで仕事を休むってのはそんなに簡単にできることではないのよ。あ、意外と私も常識人か?(^.^)
 しげも行きたがってはいたのだが、ともかく完全宿泊というのがイタイ。
 ともかく回りは見知らぬ人ばかりである。人見知りの激しいしげにとってみれば牢獄にぶち込まれるようなものであろう。私やAIQのみなさんが一緒にいられるのは昼間だけで、夜は別々である。どんなに外見上女っぽく見えなくても(こう書くとしげが男のように見えるのかと誤解されそうだが、しげの名誉のために補足しておくと、しげはオトナには見えないのである。……誉めてないか)、生物学的に女である以上、しげはたった一人、女部屋に宿泊せざるを得ないのだ。いっそのこと、こっそりしげを男ということにして、一緒に泊まろうかとも画策したのだが、私やしげは平気でも、さすがに周りのみなさまがどうにも困ってしまうであろう。
 それやこれやで、結局毎年、参加を断念している。
 「SF大会、経営ジリ貧!」なんてウワサを聞くに連れ、まがりなりにもSFファンの端っこにはいるんじゃないかと思ってる身にしてみれば、多少ボラれてもいいから協力してさしあげたいなあ、と思っていたのだが、結局未だに参加を果たしていない。
 こうなるとなんかもー、一生参加できないかもなあ。
 唐沢俊一さんご夫妻やエロの冒険者さんの日記等を拝見すると、今回の大会、旅館の待遇にいろいろと問題があったらしい。田舎の旅館なんてのは、ご当地が一番と思いこんでるから、料理も接待も実はいい加減というところが多い。そういうのにはしげは敏感に反応してしまうから、参加しなくて正解だったのかもしれない。


 今日もしげは迎えに来ない。
 電話を入れても全く応答がないからやっぱり爆睡しているのであろう。
 仕方なくタクシーを拾って帰る。
 コンビニに寄って、少年ジャンプを立ち読み。と言っても『ヒカルの碁』しか読んでない。
 何と巻頭カラー、ということは佐為がいなくなってもまだ人気は落ちてないってことなのかな。伊角さんが桑原本因坊とタメ張れるところまで来ているけれども、これも人気故の措置か。初登場の目立たなさを思うと、これも意外な展開だ。
 再連載が始まって、そろそろ山になるような出来事を起こさないといけないんじゃないかと思う反面、あまりムリヤリな展開にはしてほしくないとの思いもある。あと10巻くらいは続けてほしいと思ってるんだが、ヒカルたちがちゃんと一年一年トシを取ってることを考えると、少年マンガとしてはそのあたりが限界だろう。あるいは、その後はヤングジャンプに移籍して『ヒカルの碁 青春編』みたいにしちゃうというアクロバットな手もありはするが。
 でも、そこまでしちゃうと、さすがについてくるファンも激減すると思うが、どうか。


 しげに突然、
 「アンタ、今朝、腕が痛くなかった?」
 と聞かれる。
 「別に? なんで?」
 と答えると、
 「なら、いい」
 といかにも隠しごとをしているような返事。
 「なんか隠してるな、言えよ、なにしたんだよ」
 と問い詰めると、困ったような顔をして、白状する。
 「昨日、仕事から帰ってきたとき、寝てるアンタの腕踏んだんだよ」
 「あ、ひでえ」
 「覚えとらんと? 返事したよ、アンタ」
 「……覚えてないなあ、なんて言った?」
 「覚えてないけど、なんか返事した『痛い』とかなんとか」
 どうやらマトモな受け答えではあったようだ。
 しげは寝言ではたいてい意味不明な「しげ語」を喋る。多分どこかから電波が飛んで来てるのではないかと思うが、その悪影響を受けていないかと、心配していたのだ。
 まあねー、いくら意識がなくてもね〜、私って理性的だから、間違っててててても、常軌を逸したようなイカレたような気が触れたような脳が腐れたようなことは言ったり言ったりイッたりしないと思ってた信じてたんだけどもちょっとだけ心配してたって言うか大丈夫だったんで安心したって言うかキモイって感じーなわんだほー。b;f−ysiet;qtqx^@zr.eskmkw@f3ljpy<tZwi6mebyw@g(4q@ydue94i,> 


