無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年05月12日(日) 懐かしき人々の狂乱

 きれいに晴れ渡った空。
 公演日和、なんて言葉はないが、雨に祟られた去年に比べれば、格段にツイている。問題はお客さんが来てくれたとしてもそれに見合うだけの芝居を見せられるかどうかだが。

 しげとよしひと嬢、昨日も余りよく寝てないだろうに、朝から会場のぽんプラザへ。今回、会場とムチャクチャトラブルがあったとかいう話で、しげもよしひと嬢も朝っぱらから機嫌が悪い。ストレス溜まるのは分るけれど、それをうまく回避してこその劇団運営である。話を聞く限り、みんな揃ってアチラに手玉に取られている感じで、情けないったらない。
 しげは私に「アンタを交渉に行かせればよかったかな。クレーマーだし」とかこきゃあがるが、私ゃ趣味でクレームつけたりゃしないぞ。
 例えば、修理に出したビデオデッキの故障が直ってなかったり、郵便物が時間指定通りに届かなかったら、文句言うのは当然だろう。文句をつけなかったら、代金だけ取られてデッキは壊れたままだし、郵便物は送り主に送り返されてしまうじゃないか。

 今回、会館の受付がきちんと説明をしてないために、一部機材などを使うのに支障を来たしたというのだけれど、みんな唯々諾々と会館の理不尽に対してペコペコ頭下げてるのな(--#)。
 ……いや、頭を下げることが悪いとは言わない。
 相手がアタマ下げただけで上機嫌になる程度のお寒いメンタリティしか持ち合わせてないってんなら、それも一つの方法だ。話を聞く限り、所詮はお役所仕事しかできない、経営者として使い手の便宜とか、図ってやろうなんて当たり前の対応すらできないやつららしいし。そんなのといちいちケンカしたってなあ、と判断したのも分らなくはない。
 アチラにもどこの馬の骨かわからない劇団に会場を貸したくはないっていうのはあるんだろうな。以前ホリゾントに穴をあけられたって話だから。
 けど、それをやったのウチじゃないんだぞ。
 そこで、ハイそうですか、と納得したら、ウチもそんな唐変木と同レベルだって自分で認めたことになるんだぞ。それでいいのか。
 せめて「負けて勝つ」くらいのことは考えてもいいんじゃないか。「負けて負けて」どうするかね。

 私はこうたろう君を迎えるために、福岡空港へ出発。
 地下鉄の駅を上がって、到着口まで、100メートルは歩く。……長いよ。
 スカイマークで11時10分に到着とのことだったが、5分ほど遅れる。
 去年、私が東京に行った時には天候不順とかで1時間くらい遅れたのだけれど、今回は理由が解らない。案内嬢さんに「何か事故でも?」と問い合わせた途端に飛行機到着のランプが掲示板に点る。
 ほどなくこうたろう君が降りてくるが、荷物がない。
 「手ぶら?」
 「ああ、今日は土産はないよ」
 誰も要求しとらんわ(^_^;)。……って、前回東京に行ったとき、こうたろう君からはたっぷり土産を頂いているので、ここで更に土産を期待したりしたら、それこそ人でなしと言うものであろう。

