無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年07月11日(木) 灰色の巨人/『サトラレ』3巻(佐藤マコト)ほか

 杉浦太陽の無実が判明したとかで、『ウルトラマンコスモス』の再開が決まったそうな。番組自体は見たり見なかったり、見たときもそんなに面白くはなかったんで、これが『ウルトラ』シリーズじゃなかったらそれほど気にもしなかったと思う。
 とにかく『ウルトラ』世代には「『ウルトラセブン』幻の12話事件」が未だに尾を引いている。私も本放送時に見たっきりだから、今や記憶は茫漠としているのだが、裏で出回ってるビデオを見た人はみな一様に「何でこれが問題にされたのか全く分らない」と語る。
 「臭いものにフタはよくない」と主張しているいわゆる「人権団体」とやらが、こと小説や映画などの表現メディアに対してだけはただひたすら「絶版」「放送禁止」を要求してくる矛盾がなんとも理解しがたいと感じている方は多いと思うが、これって結局は自分たちへの差別を助長する結果にしかなっていないんだよね。
 今回の事件は直接的には差別の問題とは関係ない。
 しかし、「何だかよく分らないやつの訴えで理不尽な理由で放送中止に追いこまれた」という印象がしてしまう点は共通している。
 厳密かつ正論に従って言うならば、「放送中止」って処断はいささか即断過ぎてはいた。恐喝容疑で逮捕、と言っても容疑段階ではまだ推定無罪なんだしね。もっともこんな原則が日々のマスコミ報道の中で守られたためしなんて全くない(芸能人が逮捕されてその名前が伏された例ってないでしょ。今回の事件だって、杉浦太陽が事件当時「19歳」だったから名が伏せられただけで本気で人権擁護なんて考えちゃいないよ)。おかげで我々もすっかり「逮捕=犯罪者」と洗脳されている。いや、私が「マジメそうな顔してエライことやってるなあ、杉浦太陽」、と思っちゃったのもそうだけど、今回はホントにマスコミに踊らされちゃったよね、みんな。
 ここが微妙なところだけれども、たとえ推定無罪の段階でも、犯罪の立件が確実であれば、私は実名報道も構わないと思っている。けれどそれは警察だってバカじゃねーからあやふやな証拠で逮捕まではしないだろう、と一応の信頼はしているからだ。結果的に今回は警察がバカだったってことじゃん。
 処分保留ってことは要するに恐喝があったのかなかったのか、結局は藪の中だ。ホントに太陽君が無実だったのかどうかも実はまだはっきりしていない。
 こうごちゃごちゃとしてくるともう、これで生じた損害(この場合円谷プロも杉浦太陽もどっちも被害者になるんだろうなあ、加害者は訴えたやつ?)は誰がどんな形で埋め合わせるのかとか、映画は話題が出来てヒットするのかなあとか、DVDは完全版で出すのか、映像特典で編集版を収録するのかとか、どうでもいいことしか話題に上らなくなる。
 でも、もともとこの事件がいったいなんだったのかってことは、もう誰も語れなくなっちゃったのではないか。本当は「放送中止にしなきゃならないような原因っていったいどんな基準があるの?」ってこと、もっといろんなとこで話題に出ててもよかったんじゃないかねえ。
 役者が事件起こしたら即放映中止って、それってアリなのか? 主役はダメだけど脇役だといいとか、そういうことなのか? スタッフが罪を犯したら? 監督やプロデューサーだとやっぱり中止で、助監督や撮影技師だとOKか?
 そもそも作り手の罪と作品の質は別で、たとえ誰が事件起こそうと、関係ないんじゃないのか? 「罪を憎んで人を憎まず」って、そういうことじゃないのか?
 作品自体を消し去られかけることに対する反駁がもちっとあってもよかったんじゃないのかなあ。今回の件、みんな、内心では面白がって見てたかもしれないけれど、ある存在自体がまるまる否定されるってとんでもないことなんだけど。


 もういい加減、「王将」と「めしや丼」には飽きているのである。
 別んとこ行こうよ、としげを説得して、「ザ・メシや」。
 しげも喉が乾いてたいたので、「ドリンクバーがあるからなあ」と渋々承諾。オカズがセルフのバイキング方式なので、冷えてるのがしげの嫌うところだけれど、温めなおしもしてもらえるんだし、文句つけるほどじゃない。私は冷えてても平気だし。だいたいしげはネコ舌で冷えるの待って食ってんだから、どうして「冷えててイヤ」と文句をつけるのか理解に苦しむ。
 ウナギに刺身。いつもはイカ天を取ってくるのだが、一つ150円というのが意外と割高になるんで、このへんで抑える。一皿自体はどれも300円前後で安く感じるんだけど、結局三皿くらい取ってくるからメシと合わせて千円くらいにはなるんだよね。そこもしげが嫌うところだけれど、だったら三更も四皿も取ってこなきゃいいだけの話で。
 「だってあったら取りたくなるし」
 結局、己の欲に勝てないってことじゃん(-_-;)。