 『言語』8月号の特集、「日本語は乱れているか!?」。
 一応この雑誌、マジメな言語学の雑誌なんだけれど、エクスクラメーションマークにクエスチョンマークを重ねるあたり、なかなかサバケているのである。
 けれど「乱れているか?」って疑問形で問題提起されたら、これは「乱れてる」と答えるしかないよなあ(^_^;)。で、そりゃ今に始まった話じゃないし、もともと言葉は時代の変化に従って乱れ、変化していくものである。「乱れ」と「変化」の厳密な区別は言語学者にだって簡単にできるこっちゃない(だから専門誌でこんな疑問形の特集が組まれるわけである)。
 問題にすべきなのは、世代間のコミュニケーションが取れなくなっているという事実だ。若い世代の使っている言葉がオトナ世代には分らない、いや、意味は通じるのだけれど、ニュアンスにどうにも違和感を感じてしまう。大人は若者の言葉を「乱れ」と糾弾するが、若者はそれが自分たちの自然な喋りかたなのだから、と反発する。これでは会話が成り立たないのも無理はない。
 そしてこの勝負、常に敗れるのはオトナ世代なのである。だって先に死ぬのはオトナの方だからそりゃ負けるってば(-_-;)。若者言葉が敗れるときは、更に若い世代が新たなる言葉を台頭させてきたときである。要するにトコロテンだわな。
 しかし、負けが分っているからと言って、敗北宣言したまま諦めるのは、それこそオトナが若者とのコミュニケーションを放棄することになる。若者に反発されようと嫌がられようと、「日本語使え、バカヤロー」と怒鳴りつけてやるくらいのことをしないと、貧弱な言語で満足している若者のメンタリティーは、どんどん鈍化していく。だってよう、いい40代のオトナの男が「〜だしィ、〜だしィ」なんて接続詞使えない状況(会議の席での発言だぜ)が生まれてるんだぞ。こりゃなんとかせねば、と思うのも私一人の独善ではなかろうと思うがいかがか。

 もちろん、私とて、決して「正しい日本語」などは話せていない。
 この日記においても、堅苦しい言いまわしを避けて、若者言葉に迎合している面もある。「〜とか」「〜ヤツ」「〜のほう」など、ある一定の世代以上のオトナには耳障りな言葉遣いも、あえて使っているところがある。これらはギリギリ昔からある言葉の応用だと自分で納得できるからだ。
 けれど、「オレ的には」「ワタシ的には」みたいな「的」の使い方は、私にはできない。
 「個人的には」という言葉があるのに、なぜわざわざ「自分」を前面に出して主張するのか、これってただの独善ではないか(「個人的には」という言い方自体、あまり使いたくはない)。
 同様に、「オレって○○な人だから」という言いまわしもしない。……これ、我々の世代の、しかもオタクがやたら流行らせたんだよね〜、本人は自己アピールのつもりで使ってるんだろうけれど、実際には相手との間に「オレとキミとは違う」って壁を作ってるだけなんだよなあ。そのことに気づいてなかったバカな男って多かったよなあ。昔、この言葉遣いのせいでフラレた男、何人も知ってるぞ。
 80年代、オタクな男がもてなくてもてなくて苦しんだ背景には、こういう言葉遣いのヘタさにも原因があったと思う(女性でこの「〜な人」を使うのは、初めから相手の男を拒絶してる場合が圧倒的に多いのがまた悲しい)。

 今号の寄稿には、もう今更それを言ってもなあ、と感じる「乱れ」の例も少なくない。「生きざま」「温度差」「視野に入れる」などの誤用は、もう止められないのではないか。なぜなら、これらは「若者言葉の乱れ」ではなく、「オトナ」が政治的な都合で自ら作り出した「乱れ」であるからだ(40代以上でも、これらの言葉のどこがどうおかしいのか、説明できない人、多いのではないかな)。
 ファミレスのウェイトレスさんの「よろしかったですか?」も、北海道、東北、九州を支配し、今や東京を席捲しつつあるようだ(ネットで検索したら千件以上ヒットしたぞ。やっぱり不快に感じてるオトナは多いのだ)。全く、使い始めたのはどこのどいつだ。
 この根の深い「乱れ」に対して異議を唱えるのはまさしく蟷螂の斧だなあ、とは思う。けれど私ももう老い先短いカラダだし、「小言幸兵衛」になろうと決心したので(^o^)、イタチの最後っ屁よろしく、無責任に妄言を吐いて行こうと思う。
 ここで再確認しておくが、私は言葉に「正しさ」を求めているのではない。
 工夫のない、心を感じられない言葉に満足している連中を、大人であろうと若者であろうと「タコ」呼ばわりしたいのである。
 最もタコなのは自分の使う言葉が絶対だと思いこんでいる連中だ。意志の疎通に支障を来たした場合、その原因はどちらか一方にあるのではなく、常に双方にある。それくらい常識として知っておけよなあ。  


