無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年07月10日(水) 憑かれた女/『新宿少年探偵団』(太田忠司・こやま基夫)ほか

 あなたは霊の存在を信じますか?
 私は信じません。
 これまでに、霊現象と言えるような経験をしたこともないではないのですが、全て気の迷いだと思っています。
 祖母の死も母の死も私はその日の朝に予知しましたが、ただの偶然だと思っています。
 そうです。時折、寝室で蠢いている黒い、得体の知れないものも、目の錯覚です。その黒い闇の中に、青白く光る瞳のような物がはっきりと見えていようと。

 今朝、というか、夜中の3時すぎのことです。
 私はぐっすり眠っていました。
 玄関でドアが軋むような音を聞いたような気もしますが、多分、耳の錯覚でしょう。私はそのまま眠り続けていました。
 いきなり、どさりという音がしたかと思うと、急に私の胸が苦しくなりました。なにかが寝ている私の上に乗っています。
 「うげえ、うげえ」
 それは何か人語を喋っているようにも聞こえましたが、私の耳にはそんな呻き声のようにしか聞こえませんでした。もそもそと動くそれは、だんだんと力が抜けてきたのか、少しずつ、少しずつ重くなってきました。
 ああ、これはいつもの黒いあれだ。
 そう直観した私は、思いきりそれを跳ね飛ばしました。
 先ほども書きました通り、私は一切の霊現象を認めません。
 金縛りは半覚醒状態の筋肉疲労にすぎません。そこに何かがいるように思うのは錯覚です。絶対にそうです。
 私の上の黒いものはまた、どさりという音を立てて私の脇に落ちました。
 「きゃー!」
 なんだか悲鳴のようなものが聞こえたような気がしますが、無視します。これはただの夢なのですから。


 元ディズニーのアニメーターのウォード・キンボール氏が、8日に死去、享年88。死因は明らかにされていないとか。
 キンボール氏は広島国際アニメーションフェスティバルの審査委員長として来日されたことがあるが、あれは第何回のことだったか。私もそのとき、キンボール氏を見かけていたはずだが、英語が堪能であれば図々しい私のことだから、何か迷惑なことを喋りかけていただろう。実際には客席から審査員席を仰ぎ見るばかりで、「はあ、あれがミッキー・マウスに白目を入れたキンさんか」とか思ってるだけだった。日米友好を思えばつくづく英語が喋れなくてよかった。
 御伽話しか作れないディズニーの中でキンボール氏は異端で、その本領が最も発揮されたのはあの怪作『ふしぎの国のアリス』であったと聞く。ことあるごとにディズニー批判してる私だが、誉めたい作品もないわけではない。キンボール氏のイカレた作風は、『アリス』のようなイカレた原作(『ふしぎ』だけでなく『鏡』も中に取り込むイカレ具合である)を料理するにはうってつけだったろう。キンボール氏ほか、創世記のアニメーターが大挙してディズニーを出た後、ディズニーは明らかに失速した。再びディズニーが脚光を浴びるには、宮崎駿に影響を受けた新世代の台頭、『リトル・マーメイド』や『ビアンカの大冒険 ゴールデン・イーグルを救え!』などの作品を待たねばならなかったのである。
 ……しかし、死亡記事の小さいことったらない。
 日頃ディズニーにあらずばアニメにあらずみたいなこと言ってる連中は日本にも多いけれど、所詮あいつらが興味持ってるのはキャラクターにであってアニメ自体にじゃないんだよな。鬱鬱。


 晩飯はもういい加減飽きてきた「めしや丼」にお出かけ。
 車の運転中、しげが盛んに「疲れた疲れた」と連発する。
 なんだかシフトが変わったせいか、やたら仕事が忙しくなったらしい。
 どれだけ疲れているかというと、仕事中、しげの頭の中を杉良太郎の『君は人のために死ねるか』がエンドレスで流れているのだそうな。しかもしげは原曲を聞いたことがなく、カラオケでぴんでんさんが歌っているときのバージョンでしか知らない。
 ぴんでんさんの声は渋い。歌唱力ももちろん立派なものなのであるが、やはりAIQの一員だけあって、巧まざるユーモアがコブシを利かせるあたりに自然と漂う。杉良なら延々と聞いたりしてられるもんじゃなかろうが、ぴんでんさんの声なら、なんとなく耳を傾けたくなる、そんな雰囲気がある。
 けどね〜、いくら聞きなれてるからってね〜、勤務中、夜7時から朝3時まで8時間、ぴんでんさんを聞きっぱなしって、それはさすがに拷問ではないのか(ぴんでんさんゴメン)。
 それは「疲れている」のではなくて「憑かれている」のだ(^_^;)。
 仕事から帰って、昼間はゆっくり寝ているはずなのだが、いくら寝ても疲れが取れないって、そりゃエンドレスで聞いてりゃ神経はボロボロになるって。自分で止めろよ、しげ。
 ハンドルを握りながら、「ホラ、これ以上腕が上がらない」とボヤいている。ちゃんと運転できるのかよ、と心配になる。
 「何か重いものでも持ったのか?」
 「そうじゃなくて、ともかくキツイと!」
 そりゃ、運動不足でカラダが鈍ってるからなんじゃないのか、と思いながら、ふと、今朝の「黒いもの」のことを思い出す。
 「お前さあ、今朝何時に帰ってきた?」
 「3時くらいかな?」
 「そのとき、俺の上に乗った?」
 「うん」
 「なんで乗るんだよ!」
 「疲れてたから」
 「オレが重いだろ!」
 「あんたをまたいで行こうと思ったんだよ。けれど疲れててまたいで行けなくて乗っちゃったんだよ」
 言っちゃあなんだが、私はマジで呼吸が止まりそうになったのである。
 もちっと年寄りだったら血管がぶち切れてたかもしれないのである。
 それほどにしげの体重は重い。とことん重い。言い訳が利く状況ではないのだ。
 これは何らかの形でし返しをしてやらねばなるまい。
 とりあえずは「怖い話」をいろいろし込んでおくことにしよう。しげが油断したときに何の気なしに止める間もなくサラッと言ってやるのである。
 「あ、そこの曲がり角だけどね……」