 公演にはしばらく間があるので、それまで博多の町をこうたろう君を連れてムリヤリ観光。と言っても、あまり会場から遠くへ行くわけにはいかない。
 まずは腹ごしらえと、博多駅で降りてキャナルシティへ回るが、アテにしていたラーメンスタジアム、どこも行列状態。
 仕方なく、食事は川端に回ってしようと、コンコースを辿る。実はその途中に今回の公演会場の「ぽんプラザ」がある。
 「『ぽんプラザ』って、ヘンな名前だと思ったら、水道局だから『ポンプ』ラザなのか!」
 こうたろう君、驚くと言うより笑っている。確かに、お世辞でもセンスのいいネーミングとは言えない。まあ、役所にとんがったセンスを求めても仕方ないけどね。ダサイくらいがちょうどよいのだが、演劇の会場としてはまるで似合わない。ちょっと中を覗いてみても、全くの「公共施設」なんだもの。
 けれど、どういうわけか、表のどこにもチラシが貼ってない。これじゃここで公演があるって分らないのじゃないか。
 「せっかくだから、みんなの様子、覗いてみる?」
 私が口にする前に、こうたろう君に誘われて、会場の4階に上がる。
 うわあ、受付も入口も、てんで殺風景で、まるで演劇を上演するような感じじゃないなあ。……って、見た目、倉庫のドアじゃん。
 ちょうど、待ち合いのところで、赤ちゃんをあやしながらチラシを折っている愛上嬢と会う。
 「あらあ! お久しぶりですゥ!」
 私とこうたろう君の両方への挨拶だろうな、これ。
 そう言えば、殆ど前回の公演以来かな(間に一回くらい遊びに来たかもしれないが忘れた)。けれど相変わらず喋りのテンションが高い高い。
 でもって、愛上嬢、とても二人の子持ちにゃ見えないくらい若い。もうハタチも半ばを過ぎてるくらいだろうけれど、赤んぼ抱いてなきゃ10代にだって見える美人さんだ。……羨ましいぞ、鈴邑君(←旦那さんね)。
 しかし、ウチで一番演技力のあるやつが二人の子供の子育てに忙殺されてるんだから、もったいないったらないんだけど、どうもご本人もそう思っているらしくて、散々今回の役者に関して愚痴を言う(^_^;)。コラコラ、愚痴を言うのは私の仕事だ。
 この子も、もう一回くらい、チョイ役でもいいから舞台に立たせたいんだけど、生活のことを考えると難しいんだよね。ウチ、一応、人材がいないわけじゃないんで、練習する時間と各家庭の経済状況さえよければ、もっと、人が見ておもしろがれる芝居が作れると思うんだけどなあ。
 会場内をちょっと覗いて、その狭さに唖然としながら、腹が減って来たので、食事に出る。


 こうたろう君と「かろのうろん」で昼食。
 彼は肉とじ、私はしめじとじを食べながら、「博多のうどんの腰は『伸び』があるんだよ」などとウンチクを垂れる。例の『博多学』の中に、「博多のうどんは腰がない」と書いてあるけど、それは「福岡のうどん」だ、と注釈をつける。ウンチク聞きながらの食事って、あまり楽しいものではないだろうが、こうたろう君、美味しいと言って食べてくれる。ありがたいことだ。
 櫛田神社を突っ切って、「博多ふるさと館」で博多織の実演を見る。ここは小さいところだが、時間がちょうど合えば、博多人形造りなどの実演が見られて、観光の穴場になっているのだ。しかも日曜祝日に来ても殆ど混んでいないのがいい。
 「爺ちゃんの家がこんなだったからなあ。ほら、この引き戸の木が擦れる音が好きだったんだよなあ」なんて、こうたろう君を置いてきぼりで懐旧に浸る私。……職人の家に生まれると、どうしてもこういう昔の「生活臭さ」ってヤツに惹かれてしまうんだよね。
 今日がちょうど「母の日」であったことにも気づいて、萬行寺に寄って、母の墓参り。そう言えば今年はまだ墓参りもしてなかった。もっとも、カーネーションの一つも持ってきてないんだけれど。
 こうたろう君に「悪いね、無理やり付き合わせちゃって」と謝ると、「いや、以前、お世話になったから」と言ってくれる。ううう、こんちくしょう、私を泣かせようって算段だな。く、くそう、な、泣いてたまるかよう。
 天神まで足を伸ばして、福家書店でオタク本など漁る。
 買うつもりはなかったのに、気がついたら雑誌や単行本など数冊購入。
 ベスト電器LIMBのテラスでひと休憩。ついまたDVDを買いそうになり、こうたろう君に止められる。いかんいかん、また悪いクセが(^_^;)。
 夕方近くになって来たので、川端通で「焼きカレー」を食べて、ぽんプラザへ舞い戻る。これもこうたろう君、美味いと言ってくれてホッとする。