 食後、姉の店に寄って父に中元を渡す。
 中元と言っても、しげの働いてるリンガーハットのノルマである。必ず知り合いのところに送らないといけないらしいが、それって、結局給料が目減りしてるってことじゃないのか。
 父も「いきなりどうして中元」みたいに怪訝な顔をしている。
 「中身はなんや?」
 「さあ? 麺じゃない?」
 贈り物の中身を知らないで渡すってのもシツレイ極まりないが、ノルマだしご勘弁。

 そのあと、博多駅で紀伊國屋・メトロ書店を回って、帰宅。
 仕事仕事の連日の強行軍に加えて、あちこち振り回したせいか、しげ、帰るなり倒れこむようにして爆睡。でも、また2、3時間したらまた仕事に出ねばならないのだ。
 ……やっぱり毎日の送り迎え、相当負担になってるよなあ。できるなら、もうちょっと環境のいいとこに転職した方がいいかな、と本気で考え始めている今日この頃である。


 マンガ、佐藤マコト『サトラレ』3巻(講談社/イブニングKC・540円)。
 オビにあるけど、ついにドラマ化だそうで、でも主演がオダギリジョーに鶴田真由って、映画版のキャストをいかにも程よくテレビサイズに合わせましたって感じだねえ。特に見る気ないから文句つけてもしょうがないんだけど。
 ただなあ、テレビの企画として考えた場合だよ、『サトラレ』ってどんなもんだか、って思ったやつ、テレビ局には誰もいなかったのか?
 マンガのドラマ化について云々したいわけではない。やっぱり見る気は全く起こらなかったが、『アンティーク 西洋骨董洋菓子店』などは、よくぞこんな原作を引っ張り出してきたものだ、と企画自体には感心したものである。
 けれどねえ、『サトラレ』の場合はだよ、テレビスタッフがモノを考えて番組作ってるようにはとても思えないのだよ。というのが、原作の方はまだまだ物語の端緒を示しただけで、全く本筋に入って来ていない、と言える段階なんだから(映画の方も今思えばちと時期尚早だったね)。
 自らの思念を周囲に「悟られ」てしまうと言う「サトラレ」の設定は実に魅力的だ。もしも「サトラレ」が本当にいたらどうなるか。自らがサトラレであったら、その事実とどう対するか。読者はもっぱらそういった具体的なケースを様々に想像するだろう。
 即ち、作者は、あるいはドラマの作り手は、その読者の「想像力」をはるかに越えるようなドラマ展開を作り出すことを強いられるのである。『水戸黄門』のような予定調和のドラマを作るのとはまるで作り手の心構えが違ってくるのだ。
 でも、果たして、そこまでドラマのスタッフが考えてるかね?
 考えてなきゃ、初めから「駄作」になることが決まっちゃうと思うんだが、この私の想像、十中八九当たってると思うな。

 マンガの3巻は、作者の佐藤さんの「がんばり」が随所に見られる。
 ただ、その「がんばり」がウソの上にウソを重ねるだけの無理なモノになってるところもあるような。
 サトラレの息子が同じくサトラレであったら、この二人に自分がサトラレであることを気づかせずに生活させることができるのかどうか。この課題を解決するのに、「父親と息子のそれぞれに代役を立てる」ってのはいくら何でも不可能じゃないか。父親が単身赴任している時ならともかく、「親子で一緒に暮らしたい」と双方が思ったらいったいどうするのだろう。それはそのときになって考えれば、というご意見もあろうが、もう一つ、結局、父親も息子も全くの他人を自分の肉親と信じて一生を過ごさせることに対して、「そこまでしてサトラレに自分がサトラレであることを知らせないこと」の是非は問われないのだろうか、という疑問が湧く。自らの思念が他人に筒抜けであることにサトラレは耐えきれないだろうという判断は妥当だが、彼らを救う方法が真実を遮蔽することに限定されているのはなぜか。そこに設定の無理が生じているのだ。
 それでも佐藤さんはサトラレが直面するであろう様々なケースを作り出していく。
 サトラレを憎むサトラレ研究家、山田教授。
 彼の登場こそが次巻以降の展開への最大の事件だろう。
 彼が企んだ木村浩と白木重文の接触が、山田教授の思惑通り、サトラレ同士傷つけあうことになるのかどうか、もちろんそれを乗り越えていくことを読者は期待しているのだけれど、常識的に考えてもそれは簡単にできることではない。
 佐藤さんがどこまで「がんばれる」か。途中でリタイアしないで描ききってほしいんだけど、こちらも安易なところで妥協されそうなんだよなあ。

2001年07月11日(水) 変と変を集めてもっと変にしましょ/『コミックマスターJ』7巻(田畑由秋・余湖裕輝)



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