 「めしや丼」ではチキン南蛮と焼肉定食、それに期間限定のそうめん。二人揃って全く同じメニュー。
 庶民はとかくこの「期間限定」というやつに弱い。考えてみればたかがそうめんである。スーパーで買って自分ちで作ったほうが安上がりだし、味も調整できるし、量も自由自在ということは解りきってるのだが、「今ここでしか食べられない」となると、なぜか引っかかってしまうのである。
 もっとも、実は引っかかってるのはしげだけで、私ではない。
 私は別にそうめんなんか食わなくてもよかったのだが、しげ一人が宣伝文句に踊らされてバカになってるのは余りにかわいそうなので、私も付き合って同じものを注文してあげているのである。
 実を言うと、私が糖尿にもかかわらずしげと同じ量か、少し多めに食事を取ってしまうのも実はしげに対する心遣いである。しげが私より余計に食べると、自分が大食いだということを自覚しなければならなくなる。しかし食べたい、でも食べたら太る、どうしたらいいのか、そんなしげの心の葛藤を軽減してあげるために私はひと品ふた品余計に食べてあげているのだ。
 これこそまさしくしげへの「愛」にほかならないと思うのだが、しげはなかなか気づかないし、気づいてもなぜか喜ばない。なんでかなあ。
 実際、しげって贅沢っつーか愛に貪欲っつーか、なんだか夢物語みたいな愛を求めてるらしいんだが、そんなもん、成就するわけないじゃん。
 まず、目の前の現実を見て、部屋片付けろよな。


 DVD『必殺必中仕事屋稼業』4・5話。
 第4話「逆転勝負」のゲストは故・菊容子。これだけでもこのDVDを買っただけの価値はあろうってもんだ。清楚にして妖艶。この人くらい、女性の陰と陽を同時に表現しえた女優さんというのもそう滅多にはいない。ほかに思いつくのは後の故・夏目雅子くらい……ってどうして私はこう早世した女優にばかり入れこんじゃうかな。
 思えば『好き! 好き!! 魔女先生』で星ヒカル先生に憧れていた小学生の私は、多分そこまで敏感に感じ取ってファンになっていたと思う(ホントかよ)。
 昼は処女の如く夜は娼婦の如くというのが男の理想らしいが(相当勝手だけどな)、菊さんはそれを見事に演じていた人だった。菊さんの不幸はそこにあったようにも思う。バカバカしい話だが、演技上の姿を現実の人となりと錯覚するのーたりんは時代を経てもなお一定の割合で存在しているのである。
 本当の菊さんはそんな人ではなかったんだろう(どんな人だったかは知らないが)。今ある映像作品に残された菊さんの姿に我々がどんな妄想を抱こうとも、菊さんはどこかで静かに笑っているだけだと思う。


 マンガ、太田忠司原作・こやま基夫作画『新宿少年探偵団』(秋田書店/少年チャンピオン・コミックス・410円)。
 まあ、これも『金田一少年の事件簿』同様、噴飯ものの設定と言えば言えるんだけれど、あまりそこまでの印象がないのは、明智小五郎四世とか小林芳雄三世とかを出してこなかったおかげだろう。羽柴壮一三世って、誰それってな感じだものな。
 もちろん、ちゃんと江戸川乱歩の『少年探偵団』シリーズをちゃんと読んでいれば、羽柴壮一が誰かなんてことは初歩の初歩。ほかでもない、彼こそが怪人二十面相最初の事件の被害者であり、少年探偵団の創立者であるのだ。小林くんはね、羽柴くんが作った探偵団の団長として後から招かれたんだよ。その彼を「鎌倉の老人」として、新・少年探偵団の後ろ盾に置いたアイデアは悪くはない。少なくとも原作に対して敬意のカケラもない『金田一少年』より遥かにマシだ。
 かつての二十面相の存在とは、関東大震災後、復興し変貌していく街並みのその表面的な静謐さの陰に隠されてはいるが、時おりチラリとその正体を垣間見せることのある、いわゆる「時代の怨念」のようなもの――魔都・東京の二重性の象徴であった。
 現代、少年探偵団シリーズを復活させるとすれば、まさしく、「現代の怨念」、これを描き出さなければなるまい。「髑髏王」という今回の敵キャラクター、美しい人間の骸骨の収集家、なんてところは確かにそれらしくはあるのだが、ここまでドギツイキャラにしてしまうと二十面相より人間豹みたいだ。もっともそれほど陰惨な闇を現代の新宿が潜ませているとすれば、こういうキャラクター化はかえって一つの禊となっているとも言える。
 原作の小説の方は未読なんで、こやまさんによる続編のマンガ化も期待したいところだ(ラストに出て来てるのは大鴉博士か?)。

2001年07月10日(火) 踊れば痩せるか/『ちょびっツ』2巻(CLAMP)ほか



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