 しかし、開演前2時間、もう4時になろうってのに、やっぱりチラシの一枚もオモテに貼ってない。リハーサルや調整に時間がかかってるのは分るけれど、聞いてみると受け付けも愛上嬢しかいないそうだし(子連れに受け付けさせてどうする)、準備がデタラメ。
 しげの話だと、チラシはここの管理人に渡して貼ってもらうように頼んでたそうだが、未だに貼ってないってことは忘れられてるんじゃないか。仕事してねーぞ、ぽんプラザ。
 仕方なく、私とこうたろう君で手分けして、一階、二階の入口と、4階の出入り口に、チラシをベタベタ貼りまくる。
 受付にも愛上嬢だけを座らせておくわけにはいかないので、私とこうたろう君で座って待っている。……芝居の公演の受付が四十男二人ってのはいくらなんでもマズいと思うぞ。塩浦嬢とかが当日だけでも来てくれりゃ、受付くらいなんとかなったんだろうけど、あの子も貧乏で来られなくなったらしいし。
 コヤの中では、鈴邑君が演出そっちのけで舞台の指示を取りしきっている。本来なら、舞台監督がそこまで出しゃばるのは、指揮系統の面から言ってもあまりいいこっちゃないんだが、演出より舞台監督の方が実力があって実質的に頼りになるんだから仕方がない。タイムテーブルを確認しているあたり、堂に入ったものだ。
 ああ、お手伝いに見学だけだったはずのラクーンドッグさんや、つぶらや君のお友達も三人ほど走り回っているぞ。でも、本来の劇団員である「彼」の姿はない。年に1回しかない公演だってのに、事前に休みが取れなかったのか。そんなに職場での立場がないのか。
 だからみんな、芝居をやれる態勢作ってから、公演打てよなあ!

 ……と、内心、準備の不手際にイライラしてるのは私だけではないので、口には出さない。私の仕事は撮影だけなので、それに専念するだけである。
 「メイクが遅れてる!」なんて声が聞こえたが、気のせいだろう。

 いよいよ本番。

 今回の芝居は2本立てである。
 『HERO』は、よしひと嬢の脚本、主演。
 私以外の脚本を上演するのは初めてなので、これが試金石になって、ほかの人たちも脚本を書いてくれることを望んじゃいるんだが、どうなることか。
 あるシナリオライターの男の妻が殺人を犯すのだが、彼女は「これは『正義のヒーロー』がこの女の体を借りて、悪を倒したのだ」とトランス状態で語る。
 その殺した相手というのが男の不倫相手なものだから、果たして、妻は本当に「ヒーロー」に体を乗っ取られたのか、それとも、これはすべて妻の演技なのか、はたまた妄想なのか、真相がが分らないまま終わる、というのが、つまり「リドル・ストーリー」としての効果を狙っているわけなのだが、ドラマとして、そこで終わっちゃうのはチト弱い。
 本当は、そこまでをもっと凝縮してムダなセリフを省いてプロローグにして、不倫相手の死体をどうやって誤魔化すか、というドラマに仕立てた方がずっと面白くなるんだけれど、そこまで練り上げるのは時間的制約もあって難しかったのだろう。
 それならばそれで、芝居にメリハリを付けて、途中、ダレさせないようにしなきゃならないのだけれど、ともかくみんな揃って下半身の動きが弱い。
 あのなー、愛人がよー、男を責めるんならよー、抱きついて、腰に手を回してキスして、甘えてるように見せかけながら「アンタ、離さないから」って絡みついて見せるくらいの情念ほとばしる演技見せなきゃ、観客はリアルさなんて感じてくれねーよ。
 芝居やるなら、その程度の度胸はつけろよ。