 マンガ、コゲどんぼ『ぴたテン』1・2巻(メディアワークス/DENGEKI COMICS・各578円)。
 アニメは未だにオープニング以外全然面白くないんで、さて、原作マンガは読んでみようかどうしようかずっと悩んでた。……悩むほどのことかとは言われそうだけれど、ともかくちょっとでも興味を引いたものには手を伸ばしてみようと思ってるのだよ。
 ああ、でも原作はアニメほどひどくないね。
 いかにも同人誌上がりの絵柄を嫌う人はいるだろうが、表情のバリエーションが意外にも豊富でいい。湖太郎の困ったり苦しんだり照れたりホッとしたりを微妙な線で描き分けてるよ。作者、きっと女の人だろうと思ってネットで調べてみたらやっぱりそうだった。一般的にキャッチーなのは美紗や紫亜なんだろうけれど、やはり湖太郎や御手洗大のほうがキャラとしては立っている。
 『デ・ジ・キャラット』のキャラデザインもこの人だそうだけれど、概してアニメは原作の描線を生かしきれてないねえ。原作の線は、一見、均質に見えるけれど微妙な強弱があるし、コマ割りやレイアウトもアニメみたいに単調じゃない。……アニメのスタッフ、アニメ化に際して露骨に手を抜いてないか? もしかしたらこの原作を、あまり好きじゃないんじゃないのかも。
 確かに、ドラマとして考えると設定も人物配置もありきたり過ぎる。今どき『二級天使』をやるかってのはアニメを最初に見たときにも思いはした。けれどこの人がマンガ家としてバケるのはもうちょっと後ではなかろうか。なんか「習作」ってイメージがすごくするのよ、これ。とりあえずは「先物買い」ってことで。
 それはそれとして、この人の「コゲどんぼ」ってペンネームの由来ってなに?(@_@)


 マンガ、中津賢也『桃色サバス』1巻(少年画報社文庫・620円)。
 80年代の『少年サンデー』はともかく面白かった。
 高橋留美子の『うる星やつら』とあだち充の『タッチ』を2枚看板に、島本和彦の『炎の転校生』、細野不二彦の『どっきりドクター』『GU−GUガンモ』、六田登の『ダッシュ勝平』、上條淳士の『ZINGY』ほか、よくもまあ、これだけオタク好みの濃いマンガを載せてて、しかも部数を伸ばしてられた(一時期『ジャンプ』を抜いていた)ものだ、と感心するラインナップが揃っていたのだ。
 中津賢也(「なかつ・けんじ」と読む)さんも、その一角を担ってたのは間違いないのだが、私は面白いと思っていた『ふぁいてぃんぐスイーパー』、これだけ濃い作家に囲まれてると不利だったのか、2巻で打ちきり(後、未収録の短編を寄せ集めて3巻を出す)、『増刊サンデー』に連載した『黄門じごく変』『徳川生徒会』(結婚した後で知ったが、しげもファンだったそうだ)も2巻で打ちきり、作者本人が自嘲気味に「2巻作家」などと自称していたくらいだった。
 確かに中津さんのマンガは、ページ数の関係もあるのか、面白くなる寸前で尻切れトンボで終わるものが多かったんで、作り手も読み手もドラマ嗜好の強い『サンデー』ではイマイチ人気が取れなかったのも分るのである。残念なことだが、『サンデー』ではシチュエーションコメディは受けても、スラップスティックは受けない。
 実のところ、中津さんのギャグの本質はスラップスティックであって、シチュエーションコメディにはない。高橋留美子とは違うのだ(『うる星』ではスラップスティック的要素が強かったのが、『めぞん一刻』以降、どんどんシチュエーションコメディに偏っていった)。サンデーの編集者、中津さんを無理やりシチュエーションコメディの枠に嵌めこんだせいで違和感が生じちゃってたのではないか。

 角川での今はなき『コミックコンプティーク』での数本の連載を経て、『YANG KING』に移って、ようやく中津さんは本領を発揮したように思う。
 『虹色サバス』では、魔神ベルゼビュート(「蝿の王」ですな)の魂を宿した高校生、魔道玉吉を守るために魔女カゴメがやってくるって基本設定はあるものの、エピソードを重ねるにつれ、ほとんどそんなのはどーでもよくなっている。
 要するに「追っかけ」と「エッチ」が描けりゃいい、というように開き直っているのだ。だから、出てくるキャラが「カゴメのヌードが撮りたくて追っかける」玉吉のオヤジとか、「玉吉の精液がほしくて追っかける」魔女マユとか、そんなんばっか(^o^)。しまいにゃ「発情期になったカゴメを玉吉が追っかける」なんてパターンまで出て来たぞ。ホントにナニしかないのな、このマンガ(^_^;)。
 でも、その開き直りが、この作品でついに2巻作家(ほんとはもうちょっと描いてるけど)を脱出できた一番の理由。角川まではずっと中津さん追いかけて買ってたんだけど、まさか『サバス』でバケるとは思ってなかったから、単行本買ってなかったんだよね。
 いやはや、不明の至りであります。

2001年07月16日(月) 私のマスコミ嫌いも根が深い/『雪が降る』(藤原伊織)/『新ゴーマニズム宣言』(小林よしのり)ほか



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