 『ねこまん』は私の脚本なので、演技や演出を貶すと、責任を役者に転嫁するような形になっちゃいかねないので言いにくいのだが、それでも客観的に見れば、あちこち穴だらけなのは否定出来ない。
 やっぱり、ギャグなのにセリフとセリフの間が徹底的に悪い。
 客に絡む脚本を書いているのに、役者が客を無意識のうちに怖がっているのが分る。これはイタイ。
 しげからもらった原案は、「猫だと名乗る女が現れる」だけだったので、それをマンガ家の設定にして、編集者との四角関係に仕立ててギャグにした。ヘタクソな歌詞も交えて、ミュージカルっぽくしたのは、クレージー・キャッツ映画へのオマージュである(植木等よりも、人見明のセン)。
 だから、歌い手は客に絡まなければ(実際に客にしなだれかかったりしなくても、心理的に絡んでくれりゃそれでOKなんだが、それもなかった)この脚本はギャグとして成立しないんだけど、そこに演出もキャストも気づかなかったのかなあ。
 笑いが好きなら、みんなもっとコメディ見ろ。昔のも今のも。「趣味に合わない」とか「面白くなかったら損」とかいう発想は、役者には厳禁だ。そんなお高く止まって取り澄ましたような態度で、人の心を動かせるものかどうか、考えてみればいい。

 私が言わなくても、お客さんは正直である。
 三十人ほどのお客さん(例年、こんなものだ)のアンケート、今回はいつもの不条理劇でない分、役者の技量不足をストレートに批判した意見が寄せられていた。……ホンがつまんないという意見はなかったから、どうして笑いがイマイチ起きなかったのか、自らの演技力不足に大きな原因があったのだと、役者諸君はキモに命じておくように。
 私は私で、自分の脚本の欠点については、誰に言われなくても自己批判しとくからよ。

 それでもこうたろう君、しげの演技を誉めてくれる。
 「いやあ、舞台映えしてるよ。一番生き生きしてたし。やっぱり、たくさん映画や舞台見てるのが強みだね」
 望外の誉め言葉だなあ。
 しげの役は化け猫なんだけども、もともと無表情で、どんなにブリっ子して見せても、目だけは笑ってないやつなんで、普段でも見ていてどこか怖いのである。その辺の「凄み」が自然に出たってだけだと思うけどね。
 けれど、痛む足をそれと感じさせないように演技して見せたこと、これだけは誉めていい。役者なら当たり前のことだけど、その当たり前もできない人間って、この世の中に多いからさ。

 撤収はいつものごとく、混雑を極める。
 其ノ他君の小道具のギターがどこかに行っただの(あとで置き忘れていたのが見つかる)、セット代わりのポリ袋の捨て所がないだの(手分けして持ち帰ることに)、お手伝いさんが「ミスが多かったから」と電車代をもらってくれないだの(ムリヤリ持たせた)、しげが痛む足をかばって、ギックリ腰になっただの(あほ)、いろいろあったが、なんとか終了。
 片付けのときだけやってきた藤田君、荷物が揃ってないってんで「誰かチェックしてなかったのか!」とか文句垂れてたけど、チェックしてて見つからないから、困って探してるんだよ。トンチンカンなこと言ってる暇があったら、自分で探せ。

 しげとよしひと嬢は、一足先に帰宅。
 よしひと嬢、ロドリゲスの助手席には、ベスト電器から借りてきたプロジェクターが鎮座ましましているので、仕方なく荷物でいっぱいになった後部座席のスキマに挟まるように運ばれていく。
 「警察に見つかったら、人形のフリをするように」
 誰ぞがそんなこと言ってたけど、そりゃムリってもんでしょ。
 
 こうたろう君と、ようやくラーメンスタジアムが空いてきたので、「博多一黒丸」でチャーシュー麺。オーソドックスな味で、それほどしつこくなく、悪くない。今日の公演のことなど、乾杯しつつ(私は水だけど)語る。
 「やっぱり、芝居をするってだけじゃなくて、その先に何があるかを見なきゃな」
 とは辛辣だが至言だ。

 帰宅したときには、私も相当、くたびれはてていたが、それでもDVD『ポピー・ザ・パフォーマー』などをみんなで見て騒ぐ。
 でもそれも12時までが限界。睡魔が猛烈に襲ってくる。
 明日が休みならなあ、徹夜してでも喋りまくりたかったんだけどなあ。
 『ワンピース』話で盛りあがるこうたろう君とよしひと嬢、腰が痛いと泣くしげを残して私は一人、本棚のスキマで寝るのであった。

2001年05月12日(土) 今日までそして明日から/『私はスポック』(レナード・ニモイ)



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